はるの
2022-08-08 22:36:46
117528文字
Public スタートレック
 

未踏の楽園

全年齢|AOS spirk|2021.4.15|STBのあと、ヨークタウンでふたり暮らしをするジムとスポックがそのうち付き合う話。「そのうち付き合うタイムライン(https://privatter.me/page/65a92eff4fa14 )」シリーズの集大成になりますので、シリーズ内他作品からの遠慮ないエピソード引用を含みます。



 そのマッコイからのメッセージを受け取ったとき、スポックは正しく目を剥いた。
 カークが彼女を選んだ意図がまったく分からなかったし、それを受け入れたウフーラの感情もまったく分からない。普通は気まずいものじゃないのか、今自分が感じているように。そう考えながら、胸に手を置いて、心身を落ち着けるように深呼吸をしたほどだ。
 けれど、行かない理由はなかった。
 スポックは正常な脈拍を取り戻すと、素早く自身のスケジュールを確認する。今日は朝から、頭脳がほぼ使い物にならなかったが、幸いにして重要タスクはエンタープライズ周りの進捗調整だけである。基本的にはカークの仕事であったし、どれだけ休日を挟んだとしても、彼がそれをぬかることは一切なかった。乗組員と貨物のチェックが着々と進行中だが、最終チェックとして自分のところへ回ってくるにはまだ時間がかかるだろう。セミナーは催しがない。強いて言えばラボのヘルプが待っているが、あくまでこちらはヘルプ要員である。不在としたところで、彼らが本来負うべきだった負担が戻るだけだろう。あとで泣かれるかもしれないが。
 そこまで考えて、スポックは軽快に早退申請を承認フローに乗せた。受理されるまでの間に、進捗調整を確認する。昨日の日付でカークの閲覧履歴があり、スポックはその名前に思わずそっと指を乗せた。
 顔を上げて、勤怠申請の承認者リストを頭に思い浮かべる。もういっそのこと提督に直接通話で申請の受理を願い出ようかと思っていると、その提督から早速承認の通知が届いていた。驚きおののきつつ、彼女のタイミングの良さと勘の良さにはすさまじいものがあるな、と思わず感心してしまう。当初のカークの希望どおり、ふたりでツートップを組んだなら、とてつもない判断力と行動力がこのヨークタウンには生まれたことだろう。まあ、彼らにジム・カークをくれてやる未来は絶対にないのだが。絶対にない。彼は私たちのものだ。
 スポックはスムーズに立ち上がると、まっすぐラボへ向かった。ひと悶着あったものの、スマートに問題を軽く畳んで、大股で艦隊支部を出る。
 住所を告げるのに、少しだけ勇気が必要だった。
 詰まりそうになる声で、けれど表に出すことはしない。背もたれを使わず、きっちりと直角に座って、ちょうどカークの誕生会の日に見たのと同じ景色を車窓に見る。――覚悟。覚悟か。
 スポックの中にある、彼への衝動は、自分でも制御不能な、よく分からない熱でできている。重苦しく、不適切で、けれど何より確かなもの。相反したものを内包していて、それなのに対消滅はしない。愛している、と思っているが、愛とはこのようなものだっただろうかと不安になるほど複雑で、自分でも持て余しているようなかつてないものだ。
