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はるの
2022-08-08 22:36:46
117528文字
Public
スタートレック
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未踏の楽園
全年齢|AOS spirk|2021.4.15|STBのあと、ヨークタウンでふたり暮らしをするジムとスポックがそのうち付き合う話。「そのうち付き合うタイムライン(
https://privatter.me/page/65a92eff4fa14
)」シリーズの集大成になりますので、シリーズ内他作品からの遠慮ないエピソード引用を含みます。
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翌朝は宣言どおり、スポックと一緒に並んで朝食を取った。といっても、メニューは頭がすっきりするハーブティとサラダという軽すぎるラインナップである。こんな攻撃性のかけらもない食物ばかりをその身に取り込んでおきながら、この体躯と活力を生み出すヴァルカン人の神秘を思うと、なんだか途方もない気持ちになる。自分の腹を見下ろして、今はまだ引き締まっている肉をつまみながら、この生活を続けているとちょっとやばいかもしれないな、なんてことに思い至った。午前中は運動しよう。
夜は早めに寝てしまうので、今のところ、早起きも特に苦になっていない。自分が起きるときには大抵、スポックはすでに起きてしまっているけれど、彼が出勤するまでの時間を、カークはゆったりと過ごしていた。
「どうかされましたか」
もにもに、と腹を揉んでいると、隣のスポックはいぶかしげに見下ろしてくる。
「太りそう、と思って」
「今日は健康器具を注文しますか」
「ヨガマットとか? それもいいな」
「もしくは少し先に公園が
――
、ああ、ジム」
ふいにそう言葉を切って、彼は両目を閉じた。そうして少しだけ考えてから、いえ、あとで、とセリフを閉じる。カークは首をひねってスポックの顔を覗き込んでみたけれど、彼はごく真面目な様子で、のちほど、出かける前に、と補足するだけだった。
黙々と食事を終えて、身支度を整えるスポックは、ごくいつもどおりでよく分からない。
「完全に失念していました。これではどこにも出掛けられませんでしたね」
出勤前、そう言ったスポックがカークを連れていったのは、インターホンのパネルの前だった。リビングの出入り口に設置されているそれに触れ、メニューを呼び出す彼を見て、カークはなあんだと安堵する。何か、恐ろしいことじゃなくてよかった。たとえば、ここを追い出されるとか。
ほっとしているこちらには気づかず、スポックはよどみなくモニタを操作して、まずはカークをカメラの前に立たせ、生体認証を登録した。アクセス許可、という文字の下に、スポックと自分の顔が並んでいてこそばゆい。にまにまと唇をゆがめていると、彼は続いて認証コードを告げた。
「エントランスと玄関は顔認証で開くので基本は不要ですが、エラーの際にはご利用ください」
「ああ、うん」
「
……
覚えましたか?」
「忘れそう。でも忘れたっていいだろ? 待ってれば君は帰ってくるんだし」
「それまで締め出されてしまいます」
「君を待つのも楽しいよ、きっと」
スポックはパネルから指を離すと、こちらに向き直る。合わさった視線に小首を傾げてみれば、彼はきゅっと唇を引き結んだ。
「
……
朝食時に言い損ねたのは、近くに公園がありますので、ジョギングやウォーキングに向いています、ということです」
「ああ、なるほど。気持ちよさそうだな」
「ジム、困っていることがあれば遠慮なくおっしゃってください。これに限らず」
どこか後悔の色を浮かべながら、スポックは神妙にそう告げる。きっと、自分の考えが至らなかったと、力不足だと内心で嘆いているのだろう。気にすることなんてないのに、と思う。何故なら自分は一切気にしていないからだ。
カークはいたわるように軽く笑って、励ますようにぽんと彼の腕を叩いた。
「困ってなかったよ。どこに行く気もなかったし、出かけることなんて忘れてた」
