はるの
2023-09-19 21:11:09
162116文字
Public スタートレック
 

空に心臓

+13|AOS spirk|2023.10.1|2023年の日本で暮らしているジムが、倒れていた迷子のヴァルカン人を拾う話。現代ものパロディです。

3.


 日曜日である。
 土曜日に起きたさまざまな出来事を踏まえて、ジムは朝っぱらから、買い物に出かける、と宣言した。
「身長同じくらいでよかった。俺の服着れるよな?」
「私も連れて行くのですか?」
「連れて行かないわけないだろ。君の生活雑貨を買うんだよ」
「生活雑貨」
「とりあえず、君の耳は隠さないとなあ。ニットキャップならあったかな」
 衣類ケースを探し回って、発見したサマーニットのキャップをすっぽりかぶせてやる。スポックは居心地が悪そうに帽子を触りながら、耳がもぞもぞします、と文句を言ったが、我慢しろと申し伝えて、ジムは彼を外に連れ出した。
「食器がいるよな。あと布団のシーツを変えよう。タオルも追加」
「不要です、ジム。私は長居をしません」
「そうかもだけど、お椀で水を飲む光景はちょっとしたインパクトがある」
「困っていません」
「あって困るものでもない。俺だってこの先、もしかしたら誰かと一緒に暮らすかもしれないし。あとは、服とか、靴とか」
「ジム」
「まーた反論か?」
「耳が、もぞもぞするので」
「ははは! ああうん、ごめんごめん、帽子も見ていこうか」
「外出は避けるべきかと……
 やたら耳にこだわるスポックが面白くて、外出しないという提案は却下する。そうしてジムは、まずは家具屋、それから服屋、昼は適当に飯を食って、最後に食材を買って帰るプランを脳裏で組み立てた。
「スポック、あれは信号機。赤のときは止まるんだぞ」
「存じています」
「緑になったら手を挙げて渡る」
……誰も挙げていませんが」
「うん、挙げるのは小さい子だけだな」
「なるほど。車内から検知しやすくするためですね」
「あっれ、真面目な話になっちゃった」
 そんな調子で、バスの乗り方を教えたり、買い物カートの押し方を教えたりする。スポックは逐一、なるほど、と興味深そうに学習していった。ひとつ、明らかになったのは、ヴァルカン人には冗談が通じないということだ。もしかしたら、スポックに通じないだけなのかもしれないが。
「そういえば、貨幣経済でしたね」
 アラビア数字は読める彼は、ふいに感心したようにそう言った。
 もちろん、驚いたのはジムも同じだ。
「貨幣じゃない経済ってある? 君の星では金塊をやり取りしてるのか?」
「金に価値を置くのは地球人の文化です」
「まじで? じゃあ、ほかの星では金が石ころみたいに転がってるってこと? それ地球に持ってきたら丸儲けだな」
「物品をやり取りするコストがほぼありませんので、物の価値というものは概念的に変化しました」
「てことは、店先からりんごを盗んで食べても許される? 変な感じだな、君の星は」
「値札が並んでいるこの状況は、非常に興味深いです」
 変な感じ、なんて母星を揶揄しても、スポックは反論をしなかった。彼はまじまじと陳列棚を見つめていて、その顔を眺めながら、もしかしてこれ、うきうきしてるんだろうか、とジムは考える。地球の作法に対してやたら真剣に向き合っているけれど、つまり彼は、知らない文化に触れることを面白がるタイプなんだろうか。
「楽しい? スポック」
 その思いつきはちょっと愉快で、ジムはにやにやしながらスポックの顔を覗き込んだ。
 スポックは、きょと、とこちらを見やると、静かに顎を引いて背筋を伸ばす。
「興味深いです」
「それって楽しいってことなんじゃないの」
「学術的な面白さがある、という意味です。楽しんでいるわけではありません」
「だからそれって――、まあいいか。あ、スポックほら、かわいいのがある。ミッフィーちゃん」
「ミッフィーちゃん」
