はるの
2022-08-08 22:36:46
117528文字
Public スタートレック
 

未踏の楽園

全年齢|AOS spirk|2021.4.15|STBのあと、ヨークタウンでふたり暮らしをするジムとスポックがそのうち付き合う話。「そのうち付き合うタイムライン(https://privatter.me/page/65a92eff4fa14 )」シリーズの集大成になりますので、シリーズ内他作品からの遠慮ないエピソード引用を含みます。



 クリーニングした服は、ちゃんと畳んで専用の衣装箱に仕舞う。今まではそのへんに置いておくか、ハンガーごとクローゼットに突っ込んで終わりだったのに、カークがこうも甲斐甲斐しく衣類を管理しているのは、もちろんスポックのせいである。
 この家へ来た当初、そのへんに適当に置いていたら、活きのいい小言と共にクローゼットの整理が始まったのだ。スポックはわざわざカーク専用の衣装箱を用意して、テキパキと物を重ねたり、場所を移動させたりしながら、クローゼットに空間を用意してくれた。パズルのようにすっぽりと収まった自分の衣装箱には、主に部屋で着ているTシャツなんかと、ジョギング用のウェア、たまの外出用の服に、ぱんつなんかが入っている。ハンガーポールには制服やアウターをぶら下げていて、箱の裏側には、ここに来たときに持ってきたダッフルバッグを詰め込んでいた。
 もちろん、クリーニングしたものを放置していても、小気味よく小言が飛んでくる。特別にそれを聞きたい気分でなければ、カークはこうしておとなしく収納に精を出していた。
 今日の分を詰め込み終わってから、もう古い分はいくらか捨ててもいいかもしれないな、と思いつく。そうと決まれば、暇なカークは話が早かった。箱を引っ張り出してきて、あれこれと取り出してはベッドに投げる。要るような、要らないような。迷ったときは捨ててしまうことのほうが多い。
 そうしてクローゼットを覗き込んで、ごそごそといろいろ見ていると、ふと、上付きの棚に詰め込まれている、不織布の塊に目が留まった。かつてスポックが使っていた、彼専用の分厚い布団である。カークは少し考えて、そろりとそれに手を伸ばした。慎重に引きずり出してきて、両腕でキャッチする。
 怒られそうだな、と思いながら、不織布の中から布団を引っ張り出してみた。厚いが軽い、ふかふかした上等の上掛けである。少しだけうずうずしたあと、思い切って、それにまふっと抱きついてみた。埋もれるようにしていると、押し入れのまっさらな香りがする。スポックの匂いはさすがに飛んでしまったようだった。
 まふまふと抱きつき直しながら、寝室の真ん中で感動的なハグをしていると、なんだかおかしくなってきて、カークは笑いながら体を離した。布団はベッドの上に置いて、今度はクローゼットの反対側、カークがいつも使う扉の隣を全開する。
 スポックのスペースは、まるで律義さをそのまま写したように整然としていた。ぶら下がっているヨークタウン支部の制服に、カークは迷わず抱きついてみる。洗濯済みのそれは清潔な香りがして、やっぱり彼の匂いはしなかった。けれどなんとなく、スポック感があって嬉しい。たぶん、気のせいだけど。
 だんだん楽しくなってきて、カークはスポックのハンガーを次々にめくってみた。居住時間はほぼ同じのため、自分と比べて数が多いというわけでもない。一番端に、また不織布で覆われたハンガーがあって、めくってみるとそれはヴァルカンローブだった。
 う、うわーっ、と内心で歓声を上げて、そろそろと不織布をめくり上げる。黒を基調とした、シンプルなつくりのものだった。けれど民族衣装だと分かるエキゾチックさはあって、とても彼らしい。ヨークタウンでも手に入るんだなあ、とカークは素直に感嘆した。今や絶滅危惧種のヴァルカン人とはいえ、その文化知名度は有数である。さすがの大型ハブ港を持つ最新鋭スノードームには、こういった供給も存在するのだろう。