 自分でも手に余るのに、それをそのまま彼に投げつけるなど、言語道断だと思っていた。実際、今でもそう思っている。そもそも、ヴァルカン人の精神は、地球人には強烈すぎるのだ。それは両親が気をつけていたことだったし、サレクの距離を保った愛は、きっとアマンダを不用意に傷つけないよう、そのようにしてできていたのだろう。今ならそう思う。
 けれど、その愛に対して、母ならどう言っただろうか、と考えれば、きっと彼女はこう言うのだ。
 傷ついてもいいから、そばにいたい。
 それで相手が実際に傷ついてしまえば、より一層傷つくのはこちら側だ。けれどそれを恐れていては、悲しい顔をさせるばかりなのだ。
 父ならどうしただろうか、とスポックは考える。答えはない。自分は彼ではないのである。
 それなら自分はどうするだろうか。そう考えているうちに、見覚えのあるマンションの前で車がゆっくりと停止した。



 玄関先で出迎えたウフーラは、非常に油断した格好だった。髪はぼさぼさで、腕と足をすらりと出したかわいらしい部屋着で、目の下にくまを作った素顔である。
 スポックは、思わず言葉を失った。こんな姿の彼女を見たことがなかったからだ。
 同時に、結局自分はそういうところを見たことがない人物だったのだ、と思う。その寂しいような感覚に、自分のずるさを感じて唇を引き結ぶ。
 どこか据わったような眼差しのウフーラは、こちらを見上げると、腰に片手を当てて首を傾げた。
「正直、あなたは悪くないと思うわ」
……ニヨータ」
「けど、うちのキャプテンは宇宙一、馬鹿で、意固地で、どうしようもないから。誠意だけじゃ手に入らない」
「ドクターにも、似たようなことを」
「言われた? さすが私たちの医療主任は頼りになるわ。分かってるならいいの、待ってて」
 突然のそんな宣言に、ひるみそうになる心を叱咤して受け答えをする。ウフーラの言葉は端的だったが、要約すれば、ほぼマッコイの発言と同様だった。自分たちが陥っている問題を解決する方法は、そんなにも分かりやすいことなのだろうか、とスポックは足元がおぼつかないような心境になる。彼らふたりの分析力が著しい、という可能性は大いにあるが、もし地球人なら誰にでも分かることなのだとしたら、あまりにも自分が不甲斐ない。
 そんな落ち込み方をしていると、部屋の奥から元気な、聞き慣れた声が飛んできた。
 ――呼んだなんて聞いてない!
 カークである。
 ちゃんといた、と分かって、ほっと口から勝手に吐息がこぼれ出る。スポックがそんな安堵に包まれていると、きつめのウフーラの声が応対した。
 ――呼んでないもの。私はただ、ドクター・マッコイにここの住所を伝えただけ。位置情報だけよ。
 ――それをチクったって言うんだよ! 君は親友だと思ってたのに……! 俺の親友すぐ責任者にチクる!
 ――ドクターってあなたの責任者だったのね。ほら、ちゃっちゃと片付けて! いいかげん帰りなさい! 私は明日仕事なの、あなたと違って!
 ――そうだ、だいたいなんでいるんだ?! 勤務中だろ今の時間!
 ――早退したんじゃない? あなたに会いたくて。仕事をほっぽって。あのスポックが。あの仕事の鬼のスポックが。
 ――や、やめて~! ヒェ……
 ――ヒェ、じゃないです。ほら! もう! ハーブティ見つめながら寂しそうな顔してる人にごねる権利はないわよ!
