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はるの
2023-09-19 21:11:09
162116文字
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スタートレック
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空に心臓
+13|AOS spirk|2023.10.1|2023年の日本で暮らしているジムが、倒れていた迷子のヴァルカン人を拾う話。現代ものパロディです。
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待ちに待った休日。まったく気分の晴れない、と補足すると憂鬱になりそうで、ジムはがしがしと頭を掻いた。
スポックの様子は揺るぎなくいつもどおりである。けれど、今日はずっと部屋の隅で座って待機をしていた。ジムがいるので、秘密の作業もできないのだろう。
じろりとそちらを見据えてから、ジムもいつもどおり、休日に済ませる家の仕事を始めた。
洗濯して、掃除して、布団を乾燥機にかけたり郵便物の整理をしたり、そんなことをしている間も、スポックはまるで微動だにしない。ただじっと座っていて、時折窺うような視線を投げてくるだけだった。そんなものを浴びているうちに、ジムはだんだんと面倒な気分になってくる。
どうせ、スポックは何も気にしてないくせに。そう思うと理不尽である。あのすました前髪をむしってやりたいくらいだ。
「お世話になってる方が大変そうだな、何か手伝おうかな、って気持ちにはならないもんかな、ヴァルカン人は?」
とうとう、ジムは音を上げた。せめて当てこするように、尊大な物言いをしてやると、スポックはじっとこちらを見上げてくる。
「手伝ってほしい、ということでしょうか」
「それ、サイテーな返しだぞ。覚えとけよ、地球のマナーだ」
「ジム。私は
……
、私の痕跡を残してしまうことより、ここを立ち去ることを優先する検討をしています」
「は?」
「出ていきます」
「は?」
またわけの分からないことを言い出した異星人に、ジムは手を止めた。しかめっ面で見下ろせば、彼は静かに顔を伏せる。
「それは、俺がわあわあ言うからか? 俺が悪いって思ってる?」
「あなたは悪くありません、ジム」
「俺が君をここに連れてきた理由、君に最初に言ったよな? 金も家も言葉も保障もない君が、どうやってこの日本で過ごすって?」
「あなたは何も悪くない。非論理的な話題の展開には理解の及ばないところもありますが、少なくとも私は
――
、地球人よりも頑丈にできています。ですから
……
」
「君のほうが非論理的な飛躍をしてるって思わない?」
「いいえ。私は、私はこのように、安寧に保護を受けている場合ではないのです。私は、早く」
「
……
スポック?」
ふいに、彼の言い分が少し方向性を変えて、スポックはほとんどこうべを垂れた。
ジムは自分の不機嫌を横へ置いて、部屋の隅で小さくなっている異星人に向き直る。表情を見たくて膝をついたが、鼻の形しか分からなかった。
「私はすぐに、戻らなければなりません」
スポックは、きっぱりとそう言い切る。言葉ははっきりしているのに、体のそばで握られた拳には強い力が入っていた。
「この5日間、そうなるように、最大の努力をしてきました。ですが、私にはおそらく、それができません」
「スポック」
もう一度、呼びかけてみる。顔を上げたスポックは、いたって普通の表情だった。
けれどたぶん、絶対に、それだけではないだろう。自分だってこの5日間、彼が安寧に過ごせるよう、それなりに努力をしてきたつもりだった。
「私は浅慮な判断をしました。私がここで死ぬ程度、どうでもよいのです。問題はそのせいで、また多くの死を招いてしまうことだ」
「死
……
、って、何があったんだよ、スポック」
尋ねても、スポックは押し黙るだけだ。ただじっとこちらを見据えて、ただじっと、何かに耐えるようにしていた。発言を拒否します、といういつものセリフが出てこない分、彼の深層に近い場所で、何かがあったのだろうと思う。
「君、誰かを死なせないために、転送してきたのか? それで着地に失敗した?」
「
………
」
「言えないか。まあ、そうだよな」
スポックは、ただ静かに口を閉ざしていた。
ジムは軽く息をついて、自分も床に座り込む。
