はるの
2023-09-19 21:11:09
162116文字
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空に心臓

+13|AOS spirk|2023.10.1|2023年の日本で暮らしているジムが、倒れていた迷子のヴァルカン人を拾う話。現代ものパロディです。

14.


「やってやる!!」
 ジムはひとつそう吠えて、思いっきり拳を振りかぶった。
 次の瞬間、ほんのすぐそばに、突然の光が差す。
 気が逸れて勢いも削がれたジムの拳は、簡単に払いのけられてしまった。肩の銃創に響いて、ほとんどよろめいて唸り声を上げながら、にじむ視界にその光を捉える。
 転送の光の渦からふっと現れたのは、スポックだった。
 それも、鮮やかな青いシャツを着ていて、なんだか物々しい機関銃のようなものを構えている。今この一瞬で早着替えしたにしては、あからさまな変化だった。
 ジムがぱかんと口を開けている間に、武装したスポックは、その砲口を異星人に向ける。
 そしてかけらの躊躇もなく、彼は引き金を引いた。ビィ、と鈍い音が鳴って、敵はビームのようなものを浴びる。途端、相手は跡形もなく灰と化し、さあっと風になぶられて消えた。
「ジム!」
 冷静にそれを確認したスポックは、すぐさま銃を背中のホルダーに納める。そして、ぱっとこちらを向いた。
 あまりの出来事に、ジムは痛みも忘れて、ただ呆然としてしまう。命がけでスポックを元の世界に返したと思ったら、人ひとりを塵にするやばい武器を持ったスポックが秒で帰ってきた。いったい何が起こってるんだ。
 スポックはそのまま素早く、ジムの肩にやさしく触れた。その沈痛な面持ちに心を揺らした次の瞬間、シャツを襟ぐりから豪快に破られる。
「ぎゃあ?!」
「動かないように。治療します」
 もう二度と会えないかもしれないと万感の思いで守ったはずの男が、秒で最強になって帰ってきたばかりか俺の服を剥いでいる。
 ジムはしばらく、本当に痛みを忘れるほどだった。スポックはジムの体を抱えるように支えると、レッグポーチから何かの機械を取り出して、銃創に近づける。キュイン、と小さな音がして、何かが傷口に触れる気配がすると、みるみるうちに痛みが引いていった。
「何ということをしたのですか、あなたは」
 ジムに回している腕に少し力を込めて、スポックは詰問するような言葉を使う。けれど、声音は苦しみに満ちていて、手のひらにはいたわりがあふれていた。ジムは自分の肩を見下ろして、どうも傷が瞬時に治っているらしいことを悟ると、少しだけ口角を持ち上げてみせる。
「うまくいくかなと思って」
「何も、何も――、いいえ、確かにうまくいきました。あらゆることが……、あなたの命を救うことにもなった。あなたは、本当に……
「俺の? まあ、確かに。でも、助けにくるのが早すぎないか?」
「そうではありません。そうではありませんが……、後にしましょう。肩は動かせますか?」
 キュン、という音とともに、スポックは手を引いた。ジムはゆっくりと身を起こして、撃たれた肩を回してみる。まったく問題なく、自由に動くことに驚いた。
「すげえ……、これ何? 未来の技術?」
「はい。医療用トリコーダーです」
「へえ、便利だな」
 転送なんて技術があるのだから、体組織を再生することなど造作もないのだろうか。そんなことを考えながら、軽く笑って隣を見る。
 同時、自分の頬に熱が触れた。
 スポックは両手でジムの頬を挟むと、問答無用にこすってくる。生理的なものと、ちょっとした感傷の涙で、べしょべしょになっているせいだろう。鼻水も出ていたし、よだれも垂らしたかもしれない。そう考えると、スポックの手――大事なもの――で拭われているのがあんまりに思えてきて、ジムはむずがって後退した。
 その1歩下がった歩幅分、スポックは1歩を詰める。
「ジム」
 まるで長い間、離ればなれになっていた恋人のようなまなざしだった。一瞬で戻ってきたのに、と考えて、ふと、彼の装備がすっかり変わっていることを思い出す。時間跳躍は、跳躍する側に時の制約がない。もしかしたらスポックは、ここへ戻ってくるために、長い時間を費やしたのかもしれない。
 鼻先が触れる距離だった。ジムは素直に目を伏せようとして――、逆に目を見開く。
