はるの
2022-08-08 22:36:46
117528文字
Public スタートレック
 

未踏の楽園

全年齢|AOS spirk|2021.4.15|STBのあと、ヨークタウンでふたり暮らしをするジムとスポックがそのうち付き合う話。「そのうち付き合うタイムライン(https://privatter.me/page/65a92eff4fa14 )」シリーズの集大成になりますので、シリーズ内他作品からの遠慮ないエピソード引用を含みます。



 無茶振りをされたマッコイもかくや、という眉の寄せ方をするスポックの頭をわしゃわしゃと撫でてから、カークはベッドを抜け出した。リビングに出ると、スポックはそのままキッチンへ回る。この家にもキッチンの向かいに備え付けのカウンターがあって、これまたかわいいダイニングチェアが2脚置いてあった。
 ま、サンフランシスコの俺んちのチェアには敵わないけどな、とカークは得意顔をする。なんたって、あれはふたりのためにスポックが持ってきてくれたものなのだ。
 いつかミッションが終わって地球へ帰ったとき、あの椅子にまたふたりで座ることはあるんだろうか。
 洗面所の鏡に映る、少しだけ情けない表情になってしまった自分を見て、カークはわざとらしいにんまり顔を作ってみた。つくづく笑顔を作るのがうまい、と自分で感心してしまう。
「スポック~」
 振り向いて呼ぶと、向こうの部屋から、なんですか、と返ってきて、カークは無性に嬉しくなった。呼んだらすぐに返事があるって、それだけで本当に贅沢だ。
「歯ブラシがない」
 ぼうっと立ち尽くしたままそう言うと、鏡の向こうにスポックが現れた。
「持ってこなかったのですか? 待ってください、ストックが」
「髭剃りも」
……剃刀なら、ありますが」
「あとヘアワックスとか……
……所持していると思いますか?」
「してたら君をオールバックにして遊びたいなと思います」
「やめてください。ジム、あなたはいったい何をバッグに詰め込んできたのですか。長期滞在になると分かっていたはずですよね」
「わっはっは」
「笑いごとではありません」
 はあ、と珍しく溜息をついたスポックは、ほとほとあきれた様子だった。戸棚から要求したものを取り出す彼を鏡越しに見つめていると、身を起こした彼とそのまま目が合う。スポックは訴えかけるように小首を傾げ、それを受けてカークは笑った。
「生活必需品を揃える必要がありますね。いくつかはレプリケーターで作れます」
「ありがと」
 新品の歯ブラシと髭剃りをもらって礼を言うと、準備しておきます、と言って彼は去っていった。私生活でもよく働く副長である。カークは上機嫌で髭をあたり、歯を磨いた。シェービングジェルも歯磨き粉もミントの香りがして、たとえば今、スポックとキスをしたら、同じ匂いがするんだろうなと想像する。胸が詰まって甘く苦しい。
 そんなふうにふわふわの、馬鹿みたいな脳みそに、お手上げの笑みで顔を洗った。カランの横に置かれたコップに、自分用の歯ブラシを挿すと、2本仲良く並んだ姿が一層脳みそをふやかしてくる。



