はるの
2023-09-19 21:11:09
162116文字
Public スタートレック
 

空に心臓

+13|AOS spirk|2023.10.1|2023年の日本で暮らしているジムが、倒れていた迷子のヴァルカン人を拾う話。現代ものパロディです。

12.


 ジム!
 と、もう一度叫んだ瞬間には、すでに景色が変わっていた。
 スポックはただ呆然と、虚空に伸びた自分の手を見やる。何も掴まなかった、何も救えなかった手。まただ、と思った。また、母のときと同じ。また、大切な人を喪うのか。耳鳴りがするような絶望に飲み込まれようとする意識に、ふと、ジムの残した歯形が引っかかる。ずいぶん容赦なく噛んでくれたようで、うっすらと緑色がにじんでいた。あとで咬創の処置をすべきだろう。
 そんな論理的思考が走って、そんな自分に驚いた。理解しがたい情動に動揺しながら、スポックは大きく息をつく。ゆっくりと手を戻して、ジムの噛みあとにそっと触れた。――ジム。
 クリンゴンの連中が言うには、デルタ・ヴェガのラボは襲撃されてしまったようである。彼らが使っていた転送装置は、スコットを害して巻き上げたものだろう。確かに、それでショックを受けた。けれど、もう少し早く、早く、手を伸ばせなかっただろうか。まさか、彼があんなふうに身を挺すなんて、考えてもいなかった。想定外の事態が起きて、確実に取り乱してはいた。けれど、その一瞬で、その一瞬の混迷で、自分は今、ジムを窮地におとしめてしまっているのだ。
 ――今?
 ふいにスポックは、自分の腕を見下ろした。深く傷ついた操作盤。その見覚えのある傷跡に、急いで自分のポーチに手を伸ばす。ジムが持っていた装置を取り出そうとしたとき、突然、頭上で車が急ブレーキをかけるような大きな音が鳴り響いた。
 とっさに見上げると、青い空が視界に映える。自分が砂礫地帯の崖の下にいることに、スポックはやっと気づいた。そしてその青空を、何故か、1台の赤いオープンカーが横切っていく。崖の上から飛び出したそれは、スポックのすぐそばに落下して大破した。
 突然の急場に、スポックは素直に驚愕した。何が起きているのか、皆目見当もつかない。
 車が落ちてきた崖を再び振り仰ぐと、少年がひとり、へりに手をかけてぶら下がっていた。
 スポックはぎょっとして――、彼の着ている服に見覚えがあることに、さらに頭を殴られたような衝撃を受ける。何かを考えつく前に、スポックはほとんど無意識に走り出した。
 自分の手首を叩いて転送装置を起動させ、ひとつ前と同じ動作を実行する。それが一番速かった。起動し始めた装置を外し、片手で握りしめて空を仰ぐ。少年は、崖の上に戻ろうともがいていた。走りながら固唾をのむが、懸念したとおり、彼は手を滑らせてしまう。
 まるでスローモーションのようだった。
 彼は明るい金髪をなびかせて、一瞬ふっと宙に浮く。スポックはこの瞬間、すべての因果を理解した。
 握りしめていた装置を、疾走したまま振りかぶる。そのまま勢いをつけて、彼に向って全力で投擲した。140km/hあれば届く。けれどこの高さなら、落下までは5秒もない。間に合うだろうか。いや、間に合うはずだ。何故なら自分は、それが成功することを知っている。
「ジム!」
 力の限り叫ぶと、彼は落下しながらこちらを向いた。体にぶつけられた装置を、反射的に押さえ込んでいる。それは彼の構成を読み取ろうと、光の帯を展開した。
 驚愕に見開かれた目がこちらを射たのは、ほんの一瞬だ。
 けれど、その抜けるような空の色を。よく見知った、自らの心臓が動くべき場所を。スポックははっきりと捉えた。
 ジムがスポックから目を離し、顔面に迫る大地に悲鳴を上げる直前、ほとんどぎりぎりのタイミングで、彼の体はかき消える。
 ――このようにして、小さなジムは、2023年の日本へ転送されたのだ。
 壊れかけの装置を使った、危機的状況での転送だ。おそらく再構成時に問題が起こり、ジムの記憶を失わせてしまったのだろう。行き先にはロールバックが起こり、転送元の地点が再設定されたものと思われた。
 そして彼は、見知らぬ土地で人生を送ることになる。そうしていつの日か、夜の路地で、倒れている異星人を拾うのだ。
 運命だろうか。
 ふと、そう思った。けれど、運命にしては少々マッチポンプだ。チート行為そのものである。そもそも、この転送を引き起こす装置を開発したこと自体、スポックの人生最大のズルだった。
 その結果、彼と巡り会えたのなら――、それならば。
 スポックは強く目を閉じて、ゆっくりと長く息を吐いた。そうして精神を落ち着けて、視界を開く。
 早くこのことを彼に話して、彼の意見を聞いてみたかった。運命だよ、と茶化して笑うかもしれないし、彼しか発想し得ないような、とても奇抜なことを言って、楽しそうにするかもしれない。その顔を、早く見たいと思った。
 崖を見上げると、アンドロイドの警官が見下ろしている。スポックは腕で顔を隠しながら、走ってそこを立ち去った。