 かたくなに楽しんでいることは否定するものの、宇宙人の教科書には載っていなさそうな地球の産物を紹介すると、彼はたびたびきょとんとした。それが面白くて、ジムはのんびりと店内を見て回る。スポックの押すカートに必要なものを放り込みながら、少しずつ、彼が興味を示す傾向を分析して、頭の中にしまい込んだ。
「俺、明日から仕事で日中いないから」
 1日中、スポックを連れ回して、最後にスーパーを歩きながら、ジムはバスケットにぽんぽんと野菜を追加した。
「はい」
「昼飯は作ってくけど、困ったことがあったら――、どうしようかな。パソコンからメッセージ飛ばしてもらおうかな。君のDiscordアカウントでも作るか」
「どのようにしていただいても構いません」
 店を出て、山盛りの荷物を分担して抱えていると、まるで昨日の再現のようである。帰路を歩く隣のスポックは、相変わらず、静かに周りを注視していた。そういえば、この男は戦場から来たのだったな、と考える。推定ではあるが、少なくとも、撃たれるような場所からであることは確かだ。
「スポック」
 呼びかけると、彼は素直にこちらを向いた。
「はい」
「楽しかった?」
「何度もお伝えしていますが、楽しい、という感情はありません」
「頑固だな」
「あなたはしつこいです」
「はは、言うね」
「事実を申し上げたまでです」
「君が少しでも楽しかったなら、俺はちょっとうれしいよ」
 こちらも素直に、そう伝えてみた。スポックはぱちりとまばたいてから、再び前に向き直る。無視かあ、と思うと、ちょっとだけさみしかった。ちょっとだけ。
 スポックはそれから、ずっと無言だった。帰宅して、リビングにたどり着くと、なんだか呆然としたように立ち止まってしまう。呼ぶと反応するし、荷物の片づけも手伝ってくれたが、ずっと何かを考えているようで、あまり言葉が返ってこなくなった。
「大丈夫か?」
 思わず、そんなふうに訊いてしまう。これはまた反論が来るなと構えていると、こちらを向いたスポックは、ただ視線を置いてくるだけだった。
……まじで大丈夫か? 体調悪い?」
「体調は問題ありません」
「ならいいけど……、俺、しばらくキッチンにいるから、何かあったら言えよ。君の秘密の仕事をしてくれてもいい」
「はい」
 ショッピング中は、よく喋っていたのにな。
 そんなことを思いながら、ジムは首を傾げる。あまり派手な服を好まないらしいヴァルカン人にアロハシャツを勧めるのは楽しかったし、あらゆる調味料に対して原材料をすべて読み込もうとするヴァルカン人を思いとどまらせるのも楽しかった。それはたぶん、自分だけの感情ではない、と思っていたのだが。
 けれど冷静に考えれば、スポックはもともと、こんな感じだったようにも思う。
 ジムはスマホでレシピサイトを開いて、ヴィーガン料理を検索した。作り置きできそうなものをピックアップして、作業に専念する。自分だけが浮ついているようないたたまれなさを、気のせいにしてしまいたかったからだ。
 ヴァルカン人は就寝時まで、物静かに過ごしていた。



 月曜日の朝。
 ジムは普通に出勤した。自転車で行ける距離にあるオフィスである。主にデスクワークであり、常に対話が必要な環境でもないため、案の定、ジムは気が散りまくっていた。
 2日前に拾った宇宙人を、家にひとりで置いている。
 これってもしかしなくても、ものすごく、無防備すぎるんじゃないだろうか。
 そんなことを、今さら考えているわけである。一般社会の通常運転に触れて、この週末の特異さが余計に際立った、と言ってもよかった。
 昼行くけどどうする、という同僚からの誘いは断って、ジム投げやりに眼鏡を外す。ブルーカットの効果はほぼないそうだが、かけるとなんとなく仕事モードになれる代物だ。ぎゅうぎゅうと目頭を押さえてから、眼鏡をかけ直して立ち上がった。
 コンビニでサンドイッチを買って、屋外の広場の隅に腰を下ろす。いい天気で、風が心地よかった。最近の気候は寒いか暑いかの二択で、冬だと思ったらすぐ夏になるくせに、今日はなんだか春という感じだ。