「けれどそれでは、まるで軟禁です」
「君にされるならそれでもいいけど」
ああでも、出勤日だけは出してもらわないと、と頬をゆるめながら顔を上げて、カークは息をのむ。
ひたと据える眼差しの、どこかほの暗い熱さ。朝のすがすがしい光を浴びながらするような顔じゃない。そんな突然の、飲まれてしまいそうな情動に、わずか瞠目してスポックを見返すと、彼は1歩近づいて、こちらの腰に腕を回した。
そっと肩口に顔が寄って、首筋にキスされる。
「
……
唇でなければオッケーだと思ってる?」
「そういう認識でした」
口をくっつけたままそんなことを言うスポックの声は、なんとなくいじけたような、そんな音になっていて、カークは思わず笑ってしまう。途端にぎゅうと抱き込まれるので、笑ったまま彼の両脇に手を添えた。
「講義に遅れても知らないぞ、ふしだら教官」
からかうようにそう言うと、スポックはちゅっと音を立て、軽く吸いついてから身を起こす。上げられた表情はものすごく真顔で、めちゃくちゃいつもどおりだった。彼は荷物を持って背筋を伸ばし、行ってきますと告げて部屋を出ていく。
カークは首元を手で押さえつけながら、そんな後姿を見送り、ただ黙って頭にのぼった血が落ち着くのを待つしかなかった。
せっかく『部屋の合鍵』を手に入れたので、カークは出かけることにした。身支度を整えて、艦隊の制服を着て、ヨークタウン支部に顔を出す。
少しだけ、と決めて仕事をした。ほんの1日離れていただけなので、手間取るということもない。エンタープライズA、という安直なネーミングに決定した航宙艦に関するレポートを開いて、カークはそっと微笑んだ。安直だけれど、渾身である。そうまでして残す価値がある固有名詞なのかと訊かれたら、当たり前だという力強い答えしかない。
スコットを訪ねていくと、彼は相変わらず忙しそうにしていた。船がうまく動いていないときほど、この機関主任は忙しくしているイメージだ。
「おやおや、このくそ忙しいときにバカンスしてるジミー坊やじゃないですか」
「おう、満喫中だぞ」
「悪びれやしない」
「実際、君よりは暇だしな。それに、君がしこたま働いて船を浮かせたら、今度は俺がしこたま働くことになる」
「そりゃ、しこたま待ち遠しいね。俺もゆっくりバカンスしたいんで、しばらく無茶振りはしてくれるなよ」
「どうかなあ~?」
「全部ノーで返すからな、このやろう」
そんな楽しい会話を弾ませながら、相変わらず現場に入り浸っている彼の近況に耳を傾ける。ヨークタウンの技術者ともうまくやっているようで、現時点での懸念と言えば、彼が今猛烈な勢いで書き上げているというワープ航行プログラムの話が、カークにとってはまるで呪文に聞こえてくることくらいだ。ある程度は理解しているつもりだが、彼の理論は奇抜で突飛で、専門用語交じりの指示語を、彼にしか分からないやり方でつなげて話すので、次第に迷子になってしまうのである。最終的には、天才ってこういうところがあるよな、とあったかい眼差しになるしかない。
休憩、と言って部屋を出るスコットと連れ立って、リフレッシュルームでコーヒーを注いだ。大きな窓の向こうには、適切に調整された穏やかな昼が広がっていて、明るい街はどこもかしこも活気がある。
「休暇中は何してんの?」
ひとけのない静かな部屋で、スコットはそう訊いた。特に他意もない、ただの雑談として振ったのだろう。
温かいコーヒーに口をつけながら、カークは少し考える。そういえば、30度以下の室温にさらされるのも1日ぶりだった。
「スポックの部屋にいる」
素直にそう告げると、スコットはぱっと顔を上げて、きょとりと目を丸くする。
「
……
てことは、一緒に住んでる?」
「うん」
「はぁーん。なんだか不思議な感じだな」
「俺もそう思うよ」
「すごく下世話なことを訊いても?」
「はは、その言い方。いいぞ、許可する」
「付き合ってんの?」
「うーん」
「なんだそれ」
「うーん、って感じだ」
「何も分からない
……
。ま、うちの副長、ウフーラとは完全に解消しちまったみたいだけど」
「うん」
「その割に、今も普通に仲良く話してるでしょ。あ、これジムは知らないか」
「いや気まずそうな顔すんなよ、それはなんとなく分かるから」