 ぺちぺちと頬を張ってリビングに戻ると、スポックはヨークタウン支部の艦隊制服に着替え終えていた。ダイニングカウンターでサラダを食べている彼の隣、空席の椅子の前に、氷でいっぱいの涼しげなハーブティが置いてあって、カークはいそいそと席に着く。彼の手元を覗き込めば、湯気の立つマグカップが置いてあって、中身は同じものであることが分かった。つまり、暑がっているこちらを気遣って、わざわざアイスにしてくれたわけだ。
 カークは座ったまま、座面の裏に両手を回して、スポックと肩がくっつく距離に椅子を寄せた。手を止めてこちらを見てくる彼に、肩を丸めてにこっと微笑む。
「俺も明日から朝ごはん食おうかな」
「あれだけ言っても食べなかったのに。どういう風の吹き回しですか」
「だってそのほうが君と一緒にいられるだろ」
 ひんやりしたグラスを手に取って、ひとくち飲んで味を確かめてみた。なんとなく酸っぱいけど、鼻に抜ける香りが心地よい。
 何も返さないスポックに目を戻せば、彼はひどく感情豊かな眼差しで、こちらをじっと見つめていた。カークは軽く笑って、そんなスポックの鼻をつまんでやる。ぱっと離せば彼は自分の鼻に手で触れて、きゅっと少しだけ眉間を寄せた。
「俺がバッグに詰めてきたのは、部屋着と、ぱんつと、制服と、靴。あとは仕事の道具と、私物が少しだな」
……ジム」
「ほかには要らないと思って」
……早速、歯ブラシを所望していたと思いますが」
「考えが甘かったな」
「リビングのテーブルに端末を置いていきますので、必要なものがあればお好きに手配してください」
「了解」
「飲食はご自由に、あるものは好きに使っていただいて構いません」
「それは君の書斎を覗いてもいいってこと?」
「何故そうしてはいけないとあなたが考えるのか分かりません」
……すごい殺し文句だな」
 ずび、とアイスティをすすると、スポックは不思議そうにする。
 何をされてもいい、なんて権限は、ほとんど自分の体が彼の延長にあるようなものだ。その全幅の信頼にくすぐったさを覚えている間に、スポックは朝食を片付け、姿勢も正しく出勤していった。玄関先で彼を見送り、カークは幸せな溜息をつく。
 スポックは今、艦隊支部のラボの手伝いをしながら、ときどきセミナーの講師をしている。いわゆる勉強会というやつだ。5年探査の乗組員に選ばれるほど有能な士官たちが、余剰人員としてあふれているこの機会を、ヨークタウン支部は決して見逃さなかった。今がチャンスとばかりに多種多様なセミナースケジュールが立てられており、カークもいくつか依頼を受けている。そんなわけで、現在のスポックの仕事は、科学士官としての働きが主になっているのだ。エンタープライズ周りの調整について、船長の補佐もしてくれているのだが、日々の進捗はカークのほうでほとんど管理できてしまっていることも理由のひとつである。
 ちなみにマッコイはというと、相変わらず病院で働いていた。あれはもう、職業病を越えた何かだろう。彼は決して認めないが、手のかかる者が近くにいないと呼吸ができないタイプである。エンタープライズのクルーたちは、そんな彼らのように勤続している者もいるが、基本的には休暇推奨だ。カークのように、たまに出勤して業務を手伝っている者もいれば、スールーのように、思い切って半年まるっと休暇を取っている者もいる。
 リビングの入り口で部屋を見渡しながら、カークは不思議な心境に浸った。
 今日は1日休みで、明日も1日休み。明後日も明々後日も1日休みだ。そんな暮らしはアイオワぶりで、けれどここはアイオワでも、まして自分の部屋でもなく、半年後には解約してしまう一時だけの間借り部屋である。
 それなのに、もう愛着を感じていて、息をしているだけなのに満たされる。
 変なの、とつぶやいてみたけれど、それが誰のせいかなんて分かりきっていた。幸せだな、と素直に思う。