こんなの、ずるいよなあ。そんなふうに考えて、内心で自嘲した。今まで確かに、彼の言動に、心から憤っていたはずなのに。こんなふうに傷ついて、落ち込んでいるのなら、力になりたいと思ってしまう。自分がうまくできなかったせいで、誰かを傷つけてしまったことなら、ジムにも覚えがあるからだ。そしてそれを、ずっと後悔している。
やっぱりこいつは、きっと少しずつ俺なんだろう。ジムは率直にそう思った。異邦人として惑っていた自分と、異星人として惑っているスポック。ふたりとも後がなく、選択肢も多くない。勝手な思い込みだけど、自分はそう思ってしまっていて、もはやほとんど修正が効かないくらいに舵を切ってしまっている。
「スポック。じゃあ俺たちで転送装置を作ろう」
ジムは思い立って、そう言い放った。スポックの両肩それぞれに、ぽんと力強く両手を置く。
スポックはもちろん、虚を突かれたようになった。
「
……
は?」
「君の転送装置が壊れてしまって、今の技術じゃ直せないなら、今の技術で転送装置を作ろう」
「は?」
「はじゃなくて」
完全に頭が回らなくなったらしいヴァルカン人の肩を叩いて、ジムは威勢よく立ち上がる。そうして大げさに両腕を広げて、くるりと明るく1回転した。
「そうだろ? 直せないなら、作ればいい」
その言葉がやっと脳に浸透したらしいスポックは、珍しく目を見開いて、冗談だろこの地球人、とでも言いそうな露骨な顔をする。そんな彼に、ジムはとびきりの笑顔を作ってやった。
「文句あるか?」
「不可能です。理論上では」
「理論は置いといてさ!」
「理論を置いてはできないことをおっしゃっている自覚はありますか?」
「そうと決まれば、まずは物理学の勉強だな! よし、図書館行くぞスポック」
「何も決まっていません。待ってください、あなたが作るんですか?」
「ばかいえ、君も作るんだよ。君のマシンなんだから、俺ばっかにやらせんな」
「不可能です」
「やってみなくちゃ分かんないだろ。絶対に勝てないシナリオなんてないんだから」
呆然と座り込むスポックに、ジムはウィンクして手を伸ばす。腕を取って立たせれば、彼は素直に従ってくれた。
図書館最寄りのバス停までは、スポックに渡したICカードで行くことができる。今ひとつ現実を飲み込めない、という様子だった彼も、ずらりと本が並ぶ広い空間に押し出されると、たちまち我に返ったようだった。この知識の宝庫をおそらく好むだろうとは思っていたが、いちじるしくきょろきょろされるとうっかり吹き出してしまう。
「ジム、私はあなたの試みが無謀だという意見を変えるつもりはありません」
「笑って悪かったよ。ここでは静かにな」
振り返ったスポックが表情を引き結んでいるのを見て、ジムはまた笑ってしまいながら、彼の背中をぽんと押した。
洋書コーナーに、専門書はあまりない。1冊だけ選んで、一般の物理学コーナーへ向かった。空間を扱っているらしきものを適当に物色するジムの横で、スポックは本棚を眺めながら、難しそうな顔をする。だから最後はまっすぐ進んで、日本語が学べる本のコーナーに入った。
「洋書がもっとあったらよかったんだけど」
興味深そうに背表紙を見つめるスポックにそっと近寄って、ひそひそ声で話しかける。静かにという忠告を覚えていたスポックは、同じようにひそひそと返した。
「アカデミーにならあるのでは?」
「アカデミー? あ、大学のことかな。俺大学行ってないから分かんない」
「
……
これから転送装置を作ろうとしているのに?」
「マシンを作るのに学歴は要らないだろ」
「学力は必要です」
「言ったな」
自分もかつてお世話になったことがある、日本語初心者用の本をいくつか引き抜く。そうしてジムは借りられる冊数の上限きっちり、図書館から持ち出した。エコバッグはぱんぱんで、なんだか懐かしい重さだ。働き始める前は金がなくて、よく借りて読んでいたから。
「本を持ちましょうか」
バス停まで歩いていると、ふいにスポックはそう言った。
予想外の問いかけに隣を見れば、彼はぶら下げているこちらの手元を見つめている。ジムは真面目に首を傾げた。
「突然なんだよ」
「肌を痛めている」
言われて手を持ち上げる。確かに、高負荷のかかった指たちは窮屈そうだ。ジムは笑って手を下ろした。
「痛めてるわけじゃない」
「ヴァルカン人は地球人より約3倍の筋力を有します」
「だから適任だって? 力が強くても、重いものは重いだろ」
「相対的にあなたよりは軽いと感じるかと」
