はるの
2022-08-08 22:36:46
117528文字
Public スタートレック
 

未踏の楽園

全年齢|AOS spirk|2021.4.15|STBのあと、ヨークタウンでふたり暮らしをするジムとスポックがそのうち付き合う話。「そのうち付き合うタイムライン(https://privatter.me/page/65a92eff4fa14 )」シリーズの集大成になりますので、シリーズ内他作品からの遠慮ないエピソード引用を含みます。



 スポックが出勤したあと、カークも出かける準備をした。というのも、体が鈍ってしまわないように、ジョギングをすることにしたからだ。それに、『合鍵』を使いたかった。微笑ましいくらい単純な話である。
 近所の公園は敷地が広く、ランニングウェアで周回している人々もちらほらと見受けられた。普通のTシャツとジーンズという装いのカークは、ウェアを注文してもいいかもしれないな、と考える。スポックにも、ああいうのを着せてみたい。今度、彼が休みの日に誘ってみようか。あまり走り回っているイメージはないが、長期の宇宙航行に耐えうる体力づくり、と言えば検討はしてくれるだろう。もしくは、一緒がいい、とひっついてねだってみてもいいかもしれない。今ではむしろ、後者のほうが成功率は高い気さえする。そう考えると、本当にとてつもないことだった。ときおりカークは、この比類なき現実に、まるで身震いがするような気持ちになる。
 走り終えて水を飲みながら、ぼんやりと公園の中の道を歩いていると、ひとりぽつんと座り込んでいる女の子に目が留まった。そこは公園の一角に作られた花畑で、今は一面にシロツメクサ、のようなもの、が咲きこぼれている。花畑の前にはささやかな看板が立てられており、立ち入り禁止、と書かれていた。
 周囲に大人がいないことを確認して、カークはそちらへ向かった。こういう直感を、自分は見逃さないことにしている。
「ハロー、リトルレディ」
 立ち入り禁止の花畑は、踏むとみずみずしく柔らかかった。いけないことをしている、という焦燥感と、色鮮やかなグリーンの誘惑が、見事なコントラストを描いている。
 人好きがする、と評判の、明るい顔で声をかけると、顔を上げた少女はものすごく警戒した表情を浮かべ、いつでも立ち上がれるように身構えた。なるほど、賢い子だ。そんなことを思いながら、カークは少し距離を取ってしゃがみ込む。
「俺はジム。ジム・カーク。エンタープライズのキャプテンだ」
 まずは自己紹介から。陽気な声音でそう伝えれば、少女はぱちりと目を丸くした。
「今はわけあってヨークタウンに――
「キャプテン・カーク? この前の火事で、悪いやつをやっつけた?」
 こちらの案内を遮って、鈴を転がすような声が返ってくる。火事? と不思議に思ったが、そういえばブロードキャスト作戦で、スノードームの外側では火の手が上がっていたなと思い出す。驚いているような彼女を安心させるように、カークは優しく微笑みかけた。
「そう、そのキャプテン・カークだ。このハンサムに見覚えは?」
「ある……、ほんものだ……
 少女は自分の胸を押さえると、まるで感動したように小さくそうつぶやいた。



