外伝 瑠璃色の真珠【完全版】

あらすじ
かつてこの国には名探偵がいた。あらゆる謎を解き明かしたその探偵は、悪の教典と共に暗い滝壺で眠っている。
舞台は英国。不可思議な事件を巡る、残された者の物語__。
月が一際大きく輝く日。ヒトの姿に擬態できないエマ=ジェームズ・ワトソンはバケツの中でのんびり過ごしていた。そんなある日ワトソンの元に奇妙な案件が持ち込まれる。四人の女性に『購入した覚えのない宝石が突然届いた』という。その宝石は瑠璃色に輝く真珠で__? その宝石が持つ意味は何か。背後で渦巻く愛憎と犯罪とは……?
「窒息しそうな思いの果てに、あなたは何を願うのかしら」


ッシャオラ~~~~!!!! パワーで完結させました。『瑠璃色の真珠』!! 多分大体二か月ちょっと放置していた気がするんですけどもなんとか終わりました。
こっちもこっちで新章みを残しておくみたいな感じで終わらせたのはアレです。雰囲気です。雰囲気大事。なんだかすみません。全部繋がった状態の完全版なので長いです。お時間あるときに読んでください。パワーゴリ押し完結なのであんまりこう、その、何と言いますか。パワーです。はい。
楽しんで頂けたら幸いです!
https://wavebox.me/wave/b064pup7uhwd9l39/
https://x.com/asnshk_0108


***

数刻前
神秘管理局__罪人の塔



幻想の側に立つ罪人をぶち込んでおく拘置所は、普通の人々が想像するような鉄格子がある拘置所とは全く異なる。細長く薄暗い塔に所狭しと置かれた箱が天高く積み上げられ、その箱の中には拘束されているあからさまに危険そうな人狼から、人畜無害そうな顔をした好青年までレパートリー豊富である。
だがここに収容されているものは皆同じく、人間社会で狼藉を働いたか、一般人に危害を加えたか__あるいはその両方の罪を背負う幻想の住人たちだ。
一応一般的な牢屋もあるが、そちらは殆どが一時的な隔離措置という意味でしかなく、腕の立つ魔術師の手にかかれば数秒と待たずに鍵をすり抜けることができるだろう。

シルヴィアウッド・ソールズベリーはこの塔と繋がっている別の塔にぶち込まれているらしい。流石に刑罰冠名を有するような化け物級はさらに強い魔術で防御された別部屋が用意されているようだった。
フィニア・バスカヴィルは壁際で足を止めた。前には二メートルほどの鏡がある。そっと触れれば鏡面が水面のように揺めき、内部の様子が露わになった。
部屋の隅で膝を抱え、小さく縮こまっているシルヴィアウッドがいる。以前の溌剌とした雰囲気は失われ、悲嘆に暮れて泣き暮らしているのは想像に難くない。
オフェムの死は彼女からの愛が揺らいだことにも一つ理由があり、そしてその残忍極まる犯人は彼女を絶望に叩き落とすという強い意志のもと__。
赤紫色の瞳が室内へ入ってきたフィニアをぼんやりと見つめる。虚ろな目は何も映さず、ただ音か、あるいは魔力に反応しただけのようにも思えた。

「シルヴィアウッド様__」

フィニアは呼びかける。ふいと外方を向いた彼女は掠れた声で小さく「帰って」と言った。しかしフィニアはその様子を意に介さず、

……聞いてください。『幽閉の魔女』が、キリルが復活しました」

と、凍りつきそうな事を言ってのけた。
その名を彼女も当然知っているのだ。何よりも彼女が129年前に殺したはずの魔女の名を出され、生きているなんて突拍子のない事を言われて、今のシルヴィアウッドが正気でいられるはずがない。

「え……?」
「事実です」
「なんで……何で!? どうして! 私は殺したわ!」
「シャルルマーニュ・ハイドノーブルが彼に会いました」
「あり得ない。神秘原則に抵触しているわ。だって己の魂を自分で取り出して別の場所に隠すなんて、できっこない! そんなの__そんなのまるで、神の所業じゃない! 置換魔術だって、対象が自分ではないからかろうじて成り立つのよ!?」