「やたら食いつくな。すぐにバス乗るからいいよ。それより君、3倍? 細く見えるのに?」
「筋肉の構造が異なります」
バスに乗っている間、ジムは地球人とヴァルカン人の構造の違いについて講義を受けた。大学のことは知らないが、たぶん大学ではこういう授業をしているのだろう、とうんざりしてしまいそうなくらい、学術的で、退屈な内容である。スポックの声がベルベットみたいな聞き心地のよさじゃなければ、たちまち終了させていたところだった。
「ご指導ご鞭撻をありがとうスポック先生。明日は生物の抜き打ちテストかな」
「事前に告知されては抜き打ちになりません」
「スムーズなマジレスもサンキュー。つまるところ、結論としては?」
「本を持ちます」
「説得がなげーーーんだよ」
ジムはもう笑ってしまって、折れてスポックにエコバッグを渡す。最寄りのバス停から先、蛍光イエローの安価なそれは、彼の手元でおしとやかに揺れることになった。
「で、違うのは体の構造だけ?」
「もちろん、相違点はほかにも多く存在します。たとえば、体の構造の延長として、我々は地球人より平熱が高い」
「あっ、そういえば、君の怪我を止血したとき、やたら熱かったな。熱出してるんだと思ってた。へえ」
「
……
それは?」
「どれくらいかなって。握手」
のんびりと歩きながら、ジムはひょいと手を差し出す。スポックは眉をピクリとさせて、その手をじいっと凝視した。
しばらく、そのままで歩くことになってしまったため、ジムは次第に気まずくなる。手を握ったり開いたりしながら、半眼で隣のつれない男を見やった。
「なあ、失礼じゃないか? 握手を返さないのは」
「ヴァルカン人に握手の習慣はありません」
「ああ、そういうことか。じゃあ学ぼう、地球人の習慣を、今ここで」
「いえ」
「『いえ』ぇ?」
「そう
……
、ですね。触診をしたい、ということであれば、肩を触ってください」
断られて大仰に不満を訴えると、スポックはわずかに視線をさまよわせたあと、そう提案して前を向いた。
ずんずんとまっすぐ歩いている、ジャケットを着た、同じくらいの高さにある肩を見て、ジムは口を尖らせる。
それから勢いよくスポックの上着をめくると、わき腹へ手のひらを押し当てた。
「あ、ほんとだ。あっつい。これ完全にインフルやってるな」
シャツ越しに伝わる、スポックの高い体温を感じ取った瞬間、彼はさっと身を引いた。予想どおりの反応だったので、ジムは気にせず、してやったりと笑みを浮かべてやる。スポックは至極嫌そうな表情でこちらを睨んだあと、清楚なしぐさで裾を直した。
「肩、という単語に、認識の齟齬があるようです」
「君も切れ味のいい冗談を言うときがあるんだな」
そんな脱線をしながらも、つかず離れず、ふたりはおしゃべりを続けた。途中でスーパーに寄っても、途切れることなく。スポックは彼らのさまざまな文化を、教師然とした態度で丁寧に並べてくれる。たとえば、彼らの菜食主義はあくまで主義であって、肉類の消化ができない体ではないということとか。ヴァルカン人には、好きな食べ物が存在しないこととか。
「美味しいと感じることがない、とか言ってたもんな」
「はい」
「でも、あれは言わないだけで、実は思ってる、ってやつじゃなかったか?」
「
………
」
「好きなものを食べたら、わっ、これオイシ~! って内心うきうきスキップしてるのでは?」
「
……
なんの身振りですか、それは」
「眼鏡の位置を直す学者のジェスチャー」
本も一緒に放り込んだ買い物カートを押すスポックは、先週の学びもあって堂々とした態度である。新鮮な野菜の見分け方を何故かスポックから教わりながら、ジムはなんだか不思議な気持ちになった。
異星人の詳しい生態は、きっと『ここに残してはいけない』情報だ。だから、彼は今まであまり口にしなかった。ヴァルカン星がどこの星域にあって、重力が地球の何倍かなんて、昨日までは発言を拒否される内容だったのに。
「貨幣の価値基準がまだ明瞭ではありません。これは198円なのに、こちらは399円ですか?」
「うーん、それはそういうものだと覚えるしかないかな。ブランドの値打ちとか、運送料がどれくらいかかるとか、そういうのが関わってると思うけど」
「こちらの商品は、先週は530円でした」
「え、先週来たときの値段覚えてんの? 記憶力こわ
……
。あ、じゃあ、今のカート内の合計金額は?」
「1,893円です」
「レジじゃん」
