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はるの
2022-08-08 22:36:46
117528文字
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スタートレック
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未踏の楽園
全年齢|AOS spirk|2021.4.15|STBのあと、ヨークタウンでふたり暮らしをするジムとスポックがそのうち付き合う話。「そのうち付き合うタイムライン(
https://privatter.me/page/65a92eff4fa14
)」シリーズの集大成になりますので、シリーズ内他作品からの遠慮ないエピソード引用を含みます。
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見知らぬ相手からの着信を見て、ウフーラは端末をベッドに放り投げた。
そのまま振り向いて、ストレッチの続きを再開する。マットを敷いた床の上に開脚して、ぐっと上体をひねっていると、そのうちに着信音は途切れた。あとで通信先をチェックしておこう、と思いつつ、片足を曲げたところで、再び呼び出しの音が鳴る。
やり過ごそうか迷いながら、体勢をキープして10秒、ウフーラは特大の溜息をついた。姿勢を解いて立ち上がり、鳴り続ける端末を一瞥する。きっと、間違い電話か何かだろう。一時的に立ち寄ったこの人工惑星で、見知らぬ人物から連絡を受けるような用意はない。普段からやり取りのあるクルーの面々なら、連絡先を登録しているからだ。
ぼすんとベッドに座り込んで、端末を手繰り寄せた。1回目と同じ、見知らぬ相手からの着信である。長々と鳴り続けるそれに、緊急事態なんだろうかと想像しながら、ウフーラは通話をつなげて相手の出方を待った。
『
……
ウフーラ?』
こちらが何も言い出さないでいると、やがて聞き慣れた声がぽつりと落ちる。
「ジム?」
驚いて、とっさに時計を見やった。もうずいぶんと遅い時間である。ストレッチが終わったら、適当な雑誌でも読みながら1杯飲んで、寝ようと思っていたところだ。それに、彼の私用端末は、ちゃんとこの機体に登録されている。
『今から、そっち行ってもいい?』
どこから何で連絡をしているのかは分からないが、彼の声はまるで泣き出しそうだった。
息苦しそうに、か細く差し出される、そんな声を、ジム・カークほどの人物であっても内に秘めているのか、と驚嘆するような衝撃がある。ウフーラは丸めていた目を閉じて、通話音に耳を澄ませた。たくさんの靴の音、じゃあね、ばいばい、そう交わす女性の声、車の起こす風の音、遠くでモノレールが滑車して、街路樹は循環風にささやかな音を立てている。そんな雑踏の中で、ほとんど息をひそめているような、心もとない呼吸の音。
「場所は分かるの?」
『艦長権限で調べた』
「それは越権行為です、キャプテン」
『うん、ごめん。どんな罰則でも受けるよ、君からなら』
「
……
何分で着く?」
『あ、えっと
……
、10分くらいかな』
「じゃあ、10分きっかり後に来て」
『ウフーラ』
「なに」
『
……
行っていいの?』
「そう聞こえなかった?」
『聞こえました。ありがとう』
こちらのわざとらしくからかうような言い方に、カークは少しだけ笑うと、素直に感謝を申し出た。これはちょっと、相当弱っているな、と思いながら、ウフーラは通話を切る。はあ、と体の中の余計なものを全部吐き出すような溜息をついて、ぼんやりと天井を見上げた。
きっと、ものすごく、繊細な話をすることになるだろう。
どうか私の心が、穏やかで、優しくありますように。
目を閉じてそう祈りを捧げてから、ウフーラは立ち上がった。ヨガマットと、見える限りに散らかっているものたちを回収して、クローゼットの中に押し込む。
