はるの
2023-09-19 21:11:09
162116文字
Public スタートレック
 

空に心臓

+13|AOS spirk|2023.10.1|2023年の日本で暮らしているジムが、倒れていた迷子のヴァルカン人を拾う話。現代ものパロディです。

10.


 スポックのラップトップ――スポックが所有格である――は、最近よく賃貸情報サイトを映している。
 マウスのホイールをころころ回すその指先を見やってから、ジムはクローゼットを開けて物を引っ張り出した。ふくふくとした笑みをこっそり浮かべて、ふわふわの浮かれた感覚を楽しむ。
「ジム?」
 前触れもなく家宅をあさり始めたジムに、スポックは当然、疑問を投げてきた。
「うーん、なんでも。気にしないで」
 スポックの布団をクローゼットに片づけてしまおうともくろんでいるジムは、適当に答えてぴらぴらと手を振る。もし、事前に打ち明けたら、彼は反対するだろうと踏んでのことだ。押し入れの奥の奥にしまい込んでしまえば、もうあとは、困っているスポックの手を引いて、一緒にベッドへ倒れ込むしかないという算段である。
 わざとらしいくらいに口角を持ち上げて、ジムはあざとい笑顔を作った。堅実なスポックは疑惑のまなざしを向けてきたが、それ以上の追及はせず、自分の仕事へ戻っていく。小さく笑ってしまいながら、ジムは遠慮なく、ごそごそとクローゼットを引っ掻き回した。
 ふと、その手が止まる。
 上付きの棚の奥、背伸びして覗き込むような場所に、ポリ袋に包まれた塊を発見した。
 一瞬、冷や汗が吹き出るような動悸がして、けれどすぐに、ふうと落ち着いて深呼吸する。この塊は、記憶障害になったジムが発見された当時、自分が身に着けていたものたちだ。未練がましくするのも、失われた過去に爪を立てるのも嫌で、ずっと見えない場所に押し込めていたものだった。こうして捨てずに持っていることを考えると、結局、心の底では、未練がましく爪を立てていたのだろうけど。
 でも、今の俺にはスポックがいる。
 ジムはそう思って、ぎゅっと拳を握った。どれだけ自分を否定されても、鼻にかけない自信がある。引っ越すなら、いずれにせよ引っ張り出さなければならないし、自分の過去を振り返って、区切りをつけるなら今だろう。ジムは握っていた手を開いて、慎重に腕を伸ばす。長年放置されていたビニールは、触り心地が悪かったけれど、難なく両手に収まった。
 少し、息を止めてから、鋭く吐き出す。
 袋の口を開いて、中身を引きずり出すと、埃っぽい匂いがした。シャツとジャケット、ズボンと靴下、下着、別の袋に入っている靴。褪せてはいるがデザインは悪くなく、自分の好みは変わっていないのだろうと思う。それがうれしいことなのかどうかは、よく分からないけれど。
 ころん、と小さなものがこぼれ落ちて、床に転がった。おっと、と小さく声を上げて、ジムはしゃがみ込む。服の隙間から落ちたのは、腕時計だった。そういえばこんなものもあったな、とおぼろな記憶を繰りながら、持っていた衣類を床に置く。
 デジタルだからだろう、文字盤は沈黙していて、焼けこげてかすれたような傷がついていた。当時はまったく気にしていなかったが、発見当初の年齢の少年がつけるにしては、なかなかごつい代物である。ひっくり返してみても、メーカーの刻印はされていなかった。
「ジム」
 ふいに呼ばれて、顔を上げる。
 振り返ると、完全に手を止めたスポックが、まるで亡霊にでも会ったかのように、放心状態になっていた。
「スポック?」
――それ、は?」
「それ? ああ、これ。記憶喪失で倒れてた俺が持ってたやつらしいよ。こうして見ると、服もすごくちっちゃくて」
 俺も成長したんだなあって思う、と続けている間に、スポックは静かに立ち上がる。彼は無言でそばまで来ると、じっとジムの手元を見つめた。
 見たいのかな、と考えて、腕時計を差し出す。
 スポックは手を伸ばすとき、少しだけ躊躇した。けれど彼は受け取って、ためつすがめつ確かめてから、固く口を引き結ぶ。
「スポック?」
 ジムは少し不安になって、座り込んだまま名前を呼んだ。
 スポックはそんなこちらに一瞥だけ置いてから、自分の腕に時計を巻きつける。そして、文字盤の側面を押し込むようにして摘まんだ。