「いや、待ってくれ、つまり、スポックは無事戻れたんだよな?! 未来の新しい機械を持ってるってことは?!」
「はい。途中、いろいろありましたが」
「やっぱり……、じゃなくて、じゃあなんでスポックはここに戻ってきちゃったんだ? 未来は? 変えられたのか? だいたい、この時代に来たのは事故だったはずだろ? じゃあなんでまた――
「あなたは、この時代に、私の用はない、と考えているのでしょうか」
「え、そうじゃないのか?」
 近づいてくるスポックを押しとどめながら、ジムは背中を逸らしてそう問いかけた。未来を変えられたのなら、そもそもスポックは過去には来なかったことになるんじゃないか、と至極論理的な推理でもって答えたつもりだった。
 けれどスポックは、思いっきり眉を寄せると、不満極まりない感情的な雰囲気で、ぐっと身を乗り出してくる。
「今すぐ鏡を見ることをおすすめします。私の人生最大の用事が映るでしょう」
「あ」
 あ、そういう、というか今スポックのとんだデレが来なかったか、とジムがフリーズした瞬間。
「きゃあ!!」
 横から、そんな悲鳴が上がった。
 驚いてそちらを見れば、通りすがりと思われる、見知らぬ女性とばっちり目が合う。彼女は唇をわななかせながら、恐怖に満ちた表情で、おそるおそるスポックに視線を移した。
 ちなみに今、スポックは、えげつない銃火器を背負って人に迫っており、血のにじむシャツをびりびりにされたジムは、そんな男から逃げ腰で迫られているところだ。
 女性は勢いよく、持っていたスマホを構えると、即座にSOSボタンを押した。
「うわ~~!!! あのっ、大丈夫です! これ知り合いです! あっでも銃刀法違反だな?! どうしよう、スポック逃げるぞ!」
「あなたは失血しています。急な激しい運動は避けるべきです」
「言ってる場合か?! お前が嫌いな規則違反をしてるんだぞ今お前は!」
「あなたのほうが重要だ」
「ンンンンンちくしょ~好き、でも今ほんとそれどころじゃないんだよな~!!!」
 今でなくていい正論と口説き文句を淡々と申し上げてくるド真顔のスポックに業を煮やして、ジムは彼の腕を取って走り出した。は?!?! という女性のでっけえ困惑を背後に置いて、見慣れた路地を全力で駆け抜ける。大きな通りに出れば、もちろん、人々の関心を引いて、通行人たちはいっせいにこちらを向いた。そりゃそうだろう、背中に物騒なものをくっつけた尖り耳の異星人を、ワンショルダーと化している無残な服を着た地球人が、元気いっぱい引っ張っていたら。確かに大きな怪我をした直後のせいか、そのうちジムはふらついて足を取られてしまう。反動で離してしまった彼の腕を、すぐさま探してさまよったジムの手のひらは、スポックの手の中に収まった。
「ジム。ジム、これは注目を集めすぎています」
「はは、君にはなるべく隠れていなきゃなんない規則があったっけ?」
「というより、未来のものを開示してはいけないという」
「いいじゃん、もうここに来ることはないんだ、俺たち。みんなの前で告白しちゃおう。大好きだよ、スポック!」
「私も大好きですが、せめてはしゃがないでください。あなたは怪我人です」
 ぴょんと跳ねて高らかに謳えば、スポックは冷静に苦言を呈してくる。それが面白くて、大好きで、つないだ手が熱くて、ジムは声を上げて笑った。
 さっきまで、今生の別れだと思っていたのだ。最悪死ぬかもしれないと思っていた。それなのに、スポックは帰ってきて、暴漢を粉砕して、すぐさま怪我は治って、暴漢に間違われて、今は手をつないで町を爆走している。未来って本当に、何が起こるか分からないものだ。そう思うと、なんだかこみ上げてくるものがあった。愉快な気分が高揚して、状況が楽しすぎて、わははと開く口が止まらない。
 行くところがなかったので、ふたりはアパートに戻ってきた。
 期待とともにスポックを見れば、彼はちゃっかり、くすねた合鍵を取り出してくれる。そんな手癖の悪いヴァルカン人にも大いに笑って、ジムはよくやったと彼の背中を叩いてやった。
 もう思い出の品になるばかりだったはずの鍵で玄関を開けると、がらんとした部屋が迎えてくれる。リビングまでどたばたと上がり込めば、カーテンのない窓からは明るい陽が差していた。