シルヴィはふらつきながら立ち上がってフィニアへ勢いよく歩み寄り、思い切り右手を掴んだ。

「シルヴィ様?」
「本当に……ほ、本当にキリルが。シャルに触れた? か、彼に、シャルは何かされた? 口付けとか__」

フィニアは目を丸くする。シルヴィの脳細胞が正常に戻りつつあるのはありがたかったが、まさかそれを言われるとは予想だにしていなかった。

「フィニア。お願い。答えて」

いつになく真剣な眼差しのシルヴィに気圧され、フィニアは「ええ、そのようです」と短く答える。

「聞いて。シャルは呪われてる。キリルに」
「やはりそうなりますか。解呪は?」
「魔女の呪いは特殊なの。かけた本人にしか解呪できない。だから……
「それはつまり『幽閉の魔女』たるキリルを殺すか、どうにかして解呪をやらせるかしなければ、シャルルマーニュ様は呪い殺されるという事ですか」
……キリルの呪いは、相手を呪い殺すような種類の呪いではないわ。何というか……大抵の場合で、箍を外そうとしているような__」

シルヴィは一度頭を振り、考えを整理して続ける。

「シャルは回帰者ではあるけれど、まだ完全に幻想の内へ回帰したわけではないわ。キリルが接触したのは……貴方を完全に幻想へ引き込む為だと思う」
「回帰を誘発する? そんなことが可能なのですか」 フィニアは困惑のままに問いかけた。「確かに契約した幻想種や、その外側の存在、所謂『十三の秘匿事項』と呼ばれているものと縁を結べばそれの影響を強く受ける事はあるでしょう。でも一切契約無しに、一方的に呪いを押し付けて回帰者を生み出すなんて聞いたことがありません」
「キリルなら『あり得ないこと』を平気でやりかねない、と言えてしまうのが、怖いところなの」

シルヴィはそう言って深く息を吐き出した。ボサボサの髪の毛は埃が絡まったモップのようにあちこちへ好き放題、指通りは最悪だろう。数度彼女は己の髪を手櫛で梳こうと試みたが、残念ながら絡まってそれどころではなかった。

「彼は幻想時代のブリテン島を識っていた。恐らくこの世で最も長く生きている魔女だと思うわ」
「原生神秘と同じほどに?」
「そこまではないと思う。でも……数千年単位で生きているのは確実じゃないかしら」
「数千年ですか……」 フィニアは難しい顔で考え込む。「でも貴方はキリルを殺すことに成功した。ならばもう一度殺すこともできますよね」
「できる……とは、思うわ。でも私がキリルを殺すことに成功したのは様々な偶然が重なったからよ。正面からぶつかり合って勝てるかどうかは、わからない」
「私の猟犬たちでは?」

部屋の隅__角から醜く骨ばった姿の猟犬が数匹姿を表した。シルヴィは少し体を震わせて猟犬から視線を外す。

「キリルは猟犬を無力化する方法もきっと知っている。正面から戦って、彼を殺せるとしたら……それは、きっと……ジェームズ__エマ=ジェームズ・ワトソンだけよ」

シルヴィの言葉にフィニアは一度目を伏せた。
己を焼いた星の焔。猟犬をあっさりと殺した星の奇跡。両足は元に戻ったけれど、幻肢痛のように時折焼けつくような感覚を思い起こさせた。



***

__現在



……キリルの復活。それは、アリスティアラが回帰に失敗したという唯一の答えだ」

ジェームズの言葉には悲壮感と激しい怒りが漂っていた。俺は胸の奥を突き刺されるような痛みを覚えて思わず胸元を握りしめる。
ミザリーとジュワイユーズ。二人は一体何年の間その愛を抱いていたのだろう。どれだけの間、苦しみを抱いていたのだろう。ミザリーの言葉が昨日のように思い出された。

『私たちの間には学問があった。それだけよ』

果たしてジェームズの推理であるので、それが正しいのかは分からない。この時ばかりは正しくないものであってほしいと願った。
娘を幻想へ回帰させて、二人はその先に何を望んだのだろうか。
愛も、恋も、つまりは激しい病であって、病を治すには本人たちの心が、それは病なのだと気づくことができなければ治しようがない。

純血という名前の魂に縛られていた、ジュワイユーズ・イシュタリテ。
己の愛で雁字搦めになってしまった、ミザリー・シュピッツナー。

キリルは言った。窒息しそうな思いの果てに、何を願うのか、と。
奴は二人の懊悩を楽しんでいたのではないのか? そしての懊悩の果てに、わかりきった答えを知っても面白くはないだろう。面白くないから、俺にも求めたのだとしたら。
だとしたら。

「ジェームズ……、なあ、その……突拍子もないことだとは、思ってるんだ」

俺は恐怖のままに言葉を紡ぐ。

「キリルは何かしらの神秘を理解したんじゃねえのか」
……奴が惑星魔術の源流である、投影の奇跡を理解したと?」

幻想種であっても『奇跡』の何たるかを理解することは困難を極める。本能的に理解できても、それを言語化できるかというのはかならずしもイコールではない。それは魔術師とて同じだ。
『理由は分からないが、とりあえず再演できる』というパターンが魔術にはある。魔術式が分かっており、それに魔力を通すことで使えるというものだ。テンプレート的なものが魔術にもある、ということはジェームズに聞かされていた。だとしても__。