 がたん、ばたん、とにぎやかしい音を立てるリビングに、スポックは肩身の狭さを感じる。彼らの会話に言いたいことはいくつかあったが、努めて胸中に仕舞い込んでいると、やがて押し出されるようにして、廊下にカークが現れた。
 突然家に押しかけてきたときのように、大きなバッグを提げている。けれど、その表情はふてくされていて、床を睨みつけながら唇をゆがめている彼は、軽装なのも相まって、まるでハイスクールの男の子のようだった。まつげに隠れる青い目を、スポックはただ呆然と見つめる。
 たった一晩だ。
 たった一晩、会わなかっただけなのに、彼の姿はまるで新鮮に映った。5年探査中、補給に立ち寄った惑星などで、数日会わないときなんて普通にあったはずなのに。そう思うと、ふたり暮らしを始めてから数か月、1日を置いて彼と離れたことはなかったことに気づく。結局、泊まりがけで支部へ詰めるようなことは、一度たりともなかったのだ。いつだって、彼に会いたくなって、うまく仕事を片付けていた。それはもしかしたら、彼のほうも同じだったのかもしれない。
 目の前にジム・カークがいる。それだけで、寂しさに安堵が補填され、そのまま愛しさに変換される心情を、明確に自覚できる。
「ジム」
 そっと呼びかけると、彼はひくんと微動した。それから、しばらくの逡巡をもって、のろのろと足を動かす。カークは目の前まで歩いてくると、うつむいたまま立ち止まった。呼吸をしていないのではないか、と思うくらい、静まり返っていて不安に思う。
 もう一度、呼びかけようとした瞬間、彼はぱっと踵を返した。
 けれどその前に、彼の背後につけていたウフーラによって、カークは後ろから両手で顔を固定される。
 ほとんど強引に、真正面から目が合った。カークはもぞもぞと動きながら、けれど合わせた目は逸らさない。逸らせないでいるようだった。そのうちに、見開かれた双眸は、悲しげにしかめられる。
「無理泣きそう」
「立ち向かって」
 ウフーラは譲らなかった。そんな彼女に目をやると、彼の肩越しに視線がぶつかる。
 一瞬、揺れた虹彩と、それを凌駕する強さ。まるで戦いを挑むような、彼女こそ立ち向かっているような双眸に、スポックは息をのんだ。
 こちらのたじろいだ様子を見て取ったのだろう、ウフーラは不意に、口角を持ち上げる。
 そして妖艶な笑みを浮かべると、カークの片頬を片手で引き寄せ、伸び上がって彼の顎にキスをした。
 張り詰めた糸のような表情だったカークは、一気にきょとんと幼い顔つきになる。それから勢いよく振り向いて、素っ頓狂な声を上げた。
「ん?!?!!」
「だって、こんなにも愛されててずるいじゃない? これくらいの仕返しはいいかと思って」
 ウフーラはにっこりと笑みを浮かべると、そのままカークを押し出した。驚き動転しているカークは、足元がふらふらになっていて、簡単にこちらまでなだれ込んでくる。ちなみにスポックは完全にフリーズしていたので、ウフーラが扉を開けるのも、ふたりまとめて問答無用で叩き出すのも、完全に見送ってしまった。気づけば押し出されて外である。
「ん?!?!!」
「じゃあ、またね、ふたりとも!」
 そんな言葉を残して、ウフーラは勢いよく扉を締め切った。カークはとっさに追いすがろうとしたが、伸ばした手の先で施錠音がして、びくりと指先を握り込む。そのまま扉をじっと見つめて、やがて一瞬だけ、こちらを振り仰いでから、彼は肩を落としてとぼとぼと歩き出した。
 スポックは、静かに肩を並べる。カークはうつむきがちにしているが、逃げ出すような様子はなかった。こちらが足を止めれば彼も立ち止まり、車を拾えば素直に乗り込んでくれる。
 複雑な気持ちだ、いろいろと。
 こんなにもごちゃごちゃした、まるで散らかった感情を、整理しないままにしておくのはひどく困難だった。常日頃、こんなものを持ちながらも平気な顔をしている、地球人のほうがよほどすごいのではないかと思う。
 隣を見ると、カークは静かに座っていた。