 ジャケットからスマホを取り出して、Discordを開いた。通知で分かってはいたけれど、特にDMは来ていない。ふう、とこんがらがった息を吐いて、ジムは眼鏡の位置を直した。
 確かに、思い切りはよすぎたかもしれない。
 けれどなんとなく、スポックのことは信用してもいいような気になってしまうのだ。もっと言えば、どこかで会ったことがあるような気さえしている。ただ、ジムに幼少期の記憶はないものの、スポックがジムと初対面である以上、初対面には違いないのだろう。というか、そうそう未知との遭遇イベントが日本で多発するとも思えない。
 つまり、この2日間で、自分は大いにほだされたというわけだ。あの情緒の乏しい異星人に。
 ジムは途方に暮れて空を見上げた。
 もちろん、理由はある。自分の境遇を彼の境遇に写して、勝手に同情しているという自覚がある。けれど、こんなにも自分は他人に対して開けっぴろげだっただろうか。もっと注意して、他人との距離は調整するべきだろう。すぐにいなくなる一期一会の異星人だからって、気を抜きすぎているんじゃないだろうか。
 このレイリー散乱の向こうには、真っ暗な夜があって、とジムは考える。
 そこには数えきれない星が浮かんでいて、ここではないどこかの世界は、あんなにもぴかぴかと光っている。
 ひとつ、溜息をついて、ジムは口にサンドイッチを詰め込んだ。



 帰宅すると、スポックはリビングにちょこんと座っていた。
 なんだかその様子に脱力してしまって、ジムは戸口に手をついて彼を眺めてしまう。スポックは首を傾げ、部屋中を見渡した。
「何も動かしていないつもりですが、何か気になることがありますか?」
「いや。なんか……、なんだろうな。とてつもない。とりあえず、ただいま」
「よく分かりませんが……、とりあえず、おかえりなさい」
 何とも言えない気持ちを持て余しながら、たぶん、こういうのは初めてだからだろうな、とジムは自分で分析する。
 家に帰ったら人がいて、その人が自分を待っている、という状況が初めてだから。まあ、スポックが待っていたかどうかは、疑問の余地があるけれど。
「君のほうの調子はどうだ? 転送装置、直せそうか?」
「努力しています」
 それからの毎日は、似たようなものだった。日中、ジムは職場へ行き、スポックは家で帰る算段をする。具体的に彼が何をしているのかは、言われなかったし、訊かなかったが、スポックは何も盗まなかったし、だましたり、突然いなくなることもしなかった。彼は常に一定の距離を保ち続け、生活のルールはよく聞き分け、ただ静かに暮らしていた。
 帰宅すると、ジムはスポックの作業進捗を尋ねる。毎回、芳しくないという返答だった。なんとなく、そうだろうなといつも思う。
 そうして5日間が経過した就寝前、スポックはジムを呼び止めた。
「現時点で、暫定的な改修すら見込めない状況です。そのため、ここから出ていきます。あなたにはお世話になりすぎました」
 ラグの上できちんと座って、スポックは誠実にそう申し出る。
 ジムはじっと無言で、そんな彼を見下ろした。
 それから何かを考えつく前に、彼の前にどかりと座り込む。
「話を聞こうじゃないか」
 自分の口から発せられた声が完全に据わっていて、ジムは少しおかしかった。
 スポックは特に気にした様子もない。いつもの無表情だった。
「あなたから私の記憶を消去する件について、承諾してください」
「ふうん?」
「あなたは善意から、私に生活スペースを与えてくれました。もし、私を放り出すことについて、良心の呵責があるのなら、私はそれごと消去します。あなたが気にする必要は生じません」
「君は、俺が気にするところはそこだけだと思ってるんだな」
「それ以外にありますか?」
 ジムはゆっくりと笑みを刷いて、ゆっくりと腕を組む。明日が休みでよかった、と思った。
 確かに、スポックはジムの事情を知らない。記憶を失うということが、記憶障害を持つジムにとってどれだけ恐ろしいことなのか、彼はかけらも知らないのだ。それは、情状酌量の余地がある。
 けれど、それにしたって、あまりに一方的じゃないか、こんなのは?