 リトルレディの信用を得たカークは、立ち上がって彼女に近づく。座り込んだ少女の膝の上には、器用に編まれた作りかけの花冠があった。
「君は今ひとり?」
「そう。ママを待ってるの」
「そっか」
 どういう状況なのかは分からないが、保護者は遅れて来るらしい。悪目立ちしないように、彼女のそばで再びしゃがみ込みながら、畑から花を手折る彼女を見て、カークはぽりぽりと頭を掻いた。
「君は器用だね」
「初めてにしては上出来でしょ」
「初めて作ったんだ?」
「そう」
……じゃあ、君は知らなかったのかな。実はこの花畑、入っちゃいけないルールになっていて」
「知ってる」
「知ってる?」
「あと少しでできるよ、ほら」
 言葉を選び、要件を切り出すと、彼女はそんなことを言って、手折った花を花冠にくくりつけた。きれいにつなげられた輪は、大人でもかぶれるほどの大きさがある。ぽかん、とカークが見つめているうちに、彼女はすっくと立ち上がって、ごくエレガントに、ワンピースの裾を打ち払った。
「悪いことが必要だったの」
「悪いこと?」
 少女は複雑そうに微笑んで、それから手に持った花冠を見下ろす。
「ママにこれをあげたら、困るよね。いほうぶっぴんで作ったんだから」
「違法物品?」
「でしょ? 摘んではいけない花を摘んだ」
「そう、だね」
「私、知りたかったから。ママが私を褒めるのか、叱るのか」
……そっか」
 にこりと穏やかに微笑むと、少女も似たような笑みを浮かべた。カークは立ち上がって背を伸ばし、彼女の前に手を差し出す。
「俺も、大好きな人の愛を試したくなることはあるよ」
 そっと素直にそう告げると、まるで無垢な表情に見上げられた。けれどすぐに彼女は、理解が及んだような、とても深い眼差しをして、優しく手を取ってくれる。
 リトルレディを花畑から連れ出すことに成功したカークは、彼女を伴って近くのベンチに移動した。



 並んでベンチに座りながら、彼女のママを待つことにする。その間、腿の上に花冠を置いた少女は、興味深げにこちらを見上げ、楽しそうに質問を投げた。クラールの事件で、まるで救世のヒーローのように報道されたせいだろう、そんな『キャプテン』が、自分と同じ〝わがまま〟を持っているということが、純粋に嬉しいようだった。
「キャプテンは、じゃあ、恋人と暮らしてるの? ママを試したいわけじゃないよね?」
「うーん、レディ、これはここだけの話にしてほしいんだけど」
「分かった」
「恋人、というわけじゃない」
……ママなの?」
「ママでもないけど」
「じゃあやっぱり恋人じゃん」
「うーん」
 もごもごと煮え切らないカークに対して、少女はきっぱりと断言する。うんうん、と納得して目を輝かせるので、なんだかそれ以上、下手なことは言えなくなってしまった。
「どんなところが好き?」
「ええ?」
 曖昧な笑みでごまかしていると、そんな剛速球が飛んできてカークは吹き出す。見た目は可憐な少女だが、なかなかいい強肩を持っているようだ。
「私はママの話し方が好き」
「ああ、うん。そうだな……、俺も、話し方は好きだな」
「少しドジだから、変なことをしてごめんねっていっぱい言ったり」
「ドジというより、抜けてるところはあるかもな。でも、すごく一生懸命だ」
「かわいい?」
「かわいい。待った、君、どこかのスパイか何か? 流れるような誘導尋問だな」
「かわいいんだ」
……かわいいよ」
 口を尖らせながら白状すると、女の子はくすくす笑う。カークは彼女を見やって、大げさに肩をすくめてみせた。
「君は有能だ」
「ねえ、じゃあ、結婚するの?」
……すごいことを訊いてくるな」
「だって、その人のこと話してるキャプテン、すごく嬉しそう。その人のこと、大好きでしょ。だから結婚するのかなって」
 優しく微笑む少女の言葉に、カークは両手を挙げて降参する。そんなにも露骨な表情をしてしまっていたのかと自分を責めればいいのか、このリトルスパイの観察眼が類を見ない鋭さだと評価すればいいのか、迷いに迷って結局、ひどく情けない笑い方をしてしまった。そんなこちらの様子に、少女はころころと笑う。
 あどけなく、純真だ。けれど、悪いことが必要だったと断言する精神が、この中には潜んでいる。
 ふいに、彼女は犬笛を聞いたかのように、ぱっと顔を上げて道の先を見た。
「ママだ」
 声はどこか弾んでいて、横顔から覗く頬も丸い。カークはつられて微笑みながら、レディ、と彼女に呼びかけた。
「良ければその違法物品、俺にくれないか」
 静かな声で提案すれば、こちらを振り向いた少女はやや驚いた様子である。小さく頷いて顎を引き、カークは誠実に彼女と目を見合わせた。
「君が逮捕されないようにね。ママには素直に自分が好きかと訊いてみたらいい」
……でも」
「ママが来たら、すぐにでも。それで、もしそうだと言われたら、アイスクリームをねだってみて。そこにアイススタンドがある」
「そうじゃないって、言われたら?」
「俺が君の友だちになるよ。友だちになって、君の愚痴を聞いて、君にアイスクリームを買ってくる」
 少女はその言葉に、ぽかんと口まで半開きにする。にこりと笑顔を作ると、彼女は少し、動揺して、うろうろと視線をさまよわせた。
 辛抱強く待っていると、やがて少女ははっきりと、決意に満ちたしぐさで、花冠を差し出してくる。そうしてベンチを飛び降りて、一目散に駆け出した。
 少し先で、彼女はママと合流する。ちら、と寄せられる保護者の目線に、カークは精いっぱい人畜無害を装った。そんなママの手を引いて、少女は何事かを耳打ちする。それを聞いた彼女のママは、その場で彼女を抱きしめた。
 そのまま抱きかかえられて、まっすぐにアイスクリームスタンドへ向かう少女は、ママの背中越しにこちらに手を振った。その素晴らしく幸福な、嬉しそうな表情に、カークは似た笑みで手を挙げる。良かったという気持ちより、やっぱりという気持ちのほうが強かった。
 自分がすごく嬉しそうに、大好きな人のことを話したように。
 彼女もすごく嬉しそうに、大好きな人のことを話していたから。
 『愛を試す』なんてことは、そういう間柄じゃないとできないことだ。少なくとも、自分は母親にそうすることすらできなかった。だから、彼女は大丈夫だと思ったのだ。そうでなければ、提案なんてしなかっただろう。試さずに尋ねる、なんて勇気のいることは。