きっかり10分後、インターホンが鳴った。カメラに映った宇宙艦隊最年少キャプテンは、まるで家出少年のようないでたちで、所在なさげに立っている。このところだいぶ艦長らしく振る舞うようになってきたと思っていたのだが、こう見るとあの頃の、最初に出会ったアイオワでの彼と、あまり変わっていないようにも見えた。持てるものを持て余して、やり方が分からないでいる、そんな不器用な男の子だ。
玄関で彼を迎えれば、映像そっくりそのままの、迷子の様子のキャプテンがお目見えした。目が合うと、気まずそうに、でも逸らすことはなく眉尻を下げて、片手で首を押さえつける。
「突然ごめん」
「いいの。けど条件がある」
「条件?」
「この部屋に入ったら、嘘偽りなく、あなたの本心だけを話して」
まっすぐに見据えてそう言うと、彼は目を丸くして息をのんだ。それからゆっくりと、首に置いていた手のひらをこちらに向ける。そんな宣誓のポーズで、カークはやたら情けなさそうに、やっぱり泣き出しそうにして、ふわりと小さく微笑んだ。
「スポックに愛の告白でもされた?」
彼を部屋に案内しながらそう尋ねると、背後でカークは派手につんのめった。え、何この隙だらけのキャプテン、とやや半眼になるような心境で振り返ると、もう目もうるうるしてしまっている男の子が、頬のてっぺんをほんのりと赤く染めている。ウフーラはあきれた顔で、ダイニング兼ワークデスクになっている机から背もたれつきの回転椅子を引いてくると、カークをそこへ座らせた。自分は一旦キッチンへ向かい、アルコールを並べている戸棚を開ける。少し考えてからジンの瓶を取り出して、アイスペールにたくさんの氷を突っ込んだ。冷えた炭酸水と、カットした果物を入れたタッパーを抱えて、再び彼の元へ舞い戻る。
ドン、と机に置いたそれらに、カークはやや身を引かせた。
その呆然とした表情を一瞥してから、ウフーラは取り澄ました顔でグラスタンブラーを2つ用意し、テキパキとジンソーダを作成する。最近、この飲み方にはまっているのだ。突然やってきた闖入者には、メニューを選ぶ権利などないと思っていただきたい。
自分のグラスにはイチゴを、カークのグラスにはレモンを入れて、彼の分を手渡した。思いつきで、ユニフォームの色にしてみたのだ。彼はぽかんとしたままそれを受け取るので、いいかげんしっかりしなさいとばかりに、ウフーラはグラス同士を軽くぶつけた。
こちらはベッドに座り込んで、勢いよくグラスを呷る。氷同士の合わさる涼やかな音と共に、ドライでしゅわしゅわのアルコールが、喉をキンと落ちていった。イチゴの酸味と甘味をほのかに感じて、今の状況にちょうどいい、なんてことを考える。
「美味い」
ぼそ、とつぶやかれたその言葉に、ウフーラは顔を戻した。カークは両手で大事そうにグラスを包みながら、ひとくちだけ飲んだそれを見下ろしている。彼の足元に置かれたダッフルバッグに目を移し、それからベッドサイドの可動チェストを動かしてくると、ウフーラは自分用のグラス置き場を作った。
「繁殖、なんて理由で振られるのは、この世に私くらいしかいないと思ってるんだけど。むしろ、私以外にはいてほしくないわ」
足を組んで、背筋を伸ばして、強い態度で彼と対峙する。
そのようにして始めれば、ちょうどグラスに口をつけたカークは、思いっきり吹き出しそうになった。
「ちょっと。こぼさないでよ」
「と、突然でびっくりした。こぼしてない、大丈夫」
「そういう話をしにきたんじゃないの?」
あわあわと口元を手の甲で拭うカークに、ウフーラは小さく首を傾げる。こちらを向いた彼はきゅっと唇を食んで、落ち着きなく少しだけ椅子を回した。
「そういう話を、しにきた」
「じゃあ話して」
「
……
繁殖、なんて言葉にしちゃうと、なんだかひどい話だな」
「ひどいでしょ」
「ひどいよなあ
……
」
そうなんだよなあ、なんてぼけっとしたことをぼやぼやと言いながら、彼は目を泳がせて逡巡する。こちらが辛抱強く待っていると、やがて彼はグラスを机に置いて、濡れた指先をこすらせた。それを腿の上につつましく重ねると、口を開いて、一度閉じる。
そうして彼は、スポックをだいじにしたい、と告白した。