 考えを整理しながら崖を迂回して登り、やっとのことで地上に出た。どこまでも続く荒野と畑だが、ジムがいる以上、ここは地球のはずである。車両事故を起こすような出来事があったと思われるが、警官を含め、あたりには全く人影がなかった。タイヤの跡をたどって車道へ向かい、スポックはしばらく歩を進める。
 最初に邂逅した通行人は、きびきびと歩いてくる少年だった。ジムよりは少し色の濃い、それでも似たような金髪の少年。徒歩には向かない道だからだろう、彼は近づいてくるヴァルカン人にひどく怪訝な顔をした。
「失礼、よろしいでしょうか」
 けれど、話しかけないわけにはいかない。少し遠くから、折り目正しくそう問うと、彼はスポックの服についている宇宙艦隊のインシグニアを見た。
「ええ、艦隊所属の士官です。転送事故でここにたどり着いたのですが、ここはどこで、今はいつでしょうか?」
 少年はいぶかしみながらも、ぶっきらぼうに答えてくれる。予想したとおり、スポックが元いた時代よりは少し過去のようだった。地球の、アイオワ。
 その確証を得て、空を見上げる。自分の時間軸にはもう二度と存在しない、この星の澄み渡るようなレイリー散乱。そして、この先のはるか彼方には、赤い惑星があるのだろう。望郷の、ヴァルカン。そこには今、彼と同年代の小さな自分が住んでいて、母も、まだ健在だろう。
 ――ジム。
 心が揺れて惑う気配に、スポックは拳を握りしめた。ひとつ、胸中で名前を唱えれば、最後に見たジムの後ろ姿と、最後に聞いたジムの声が思い出される。スポックと、自分は呼ばれた。まるで星に願うような遠さで、けれど確かに。その情景は、充分にスポックを奮い立たせた。彼が呼ぶなら、応えなければならない。そのためなら、何でもできる気がした。彼のためなら、いくらでも走れると思った。
「赤いオープンカーに乗った少年を知りませんか?」
 気を取り直してそう尋ねると、やせぎすの少年は、あからさまに警戒する。知り合いのようだ、とスポックは察した。もしかしたら、あるいは――
「なんで、そんなこと訊くんだ」
「彼は、ジムではありませんか?」
「は?」
「ジェームズ・タイベリアス・カーク、では?」
 その問いは、賭けだった。
 今までのすべての出来事を、網羅的に勘案し、計算し、少しの願望を混ぜて、今のスポックが出した結論だ。
 かつてのケルヴィン事件で、英雄的な殉職を遂げた士官の息子。ジム・カークは、子供の頃に事故を起こしたのち行方不明になった、と艦隊の資料で読んだことがある。彼の兄も同じ日に、家出をして行方不明になった、ということも。
 おそらく、それが今日なのだ。
 問われた少年は、一瞬ほうけてから、力いっぱい眉間に皺を寄せた。
「あんた、俺たちのことを知ってるのか? 母さんの知り合い?」
 そして、スポックは賭けに勝った。
 勝ったのだ。一度には受け止めきれないほどの感情がやってきて、スポックは難儀する。
 そんなふうに呆然としてしまったヴァルカン人に、ジョージ・カーク・ジュニアは懐疑に満ちた顔を返した。