 何か種族の集い的なものがあって、必要に迫られて買ったのだろうか。それとも、ひとり一着は持っていないと落ち着かない文化なのだろうか。
 そんなことをぼんやりと考えながら、何となく、その身頃を自分の体に押し当ててみた。クローゼットの扉に手を伸ばして、その裏に備え付けてある姿見でこちらを映す。
「似合わないなあ」
 あまりの似合わなさに、カークは吹き出して笑った。首から上が浮いて見える。そりゃそうだろう。
 ヴァルカンというものは、自分の正反対にあるものだ。たとえばどんなに世界が枝分かれしたとしても、きっと自分がヴァルカン星に生まれつくことはないだろう。
 感情的で、野蛮な地球人。それを恥じたことはない。



 結局、服の断捨離も中断して、スポックにばれないようにすべてを元どおりにする工作に時間を費やした。
 そうこうしているうちに彼が帰ってきて、いつもどおりにダイニングカウンターを夕食の席にする。
 清楚にカトラリーを動かしているスポックを見つめながら、でも服のことくらいは訊いてもいいのではないか? と、カークは自分の好奇心を優先することにした。
「クローゼットをちょっと整理してたんだけど」
「不要なものがあればまとめておいてください」
「あ、うん、まあそれはなかったんだけど」
「なかった?」
「ちらっと君のほうのクローゼットを覗いたら、ヴァルカンローブが吊るしてあって」
「好奇心旺盛な猫ってこんな感じでしょうね」
「君の嫌味が日々レベルアップしてる気がする……、そこは急成長しなくていい」
「勝手に人の押し入れを見るとは何事ですか」
「心にもないことを。だとしたら好きに過ごしていいなんて言わない」
「主題は?」
「あ、逃げたな。まあいっか。いや、民族衣装だな~って」
「そうですね。それそのものです」
「すげー重ね着してるイメージあるけど、あれ暑くない? それとも結構ひらひらしてるから、意外と涼しかったりする?」
 こてん、と頭を傾けて、気になったことを問いかけると、スポックは手を止めて、きょとん、と同じ方向に首を傾げた。かわいい。その、思ってもみなかった、という雰囲気の彼を見て、ああもうちょっとシリアスなことを訊かれると思って身構えたんだな、と分かった。
 カークは安心させるように、スプーンを咥えて無邪気な笑みを作る。スポックは小さく片眉を上げてから、ごく何気ない調子で食事を再開した。
「着てみますか?」
「へぇっ?」
「気になるのでしたら」
「え、あ~~……
「なんですか、その反応は。興味がないなら結構です」
「興味ないわけないだろ君のことなのに。でもたぶん、似合わないぞ」
「似合わせるためにあつらえるものではありませんので」
 彼の提案を気軽にのんでいいものか、とっさに判断できずに決めかねていると、スポックはごくシンプルにあの民族衣装のことをそう説明する。それがとてつもなく、らしくて、カークはなんだか笑ってしまった。すると柔らかい頭がひらめいて、良いことを思いついた、と口角を持ち上げる。
「なら、交換条件だ」
「交換条件?」
「衣装交換しようぜ」
「何故。厳密に言うと着衣は私からの要望ではないので、交換条件は成り立たな」
「君も俺の服を着ろよ。似合わせるためにあつらえた、君には似合わないやつを」
 にやにやしながらスポックの反論にかぶせて言って、カークは彼の顔を覗き込んだ。下から見上げるようにしてやれば、露骨に笑いものにしようとしている算段が伝わったのだろう、スポックは眉をひそめて嫌そうな顔をする。とてもかわいかった。



 シャワーも済ませてしまったあと、ほぼ虚無の表情になっているスポックを、カークはクローゼットの前に引っ張り込んだ。彼はそのへんに立たせておいて、自分はいそいそと衣装箱を引っ張り出し、昼間の再現を披露する。
「わざわざそのように中身を散らかす意味は……
「気分」
「でしょうね。知ってました」
「成長したなあ~スポックくんは」
「こんな成長はしたくありませんでした」