「分かるんだ
……
。いや~、なんか、不思議すぎる
……
。若者ってみんなそうなのか」
「言い方がひがみっぽいぞ。それに、あのふたりは友だちをすごく大切にするタイプだ」
「いいお友だちでいましょう、なんて想像上の出来事だと思ってた」
「君の恋愛遍歴がものすごく気になる発言だな、それは」
にやりと笑みを浮かべてやると、スコットはコーヒーをすすりながら、わざとらしく目を逸らした。
スコットと別れて、カークは歩きながらパッドを開いた。スポックのスケジュールを呼び出してから、彼の予定に変更がないことを確認する。
足早にたどり着いたセミナールームは、結構な人数を収容するタイプだった。すでに講義は始まっており、閉め切られた扉の前は閑散としている。カークは後方のドアに回り、そろそろと身を寄せると、息をひそめてそっと開け放った。
途端に、マイク越しのスポックの声が飛び出してくる。顔を覗かせれば、教鞭台の向こう側、スクリーンの前に、凛と佇んでいる懐かしのスポック教官がいた。査問会で相まみえたときとは制服からして違うけど、このどこかふてぶてしい振る舞いは、出会った頃のことを思い出させてくれる。今となっては柔らかい、優しい色合いの思い出だ。
参加人数は多かった。さすが、アカデミーきっての秀才という触れ込みで世に出ていないわけだ、なんてことを考えながら、カークは身を低くしたまま入室し、空席となっている最後列のひとつに滑り込む。そして、いかにも最初からそこにいました、という顔で体を起こせば、スポックの鋭い視線とかち合った。
刹那で逸らされたそれに、見つけるのが早ぇよ、とカークはだらしなく頬をゆるめる。講義中に開いたドアを気にしていただけとは分かっていても、その視線の強さには、それ以上の意味を感じざるを得なかった。他の誰かがこちらに気づいた様子もなく、カークは頬杖をつきながら、彼に分かりやすく熱視線を送ってみる。けれどさすがのスポックは、まるで自然体の様子で、普通に淡々と講義を進めていった。つまらないような、ほっとしたような、不思議な気持ちをころころと胸中で転がす。
スポックのセミナーは、堅苦しく、けれど非常に意欲的だった。一定のリズムを紡ぐ理知的で落ち着いた低い声が、会場をしんしんと包んでいる。張り上げなくてもよく響くこの声は、今までに聴いたどんな楽器の音よりも素晴らしい、とカークは真面目に思っていた。だから、いつでも思い出せるように、いつでも脳みそに刷り込んでいる。人は聴覚から忘れていくものだから。
類似環境惑星における言語発達の対比、という要旨の講義を聞きながら、スポックはこんなふうにしてウフーラと出会ったのかもしれない、と思った。
彼のセミナーが終了する前に、カークは再び部屋を抜け出して、ひっそりと街へ戻った。そのうち端末にメッセージが届いて、スポックに居場所を尋ねられる。近くでぶらぶらしてるから、終わったら連絡して。そう返信してから、カークは実際、近くをぶらつくことにした。命を懸けて守った場所だが、こうして見て回るのは初めてである。
リフレッシュルームから見下ろしたのと同じ、活気のある街並みだった。子供も多く、とにかく明るい。美味しそうなホットドッグスタンドを見つけて、カークは少し迷ったけれど、結局何も買わずにおいた。誰かの弾けるような笑い声がして、街路樹は青くみずみずしい。
スポックに会いたい、と無性に思った。どんなにきれいな場所にいても、君がいないと始まらない。
そのうち行くところもなくなって、カークは支部の入り口そばにある植込みの縁に座り込んだ。遠巻きに素敵なレディたちが、こちらを見てひそひそとお喋りをしている。愛敬を振りまく元気がなくて、カークはうつむいて顔を隠しながら、ずりずりと足の裏で地面をこすった。スポック、と切実に思う。スポック、早く。
その願いが届いたのかどうなのか、スポックはいつもより早い時間に艦隊支部より放出された。ものすごい大股で、ごく冷静な表情を装って、焦燥を隠したしぐさで端末を繰りながら、控えめに言ってもほとんど飛び出してきた彼に、驚いたあと嬉しくなる。同時にメッセージが届いて、カークはいそいそと画面を繰った。
――
今どこですか?