 スポックが帰ってくるのに合わせて頼んだデリバリーで夕食を取り、お互いに風呂を済ませてから、リビングのソファにスポックを呼んで、カークは昼間に選定しておいた自分用の食器を画面で見せた。カートの一覧を表示させてタブレットを渡し、自分はいそいそと、昨日できなかったこと、つまり風呂上がりのスポックを堪能する。うなじの毛先に鼻を突っ込むとシャンプーのいい香りがして、髪の内側はどこか湿った感じだった。どこもかしこも、いつでもさらさらしているスポックが、ちょっと湿っぽくなっている、というのは、なんだかすごく興奮する。
「好きに注文し――、て、しまっても、よかっ……、ジム」
「ん?」
「何をしているのですか」
「君を嗅いでる」
……そういう答えを聞きたいわけではなく」
「マグカップさあ、君の持ってるやつと同じのを探したんだけど、それで合ってる?」
「温かいものが飲みたいのですか?」
「君が飲んでると欲しくなる」
「購入履歴は見ましたか」
「ああ、その手があったな」
「ひとつひとつ、わざわざ探したのですね」
「馬鹿みたいだと思ってるな。いいんだよ、時間はたっぷりあったんだ」
「同じものを購入すると、どちらのものか分からなくなりそうです」
「それも楽しそうだ」
 スポックの髪に埋もれたまま喋っていると、彼はやがてこちらの腕を掴んで、やわい力で引きずり下ろした。
「品番は同じですね。このまま色違いにしますか?」
――ん。そうする。そしたら君のを盗んで使うって楽しみ方ができるしな」
 そのままカークを抱え込んだスポックは、お返しとばかりに耳の後ろへ顔を寄せる。片手で冷静にタブレットを操作しながら、彼は鼻を使ってこちらの髪を掻き分けた。そのやや動物めいたしぐさにきゅんときて、カークは彼を抱き込むように首をすくめる。
「あなたはなんでもひと工夫しないと落ち着かないようだ」
「またあれ淹れてよ、土」
「好きですね」
「なんで好きなんだろうなあってなる感じがいいんだよ」
「何故です?」
「そりゃあ、君が好きなものだから。言わせんな恥ずかしい」
「注文を確定します。いいですか、ジム」
「んう」
 耳に吹き込むようにささやかれて、さすがにカークは身を起こした。ものすごくまともに喋りながら、とんでもないことをしてくるヴァルカン人である。くっついていたせいで体温が移った、と思い込んでおきたいくらい、顔じゅうがぽかぽかと温かかった。けれどもちろん、照れて離れるなんて、もったいないことはしたくない。うつむいたままスポックにもたれかかると、彼はテーブルに端末を置いて、するりとこちらの手を取った。
「食器だけじゃなくて、鍋とかも注文すればよかったかな」
「鍋?」
「んー、昼間暇だし、料理とかすればいいかなってふと」
 ふたりの間でゆるくつながれた手は、ふたりのすきまに納まっている。スポックは強く掴むようなことをせず、ただ自然に力を抜いていた。
 今、直接手に触れているこの肌から、彼のテレパス能力を通じて、このふわふわした、けれどなんだか泣けてくるような、甘い苦しさが伝わっているのだろうか、と考える。どうせなら、同じ苦しみを味わっていてほしかった。そうしてどちらの感情か分からなくなれば、少しは楽になれるかもしれない。
「料理? まあ、毎日アーリオ・オーリオでも、私はあまり困りませんが」
「それは普通に俺が嫌だ。せめて素うどんとローテだろ」
「なんだか錯視が起きそうです」
「小麦粉のゲシュタルト崩壊だな」
「ジム、本当に今後、週1でしか出勤されないつもりですか」
 少しだけ、手を引くようにされて、カークは素直に顔を上げた。腰を少しずり落として座っているこちらを見下ろして、スポックは真剣な表情でいる。
 だから、カークも真剣に答えた。
「うん。だって、俺の目的は君を知ることだ」
「ですが、日中はこうして不在としていますし」
「地上勤務してる君のことは、もうたくさん知ってる。けど、こうして家に帰ってくる君のことは、まだ知らないから。それを知ってる人になりたい」
 スポックは、静かに目を合わせたままだ。けれど合わせている手のひらを、彼はそっと包み込んだ。手の甲を親指で撫でてから、するりと指先を取るようにする。彼が目を合わせたままでいるから、カークも逸らさないようにした。
 熱心に見つめるスポックは、一度深くまばたいて、秘密をそっと打ち明けるように、わずかに唇を開いて息を吸う。
――キスはなし、ですか」
 カークは、思わず笑ってしまった。
「えっと、意外とヴァルカン人は即物的なのかな?」
………
「その拗ねた顔、最高にかわいいぞ。じゃあ、君ふうのならありにしようか」
「私ふうの?」
「指先を合わせるんだっけ?」
 カークがつないだ手を持ち上げると、きょとんとした様子のスポックは心得たらしく、ゆっくりと手のひらを合わせた。それから意図をもって指を重ねると、なんだかねっとりと、合わせて、滑らせ、こすらせる。次第に見ていられなくなって、スポックを盗み見れば、彼はまばたきもせず見据えるように、指先の睦み合いを凝視していた。思わずびくりと指を引いてしまう。途端にスポックはこちらを向いて、まるで問いただすような顔をするので、カークは空いているほうの手で、自分の頬を強めにこすった。
……やっぱ、なしかな」
「ジム」
「いや、だって、いや。君んとこの文化エロすぎるだろ……。なにこのストイックの皮をかぶったエロスの塊。びっくりする」
「言っている意味がよく分かりませんが、おそらく言いがかりだということは分かります」
「言いがかりなわけあるか真実だばか」
 そわそわして座っていられなくて、カークはスポックの頬もごしごしとこすると、勢いよく立ち上がった。