はるの
2023-09-19 21:11:09
162116文字
Public スタートレック
 

空に心臓

+13|AOS spirk|2023.10.1|2023年の日本で暮らしているジムが、倒れていた迷子のヴァルカン人を拾う話。現代ものパロディです。

11.


 そうと決まれば、急いでスポックの世界に飛び込まなければならない。
 と、思ったのはジムだけで、スポックのほうはのんきだった。急いでも、ぐずぐずしても、最終的に戻る時点は同じ座標のため、結果にはまったく影響しない、というのが彼の返答だ。論理的である。
「ですので、しておくべきとあなたが考えることを、なさってください。その時間は十分にあります」
 自分の考えが至らなかったことをくやしく思っていると、スポックはおごそかに、確かな口調で、そう言った。ぽかんとして見返せば、彼は小さくうなずいてくる。
 しておくべきと自分が考えること。
 もしかしたらスポックは、ジムのためにそんな時間を用意してくれたのかもしれなかった。考えすぎかもしれないが、彼はイケヤに『帰るときはきちんと挨拶すること』と教えられているのだ。気遣われていることがうれしくて、とりあえずジムはスポックに抱きついた。どんな速度で飛びついても、どんなに左右に揺れても、決して倒れないヴァルカン人の体幹には、頑強なジャイロ装置でもついているのではないかと思う。
 ジムはお言葉に甘えて、きちんと身辺整理をした。
 引き継ぎ期間を含めた退職日も決めたし、アパートの解約手続きもした。銀行口座から勝手に引き落とされる諸経費もすべて片づけて、残りはそのうち休眠預金になればいいかと思っている。
 ばたばたとそんな調整をしている間、スポックは〝腕時計〟を調べていた。もはや堂々と、テーブルの上にポーチの中身を広げている。発光する文字盤が、そのうちふたつに増えた時点で、彼の思惑は成功したようだった。
「すでに動いてるのがひとつあるんだから、君が持っていたものを直す必要はないんじゃないか?」
 難しい顔で基盤部分を覗いていたスポックに、ジムはそう訊いたことがある。スポックの答えとしては、こうだった。
「おそらく同じものとはいえ、これをあなたが持つに至った経緯が不明な以上、転送に使用するのは正体の分かっている私のもののほうがリスクは低いと考えます。そのため、修復できるならこちらを使いたい。今度の転送は、私ひとりではないのですから」
 ジムは、なるほどと答えるか、君ひとりでも万全を期せよとまぜっかえすか、真剣に迷ったものである。
 休日は、ふたりで出かけることを優先した。
 近所を徘徊するだけで楽しい、というデートそのものの時間を楽しんだり、少し先の海まで電車に揺られたりした。夏の日中は暑さでへろへろになったけれど、帰ったあと、ふたりで冷たいシャワーを浴びて、冷えきった部屋でだらだらと伸びながらくっついていると、夏休みみたいでいとおしかった。
 最後の週末の夜、ふたりはいつものカフェバーに出かけた。
 行くと事前に伝えておいたので、空席が確保されているいつものカウンターに座る。よお、と軽い挨拶を交わすと、隣から「お疲れさまです」と流暢な日本語が飛び出していって、ジムは笑ってしまった。イケヤはもちろん、存分なる嫌そう顔だ。
「あー、じゃあ、あれだ。〝うちのスポックがいつもお世話になっています〟」
「やめろ」
「ですがジム、私はどちらかというとお世話をしています」
「おいこらスポック」
「ははは。〝うちのイケヤがいつもお世話になっています〟」
「こいつら帰らせてぇ……
「早い早い。よっ、マスター! 今日のおすすめ! じゃなくてあれ飲みたいあれ、スポックが作ってくれた俺カクテル」
「作りましょうか?」
「当たり前のように颯爽とこっちに回ってくるな。ここはお前らのキッチンじゃねーんだわ」
 そんなふうに、3人はごちゃごちゃとろくでもない話をした。スポックの働きぶりをメインのつまみに、地球人はそれぞれ茶化し合いながら、ヴァルカン人は生真面目に、今までもずっとこのカウンターで話してきたように、ただ陽気で愉快なことをぽいぽいと団らんに放り込む。
 そんな話がふっと途切れたとき、ジムはイケヤと目が合った。一瞬、真剣な表情をされて、ジムはそっと微笑みを返す。
 スポックも、ここの仕事を辞める相談をしていて、先日、彼は退職した。イケヤとは個別にふたりきりで会って、これから何が起こるのかを、きちんと説明済みである。ジムの古い友人は、いろいろと言いたいことがあるような顔はしたものの、そうか、とだけ言ったのだ。
「ま、ここじゃ同性婚はできないもんな」
 イケヤはそんなふうに言って、肩をすくめた。
「それができたら残るってわけでもないけど」
「ふーん。自分もどっか旅でもするかなあ、ここ畳んでさ」
 たぶん本音ではないそんな言葉に、ジムは笑って首を傾げる。さみしさを隠すような友人の声は、なんだかこちらまでさみしくさせて、笑みを保つので精いっぱいになった。
「事業計画がやっと軌道に乗ってきたというのに。いいですかボス、今後のプランは授けたはずです。必ずそれを実行してください。日中帯のリーダーともそうお約束しています」
 けれど、さすがのスポックは、やはり俺たちのスポックである。片眉を跳ねるあの表情で、彼は懇切丁寧にイケヤを叱責した。今度は素で笑ってしまって、元ボスは目を覆ってしまう。
「嫌……、このエイリアン……。エイリアンが言うことか? きちんと仕事をしろとか」
「私はあなたの元部下として話をしています」
「スポックはワーカホリックなところがあるからなあ」
「しかるべき機関に相談しろ、そういうのは」
 わははと笑っていると、イケヤは深い溜息をついた。心外そうな様子のスポックを一瞥して、さらにこれ見よがしな溜息をついてみせる。
 それから水をひとくち飲んで、店長はゆったりとジムを見た。
「なあ、また会えるか?」
 その質問には、うまく答えることができない。ジムが移住先で暮らしを確立できれば、おそらく二度とその機会はないからだ。
 甘えてあいまいな笑みになってしまうジムを、イケヤは鼻で笑った。仕方がなさそうに、不出来な弟を甘やかすように。
「ま、いいんだ。お前が健康で、元気に、思う人生をまっとうしてるなら」
「はは、うん。幸せになれるかは分かんないけど、俺は俺が望むだけ、俺を謳歌しまくってるよ」
 ジムはその日、最後にステージに立った。
 何を歌おうか迷って、カウンターの奥のほうから、穏やかそうにこちらを見守っているふたりを見て、ひとつ、試し弾きをする。
 それから、明るい曲をひとつ歌った。今を思いっきり楽しんでいて、そのままの自分もみんなのことも、大好きだよって歌だ。