 そんな適当な会話を投げながら、カークは散らかった服を前に腕を組んだ。ううん、と考え込んで、めまぐるしく思考を回転させる。
「とりあえず、タンクトップかな。腕見せしよ、腕見せ」
……断りたいのですが」
「交換条件って言っただろ」
「破綻した交渉だと申し上げました」
「よし、これ着よ! これと~」
 問答無用で服を手渡せば、それでもスポックは受け取って、けた外れの不服さを醸し出しながらも、しぶしぶと着替えてくれた。こんな馬鹿な上官に引っかかって、スポックは本当にかわいそうだ。カークはわざとらしくにんまりと笑ってから、再び衣装箱に手を付けた。あれこれ言いながら悩んでいると、後ろからスッと、スポックが着ていた服が畳んでベッドに置かれる。
 振り返ると、ロックなプリントのタンクトップで、散らかした服を拾って畳んでいる、胡乱げな雰囲気のスポックがいた。丸い肩からしなやかに伸びる、滑らかな隆起を持った二の腕がまぶしい。スーパー着やせ星人の本領発揮である。
「ヴァルカン人め……
 思わず、恨みがましげにそう言ってしまった。気づいたスポックは顔だけをこちらに向けて、ひょいと軽快に片眉を上げる。
「突然なんですか」
「普段草ばっか食ってるのに……、なんなの……
「何か不都合でも?」
 そんなふうにきょとんとしているのがまた罪深い。
 カークはほとんどやけになって、彼を慌てさせようとスポックのズボンに手をかけた。けれどやんわりと、しかし断固とした態度で、先に履くものをください、と彼は主張する。どうせなら膝丈のハーフパンツでも履かせてやろうかとカークは思った。
 着替えさせるたび、彼は迷宮に迷い込んだような表情を加速させる。それが面白くて、調子こいたアクセサリーを首に提げて、発掘したキャップもかぶせてみた。全体的に、真夏のリゾートにいそうなチャラい兄ちゃんの装いである。キャップと一緒に見つけたサングラスも開いて、眉を寄せる彼の耳にかけてしまえば、ぱっと見ではもう誰か分からなくなってしまった。
「誰だこれ」
……同胞に見られたら、気が狂ったと思われるでしょうね……
 姿見まで連れていって彼を立たせると、スポックはしみじみとそう感想を述べる。逆に感嘆してしまったような、そんな彼の態度に笑いつつ、カークも横から鏡を覗き込んだ。
「誰だこれすぎて普通にそのへんにいそう。腹が立つほどスマートだな」
「スマートは褒め言葉では? 腹が立つ理由がありません」
「言ってることはすがすがしいほどスポックだ」
「サングラスは視界を確保しづらいですね」
「夜だし部屋の中だしな。スポックおじいちゃんもだけど、君にもとってもよく似合うよ」
「そう言うあなたが半笑いでなければどんなに良かったか」
 せめてスポックだと分かるように背後からキャップを取り去ると、わさっと跳ね上がった髪が乱れてかわいかった。嬉しくなって彼をこちらに向かせてから、いそいそと髪を直してやる。ふと気づくと自分の様子がサングラスに映っていて、そのまるっきりでれでれとした顔つきに、うっかり気まずくなってしまった。思わず顔を背けると、向けた頬にスポックはキスをする。
「外しても?」
 驚いて彼を見やれば、再びサングラスが出迎えた。
 映るのは、完膚なきまでに恋に落ちている、そんなふうな馬鹿の顔だ。いたたまれなくて仕方ない。
 カークは無言で両腕を上げると、彼の顔から忌々しいサングラスを取り去った。



 サングラスを片付けて、その他散らかした服をおとなしく仕舞い込んでいると、スポックは浮かれた格好のまま、自分のクローゼットに手をかけた。
 あ、と思っているうちに、彼は昼間見つけたローブを取り出してきて、丁寧にカバーを剥ぎ取る。
「着ませんか?」
 驚いているこちらに驚いたのか、振り返ったスポックはやや瞠目して、静かにそんな問いを寄こしてきた。
 カークは少し迷ってから、子供のように首を横に振る。
 少しの好奇心と、何かとてつもない覚悟を必要とする直感。