彼の繰り出す話は、馬鹿げた妄想に満ちていて、同じだけ真剣な誠実さがあって、全方向に正しくあろうとして進み方が分からなくなってしまったような、そんな迷いに終始していた。まるで途方に暮れたような彼を見つめながら、まるっきり新しいような気持ちをウフーラは覚える。今日、初めて会った人のようだ。それほどに、嘘偽りなく本心を話す彼は、思いがけない構造をしていて、頭が痛く、ろくでもなく、想像以上にけなげだった。
飲まないと白状できない、とばかりに、彼はときどき一気にアルコールを入れるので、ウフーラは彼のグラスが空になるたび、新しいものを作ってあげた。ライムにシナモン、オレンジにブルーベリー。キッチンから香草を持ってきてカークのグラスに入れてやると、それを見た彼は、スポックだ、と言って嬉しそうに笑った。顔はふわりと紅潮していて、それは自分も同じだろう。思考を手放す程度ではないが、いい感じに高揚している。
「あなたって、貞操観念はゆるゆるなのに、変なところで潔癖なんだわ」
グラスを持った手でびしと指差すと、彼はこてんと首をひねる。
「そうかなあ」
「けど、繁殖を理由にするのは愚かだって、あなたと私で合意に至ったはずでしょ」
「そう
……
」
「私が最初に彼から別れを切り出されたとき、まだヨークタウンに着く前だったんだけど」
「うん
――
、待った、そんな前から?」
「え、知らなかったの? ドクター・マッコイは知ってたのに」
「ま、またボーンズ
……
、なんなの? あいつら付き合ってんの?」
「逆に、あなたはいつ気づいたのよ」
「え、あ、あー
……
、俺の、誕生会のあと?」
「にっぶ」
「うっせ。俺はまじで忙しかったんです。ヨークタウンも救わなきゃなんなかったし」
むう、とふてくされた顔をするカークは、子供みたいに足を蹴り上げた。それを微笑んで眺めながら、ウフーラはグラスに口をつける。また、ということは、きっとスポックとマッコイの仲の良さにやきもきするような事件でもあったのだろう。本当に、子供みたいだ、素の彼は。
「もうひとりのスポックと、ニュー・ヴァルカンのために体を使いたい、と彼が言ったとき、ちょっと話が壮大すぎて、頭がうまく働かなくて」
「ああ、うん
……
、まあ、そうだよな」
「でも、結局、私は彼に許可をした。彼はずいぶんと深刻に思い悩んでいて、それは私には解決できない問題だったから。そうすることで、彼の悲しみが少しでも軽くなるのなら、私はなんでもしたかった」
「うん」
「スポックはちょっと、人生から奪われたものが多すぎる。そうでしょう?」
「うん。
――
うん、そのとおりだ」
「そのかけらでも、彼の手に戻せるのなら」
「うん」
「
――
と、思ってたら、彼は艦隊に残ると言い出して」
「
……
うん」
「あなたの誕生会が終わったあと、彼はここに来て、今あなたがいる椅子にこんなふうに座ってたわ」
「え?」
「そして、彼の心情を洗いざらい聞いた。嘘偽りなく、本心をね」
目を丸めた彼は、グラスをちゃぷんと揺らした。無意識にだろう、椅子の端に手を置いて、手のひらで座面をひとなでする。そんな彼のしぐさに小さく笑って、ウフーラは自分のグラスを一気に飲み干した。立ち上がって彼の隣へ行き、ペールの中から溶け始めた氷を追加する。
「どうして」
ぽつ、と落とされた疑問に、ジンの蓋を開けながらウフーラは隣を見やる。カークはまるですがるように、こちらを振り仰いでいた。
「どうして、復縁しなかったんだ? あいつはそういうのを振り切って、ヴァルカンには帰らないって決めたんだろ。だったらよりを戻すチャンスじゃ」
「寝言は寝てからどうぞ。言ったでしょう、私は結局、許可をしたの」
どばっと瓶からあふれるに任せると、ほとんどストレートの炭酸割りになってしまった。果物も入れないシンプルな状態で、ウフーラはベッドへ取って返す。
「一度彼を諦めた。分かる? 私は私のわがままを通さなかったし、通そうと試すことさえしなかった。彼のためと思ってね。けれど結局それは、彼のためではなかったし
……
、この先、同じことがあったとき、私はもう何も言えなくなると思った。絶対に、必ず、彼が彼である限り、この問題は再発するに決まってるのに。けれどそのとき、きっと私には諦める選択肢しかない」