ジムはふいに思いついて、サービスカウンターに立ち寄った。新しくプリペイドの電子マネーカードを作ると、チャージしてスポックに渡してやる。
それから会計方法をひととおり伝授すると、ジムはカートから本だけを抜き出して、スポックをレジに並ばせた。喋らなくても、このカードだけ提示すればいいから。そう言い残して、自分はレジを通り過ぎた先で待機する。
スポックは、ほかの人々が会計する様子を注意深く観察し、自分の番が来ると、学習したとおりにバスケットを差し出した。そうしてすべての商品が読み取られたあと、言われたとおりにカードを掲げる。勝手知ったるチェッカーは、会計を電子マネーに設定した。スポックは少し考えるそぶりを見せたあと、読み取り台にカードをかざす。同時、発せられた決済音に、彼はびくと微動した。子供にはじめてのおつかいをさせる親ってこんな気分なんだろうか。そんなことを考えながら、思わず頬をゆるめてしてしまう。
不思議そうな顔つきで戻ってきたスポックを、もちろんジムは褒めたたえた。
「よくやった! グッボーイ、グッボーイ」
「それは犬に使う言葉のように思います」
いつだって正しいスポックはそう反論して、持っていたカードをしばし見下ろし、そっと自分のポケットにしまい込む。
帰宅していろいろ片づけたあと、野菜のごった煮を作っていると、スポックがやってきた。
「ふたり分にしては多くないですか?」
「3日くらいはこれでいく。文句を言いに来たのか?」
「いいえ、手伝いに来ました」
その返答に、ジムは目を剥いた。だいたい自分がこちらの部屋にいる時間、彼はひとりでこそこそと何かをやるルーチンになっていたのだ。ぎょっとして振り返れば、彼はまるで何もおかしなことなどありませんというすまし顔で、当たり前のように手を洗った。
「ええと
……
、えっ、どうしよう。じゃあ、お米炊く?」
「おこめ」
とはいえ、無洗米を使っているので、決められた分量の米と水を入れて炊飯器にセットするだけである。やり方を教えていると、スポックは疑わしげに眉を寄せた。
「まさか
……
、これは、米を炊くためだけに作られた機械ですか?」
「そのまさかだよ。米以外も炊けるけど、まずは米に慣れてからだな」
なるほど、と思慮深そうな表情をするスポックは、作業が終わると次の作業を要求してくる。
結果、スポックを周りでちょろつかせながら、ジムは今自分がしている仕事をひとつひとつ説明することになった。もしかしたら今、自分は完全にスポックの保護者になっているのかもしれない。ふいにそんな気持ちになってやや遠い目をしつつも、すべての作業が真新しくておっかなびっくりな異星人を、ジムは言われるままに見守った。やたら図体のでかい息子を持ってしまったな、なんて思う。
「野菜を煮込んだこともないって、君今までどうやって生きてきたんだ」
「料理という行為は、我々の価値基準では嗜好に該当します。普段は
――
」
「
……
スポック?」
「
――
ボタンひとつで調理済みの食事が出来上がります」
「SFすぎる」
そんなふうに、ふたりで用意した夕食を、ふたりで配膳して、ふたり揃って着席した。目の前で何の気なしな表情をしているスポックを盗み見て、ジムはもぞもぞと尻を動かす。初回の食事のときみたいに、なんだかひどく落ち着かなかった。
スポックは静かな声でいただきますと手を合わせ、行儀よく箸を取る。音も立てずに食べ始める彼を見て、ジムも同じように手を付けた。ときどきちらっと、上目遣いで対面の席を確認する。ふさぎ込んだようにされるよりずっといいけれど、こんなふうに歩み寄られると、本当に落ち着かない。
「ジム」
「ん? 美味いか? 好きなだけ褒めてくれていいぞ」
何度目かの上目遣いで、スポックは手を止めて顔を上げた。
とっさに、ジムは口角を持ち上げて得意顔をする。スポックは無表情だった。
「ヴァルカン人は感情を表現しません」
「君、めんどくせえやつだって言われたことない?」
「あなたの、転送装置を作る、というプランですが」
そしてこちらが茶化しても、彼はまったく動じなかった。スポックはそっと箸を置くと、背筋を伸ばしてまっすぐにこちらを見つめてくる。
「不可能です。ですが
――
、必要でした」
「うん?」
「私には、必要でした」
スポックは、まるで重大な秘密を告白するようにそう言うと、やり遂げたふうの息を吐いて食事を再開した。
ジムは固まったまま、黙々と咀嚼するスポックを見つめる。
必要でした。つまり、ええと。それって、つまり?