 ジムは笑いすぎてにじんできた涙をぬぐう。そこにそっと、熱が触れて、引かれるように顔を上げた。
 スポックは、いつもの真面目な表情だ。けれど少しだけ、感情がはずんでいて、それはいとおしげにまたたいた。ジムは素直に、きれいだなと思う。これをまぶたの向こうに隠してしまうのは、ちょっともったいない気もした。
 けれど、これからはきっと、いくらでもそんな贅沢ができるのだ。
 ジムは遠慮なく、スポックの首に腕を回して体重をかけた。触れる鼻先にふっと笑うと、スポックはゆっくりと目を閉じる。



「星空を見上げるたび、あなたのことを思い出していました」
 駄目になってしまったシャツの替えは、スポックが用意してくれていた。撃たれていたように思いましたので、とホルダーのバックパックから取り出された面白みのない黒のロングTシャツに、ジムは目を丸くしたものである。新しい旅立ちだからと、ちょっといいシャツでおしゃれをしていただけに、ほんのり切ない気分だった。まあスポックらしいけど、と思いながら、胸元に入っているスポックのバッジと同じマークを指ではじく。
 しばらくの間だけでも安静にしてほしい、というスポックの願いを叶えるため、ふたりは何もない部屋でただ座っていた。
 スポックにもたれかかってリラックスしていたジムは、ふいにそんなロマンティックなことを言い始めたスポックを見て、茶化すような笑みを向ける。
「君は小さな俺を助けて、マシンを作って、大変だったみたいだからな。さみしくなっちゃった?」
「あなたが言ったのです。あなたはときどき空を見上げて、どこかの誰かを探していると」
「ああ……
 それは、ジムの現実逃避のことだ。茶化すつもりが自分に返ってきてしまって、うまく言えずに目を逸らす。
 スポックは、静かな口調で続けた。
「私は、そうして誰かを探す、空想上のあなたに言いたかった。私のいる場所こそ、そのどこかであり、その誰かこそ、この私です」
 ちら、とジムは視線を戻す。スポックはこういうとき、いつもこんなふうにジムをまっすぐ見つめるのだ。火傷してしまいそう、なんて思う。
「ずいぶんと、自信がおありですね?」
 スポックからのこういう表現は慣れなくて恥ずかしいので、ジムは彼の肩口に額をこすりつけた。スポックのしれっとした口調をまねてそう返すと、彼はジムの髪にキスをする。そんなことをされてしまったら、やっぱり表情が見たくなって、結局ジムは顔をさらした。
「ええ、もちろん」
「無根拠だ。非論理的だ」
「構いません。ジム、あなたの心臓を、私にください。この空のどこかではなく、私の隣で動かしてください。私の元へ、帰ってください」
「君の」
「この世界でも、どの世界でも。あなたがどこにいても、いなくても。あまねく世界のすべてにおいて、私は必ず、あなたの友人です」
「うわ待って、泣きそう」
 至近距離で、やさしく丁寧にそう伝えるスポックは、とても真摯で、誠実だった。
 ジムはあっけなく涙腺をやられて、なんとか冗談みたいな声を維持しながら、手の甲で目元を押さえつける。
 ――いつか、誰かが待っている、自分のあるべき場所へ。
 そう願って星空を見上げていた、今までのすべてのジムが、まるごとやさしく肯定されたような気持ちになる。
 スポックはそんなジムの背中を、温めるようにゆっくり撫でた。
「それじゃあやっぱり、俺の心臓は空にあったんだな」
 しばらく、そんなふうにあやされて、喋っても声が震えなくなってから。ジムはしみじみとそうつぶやいた。
 顔から手を離して隣を見れば、スポックはちょいと片眉を上げる。
「空ではなく私のですが???」
「どういうキレ方だよ。君のことじゃないとは言ってない」
「つまり、比喩表現でしょうか。私は空になった覚えがありません」
「でも、君は空から来た。この宇宙のずっと果ての、時空の向こうから来たんだろ?」
「なるほど」
 きちんと説明すると、スポックは眉での抗議を取り下げた。手がかかるなあと思いつつ、そんなスポックが好きで仕方ない。彼はひとつ納得するようにうなずくと、自身の着ている鮮やかな青いシャツを見下ろした。
「確かに、私は宇宙を飛び回っています」
「はは。じゃあ〝空〟じゃなくて〝宙〟だな」
 うまいこと言ってやると、スポックは再び眉を跳ね上げる。ジムは満面の得意顔を作ってやった。