「それ以外にあるかどうか、考えてみたら?」
 こてんと首を傾げて、わずかに顎を上げてやった。スポックは片眉をぴくりと動かす。
「私は長居をする気はありません。まして、あなたに事情をお話しするつもりもありません」
「ほぅお?」
「そして、あなたと過ごした時間の記憶は、いずれにせよ、あなたからは消去します。私は常に、そのようにお伝えしていたと思います。記憶からなくなれば、思い出すことはありません。あなたが心を砕くようなこともなくなります。何も不都合はないはずだ」
 この1週間、彼と過ごしていて分かったことがある。スポックのこれは、冗談でも嫌味でもなく、スポック的には、本気で、まじで、そう考えている、ということだ。
 彼は本当に、ジムに不都合は生じないと思っているし、消してしまえばすべてきれいに解決すると思っている。いっそ『世話になったジムのために全力を尽くしたい』とすら思っているだろう。そりゃあ、そうかもしれない。思い出せない記憶なんて、ただの空虚だ。
 けれど、それをまだ覚えている、記憶のある今のジムが、今、この瞬間、それを聞いてどう感じるかを、彼は考えたことがあるのだろうか。
 スポックはいつも、未来の結果しか見ていない。今、この瞬間、ここにいるのは今のジムなのに。
「人の記憶を簡単に言うんだな」
「軽視しているわけではありません。記憶は個人の重要な資産です」
「なら、なんでそんな簡単に消すって言うんだ」
「簡単ではありません。それに、規則です」
「それはそっちの規則だろ、俺たちの世界には関係ない」
「あなた方になくとも、私にはあります。私が従うのは、私たちのルールです」
「君が今いるのはこの世界だろ!」
「それでも、私がいるべき場所はここではありません。私がいるべき場所は――
 ここではないどこか。空の向こうのずっとどこかに、自分のいるべき場所がきっとある。
 スポックの言葉は、そんな自分のいつもの逃避を連想させた。一気に頭に血がのぼって、そんなものはない、と叫び出しそうになる。そんな都合のいいものはない。そんなものは自分をかばいたいだけのあさましい言い訳だ。そんなものは。
 ――けれどたぶん、スポックには間違いなくあるのだろう。
 ジムは、自分が馬鹿なことを言い出す前に、勢いよく立ち上がった。床に強く手を打ちつけたことで、スポックは口をつぐむ。
「君はとても嫌なやつだ!」
 決定的な暴言を押し殺したら、代わりに子供の八つ当たりのようになってしまった。けれど、人が嫌がっていることをとにかくやろうとするなんて、嫌なやつで決定だろう。ジムは構わず露骨に憤慨して、スポックを見下ろした。
「は?」
「こんなにむかついてる今この瞬間も、君は消してしまえばいいと思ってるんだろ」
「不快な記憶なら、むしろ消えたほうがうれしいのでは? 感情的な処理をする地球人ならば」
「嫌な時間だって、なくなるよりずっとましだ! 俺は絶対に承諾しない、記憶を消させたりしない!」
 仁王立ちでそう宣言して、ジムはふんと息を吐く。そうして踵を返そうとすると、今度はスポックも立ち上がった。
「であれば、仕方ありません。あなたを無力化して実施します」
 ジムはその言葉に目を剥いて、容赦なく険のある顔つきになる。顔を近づけてごりごりにガンを飛ばしても、スポックは逃げずにしれっとした表情だった。いや、スポックという異星人は、普段はパーソナルスペースを広く取るタイプだ。もしかしたらこんな顔で、思いどおりにならない地球人に苛立っているのかもしれない。
「暴力で解決するなんて最低だ」
「話し合いに応じますか?」
「君のそれは話し合いじゃない。結論が決まってる話し合いってなんだ?」
「平行線ですね」
「やれやれ、ってか? くそくらえ。君は記憶を消されたことがないからそんなにも簡単に言うんだ」
……消されたことが?」
 ふいに、スポックは顔を離す。ふっと緊張が解けるような気配と、検分するような視線を受けて、ジムは今度こそ踵を返した。
「嫌なやつだ!」
 そのまま話を打ち切って、さっさとベッドにもぐり込む。
 スポックはしばらく立ち尽くしていたが、そのうち眠る準備をして横になった。