 急に静かになってしまったカークには何も言わず、スポックは粛々と服を着せていった。ほとんどすべての工程を彼の手に任せながら、なんだか遠い昔の偉い人になった気分だ、とカークは思う。王宮とかに住んでる王さまだ。その玉座に座る資格が、自分にはあるんだろうか。
 布をかけて、布で締めて、布をかけて、そうして出来上がっていくなんちゃってヴァルカン人は、やっぱりものすごく似合わなかった。
 できました、と連れてこられた鏡の前で、ひどいなこれは、と真顔で観察する。
 ぼけっと立っている自分の背後で、鏡越しにこちらの様子を見つめるスポックは、反して非常に熱心な態度だった。
……どう?」
 少しだけ両手を開いて、軽く首を傾げて笑う。
 スポックはゆっくりとまばたくと、まるで割れ物に触れるように、慎重に口を開いた。
……少し、言葉にしがたいです」
「似合わないって素直に言ってもいいんだぞ」
「いえ、そういうことではなく……
「そう?」
――失われたものと、失わなかったものを、このように見ていると」
………
「いえ、失った、わけではないのですが。文化自体は。けれど、でも」
………
「失う、ということが、とても」
 彼の表情はごく穏やかで、静かに戸惑いを伝えている。けれど、ひどく切ないような思いや、懐かしいものを慈しむ心や、美しいものを思いやる、その気持ちが、ありありとその双眸に浮かんでいるように見えて、カークは勢いよく振り向いた。自分のほうが泣いてしまいそうになって、こんなふうな彼を世界から隠してしまいたい衝動に駆られて、わずか虚を突かれたようなスポックの腕を取り、そのままクローゼットに引っ張り込む。そうして何も見えないように、カークはそっとその扉を閉じた。
……ジム?」
 クローゼットの中は、先ほどカークが引っ張り出した、自分の衣装箱分のスペースしか空いていない。がちゃ、とハンガーの音を立てながら服の間に滑り込むと、すぐそばにスポックの吐息を感じた。細く開いている扉から、直線に光が差し込んでいる。
 口を開けば余計なことを言ってしまいそうで、カークはスポックに抱きついた。体の周りに布が多くて、なかなかに密着しにくい。けれど、厚い布の向こうからでも、触れていればだんだんと、相手の体温を感じることができた。そのように、時間をかけて、自分は彼に触れてきたと思う。自分の存在を、感じてほしかったから。
「戸棚に隠したくなりましたか?」
 スポックは腕をこちらに回すと、優しいふれあいで抱き寄せた。彼の腕はむき出しのはずだけれど、この服ではそれが分からない。
 でも、やっぱり温かかった。
「それ、なんだっけな」
「忘れてらっしゃるのなら、それに越したことはないです」
「俺の愛は――
 かつて、ふたりで夜の道を歩きながら、交わした会話を思い出す。
 ジム・カークの持つ愛情を、まるで素晴らしいもののように言ってくれたスポックが、怖くて、それに申し訳なかった。自分の愛はそんなきれいなものじゃなくて、きっとどうしようもない、自分本位の何かでできた、不埒でいびつなものだからだ。
「君にとって、良いものになるのかな」
「あなたは私の北極星です、ジム」
「君にとって、良いものでありたい、スポック」
 暗がりの中で、はっきり顔も見えないからだろう。カークはいつになく素直に、自分の口が動いているのを感じる。
 目を閉じて、祈るように、彼の肩口に顔をうずめると、スポックは丸い耳に口をつけて、抱き寄せる腕に力を込めた。
「いつか言いましたが、あなたはすでに良いものです」
 カークはその優しい声音を聞きながら、穏やかな彼の呼吸に耳を澄ませる。
 すがるように抱きつくと、すがるように抱きすくめられた。遠い、けれど確かな、体温。まるっきり泣けてきそうだった。彼をうんと大切にしたい。死ぬまで一生そうしていたい。
 腕の中でしばらく、呼吸と脈拍の音に包まれてから、体を離してクローゼットの扉を開けた。明かりの下に出てくると、お互いのちぐはぐな格好を改めて目の当たりにすることになる。ふたりで顔を合わせたあと、スポックは困った表情で目を逸らし、カークは小さく吹き出した。