 部屋の物たちを処分してしまうと、長年暮らしたアパートの一室は、まるで知らない人のような顔をした。
 郷愁がないと言えば、もちろん嘘になる。それなりに生きづらい暮らしではあったが、すべてに愛着がなかったわけではない。
「もう前に進むしかないな」
 がらんとした部屋を見渡しながら、ジムはぽつりとそうつぶやく。
 すると隣の男が、ものすごく控えめに、それでも断固として、手をつないできたので、思わず吹き出してしまった。
「不安ですか?」
 横を見れば、いつもの無表情だ。けれど、スポックのほうこそ少し不安そうだった。ジムは歯を見せて笑うと、同じ高さにある肩同士をぶつけ合う。
「そりゃあね。でも、それだけじゃないだろ?」
 そう軽口を返せば、スポックは口元をむずむずさせた。



 いつものカフェバーへ行く道のなかば、国道から2本入ったところで、ふたりは足を止めた。
 ジムがスポックを見つけた場所だ。
 転送装置はどこででも使えるそうだが、なんとなく、直感で、ジムはここがいいと思った。自分の人生の、とても大きなことが始まった場所。ひとつ終わらせて、ひとつ始めるなら、こういう場所のほうがいい。
 まあ、狭い路地のゴミ捨て場なんだけど。そう思うとおかしくて、ジムは笑ってしまった。でも、自分にはふさわしいだろう。
 くん、と腕を引かれて、隣を見やる。突然笑い出したせいだろう、スポックは気遣わしげにじっと視線を寄こしてきた。ジムは軽く笑って、腕にかけられたスポックの手をつないだ。きゅっと握れば、彼は納得した表情になる。
 昼間だが、だからこそ、人通りはなかった。飲み屋の並ぶ道である、それを考慮して、スポックもこの場所に文句は言わなかったのだろう。
 タイムトラベル先の世界に持ち込まない、持ち出さない、という規則をおしとやかに順守している彼は、ここにやってきたときの格好に帽子を足したくらいで、身軽である。けれど、腰に下げているポーチの中には、イケヤの店の名刺と、スポックのために複製したアパートの合鍵と、小さく折りたたんだジムの身分証明書が入っていることをジムは知っていた。身支度をする彼がこっそりと隠すのをうっかり目撃してしまったときの、ものすごい心境を今すぐに思い出せる。
 そういうジムも、スポックに合わせて身軽だった。いろいろ、あれこれ、考えたけれど、結局自分に必要なものは、スポックがだいたい持っているのだ。それなら、そのひとつだけを大事に持っていよう、と思った。
 つないだ手をほどかれそうになって、ジムはぎゅうと握力を込める。不満全開の顔を向ければ、スポックはむいっと口角を下げてから、ジムの手をくっつけた状態で、とてもやりにくそうに腕の文字盤をいじり始めた。なるほど、それは悪いことをした、とジムは納得して、操作しやすいように手首をひねってやる。もちろん、離す気はなかった。
「ジム」
 とつとつと指先で操作したあと、スポックは手を止める。
 命令を従順に待つ士官のような表情で、彼は静かにこちらを向いた。
 ジムはひとつうなずいて、余裕のある笑みを見せる。
「やれ」
 短い命令を言葉に乗せると、瞬時にスポックは実行した。とん、と指が文字盤を叩くと、同時に光の粒子が自分たちの周囲に現れる。それはぐるぐると回遊しながら、音もなくふたりを包み込んだ。
 すげえ、と素直に思って口を開けていると、スポックの見つめる目とかち合う。どこか安堵したような、めったにない、やさしいまなざしだった。
 その輪郭の向こう、少し先の路地に、同じく回遊する光の塊がひとつ現れていることに気づく。
 は? と眉を寄せれば、スポックも気づいて振り向いた。同時に、向こうが物質化する。