 プシ、と空気の抜ける小さな音がして、スポックはわずかに眉を寄せる。それから3秒もしないうちに、時計のディスプレイが明るく輝いた。
 彼は器用な指先で、画面を触ったり叩いたりする。やがて目を剥いてジムを見下ろすと、迅速にクローゼットへ手を突っ込んだ。
 スポックの迫真の雰囲気に、ジムは体をよけて場所を譲る。一心不乱に衣装ケースをあさっている後ろ姿を見つめていると、じわじわと、あまりよくない予感に浸されていくようだった。このまま何事もなければ、きっと幸せに続いた日々が、結局はまやかしでしかなかったと気づかされるような。
 振り返ったスポックは、彼が地球に不時着したときに所持していたポーチを持っていた。
 それを開けて、指を差し入れ、彼は何かを摘まみ出す。
 それは、腕時計だった。それも、今見たものとまったく同じの。
「え」
「ジム。これはあなたが記憶を失う前から、あなたが持っていたものですね?」
「た、ぶん、そうだと、思うけど」
「これは、我々が自作した転送装置の操作盤です。同じものはふたつとありません」
「え」
「私の生体認証が通りました。つまり、これは私のものだ」
 え、という口のまま、ぽかんとスポックを見上げてしまう。
 彼は、ポーチから取り出した腕時計――転送装置を見ると、眉を寄せてしゃがみ込んだ。
「あなたが持っているものは、より傷が深くなっています」
 ごくそばまで体を寄せて、ジムによく見えるように、スポックは装置を手元に並べる。確かに、焼けこげたような傷は、スポックの持つ装置のほうが控えめだった。ジムはふいに、スポックを拾ったときのことを思い出す。言われてみれば、あのとき彼は、こんな腕時計をしていた気がする。脈を取った覚えはあるから、たぶんこの記憶は確かだ。
 ――つまり?
「これらを同一のものと仮定する場合、この傷は、未来でさらに付けられるものと考えられます。そして、過去のあなたがそれを持っている」
 難しい表情ながらも、やはり茫洋とした雰囲気で、スポックはそうつぶやいた。
 肩を落として座り込んでしまった彼の、言葉を失ったような視線を受けながら、ジムもまたほうけて彼を見返す。突然のことすぎて、まったく思考が機能しなかった。
……私は未来で、過去の君に会うことになるのか?」
「え?」
 ふいにそう言われて、ジムは肩を揺らす。
 スポックは、考え込むように顎に手を添えた。
「そのときに、これを君に渡す……? 君に必要だと断じたのだろう。だが、何故君は、ここに転送される必要があった? そして、何故記憶を失っている?」
 声音だけは聞き心地がよく落ち着いた、そんな不穏な自問を聞いているうちに、ジムはとても大切な、重大なことに思い当たる。
 思わずぎゅっとスポックの腕を掴むと、彼は伏せていた目を合わせてきた。
「ま、待った! 待ってくれ、俺、え? 俺は昔、スポックと会ってるのか? そしてそれを忘れてる?」
「そう考えるのが論理的です。ありえないことを排除すれば、残るのは真実だ」
「俺、スポックに会ったこと忘れちゃってるの?! せっかくスポックに会ったのに?!」
「ジム、そんなことより」
「俺にとってはそんなことじゃない!」
「あなたが記憶を失っている理由は、私が消したからかもしれない」
「え」
「けれどそうなら、私は過去の地球へ行くことになる。何のために? どうして君にこれを渡して、君の記憶を消した? 消すにせよ、私に会ったことだけを消せばよいのに、過去のすべてを――? 私なら、そんなことはしない」
「そ、そうか。そうだよな。今ものすごく、スポックとの思い出を返せこのスポック! って君に殴りかかるところだった」
「今、本人がいるのですから、それで満足してください。あるいは――、ジム、あるいは、君は……、同じ操作盤によって、私が君のいるこの地に転送されたのなら、あるいは君も」
「えっ」
――いえ。すべてが憶測です。現時点で答えは出ない。私の判断は私の期待にバイアスが傾いている。一度瞑想を挟みましょう」
 つらつらと言葉を継いでいたスポックは、突然、そう宣言して背筋を伸ばす。深呼吸をしながら目を閉じて、マイペースに精神統一を始める彼に、ジムは思わず掴みかかった。