「そんなこと
――
」
「あるわ、分かるでしょ? 一度、そう決めたのよ。私が、納得しないの。私が、正しいと思えない」
自分自身に誓ったことを、決してないがしろにしない。そんなカークだからこそ、この融通の利かなさは分かるはずである。そんな気持ちで彼を見つめたものの、カークはいまだに救いを求めるような、断罪を待つ死刑囚のような、そんな表情のままだった。
そんな顔をしないでほしい。答えを持つのは私じゃない。こうして見つめ合うだけで、それが伝わればいいのに。
「わか
……
、分かるけど、でも、そんなの正しくなくたっていいだろ? 君の愛は本当に本物だ。俺が言うのもなんだけど、ほんとうのほんとうだと思うよ」
「その馬鹿みたいな言い方」
「なんだよ」
「かわいいなと思っただけ。あなたはよくても、私は正しくありたい。言ったでしょう、彼のためなら、私はなんでもしてあげたいの。誰よりも幸せであってほしい。私よりも、あなたよりも。あなたよりもよ、ジム・カーク」
はっきり、きっぱりとそう告げると、カークはぱちぱちっとまばたいた。
死刑囚顔が消え去って満足していると、彼は切なそうに目を細め、両手でグラスを持て余す。
「君は、なんていうか
……
」
「なに」
「すごいな」
「知らなかった?」
「
……
いや、知ってた。知ってたよウフーラ大尉。ああ、なんだってやつは、こんなパーフェクトな素晴らしい人に不義理をしてるんだ」
「不義理はしてないと思うけど。だって、彼は復縁を申し出なかった。その代わり、その椅子に座って、似たようないっぱいいっぱいの顔をして、あなたをだいじにしたいと言ったのよ」
「あああ
……
」
「今、一緒に暮らしてるんでしょ?」
「あう、ん、あ、うん」
「なに」
「で、出てきたけど
……
」
「まあ、そうね。まあ
……
、ほんと、あなた何してるわけ?」
「ひ、ひどい。俺もいっぱいいろいろ、考えて
……
」
「そういう純情そうな顔は全部フリで、本当はスポックをからかってる?」
「そんなことしてない!」
「はあ。いいわ。私、今から明日の欠勤申請を上げるから」
「え」
「あなたは何も言わずに承認するの。分かった?」
ウフーラは立ち上がって、びしっと彼の鼻先に人差し指を突きつけた。ひょっと身を引いたカークは、無抵抗にこくんと頷く。そんな彼に軽く吹き出してから、ウフーラはパッドを取り出すべく、ごちゃっと物を押し込んだクローゼットに手を伸ばした。
「俺はさあ、君たちカップルがすごく好きだったんだ」
ヨークタウン・ミッドナイトを過ぎた頃には、かろうじて理性は手放していない、という感じの、ふたりの酔っぱらいが出来上がっていた。顔に出やすいタイプのカークは、すっかり首まで赤くなっていて、無為に椅子をくるくると回しながら、ふわふわと喋っている。ウフーラは飲み物を水に切り替えながら、今夜、彼はここに泊まっていくつもりなのだろうか、と考えた。それって、どうなんだろう。というか、スポックがものすごい気持ちになりそうだ。それもこれも、この男が面倒すぎるせいなのだが、スポックの面倒すぎるところが遠因と言えばそうなので、つくづく面倒な男たちだとあきれるような心地である。つまり、こんな難儀な連中を、ツートップに据えているわけだ、うちのエンタープライズは。ある意味宇宙一の負けなしだ。そう思うと、少し愉快だった。
「聞いてる?」
「聞いてる」
「俺は君たちがカップルなのが、すごい好きだったなあ」
「失言じゃない?」
「だって、すごくかわいかった。しっかり者のお姉さんと、たじたじの弟みたいで。ほんとうのほんとうに」
「あなたって、嫉妬とかしないの?」
「しっ
……
、ええ」
「だってちょっと変よ、それって」
「する
……
、ような、しないような
……
、見ず知らずの研究チームにさらわれたら、それはすごく拗ねるけど」
「なにそれ」
「ウフーラ、俺もさ。俺も
……
、俺も、あいつのためならいくらでも、なんでもしてやりたいんだ」
「
……
うん」