 次の瞬間、ギャン、と音を立てる閃光が走り、つないでいた手が弾けた。同時に光の渦も霧散して、ジムはたたらを踏みながらスポックを見やる。彼は自分の手首を見下ろして、急いでジムを見返した。そんなスポックに立ちはだかるように、現れた人影はこちらに腕を向けている。黒っぽい、服と分かる服を着ていても、顔つきは明らかに人間じゃなかった。異星人だ。彼が持っているものも、見たことはないが、形状は明らかに拳銃だった。撃たれたのか、とジムはやっと気づく。操作盤に銃弾が当たって、つないでいた手がほどけたのだ。スポックに当たらなくてよかった。
「ジム!」
 彼は即座に、ジムに手を伸ばすとそのまま抱きすくめた。
 というより、頭を抱えられて、突然現れた異星人から隠された。かすれるような独特の発音をする謎の言葉をかけられて、スポックがそちらを向いたのが分かる。ジムはなんとかもがいて、スポックの拘束から逃れようとした。今、自分たちは、拳銃を持った暴漢に襲われている。スポックは、そこからジムをかばおうとしているのだ。自分の背中で、身を挺して! ジムはスポックを見つけたときのことを思い出した。盾になるにはあまりに温かい、生身の体。
 ジムはとっさに、引きはがせないスポックの手に噛みついた。
 目の前に来た文字盤の上に、『再実行』の文字を見つけて、反射的にそれを叩きつける。
 さすがにひるんだスポックを突き飛ばして、ジムはなんとかまろび出た。
「ジム!」
 こんな必死なスポックの叫びを、かつて聞いたことがあっただろうか。
 こちらは丸腰で、相手は拳銃。つまり1秒でひとり殺せる。じり貧だ。そういった論理的な計算を、スポックがしていないとは思えない。
 だめかもしれない、と思った。直感で。
 だめかもしれない。けれど、自分がおとりになることで、スポックだけなら帰せるんじゃないか?
 転送の光に包まれ始めた悲痛な表情のヴァルカン人に向けて、冷徹な異星人は仕留めようと引き金に指をかけた。死ぬ気はないから、場所は選ぶ必要がある。腕か肩で受けるべきだ。ジムはめいっぱい軸足に力を込めると、その勢いで銃口とスポックの心臓の間に飛び込んだ。
 光でほとんど見えなくなっているスポックの目が大きく見開き、懸命に手が伸ばされる。
「スポック」
 ギャン、と再び閃光がとどろき、肩を弾かれた。その勢いで突っ込んだ光の渦は、感触すら残さず霧散する。経験したことのない痛みに、思考はすべて吹き飛んで、ジムは無残に転がった。言葉にならないうめき声が口から勝手に飛び出して、涙がいきなりあふれてくる。痛い。痛くて、気が遠くなりそうだ。痛い。アスファルトを手で掻いて、なんとか顔を持ち上げる。スポックが立っていたところには、もはや自分しかいなかった。
 襲撃者は、少し考えて、何かの装置を操作し始める。スポックを追いかける気だろうか。あれがもし、彼らの使っている転送装置で、今まさに彼を追って時空を越えようとしているのなら、あれを盗めば自分もスポックを追えるかもしれない。
 痛い、とこぼす奥歯は震えていて、頭は飽和状態だ。けれど、ジムは今自分がすべきことを理解した。
 ――戦って勝ち取れ。強く望め。負けを認めるのは、本当にどうしようもなくなったときだけだ。
 歯を食いしばって立ち上がると、相手はゆっくりとこちらを向く。そんな敵に、ジムはファイティングポーズを取った。さまになっているかは分からないが、やつは馬鹿にしたような笑みを刷いて、何事かを言い放ってくる。喧嘩を売ったことは伝わったのだろう。
「何言ってっか分かんねーけど、侮辱されたことは分かるぞ」
 相手は銃を置くと、軽く構える姿勢を取った。遊んでやろう、といったところだろうか。
 もしかしたら、ここで死ぬかもしれない、とジムは思った。
 スポックを殺そうとしていたということは、スポックと敵対している、戦争をしている相手だろう。場末の路地で地球人をひとり殺すくらい、きっとわけないに違いない。
 でも、そうしたら、二度とスポックには会えなくなるんだな。
 そう考えると、さみしかった。
 すごく痛いし、すごくさみしい。視界を奪う涙を、乱暴に拭い去る。
「やってやる!!」
 ジムはひとつそう吠えて、思いっきり拳を振りかぶった。