「言いたいことが、よく分からないんだけど」
「何故」
「何故って。説明責任はそっちにあるはずだろ、君は君の発言に責任を持つべきだ」
きっぱりとそう言えば、スポックは少し気まずそうにした。そりゃそうだろう、ジムは正しいことを言っているのだ。
「
……
私はほとんど破綻し、混乱し、絶望していました。私が落ち着くには、未来に目的を持つ必要があった。それがどんなに不可能なことでもです。そうしなければ」
「そうしなければ、落ち込んで自分本位に行動して、俺を傷つける?」
「傷ついたのですか?」
きょとんとした顔のスポックに、ジムはゆっくりと箸を置いた。するとスポックも同じように、再び箸を置いて姿勢を正す。
「傷ついた」
「非論理的です。手は上げていない」
「本気で言ってる?」
「ですが、地球人は、そうですね
……
、ジム。私は浅慮でした。私の未熟さがすべてです」
「すべてって」
「私が感情を整理できず、取り乱したことにより、あなたに不用意な言動を行ったことを謝罪します」
スポックのまなざしは、真面目で、真剣で、純粋だった。ジムはほとんどぽかんとしてしまって、次の瞬間には少し混乱する。彼に対して立てていた腹が、これで補償されたわけだ。そう思っても、なんだか本当に落ち着かなくて、落ち着かない自分にも落ち着かなかった。
もぞもぞとしながら、とりあえず箸を取る。
「分かった」
箸先を噛みながらそう言うと、スポックは小さくうなずいた。
「私は必ず戻ります。そうしなければならない」
「うん。そう、その意気だな」
「そのために、ひとつあなたの思い違いを訂正します」
「うん?」
「私が転送されてきたのは、地球標準時間で言うところの23世紀からです。つまり、我々が作成しなければならないのは、転送装置、かつ、タイムマシンになります」
その発言を聞いて、再三、頭が真っ白になったジムは、衝動的に「ドラえもん」と大声で叫んだ。
「どおりで
……
、どおりで端々からSFがにじみ出るわけだよ
……
、少し不思議どころじゃないよ
……
」
「私が異星人であることよりも、未来人であることのほうに驚くあなたが不思議です」
「そりゃ、君を見つけたとき、君は大変なことになってたし。それどころじゃなかったというか」
就寝の段になっても、ジムはまだ少し混乱していた。ぶつぶつ言っていると、スポックはややあきれたようなそぶりを見せるので、誰のせいだとジムはふくれる。
「あなたが私を拾い、寝る間も惜しんで自ら介抱する選択をした、というのも不思議です。ずっと私は不思議に思っています」
「
……
目の前で人が死にかけてたら、助けるだろ、普通」
「
……
そうですね」
明かりを消して、ベッドにもぐり込む。床のほうでも衣擦れの音がして、スポックが横たわったことが窺えた。
静かに同意されたその言葉の意味を、ジムはじっと考える。スポックが昼間、私のせいで人が死ぬ、と言っていた様子を思い浮かべた。
「スポックは、誰かを助けたくて、タイムスリップしようとしたのか? 過去に戻って、誰かを助けようとして?」
「
――
あなたなら、どうしますか」
暗がりの夜の中で、ぽつりとこぼした疑問には、予想外に質問が返る。質疑にはきっちりと応答するタイプのスポックがこぼしたその問いかけは、静謐そのものでできているようだった。
自分なら。
耳で拾った声を頭の中にしまい込んで、ジムはそっと目を閉じる。
自分なら、どうするだろう。もし過去に戻って、何かをやり直せるとしたら。
致命的な失敗を取り消す。助けられなかった誰かを助ける。記憶を失う前の自分に、それをするなと忠告する。
どれもこれも、やりたいと思う。
けれど、本当にできるとなったら、自分は立ちすくんでしまう、ような気もする。
だってもしやり直してみて、もし、やり直しても、何も変わらなかったら。俺って結局なんなんだろう、って話になってしまわないか?