 彼はただ無表情で、窓の外を眺めている。白い光に照らし出された、遠くを見つめる横顔は美しかった。その澄んだ眼差しをこちらに向けてほしい、と思う。今すぐ彼の腕を引いて、この胸に抱き込んでしまいたい。誰にでも愛される彼を、自分だけに許された愛し方で愛したい。
 昨日の夜、マッコイの部屋から自分の家に帰ってきたときの、あの静寂に満ちたうそ寒い暗がりを思い出す。
 ひとりきりの、本来であればそれが普通だったはずの、寂しいリビングで。
 スポックは、こう思ったのだ。
 ――あなたがここにいてほしい。
 きっと一生、自分はそれを欲するのだろうと思う。何をしても、どうあがいても、誰といても、いなくても。



 自分たちのマンションにたどり着いて、連れ立ってエントランスを抜ける。そして、ごく自然にインターホンの前に立ったカークは、しまった、という顔をした。
 今の彼の生体は、『合鍵』として機能しない。沈黙するドアと、彼の後頭部をスポックは見つめた。自分でそのようにしておいて、カークは少し傷ついている様子である。勝手な人だった。こんなにも勝手な人なのに、傷ついている彼が愛おしい。
 スポックは生体ではなく、横から手を伸ばしてパスコードを打ち込んだ。
 開いた扉を前に、カークは少し立ち尽くす。スポックが待っていると、扉が再び閉まる前に、彼は歩き出してくれた。ふたりの部屋の前まで来て、やっぱりカークは立ち止まる。開錠された玄関は、彼がそうしようと思えばすぐにでも、彼を歓迎するというのに。
「勝手にいなくなってごめん」
 扉を見つめたままだったカークは、やがてぽつりとそう言った。彼の隣で、それを静かに聞いていると、ずっと目を逸らしてうつむきがちだったその顔が持ち上がる。叱られるのを待つ子供のような、いとけない姿だった。怯えがにじむ眼差しは、それでも何より愛おしい。
「でしたら、あなたの本心を聞かせてください」
……それが、入る条件?」
 まっすぐと見返して交換条件を出すと、カークはへにょっと眉を下げる。触りたい、と思いながら、スポックは努めて真顔を貫いた。
「そうしたいですが、だったら帰らない、と言われる可能性がある」
「そんなこと……
「その場合、私はあなたをこの扉の中に放り込んで、本心を吐かせるあらゆる手段を講じながら、閉じ込めることになるでしょう。あなたの副長がそのような犯罪行為に手を染めることを阻止したいのであれば、あなたは譲歩すべきです」
――なんて?」
 手始めに、強めの発言をしてみると、ずっと気まずいような、神妙な顔をしていたカークは驚きの表情を作る。目を見開いて凝視してくる眼差しに、スポックはすっと顎を引いて頷いた。
「私はあなたをこの扉の中に放り込んで」
「ちょ、ちょ、ちょ、いい、いい、分かった、なんっ……、君、すごい脅し方をする……
「私はそれほどに傷つきました」
「す、素直。待って、ごめん、それ以上スポックを人質に取られると俺が持たない。分かった、ごめん、俺がとてつもなくひどいことをしたって実感した」
「では、本心を聞かせてください」
「し、心臓に悪い……。分かったよ、全部、偽りなく、本心を」
 はあ、と大きく息をついて自分の胸に手を当てるカークは、尾を引く動揺に包まれながらも、片手を挙げて宣誓する。
 なるほど、とスポックは思った。素直な気持ちを吐露したら、素直な気持ちが返ってくる。アクションと、レスポンスだ。このまま吐露し続けたとして、マッコイたちが言うように、何かが変わるのかは分からない。けれど、どちらにしろ、どう言い繕ったって、自分には彼を手放す選択肢がもはや存在していないのだ。今回のことで、それを心から思い知った。
 だとしたら、確かに、もう手段を問う段階ではないのかもしれない。
 あらゆる手を尽くせ。自分たちはそのようにして、キャプテンに鍛えられている。
「私も、そうします」
「君も? 君はそもそも嘘なんかつかないだろ」
「はい。ですが、言わないでいることはあります」