 アイスクリームを買って帰り、花冠をかぶった状態で帰宅したスポックを迎えると、彼は面白いほど予想どおりに足を止めた。そんなスポックにまとわりついて、とりあえずカークは、自分がかぶっていた花冠を彼のキューティクルにそっと乗せる。丸い頭にあつらえたように、それはすっぽり収まった。
「すごい。平和の使者みたい。すごいかわいい。待ってスポック、写真撮る」
……ジム、これはいったい」
 困惑するスポックをよそに、カークは心置きなく撮影会をした。白と緑の花冠をかぶっている男の、解せない、という表情を、自分の端末にすっかり写し取って満足する。それからアイスを食べようとキッチンへ向かうと、すかさずスポックはついてきて、冷凍庫を開けるこちらの頭に花冠をかぶせ直した。顔を上げれば目が合って、頭に置いたままのスポックの手が、丸い耳の形をやんわりと確かめる。
「説明を」
「着替えてこいよ、今日はおやつもある」
 腰で冷凍庫を閉めてからスポックの頬にキスをして、彼をキッチンから追い出した。
 アイスクリームはピュアなバニラだ。いい匂いのするそれを、行儀悪く立ったまま掬っていると、スポックはすぐさま戻ってくる。甘い香りにわずか眉が寄る様子に笑って、カークは見せつけるように、アイスを盛ったスプーンを舐めとった。途端にぎゅっと眉間に皺が寄って、カークは笑いながらトマトスープをかき混ぜる。おそろいの器を重ねて持ってきたスポックに押されて場所を譲ると、カークは彼にくっついたまま、もうひとくち大盛りの山を作って口の中に放り込んだ。
「君も食べればいいのに」
 そう言いながら、びしとスプーンを突きつける。振り返ったスポックは片眉を上げて、鼻先に突きつけられたスプーンを見下ろした。そしてゆっくりと口を開き、こちらの目を見据えたまま、見せつけるように金属を噛む。ちらりと見える犬歯にぞくりとした。
「もうこれだけで甘い」
 スプーンを舐めとって顔を離したスポックは、冷静にそう言って夕食の支度に戻ってしまう。
 カークはへなへなと力を抜いて、そんな彼にもたれかかった。カップの中のバニラアイスは、そのうち手も付けられないほど、どろどろになってしまった。