 スポックは現在地から一番近い艦隊施設、アイオワ造船所を目指すことにした。
 そう伝えると、ジョージはついてくると言う。自分たちを知っている、得体のしれない人物を見極める魂胆だろう。スポックは了承して、彼を伴って歩き始めた。
「あいつ、どこまで走ってったんだ……
「もしかして、ジムを追いかけていますか?」
「向こうに走っていっただろ、どうせ警官に捕まってる」
「ですが、ジムはもうここにはいません。彼は私の転送事故に巻き込まれました。申し訳ありません」
……は?!」
 ひょうひょうとはしていても、どこか心配そうな様子の彼に、スポックはジムの行方を伝えた。
 途端、ジムの兄たる彼は、素っ頓狂な声を張り上げる。スポックは即座に、彼の不安を取り除こうと補足した。
「ずいぶん過去に転送されてしまいましたが、無事です」
「ちょ、は?! 待て、どういうことだ! お前、ジムをどこへやった!」
「ですから、遠い過去です」
「すました顔で言うことか?! 遠い過去ってなんだ!」
「先ほども申し上げましたが、無事です。そのため、懸念は不要です」
「そういうことを訊いてるわけじゃねーんだよ! デリカシーどっかに捨ててきちゃったのか?!」
「ああ……、すみません。心配をしなくていい、ということを伝えたかったのです。その、大丈夫、です」
「いや今照れるとこあった?! 何があったか話せよ! 全部!」
「照れてはいません。兄弟とは面白いものですね、確かに類似性を感じます」
「わざとやってんのかそのむかつく返しは!!」
 スポックは吠え立てる子犬のようになってしまった同行者に、問題のない範囲で出来事を伝えた。そうして話しながら、これからのことを思案する。
 今、何をするべきか。
 そして、何をしないでいるべきか。
 艦隊のラボと資材を借りられれば、トランスワープ・タイムマシンの作成は可能だろう。そして、すぐにジムの元へ帰ることも、おそらく可能だ。ジムが持っていたほうの装置はポーチに入っているので、履歴から座標を割り出せばいい。この装置は、ジムを2023年に転送したあと、一度も使われていないはずだからだ。それに、時刻は頭に入っている。
 何故なら、クリンゴン人に襲われたのだ。自分の見間違いでなければ、彼は撃たれたようだった。少なくとも、無事ではないだろう。だから、早く帰らなければ。早く――いや、最終的に戻る時点は変わらない。急いでも、ぐずぐずしても、結果にはまったく影響しない。
 はやる思考を押さえつけて、スポックはこんこんと考える。
 ジムを救ったあとは、予定どおりの行動を取るべきだろうか。すなわち、地球を救うために動くのだ。再び時間をさかのぼり、あのとき、あの瞬間、ローレンシアへは向かわず、地球に直行して、穿たれたドリルを破壊しろと進言して――、あるいは、ヴァルカン星からの救難信号が出る前に、故郷へ緊急通信して――、いや、それはやはりヴァルカン側が応じるとは思えない。応じるだけの理由がない。助けられるのは地球だけだ。そうして、地球を助けるのだ。
 けれどその場合、そうして生きた自分は、過去に戻るなんて馬鹿なことは考えないだろう。
 ならば、崖から落ちるジムを、今度は誰が助けるんだ?
 ちらと横に視線を流せば、丸い頭のつむじが見える。スポックがしでかしたこと、つまり、落下したジムの命を救ったことは、ジョージの素直な関心を引いた。ジムと未来で会ったことや、そのときの彼のエピソードを語れば、思い当たる節でもあるのか、彼の心証はずいぶんとやわらいだものである。それは確かにジムだな、と笑った顔は、やはりどこか弟に似ていた。――ジム。
 自分が地球を救おうとすれば、行方不明で済んでいたジムが、死亡してしまうかもしれない。
 スポックはジムにめぐり合わず、素朴なアパートでのふたり暮らしも、騒がしくかけがえのない友情も、あの跳ねるような心臓の音も、永遠に知る機会を失うのだ。
 地球と、引き換えに。