「君、結構図太いやつなんだな」
「は?」
正直にそう思って、感心すらして発言すると、すぐさま尖った声が飛んでくる。ジムは密かに笑みを噛んで、腕の中に布団を抱き込んだ。
「そういう歴史を変えるとかって、禁忌とされることなんじゃないか? BTTFとかでもさ」
「BTTFが不明です」
「今度一緒に観よう。君、相当思い切ったんじゃない?」
「
………
」
「でも、真面目な君が、それだけ大胆にならざるを得ないことがあった、ってことなんだろうな」
スポックは黙ってしまったが、今までさんざん苦言を呈してきた彼の沈黙を、今は苦とは感じなかった。一言でも本当のことを漏らしてしまえば、とても痛いことがある、そういうものに覚えがあるからだ。今、スポックは仰向けにぴしりと横たわって、明かりの消えた天井を眺めているのだろうか。ジムはそんなことを考える。少し体を持ち上げて、ベッドの縁から覗き込めば、すぐに分かることなのに。
「じゃあ、好きなだけ変えちまえよ、歴史なんか。やっちまえ」
明るい口調でそう言うと、スポックのほうから衣擦れの音がした。彼の「冗談だろこの地球人?」顔が想像できて、そわそわと寝返りを打つ。
「あまりに短絡的ではないですか」
「タイムトラベラーがなんか言ってる」
はは、と笑うと一瞬、ためらいが落ちた。けれどそれは、すぐさまベルベットボイスでかき消される。
「詳細も知らずに言えることではないと思います」
「俺には言える。どうせ君は、悪いことがしたくて悪いことをしてるわけじゃないんだろ」
「
……
非論理的です」
「俺は人を見る目はあるほうだと思ってる」
「地球人はどうしてその理屈が通るといつでも信じているのでしょう?」
――
それは、俺以外の地球人もよく知ってるような言い方だな。
頭にそのセリフが浮かんだ途端、とっさにジムは口元に布団を押しつけた。そのまま顔も押しつけて、再び寝返りを打って元に戻る。
たとえばそれを言って、スポックの世界には仲の良い地球人がいると知ったとき、自分がどう思うかを知るのが少し怖かったからだ。
たとえばスポックが、ほかの何もかも、彼の命すらも賭して、救いたいと願っているのが、たとえばそういう人だったら。
「タイムマシンができたら、スポックは未来へ帰るのか? それとも、行くべきだった場所へ?」
「戻れるのなら、どちらでも構いません」
「そっか。じゃあ、絶対に戻ろうな、スポック」
ジムはときどき、自分の頭と自分の口が、どうしてこんなにも連動しないんだろうと不思議に思うときがある。勝手に口から出た言葉は、とても真摯で、いたわりがあって、情熱的なものだった。スポックが息をのむような沈黙を作るくらいの、親身で、勇猛な。
「必ず戻ります」
スポックはきっと、あのまっすぐな目をしているのだろう、とジムは思った。
胸を切り裂いて心臓をまるごと捧げるような、ほとんど敬虔なあのまなざしで。彼の世界の大切な人を、ずっと取り戻したいと願っているのだ。
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