「うそだろ待った、スポック、勝手に完結するな。何?」
「すみません、ジム。私は……、驚いています。取り乱していると言っていい」
「それは十分に伝わるけど」
「ジム……
 まぶたの向こうから現れた双眸は、完全に迷子の様相を呈している。
 弱々しく呼びかけられた上、遠慮がちに抱き寄せられてしまい、ジムはもう何も言えなくなってしまった。こんなごちゃごちゃした状況、自分の頭で整理するには、落ち着いた時間が必要だろう。だったら今は、目の前で混乱して弱っている、いとしのヴァルカン人をあやすほうが先決だ。
 寄せられた後頭部に手を回したジムは、やさしく肌を揉んで、こめかみにキスをした。
 スポックは抱き込んでいる腕に力を込めると、ジム、ともう一度かぼそい声で鳴く。なんだかちょっとかわいくて、ジムはよしよしと髪を撫でた。
「なあ、それ、動いたよな」
 温かい膝の上に乗り上げて、ジムは頬を彼のこめかみにくっつける。スポックは、ジムの背中から両手を離すと、肩口に顎を置いたまましばらく沈黙した。おそらく、背後で装置を見ているのだろう。そういえば、21世紀の地球人には見せないとかたくなだったはずなのに、ずいぶんあっさり取り出したな、と思うと少しだけおかしかった。
「動きますね。何故? 私はこれを修理し、使用できるようにしたのか? 確かに、機体同士でリンクすれば、リセットできるかもしれない。そうだ……、これがあれば直せるかもしれない。それで、過去に渡り、直したものをジムに託す……?」
 スポックは甘えた格好のまま、また小難しいことをぶつぶつし始める。
 ジムはスポックにすりついて、ぎゅっと両目を閉じた。ぎゅうと手のひらも丸めて、奈落に突き落とされたような衝撃をやり過ごそうとする。そうして腹をくくってから、ゆっくりと口を開いた。
――それなら、スポック。君は帰れるってわけだ。君がいた元の世界に」
 そう伝えた途端、スポックは勢いよく体を起こし、真正面からジムを捉える。
 彼はかつてないほどの分かりやすさで、驚愕の表情を浮かべていた。



 スポックは再び、考え込むようになった。つまり、こちらには何も言わず、ひとりで延々と、である。
 けれどジムは、今度はおとなしく待つことにした。スポックは自分の考えを整理するとき、どうしても押し黙ってしまうところがあるだけで、ジムをないがしろにしたいわけじゃない、ということをもう知っているからだ。まあ、放っておかれるのはつまらないので、もう少し分かりやすく悩んでほしい、とは思うけれど。
 帰るか、帰らないか。
 スポックの事情を考えると、十分、悩むに値することだった。最初のキスをする前とは、もう何もかも状況が違うのだ。だから、このタイミングで、スポックが帰りたい、と言い出しても、それは裏切りではないように思えた。
 ただ、ジムがものすごく、ものすごく、さみしくなる、だけで。
「ジム」
 とある夜、ついにスポックは、鬼気迫る無表情で、きちんと座ってからジムを呼んだ。
 いよいよだぞ、と身構えたジムは、そろそろと彼の横に座り込む。正面から顔を見るのは怖かった。
「なに?」
 横を向いて笑顔で問えば、スポックはわずかに眉を寄せる。
 そして彼は両手をつくと、老舗旅館の仲居のような華麗な所作で、ジムの真正面に陣取った。
「ジム」
「な、なんだよ、怖いな」
「あなたの身柄を私に預けてくださいますか?」
――は?」
「私はあなたを、私の元の世界へ連れていきたいと考えています。あなたの同意が必要です」
 ジムは、もっと他に言い方があったろ、と心の中で叫んだ。
 身柄なんて言葉、被疑者くらいにしか使わないし、もっとこう言えることがあっただろ、と。
 一気にそんな小言が胸の奥から噴き出していって、ついでに身構えていた力も抜けていって、ジムはぶざまにへたり込んだ。
 この安堵にも似た心境は、きっと聞いたのが別れの言葉ではなかったからだろう。何故ならジムは、ずっと想像して、シミュレーションして、自分が笑顔のままそれに耐えるよう、何度も何度も自分に言い聞かせてきたのだ。帰ることにしました。今日を地球最後の日にします。さようなら、ジム。どんな言葉が来ても、笑って踏ん張れるように。
 それが、なんだって?