「でも、それって俺の中での話であって、誰にも、たとえスポックにも、渡したくない感情なんだ。俺の中だけで匿っておきたい。分かる?」
「あんまり」
「肋骨の奥に隠しておきたい。俺はさあ、まともに人を愛したことがないし、たぶんちょっとずれてるんだ。俺が破裂しそうなほど持ってるこの気持ちは、愛なんかじゃなくて、なんだかよく分かんない、ちょっとイカレた何かなんだよ」
「でも、そういうのを普通、愛と呼ぶんじゃない?」
「まず普通が分かんねぇ。なんにも自信がないんだ。俺は昔、人を愛しちゃだめだって忠告を受けたくらいで」
「
……
何それ。誰がそんなこと言ったの」
「んー、世話になった人」
「その人は、私より親しい?」
「え、なに、嫉妬? やだ~」
「答えなさい」
「途端に命令形じゃん
……
。もちろん、君のほうが大事だよ」
「なら、その人の言葉は忘れて、私を信じなさい」
赤い顔でもじもじと手遊びをしながら、とんでもないことを言い出したカークに、とうとうウフーラは立ち上がった。むんずと彼の胸倉を掴むと、ぐいと彼を引き寄せる。ころころと転がってきた椅子の上で、カークは目を白黒させていた。
「な、なに
……
」
「あなたはちゃんと分かってる。そうじゃなきゃ、私はあなたを部屋に上げてない」
「何を」
「愛を。何もかも分かってるはずよ。分かっていて、怯えてるだけ」
「何もかも
……
」
ぽかんとした様子のカークは、どこか遠くを見つめるような眼差しになる。人工的な明かりの下でも、澄んで輝く青の双眸。こんなにも近くで見たのは初めてかもしれない、とウフーラは思った。ほとんど額を突き合わせるようにしながら、なんだか突然に、何かを理解したような心境になる。何をかは分からないし、酔っているだけかもしれない。けれど、彼のきれいさを、同じだけのきたなさを、その目に見たような気がした。
「たくさん生きて、何もかも分かったら、素敵なパートナーを見つけて、かわいいおうちで暮らすのよ」
「ジム?」
「思い出した。その人、そんなことも言ってた」
嬉しそうに、まるで生まれたての子供のように。
彼は純粋な表情で、どこかいとけなく、ふわっと笑う。
ああ、たぶんみんなこうして。
彼もきっとこうやって。
ジム・カークにしてやられるんだわ。
そう思ったらとんでもなくて、ぶわっときた温かい感情の波に襲われて、その衝動のまま、ウフーラは彼を抱きしめた。
「その言葉なら、信じていい。私が許します」
「君の許しなんて、めちゃくちゃ貴重だな」
「だってほとんど予言じゃない? あなたが何もかもを分かった今だからこそ、素敵なパートナーだっているし、かわいいおうちだってある」
「エンタープライズをかわいいって言うと、スコッティが怒るんだけど」
「怒らせときなさい、嬉しいのよ彼は」
「言うねぇ」
ぽんぽん、と背中を叩かれて、ウフーラは顔を上げる。カークは安心したような表情で、にこにこと笑っていた。そんな様子にこちらこそ安堵してしまって、なんだかそれが癪で、ウフーラは彼の髪をくしゃくしゃと撫でまわす。よくマッコイがやるように、派手にセットを乱してやると、彼はわあわあと言ってむずがった。にこりと口角を持ち上げて、カークの椅子をくるりと回すと、机にそっと収納する。
「分かった?」
「え、何が?」
「はたくわよ。あなたは人を愛していいんだから、しゃんとしなさいってこと」
「う
……
、うん。うん
……
、いやでも、それとこれとはまたちょっと別の話で」
「あのねえ。あなたがそんな調子だったら、なんにも進んでいかないでしょ。ぼやぼやしてたら足元掬っちゃうわよ、あなたが手を出さないなら、私がスポックを誘惑しちゃうから」
「わ、わあーっ」
「
……
なに、その反応」
「まじ
……
、あいつ、愛されてんな
……
」
「あなたが言う?」
「言う。なあウフーラ、おかしくね? こんな艦隊の英雄でめちゃくちゃ頭も良くて超絶かっこいいキャプテンと、新進気鋭の探査船随一に優秀で最高にホットな美女に思われて。絶対ラック値狂ってるよあいつ、バグってんじゃね」
「そうね。本来なら、あなたたちが私を取り合うべきですものね?」