……そっか。分かった、お互いにだな」
 カークは、ささやかに微笑んだ。そのゆるく持ち上がった口角を、とても愛おしいと思う。そして彼はそっとドアを開けると、慎重に呼吸した。押し込んでしまいたい衝動を握り込んで、そんな彼を隣で待つ。
 1歩、中に踏み込んだカークに、それでもスポックは安堵した。
「おかえりなさい、ジム」
「ちょっ、やめてくれ、泣いちゃう」
 背を向けて歩くカークは、揺れた声で訴えながら顔を覆う。たった一晩、いなかっただけなのに。寂しさが愛しさに変換される心情を、彼も感じていたらいいと思った。



 荷物を置いて、ふたり並んでいつものソファに座って、スポックは体を彼のほうに向けた。カークはそれに少しだけ笑ってから、腿の上に置いた自分の手をもじもじと動かす。その頼りなさに心が動いて、スポックは自身の手のひらで、彼の両手に蓋をした。
「船が完成するまでのつもりだったんだ」
 そのうちに、彼はぽつりと、そんなふうに白状を始める。
「ほんの少しだけ、ちょっとしたご褒美みたいに。俺の人生のホリデーのつもりで」
「ホリデー?」
「試しに、好きなだけ君のそばにいて。それで満足するつもりだった」
 試しに、と聞いて、スポックは彼の手を取った。そっと握って引き寄せても、彼は目立った抵抗を見せない。
 ふたりの間につないだ手を挟むと、カークは自嘲の強いひねた笑みを浮かべた。
「けど、いざ出航が決まったとき。俺は一瞬、このまま船が飛ばなきゃいいのに、って思った」
「ジム」
「キャプテンなのにな。それが、すごく怖くて」
 そのとき、彼はごく嬉しそうに、まったくはしゃいだ様子だったはずである。本当にこの人は、とスポックは痛感するような心地だった。自分の知らないところで、彼はきっと、こうしてたくさんの嘘をついてきたのだろう。今までについてきたすべての嘘を、余すところなくばらしてほしいと思う。
 ぎゅっと手を握ると、カークは質の悪い笑みをほどいた。そのまま崩れた表情は、もう片方の彼の自由な手によって隠される。
――俺は、どんどん君を好きになるばかりで」
 あえぐように、切なく響く告白だった。かすれそうなその甘い声を聞きながら、スポックはつないだ手を開いて、彼の指の間を割る。
 強く握ってきたのは、今度はカークのほうだった。
「どんどん貪欲になって、ずるいことも、みにくいこともたくさんして、君をつなぎとめようとして」
「構いません、ジム。私は」
「俺が、だめなんだ。俺が、我慢ならなくなった」
 ぶんぶんと拒むように、彼は首を横に振る。振り乱された髪のひと房に目を止めると、彼は覆っていた手を下ろしてこちらを向いた。
「俺は君にとって、良いものでありたいんだ。君をかき乱すようなものじゃなくて」
……良いもの」
「たとえば君が、素敵なヴァルカン人の女性と結婚して、ニュー・ヴァルカンの一等地にある伝統的な家で、かわいいペットなんかを飼いながら、安心して暮らしてる。そしたら俺はときどき君んちに遊びに行って、君の子供を抱き上げて、丸いほっぺにキスをして、今日もかわいいなって、親父に似なくて良かったなって言うんだ。でもきっと君の子供だから、不用意な接触は控えてください、ジム、なんてくそ真面目な顔で忠告される。そしたら見てたのかってタイミングで君も現れて、そのとおりです、キャプテン、っていつものように俺を叱りつけるんだ。それからお土産を君のパートナーに渡して、一緒に楽しく食事して、俺はまたなって帰ってく。そういう人に、俺はなりたい。本当に、俺はそういうのが見たくて」
「それは、私がヴァルカン星に対する義務を果たしたい、と言ったからですか」
 こちらこそ我慢ならなくなって、スポックは途中で彼の言葉を遮った。カークは口を開けたまま、少し目を丸めて言葉を失う。
 ぽかんとした、その無防備さに、スポックは眉を寄せた。
「私がそれを引きずってでも、あなたを選ぶと言ったからですか」
「そうじゃない。そうじゃない……、俺は本当にそう思っていて」