「連れ、連れていく? それって、ルール違反じゃないのか。君がよく言ってる、なんだっけ、なんとかの規則」
「過去を改変することについては、再考の余地があります。ですがその前に、私は私の時代に、多くの仕事を残してきました。戻れるのならあの場所へ戻り、残された艦隊のために全力を尽くしたい。過ちを犯した私にとって、人生を賭すべき責務だと考えています」
「うん、まあ、それは分かる。人生は賭さなくていいんじゃないかと思うけど」
「もちろん、私の人生など、失われたあまたの命と引き換えにできることではありません。ですが」
「だからそれは、ことを起こしたやつの責任であって、すべてが君の罪ではないだろ。君が仕事に邁進するのは自由だけど、捧げる人生は40年くらいでよくないか」
「40年、とは具体的な数値ですが、根拠は?」
「仕事するのもしんどい歳になったら、もう自分のために生きろよ。それで、君のハッピーリタイアの話は置いといて」
「のちの議題とします」
「せずに俺の意見を採用しろ。そうじゃなくて、俺を連れていくっていうのは、チート行為なんじゃないか、ってことだよ」
 スポックが過去改変を試みたのは、それこそ地球まるごとと、その後も失われ続けている無辜の命がかかっていたからだろう。
 けれど、自分の存在は、宇宙平和ひとつ分とはわけが違う。そこにかかる制約や、そのせいでスポックに課される罰があるのなら、天秤に乗せるまでもない。
「それは、あなたが、私に、チート行為をするなと、忠告している、ということでしょうか?」
「なんか語気が強いな……、まあ、そう? かな?」
「ジム。私は救われるつもりも、許されるつもりもありません。譲る気もさらさらありません。私は持てる力のすべてで、困難を踏破し、望むものを手に入れます」
 もはや迷うことも、惑うことも忘れたような、度胸のあるまなざしだった。
 スポックはそう宣誓すると、言葉の確かさとは裏腹に、まるで探るように手を伸ばしてくる。そうしてジムの指先にそっと触れると、少しためらってから軽く握った。
「私はあなたをひとりにしたくない。そして、私もひとりになりたくない」
 だから、どうか、ジム。
 そうささやいたスポックが、あんまりひたむきに見つめてくるものだから、ジムは完全に言葉を失ってしまった。
 そして唐突に、自分が彼の世界へ行く、という実感が湧いてきて、沸騰したケトルみたいに動揺する。
 YESと飛び上がって手を取ってしまいたい衝動と、心臓の裏をひやりとした手に撫でられるような緊張は、同時にやってきた。
 ――だってそれは、つまり、今いるこの世界を捨てる、ということだ。
「あなたにとっては、難しい選択だと思います。よく考えてください。私は回答をお待ちしています」
 ジムが呆然としてしまっていると、スポックはそんな言葉を付け加えた。



 確かに、この問題はよく考えるべきだろう。おそらく、行ったら戻れないからだ。
 そして、断れば。スポックはどうするだろう――、やっぱり、帰ってしまうような気がする。帰らないと言われても、彼が何を天秤にかけたのか知っている自分は、結局耐えられなくなって、そのうち帰還を勧めてしまうだろう。少なくとも、今までのように手放しで彼にキスを迫るようなことを、今後一切できなくなるように思う。何をしていても、スポックは自分の代わりに『見殺しにした何か』を背負っている、と考えてしまうに違いないからだ。
 今度はジムが、そんなふうに考え込むことになった。つまり、スポックには何も言わず、ひとりで延々と、である。
 どうも自分も、考えを整理するときは押し黙る傾向があるな、とジムは遠い目をした。なるほど、これはスポックには相談できないし――決めるのは自分だ――、どこかの誰かを見殺しにできないから君を捨てる検討をしている、などとは口が裂けても言えない。もちろん、それは決して、スポックをないがしろにしたいということではなかった。だからジムは精いっぱい、悩んでいる最中ですという顔を作ることに努めたのだ。スポックがこの状態にあったときに、つまらないと口を尖らせていたことを反省して。