 艦隊のユニフォームを着ているからだろう、造船所にはすんなりと受け入れられた。ここから設備の整った場所へ移動するなら、やはり本部が妥当だろう。素直に時空間事故だと説明して、特別措置を取ってもらったほうが早いだろうか。そんなことを考えながら、隣の少年に意向を伺うと、ジョージは本部までついていく心づもりをしていた。スポックがきちんとジムを助けに行くかを見届けるつもりらしい。スポックは了承して、本部行きを決定した。本部なら、彼の保護者とも連絡が取れるだろう。
 シャトルの出発時刻を調べて、まだ時間があることを知ると、スポックはジョージに断ってひとりで屋外に出た。
 黄昏を迎えた空は、金色に輝いている。きっと何事もなければ、ジムはこの空の下で育ったのだろう。
 ――ジム。
 もし、彼がここで成長していたら、どんな青年になっただろう。今とあまり変わらないだろうか。父を追って、宇宙艦隊に志願することもあったかもしれない。
 ヴァルカンにいる今の自分も、似たような年齢である。何事もなければ、また評議会の提案を蹴って、宇宙艦隊へ飛び出していくだろう。
 彼は、出会うはずがなかった人ではない。
 ずっと過去に生まれた人でも、別の次元の存在でもない。
 彼は、スポックと同じタイムラインで生まれた。
 彼はスポックの世界のジムであり、ほかの誰でもない、自分だけのジム・カークなのだ。
「どうしたらいいですか、ジム」
 ひときわ輝く宵の明星を見上げて、スポックは小さく問いかける。
 過去を変えれば未来が変わる。――本当に? 分からない。実績がないのだ。もしかしたら多世界解釈が適用されるかもしれないし、もしかしたら波束収縮が起こるかもしれない。ジム・カークを知る前は、どちらでもいいと思っていた。たとえ世界が分岐しても、たとえ過去が書き換えられても、今、この目の前で起こっている悲劇を変えることができるなら。ずっとそう思ってきたし、その信念でもって、自分たちは過去改ざんに手を出したのだ。
 けれどもし、ジム・カークと地球、どちらかを犠牲にしなければならないとしたら。
 ――ジム。
 答えなど返らないと分かっていて、星に問いかけ続けるなど、論理の破綻にもほどがある。けれど、それでも、必要だった。スポックの人生には、ジム・カークが必要だった。彼がここにいなくても。目を閉じて、自分の一等星を思い浮かべる。明るくまたたく、のびやかな、その実ひねくれていて、少しいじわるな、たったひとつの。
 彼なら、なんて答えるだろう。いや、決まっている、彼ならこう答えるのだ。
 ――俺を手に入れて、地球も救う。そうだろ?
 犬歯を見せて笑う顔を、まるで鮮明に思い描ける。それくらい、ジムはもう自分の一部になっていた。
 スポックは、ぱちりと目を開く。
「分かりました」
 小さく口を開くと、アイオワの風が無邪気に前髪を乱していった。



 どのみち、過去を変えることで未来がどう変わるかは、やってみるしかないのだ。バタフライ効果だってあるだろう。つまり、唯一確かなのは、自分が直面し続けているこの〝今〟であり、それ以外にない。スポックにできるのは、たとえ向かう先が過去であれ未来であれ、前を見て走り続けることだけなのだ。そしてそれが、無二の突破口であるようにスポックには感じられた。感じるだけだ、意味はない。けれど、そこには明確な意志がある。
 艦隊本部は、ひどくなつかしい光景だった。今は――、スポックの世界からは、すでに失われてしまったものだ。感慨を隠して見渡しながら、きょろきょろしている少年を伴っているものだから、見た目は観光客のようだっただろう。
 突然現れたヴァルカン人を、もちろん艦隊は不信がった。何をどこまで、誰に開示するかは慎重を期したが、事故という説明で一定の理解を得ることに成功する。未来の士官だと証明するよりも、スポックは自身の生体情報を渡すことにしたのだ。艦隊は秘密裏に、ヴァルカン星の地球大使に連絡を取っただろうし、彼が保管している彼の息子の情報と突合を行っただろう。結果、自分はそう詮索されることなく、存在も含めてすべて機密とされるはずだという算段だった。
 ジョージのことは、保護をしたと申し出た。けれど、彼が誰の息子なのかについて、本人はかたくなに公表を拒絶した。家庭問題で家出をした手前、母親には絶対に知られたくないし、自分ひとりの力で生きていくと言って聞かなかったのだ。こうした矜持に関する頑固さについて、彼はジムと双璧をなしているように思う。結局スポックは――自認しがたいことだが、ジムの兄だからというひいき目もあっただろう――、彼が主張するまま、彼を助手としてラボに迎えた。
 転送装置の設計図は、正確に記憶している。
 現在手に入る資材という制限によって、それどおりにとはいかなかったが、今回は小型化する必要がない。持ち運びやすいサイズへの改良に費やした苦労などを思い出しながら、スポックは一抱えある武骨なアーティファクトを作り上げた。シミュレーションでのテストしかできないため、あとは自分の仕事を信じて実動させてみるしかない。
 そんな日々の合間に、スポックは極秘でサレクの訪問を受けた。
 論理的に、今、彼が自分に会う理由はない。そのため、スポックは内心驚いたのだが、父はしれっとしたものだった。
 粛々としていて変わらず、今のスポックが知っている――父は今も存命だ――人物と、まるで同じに見える。けれど、スポックの胸中には、奇妙な郷愁が浮かんできた。戦争状態になってからは、もうずっと会っていない人だ。
「息子か」
「成長していますが、そうです」
 対面してからの第一声は、このようなやり取りだった。慎重に返答すると、サレクもヴァルカン人らしく控えた態度を取る。
「アマンダには、黙っておくべきだろうな」
 ふいにその名前を聞いて、スポックは息をつめた。父はじっと、据えるようなまなざしだけを向けてくる。今までに何度も、何度も受けてきた視線だった。
 この圧力の意味を、今のスポックは少しだけ理解している。彼はおそらく、地球人のように揺れること自体を、非難しているわけではないのだ。
――母は、元気ですか」
 そう尋ねた自分の声は、冷静で、明瞭だった。それが自信になったスポックは、両手を後ろに組んで胸を張る。
「お前は知っているだろう」
「そうですね。元気でした。つまり、これは社交辞令です」
「ヴァルカン人が?」
「ヴァルカン人が」
……なるほど」
 サレクは何かに納得したようなそぶりをすると、それ以上の会話はせず、ひとつうなずいて帰っていった。
 何に納得したのかは分からないが、彼が地球人をパートナーに選んだことを考えると、身に覚えがあったのかもしれない。人は見かけでは判断できないものなのだ。