「いやいや、君たちが俺を取り合うべきですよ、大尉」
飲み散らかしたグラスとその他もろもろを回収して、結露でできた机の水たまりを拭きとった。ウフーラが片付け始めるとカークも手伝って、空になってしまったジンの瓶を水洗いしてくれる。ふたりで並んでキッチンに立って、テキパキと作業していると、本当に不思議な気持ちだった。ちらと隣を見上げると、赤みの強い丸い耳と、やや乱れた金髪がある。何もかも、彼とは正反対なのに、ときおりこうして気配に似たものを体感することがあった。
大都市もほとんど寝静まった頃、泊まるつもりかと尋ねれば、だめかな? と言って彼は首を傾げた。あざとい、と素直な気持ちを投げつけつつ、仕方ないなと許可を出す。床で寝るから、と嬉しそうに持ってきたバッグを開ける彼が、これから磯遊びにでも行くような格好に着替え終わった時点で、ウフーラは彼をベッドに連れ込んだ。
「さ、さ、さすがにこれは」
「あ、シャワー浴びる? その酔い方だとあまりお勧めしないけど」
「す、あ、でも、いや」
「ちょっと。なんだか私がいたいけな男の子をかどわかしてるみたいになるから、そんなふうにおどおどするのはやめて」
「するよ?! さすがに?!」
「しっ。静かに。何時だと思ってるの」
「は、はい
……
」
「床に寝られても困るし、あなたと私は『そういう関係』だと思ってる。いいからおとなしく寝なさい」
「そ、そういう?」
「寝床を分け合っても困らない関係。そうじゃないなら、今からスポックの家にあなたを叩き返します」
「寝ます、サー」
最後通牒を突きつけると、彼はド真面目な表情で敬礼して、そろそろと寝台に乗り上げてきた。めちゃくちゃに恐縮しながら、大きな体を縮こまらせて、端っこに引っかかるようにして横になる。ウフーラは気にせず上掛けを引いて、部屋の明かりを消灯した。真っ暗な部屋の中、次第に暗順応する両目が、窓の外から差すうっすらとした街の明かりを視認する。
「なんだか本当に、不思議な夜だわ」
「
……
ごめん」
「なんで謝るの。分かんないな」
「ごめん。でも、ウフーラに会いたかったんだ。君しかいないと思った」
「そうね。なんだか前よりも、ずっと近くにあなたを感じる」
「
……
えっ、付き合う
……
?」
「ばか」
布団の中で、そっと吹き出して笑うと、彼もひそかに肩を揺らした。静かな夜の中で、いつもどおりに電化製品からの駆動音はするけれど、今日は穏やかな呼吸が近くにある。聴覚過敏であることについて、長い間、いろんなことに悩まされてきた。眠れなくなる夜は数えきれないほどあったし、特定の音で体調を崩して迷惑をかけることもあった。けれど、それは今、彼らの役に立っている。自分を奮い立たせる武器になる。とても、誇りに思っている。
そんなふうにして、彼らは自分を認めてくれるのだ。『おうち』がとても大切なのは、何もカークやスポックに限ったことではない。
「ジム」
「うん」
「ひとつ、ちゃんと言っておくけど」
「
……
なに?」
「私は、嫉妬しなかったと言えば嘘になる。スポックはずっと、尊敬と愛情を示してくれていたけれど、やっぱり、あなたは別格だから」
「
……
うん」
「でも、私も、そんなあなたたちが好きだった。やんちゃでやかましい子犬と、しっかり者の飼い主みたいな」
「悪かったな、しつけがなってなくて」
「でもときどき、優しいお姉さんと、小さな男の子みたいで」
「
……
もしかして、そのお姉さんって俺か?」
「すごくかわいいなって、思ってた。本当の、本当にね」
「ウフーラ」
「ジム、あなたがうらやましい」
「
――
う」
「けれどジム、あなたが好きよ」
「
………
」
「私、あなたのことが大好きよ」
ひっそりとした、夜のしじまに溶かすように。
素直な気持ちをにじませると、カークは衣擦れの音を立てた。ふ、と熱い吐息がこぼれて、乱れた呼吸を耳にする。すん、と鼻をすする彼には触れずに、ウフーラは静かに目を閉じた。きっと、それは自分の仕事ではない。そう思ったからだ。
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