――
右!
単語と、エクスクラメーションマークだけ。そんないたずらっぽい返事であっても、スポックは素直に従って右を見てくれる。そういうところがちょろくてかわいいんだ、なんてことを思いながら、カークは立ち上がって手を挙げた。こちらを見つけたスポックは、小走りに駆け寄ってくる。彼が走るときに、ぱたぱたと髪が跳ねるのをすごくかわいいと思っている、ということを、直接伝えたことはあったかなあ。
「すみません、お待たせしました」
「すごく美味しそうなバーガーショップを見つけたから、買って帰ろう」
「今日は突然、どうしたのですか」
「なんとなく、思いついて」
「あなたの得意技ですね」
「君の講義、偉そうですごくよかったぞ」
「それは褒めているのですか?」
「褒めてる、褒めてる」
「あなたは」
「ん?」
「
……
私が抵抗できないときに、あのような目で見るのは卑怯です」
「何のことだか」
そんな馬鹿みたいなことを言い合いながら、夕食用のハンバーガーを買ってまっすぐに帰宅した。
エントランスで立ち止まり、スポックはこちらを見る。首を傾げると、彼はそっと背に触れて、カークをインターホンの前に押し出した。
同時に、ドアが開いて、カークは勢いよく振り返る。
そうだった、生体認証登録をしたのだった、と思い出して、なんだか改めて新鮮に、心の底から驚くような心境に陥った。ほとんど呆然としたこちらの様子を、スポックは注意深く見守るだけである。カークはそのまま部屋の前まで来て、また何の困難もなく開錠音を聞いた。この気持ちをどう言葉にしていいか分からない。
スポックを振り仰げば、彼は静かに頷いた。カークはそっと玄関を開く。
家の中にいるときには気づかなかった、彼の家の匂いがして、これを浴びれるなら外出も悪くない、とカークは真剣に考えた。聴覚とは反対に、嗅覚は最後に忘れる感覚の記憶だ。だから自分は最後まで、きっとこれを覚えている。
あとから入ってきたスポックは、扉を閉じるとカークを追い越した。自動的に点灯するライトの下、彼はさりげなく振り返る。
「おかえりなさい、ジム」
ああ、もう、こいつは。
なんていうか、こちらを喜ばせる天才だな。ジム・カークの天才だ。A+で評価する。
「
……
ただいま」
少しかすれてしまったそんな返答に、スポックは満足げに頷いた。
すごく頭が沸いたような、ふわふわの恋愛をしているみたいで笑えてくる。
ダイニングではなくソファに誘って、一緒に夕食の袋を開けた。ハンバーガーを食べているスポックは相変わらずかわいくて、カークは食べるのもそこそこになってしまう。そのうち我慢できなくなって、彼の頬にキスをすると、もうそれだけで楽しくなって、とりあえず唇以外の顔中に、せっせと口を押しつけた。スポックは鬱陶しそうな顔つきになっていて、それがまたとんでもなくかわいい。
ソファに片足を乗り上げて、彼の頭頂部にもキスをした。次はこめかみ、と思ったら、口づけのタイミングでスポックが振り仰いでくる。危うく唇の端に押しつけてしまって、カークはむっと眉を寄せた。じゃあ鼻の頭、と顔を寄せると、またスポックが顔を動かして、くっつけようとする唇の下に自分のを滑り込ませようと画策する。そんなことを3度繰り返して、カークはとうとう撤退を余儀なくされた。
「ずるい」
「食べているときはやめてください、という警告です」
「それにしてもやり方がずるい」
カークはぼすんとソファに座り、両手を挙げて降伏する。ふてくされた顔をすると、スポックは片眉を跳ね上げた。仕返しに彼が嫌がりそうなこと、と考えて体を起こし、テーブルのポテトを1本つまんでにやりとする。そして彼に「あ~ん」を強要すると、仕方がないなという雰囲気で、スポックは無防備に口を開けた。
運んだポテトにぱくりと食いつく彼の、口の中にまで指を突っ込んでやる。けれどやつは慌てず騒がず、しれっとした顔でこちらの指先に吸いつくと、普通に舐めとってから口を離した。
なんてやつだ。
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