 ところでジョージはというと、助手というカバーストーリーを事実に変える勢いで、素晴らしくよく働いてくれた。ふたりで組み上げたこの機械で必ずジムを助けることを、彼はスポックに強く求め、スポックは彼に心から誓った。ジョージはついていきたいとも言ったが、いかに彼がジムの兄であれ、承服できないことはある。時空間転移の禁忌やパラドックスについて丁寧に解説すれば、彼はほどなく納得してくれた。おそらく、自分でも分かっていたことなのだろう。
 もちろんスポックは、再三、母親に会うことを勧めた。ジョージは決してYESとは言わなかったが、そのうちNOとも言わなくなった。どうもここが妥協点だ、とカーク兄弟に慣れてきたスポックは判断する。
「ヴァルカン星に行こうかな」
 今後の身の振りはきちんと安全にしてほしい、と懇願する中で、ジョージはそんな適当なことを言った。スポックは片眉を持ち上げて、どうしてこの兄弟は瞬間を生きがちなのだろう、と真剣に考えてしまう。
「地球人には過酷な環境です」
「でも、あんたの母さんはいるんだろ。あんた、さんざん母親に会いにいけって言ってたじゃないか。よし、行くか!」
「私の母ではなくあなたの母に会いにいけという意味です」
「冗談が通じないヴァルカン人め」
 ジョージは口を尖らせながら、無根拠の誹謗をして笑った。どこまでが冗談のなのかさっぱり分からないスポックは、注意深く思考をめぐらせる。
「ヴァルカン星への訪問を、否定はしません。行くのであれば、母のアマンダを尋ねてください。おそらく喜んで迎え入れるでしょう」
「話を聞く限り、すごくこう、陽キャな気配を感じてる」
「ですが、あなたにはできれば――、ウィノナ・カークとの再会をどうしても拒むのであれば。地球でも、ヴァルカン星でもない、両星域とは離れた惑星への旅行をおすすめいたします」
「おっと? 遠い宇宙の彼方へ行っちゃってほしいわけだ?」
「いいえ。あなたに生きてほしい」
 2258年、ネロの襲撃が始まったあの年に、この世界の時間軸で何が起こるかは分からない。
 けれど少なくとも、この彼を、跳ね返りはするが根は誠実な、弟のことが大切な彼を、必ずジムに会わせたいと思った。タイムトラベラーの自分とこうして出会ったことで、彼は本来の歴史からはすでに外れてしまっているだろう。それなら、せめて彼ひとりくらいなら、と思うのだ。だから真剣に、よく伝わるように、スポックは熱心に訴える。
 ジョージはぽかんとこちらを見返したあと、なんだか脱力したように、がっくりと肩を落としてしまった。
「なあ、それって、未来の地球とヴァルカンが割と危険だってこと? それ、言ってよかったか」
「今さらです。それに、私は未来の出来事を開示したわけではない」
「ほとんど言ってるもんだとしても?」
「私は何も言っていませんよ、ジョージ」
 ジムはこれ、大変だっただろうなあ、こんなヴァルカン人を飼いならすなんて。
 ジョージはうめくようにそんな不可解な発言をすると、最後にはYESと言ってくれた。



 最後の日、スポックは自分のいた痕跡を、すべてきれいに消去した。
 それから少し考えて、艦隊のデータバンクにひとつ、動画ファイルを作成する。自分がアクセスしたときに、自分だけに通知され、自分の生体だけが開封できる、そんな秘密のファイルだ。
 仕事を終えたスポックは、その夜じゅう、ポーチに隠し持っておいた21世紀の遺物たちとともに、よく晴れた星空を飽くことなく眺め続けた。
 そして朝方、誰にも気づかれないうちに、ひっそりとラボから消え去った。