 ところで、待つ、と言ったはずのスポックはというと、まったくおとなしくしていなかった。
「ジム」
「なに」
「私の世界への移住を考慮する際に、不安な点があればすべて申し出てください」
「ええ? うーん……、不安しかないけど」
「具体的に述べていただければ、すべて粉砕します」
「ふん、っ、ちょ、笑わせんな」
「あなたを連れていきたいのです、ジム」
………
「私のそばにいてほしい」
 ヴァルカン人の大暴れである。自制を徹底していると豪語したはずの異星人は、どうも真顔と落ち着いた口調が保てていれば冷静である、という独自ルールを採用してしまったようだった。ついこの前までおとなしく待っていたこちらの忍耐強さをかけらでも学んでほしい、と切実に思う。
「どのような条件であれば、あなたと手をつなげますか?」
「突然なに? 手くらい、いつつないでくれてもいいけど」
「一生離さなかったとしてもですか。私は人生スケールでの概念的な話をしています」
「いつからそんな話してた?!」
 毎日、毎日、暮らしの合間に、あっこれプロポーズかな? みたいなことを、スポックは熱心に語って聞かせた。それはもう、まったく落ち着きのない、情熱的な双眸で。
 こちらはきちんと真面目に考え込んでいるというのに、そんなふうに、まともな思考を簡単にふにゃふにゃにしてくるのだ。こんなの完全にチートだし、完璧にずるかった。確実に落としにきている手練手管に身震いすら感じたけれど、実際は計略などではなく、単にスポックの天然だということも分かっているので、倍の倍くらいてきめんに蹂躙されてしまう。
「ジム」
「わ、分かった! 分かった! スポック、分かったよ」
 そして、とうとうジムは根負けした。
 両手を挙げて彼の言動を制止すると、スポックは片眉を持ち上げる。
「私がどれだけあなたのことを常に視界に置いておきたいか、の件ですか?」
「それはちょっとこわってなっただけ。そうじゃなくて」
「あなたが恐怖を感じるのであれば秘匿します」
「隠すと事前告知されたら余計に怖いんだけど。そうじゃなくて」
「別件ですか? どうあれ、結論は最初に申し上げたとおりです。私のすべての要求は、この欲求がすべてです。私はあなたをひとりにしたくない。そして、私もひとりになりたくない」
「う、ん……、スポックのそれ、相当にこう、破壊力が強いんだけども……
「何も壊してはいません。むしろ、我々の新しい関係を創造しようとしています」
「シヴァ神かよ。だから、俺もそう思うし、だから、君についていく」
 ふわふわした頭にはなっていたけれど、これでも真剣に考えたことだった。
 スポックの攻撃がとても有効に効いた、という要因は否めないが、きちんと考えて出したことだ。
 ジムのそんな返答に、スポックはぴたりと動きを止めた。
 そして、やや疑わしい表情で、検分するようにジムを見返す。
……売り言葉に買い言葉、ではなく?」
「君が脱線するからこんな言い方になっちゃったんだろ! ちゃんと考えたよ。たとえば、俺は記憶喪失でもなんとかなったから、たぶんどんな未知の世界でも、まあそれなりにはやっていけるだろうな、とか」
「ジム……
「けど俺は、たとえ君の世界に行っても、君がいないと生きていけないようなのは嫌だ」
 ジムはいつかのスポックのように、きちんと彼の前に座り直した。これはとても真剣な話だぞ、ということが伝わるように、努めて真摯に彼を見つめれば、スポックはすぐに察して、生真面目に背筋を正してくれる。
「別に君を信頼してないわけじゃない。けど、もし君の世界が、君に頼らないと何もできなくなる世界なら、俺はきっと窒息して死んじまうと思う」