……問題は山積している。キリルを討伐するとしても、ミザリーを捕まえるにしても、エマを……故郷へ帰してやるにしても。下手に動くと事態が悪化しかねない」
「フィニアちゃん、なんか知ってる?」
「日本の陰陽庁という組織が調査していると聞いております。元々日本には厚生労働省の中に先進医学研究監視公安事務局という組織があるのですが、ここは幻想・魔術にまつわる事件の調査を行っているのです。ただここで手に負えない案件が出てきたとき……
「陰陽庁の出番ってわけね。で、今回はその陰陽庁が出張ってるからヤードも神秘管理局も手が出せない……というわけか」
「ええ。陰陽庁は世界的に見ても珍しい『対神秘』専門の機関ですから」

神秘と幻想には大きな違いがある。前者は決して失われず、理解できない__或いは理解してはならない存在だが、後者は科学的な解明や歴史の否定によって消えてしまう存在だ。そして神秘は幻想に比べて数段上の悪辣さを持っていることが多い。
日本では「神隠し」と呼ばれるような事件が起きる。電車に乗っていただけなのに突然異界へ連れ去られた、なんて事件の証言がネットで散見される国だ。未だ禁足地が都市部のど真ん中にあるなんてザラである。
故に陰陽庁という組織は、神秘に対応する上で必須と言って差し支えないだろう。

……対神秘専門組織が動いている……」 ジェームズは顎に手を当てて深く考え込むような仕草で続け、はっと目を見開き__「……ッ、……しまった!」
「え、どうした? ジェームズ」
「フィニア、今すぐにミザリーの元へ行ってくれ」

フィニアが頷き素早く黒い扉へ手をかけ外へ躍り出た。ジェームズは説明する時間が惜しい、とだけ言って表通りへ走りタクシーを呼ぶ。慌ててエマが乗り込み俺も転がるように後部座席へ乗った。

「日本大使館へ。急いでくれ」
「へ? 大使館? 何で?」

俺は何一つジェームズの意図を理解できないままだった。日本大使館へ駆け込んで一体何をしようというのだろう? 映画でよく見る邦人保護のイメージ以外に何もない。俺は必死で頭を巡らせる。泡泳竜は日本近海にしか生息しない竜だ。そして俺も一応は日本国籍なわけで__

「待てジェームズ。お前まさか俺たちを日本に送り返そうとしてるのか?」
……珍しく、慧眼なことを言う」

ジェームズは静かに肯定した。日本へ俺たちを逃がす? キリルから遠ざけるためか? ぐるぐると嫌な考えだけが頭の中を占めており、まともな推理などできる訳もない。
今までジェームズとは様々な冒険を繰り広げてきたと、俺は勝手に思っていた。こいつにとっての相棒はシャーロック・ホームズだけだとしても、助手のようなもの__或いは、一人の友人程度にはなれたのではないか、と勝手に思っていた。

「なんで!? やだ!! エマいっしょにいる!」
「駄目だ。お前たちは日本へ帰れ」

大使館の前でタクシーは停車する。ジェームズはクレジットカードで代金を支払い、俺たちを車外へ放りだした。魔術で放り出されたと理解する。

「馬鹿言うなよ……! ここまで来て『はいそうですか』って帰れると思うか!?」
……シャル。私はお前に、幻想へ回帰してほしくはない」
「__は?」

思いがけない言葉に俺は面喰う。幻想へ回帰してほしくない。それは殆ど、黒き高貴という役目を背負った俺の覚悟の否定であり、一方で友人としての親愛を存分に含んでいることは想像がついた。
だとしても、もう引き返せない所にいる。
俺はその背骨にハイドノーブル家の秘密を抱えて未来へ連れてゆくと決めた。
ロジェに__大切な息子に、一人でその重責を背負わせるような真似は二度としないと。

「ジェームズ、」
……お前はシャルルマーニュ・ハイドノーブルだ。私が知っているのはその名前だ。その名のまま、生きて、死ね」
「おい、待てよ」

無慈悲にタクシーのドアが閉められる。そして走り去ってゆく。俺は遠くなっていくロンドンタクシーを追いかけようとして、やめた。
ジャケットの裾をぎゅうと握っているエマが大粒の涙を堪えているのに気づいてしまったからである。


***