 ダイニングに並んで座って温かいごはんを食べながら、カークは今日あった出来事、つまり聡明なリトルレディとの一期一会を、スポックに話して聞かせた。うきうきと元気に話したからだろう、彼は特別口も挟まず、ささやかな相槌で聞き終える。
「楽しかったですか」
「うん。こういうことがあるから、見知らぬ人と話すのも楽しいよな」
「そうですか」
 スポックは静かに食べ終えて、静かにカトラリーを置いた。お茶に口をつけながら、ぼんやりと前を見つめている。
 それがなんだか、複雑そうな、ためらっているような色合いに見えて、カークは横から身を乗り出した。
「どうした?」
「いえ」
「いえ、って感じじゃない」
「その」
 はっきりと伝えれば、彼はこちらを向いて、何事かを言いよどむ。その表情をじっと見つめていると、彼はやがて観念して、ひっそりと薄く口を開いた。
「そのようなふれあいは、あなたには必要でしょうから、あまり家にこもっていないで外に出てください」
「おう? 待った、何の話? 必要、ではないと思うけど。どちらかというと家にこもるほうが今の俺には必要で」
「ですが、毎日同じヴァルカン人と接していては、あなたもつまらないのでは」
 そんなまさかの返答に、カークは素直に目を見開く。ひねくれた物言いをするスポックに、新鮮に驚くような心地だった。嫉妬、ほどではないだろうが、こんな言い方、ずるいだろう。見知らぬ少女との会話の楽しさなど、スポックを前にしてしまえば、比べ物にすらならないのに。
「ヴァルカン人だからいいんだよ」
 やにさがってしまいそうになる頬をおざなりに保守しながら、カークはそう答えてみる。けれど目の前のヴァルカン人は、それでは納得しない様子だった。
「ヴァルカン人であれば、あなたの興味を引くと?」
 その跳ね上がった眉に、カークはついに爆笑した。スポックの背中をばしばしと叩きながら、強めに肩をぶつけてやる。スポックは不可解そうにしたけれど、こんなにも分かりやすい話はない。
「もーほんと。君のそういうところだからな」
「そう、とはどういうことですか」
「言わせたい言葉があるって見え見えだぞ。君でもそうやって試したくなるんだな」
「試す?」
「ヴァルカン人の君を気に入ってるよ、スポック。でも別に、ヴァルカン人じゃなくてもいい。君が地球人でも犬でもミジンコでも何でもいいんだ、君がいてくれるなら」
……ミジンコは、無理があるかと」
「なんでだよ。君を素敵な瓶に詰めて、日当たりのいいところに置いてやる。毎日水も換えてやるから、君は前足をぴるぴるしててくれればいい。俺は大事に瓶を抱えて、キャプテンチェアに座るから」
 ひどく注意深く、神妙な表情をしているスポックに、カークはそっと微笑んだ。
 彼はそれを受けて、少しだけ切なげな、そんな情感を瞳に宿す。こんなふうに、彼の思いがにじみ出た双眸が、かすかに揺らめく様子を見ると、いつでも座っていられなくなりそうだった。世界中でたった唯一、自分に火をつけることができる美しい炎。少しでも触れれば燃え上がり、死ぬまで鎮火しないだろう。
――まだ、キスはなしですか」
 ごくごく真面目な顔のスポックが、そんなことを言い出したので、カークは再び爆笑した。



 パイル地のブランケットは導入したものの、相変わらず、夜はスポックの布団にもぐり込んでいる。暑さ対策にいっそ服を全部脱いでしまおうか、という究極の案も考えたけれど、汗まみれになるのでそれはやめておいた。代わりにスポックが、厚みの薄い布団をいつの間にか注文していて、最初にあった上掛けは、今ではクローゼットに仕舞い込まれている。
 もぐり込んだ布団の中で、スポックの足の間に自分の足を突っ込む遊びは継続中だ。暑いのは暑いのだが、彼の体温のほてるような感じは、やたら気持ちよくて癖になる。スポックはそのうち熱中症になりそうだと言って、いつも小言を投げてくるけれど、結局はこちらの好きにさせてくれる。
 こんな暮らしをしているなんて、昔の自分は決して信じないだろう。
 やんちゃなジム坊やも、ジョージの血を引く候補生も、きっとキャプテン・カークすら。