 それに、未来のことなんて分からないのだ。彼の世界は紛争中だと言うし、スポックがいなくなってしまう、可能性もあるだろう。未来なんて分からないから、もしかしたら修復できないくらいに仲違いして、『ひとりになりたい』と切望することもあるかもしれない。悪い想像はいくらでもできるし、それは〝確実にありえない〟ことではないから。
 そんなとき、きちんとひとりで立つことができるのか、という問題は、ジムにとってはものすごく重要なことだった。
 頼ってくれないのか、と詰問される可能性も考えて、小さく息を詰める。けれど話を聞いたスポックは、顎を引いて神妙にうなずいただけだった。
「窒息死は誇張表現であり、私の動揺を誘う用法ですので控えてください。それ以外に関して、あなたの主張は論理的です。あなたを私の世界へお連れした場合、あなたの立場は私と比べると不均衡になる。あなたの懸念はもっともです」
 そんな言葉を聞いて、ジムはほっと力を抜く。あからさまに脱力したことが分かってしまったのだろう、心外とばかりにスポックは眉を跳ね上げた。
「その点を考慮しなかったとお思いですか? 私は不安をすべて粉砕すると言いました。私の世界には、過去のはるか遠い場所へ人体を転送する技術があります。そして、私の持つ転送装置には、ここの座標が残っている」
「あ」
「あなたは二度と帰れなくなる、と考えていたのですか? それで私についてくると答えたあなたは、それはつまり」
「そ、その件はあとにしようスポック。そういえば、そうだな? 別に帰れなくなるわけじゃ……、まあ、君がその装置を用意してくれるなら、だけど」
「見くびらないでください。私はあなたを拘束したいのではありません。ともに生きたいのです」
「あ、あぅ」
「設計図はありますから、戻り次第、すぐに装置を作成してあなたにお渡しします。望めばあなた好みのデザインにもできるでしょう。あなたがどうしても、私の世界では暮らせないと判断したら、いつでもここへお戻りください」
「君がそう言うなら、絶対にそうしてくれるんだろうな」
「はい。そして、あなたが戻るというのなら、私も戻ります」
……なんて?」
「もしかしたら、40年はかかるかもしれない。けれど、あなたの許可さえあれば、私はここに戻ります」
……君が、君の世界を捨てることになっても?」
「多少時空は挟みますが、別の惑星へ移住するのと変わらない。私はそれで構いません」
「構いませんって、構うだろ。つまり君は、また戸籍なしの、保障なしの、住みにくい放浪者になっちゃうんだぞ」
「ジム、覚えておいてください。私は構わないのです、あなたがそばにいてくれるなら」
「呼吸するようにプロポるのほんと勘弁して。かわいそうだろ、すぐ心臓痛くなっちゃう俺が」
――心臓に欠陥があるのですか?」
「たとえ話だから怖い顔しなくていいぞ」
「ジム」
 なんとか茶化そうとしても、スポックのスポック力が強すぎて、なかなか太刀打ちができない。ジムはなんてこったと頬をこすって、無情な天井を眺めるしかなかった。
 前言どおり、すべての不安を粉砕したスポックは、今度はきちんと待っていた。隠せていない熱烈な視線を『待ての状態』と称するのはいささか詐欺にも思えたが、スポックはちょこんと正座して、腿の上できちんと両手の拳を並べている。
 ジムは天井から、そんな異星人に視界を移した。心臓が跳ねまわるように打っている。たぶん、人のことが言えないくらい、自分も熱情のこもったまなざしをしているだろう。
 それならば。それなら――
「突然現れた21世紀の地球人を、君の世界は保証してくれる?」
「宇宙規模での迷子として正規の登録を行えば、身分は保証されます」
「福祉が銀河レベルだよ。それなら――、スポック」
「はい」
「俺は君と、君の世界に行く」
 この言葉くらいは真面目に言おう、とまっすぐ伝えたときの、スポックの顔ときたら。
 生き物って無表情でもこんなに輝けるんだな、とジムは素直に感嘆した。夢に見そう。