「そうですか。でしたらきっと、それもあなたの本心なのでしょうね」
「う、嘘じゃない」
「はい。本心というものは、意外とたくさんあるものです。私はこのヨークタウンで、それをよく学びました」
 言葉にしているうちに、だんだんと腹が立ってくる。確かに彼は、意固地で身勝手だ。どうしようもなく馬鹿で、とんだ甘ったれ。あのふたりの確かな視野を、いつか獲得してみたいと思う。きっと世界が変わるだろう。
「ですから、ジム」
 スポックは真剣に、彼と目を見合わせた。真摯に、すべての感情を乗せるように。
――論理を置いて、正しいと感じることをしてください。そうすることが、あなた自身のためになります」
 とっておきの宝物を見せるように。
 スポックがその言葉を告げると、美しい虹彩は惑って揺れた。
 この言葉の意味を、おそらくカークは知らないだろう。けれどきっと伝わることはあるし、もちろん正直な本心だ。
 つなげて絡めた手の親指で、そっと彼の手の甲を撫でる。ひく、と身を揺らしたカークは、宝石のような青をにじんでうるませた。彼の手から伝わる感情は、めちゃくちゃで、ごちゃごちゃだ。あらゆるものがスパークして、けれどやっぱり、スポックに心を奪われている。
 こんなにもあけすけになってしまっているのに、とスポックは思う。彼はそれに、気づかないのだろうか。彼ほどの聡い人が。
 気づけなくなるほど、溺れてしまっているのだろうか。だとしたら。
「次、勝手にいなくなったら、あなたに首輪をつけます」
……えっ?!」
「あなたが勝手に私の将来を決めるのなら、私だってあなたを好きなようにする。ここにいてほしいと言いましたよね? あなたも確かにそう言いました。忘れたとは言わせません」
「ス、スポック」
「あなたは噓つきだ。そしてとてもずるい。けれど、私はあなたがそういうものであると分かりました。ですからどうぞ、あなたは好きなように、好きなだけ話してください。そのうちの何を信じるかは、私が決めます」
 放心するのではなく、素直に驚いているような顔はかわいらしかった。スポックはつないでいた手をほどき、彼の手を伝って手首を取る。触れるだけでなく握り込むと、カークはぱちぱちとまばたいた。
 そんな油断した彼の体を、ぐい、と引き寄せてこちらに向かせる。
「ジム、あなたは私のものだ」
 それから、はっきりとそう宣言してやった。
 彼はひゅっと息をのむ。構うものか。
「あなたのそのこんがらがってごちゃごちゃとした、とても面倒くさいものも、すべて私のものだ」
「う……
「ですから、いいかげん慣れてください、私に」
「ううう」
 ううう、と言いながら、彼は両目をぎゅっと閉じた。掴んでいた手首を掴み返されて、スポックは彼ごと腕を引く。
 乗り上げるようにして抱きついてきたカークを、スポックは抱きしめた。膝の上に抱えるようにして、そのぬるい体を腕の中に収める。
 肩口で、カークはうーうーと唸ったままだ。保護された動物のようだと思いながら、後頭部を撫でてうなじに手を添える。速いテンポの心音と、情緒に合わせて乱れた呼吸。なだめるように背中を撫でながら、スポックは耳の後ろに鼻をうずめた。そのまま首筋に口づけを落とせば、カークは息をひっくり返らせる。
……こんなふうに、君を好きになってしまいたくなかった。きっと地獄に落ちる」
 しゃくりあげるように震えながら、彼はそんな馬鹿なことを言った。スポックはそっとその背に手を置いて、優しく身を起こして顔を見合わせる。
 水気の多い双眸に、じわりと赤らんだ頬。夜に怯える子供のようでもあるし、はらんだ欲をひた隠しにする大人のようでもある。
 逸らされることなく熱心に見つめる瞳は、何よりも雄弁だ。
「それならふたりで探査しましょう、その未踏の領域を。実際上陸してみたら、案外楽園かもしれない」
 そのように提案すると、カークはぱちりと瞠目する。それからふっと、柔らかく笑み崩れるように、泣き笑いの表情を浮かべた。
 世界で一番愛おしい。