はるの
2022-08-08 22:36:46
117528文字
Public スタートレック
 

未踏の楽園

全年齢|AOS spirk|2021.4.15|STBのあと、ヨークタウンでふたり暮らしをするジムとスポックがそのうち付き合う話。「そのうち付き合うタイムライン(https://privatter.me/page/65a92eff4fa14 )」シリーズの集大成になりますので、シリーズ内他作品からの遠慮ないエピソード引用を含みます。



 翌日のカークも、それはそれは実によく働いた。というか、ほとんど鬼の形相で、各所から来る通知を捌き、自らも積極的に発し、うまいやり方を工夫して、あらゆる調整を重ねに重ねた。パリス提督をして「それはそれとして普通に部下に欲しい」と言わしめるほどの働きぶりである。
 ほぼ食事も忘れる勢いで働いたので、すれ違ったチェコフに「さっき副長が探してましたよ」と申し伝えられたときは舌打ちをしたし、確認する暇もなかった私用の端末に残る控えめな着信履歴を見たときは地団駄を踏んだ。避けているわけではないのだが、これじゃあ避けられていると思われてもおかしくないだろう。小さな端末を握りしめてしょんぼりしているスポックを思い浮かべると、今すぐ駆け出して飛びついて抱きしめてやりたくなる。けれど仕事が。仕事が多いのだ。予想以上に多かった。なるはやが7個くらいあるんだスポック、と脳内で泣き言をわめきつつ、あらゆることを押し畳み、カークが支部を飛び出したのはもう夜中のことである。
 寝ているということはないだろうが、夕食は済んでいるだろう。そんな時間帯の街を、栄養調整食を齧りながらカークは疾走した。公衆転送機に飛び込んで、肩から掛けたダッフルバッグを抑え込み、覚えたばかりの住所を設定する。
 マンションの広く大きなエントランスでスポックの部屋を呼び出すと、キャプテン、という少し戸惑ったような音声が返ってきた。
 カークはカメラに向かってにんまりと、最高の笑顔を浮かべてみせる。
 かすかなためらいをタイムラグにして、入り口のドアが開いた。ありがと、とウィンクを投げて、一目散に滑り込む。



 玄関を開けてくれたスポックは、とてつもなく複雑そうな表情だった。
 無理もない、と思いながら、カークは再びお得意の笑顔を投げかける。
「入っていい?」
……どうぞ」
 無邪気に問いかければ、彼はささやかに身を引いて、怪訝そうながらも上官を招き入れてくれた。勝手知ったるように廊下を抜ければ、相変わらずらしくない、かわいい部屋が待っている。
 追いかけてきたスポックは、こちらがぶら下げている大きなバッグを見下ろしたあと、振り返ったカークに首を傾げた。
「キャプテン?」
「また明日って言ったよな」
 そう告げると、昨日のことを思い出したのか、彼は気まずそうに口をつぐむ。なんだかいつもよりも、感情のふり幅が大きく、情動が分かりやすかった。無意識なのか、意図してそうしているのかは分からないが、確実に〝これ〟は自分のせいだろう。
 スポックが懸命に汲み取った感情を、今度は正しくこちらに返そうと努力している。そう思うだけで、胸がいっぱいになった。
「だから結構頑張ったんだけど、こんな時間になっちゃった。ごめん、メッセージ、返信してなくて」
「いえ。チェコフ少尉に忙しそうだと伺っていました。ですから、きっと」
――忘れちゃったって? 本当にごめん。別に君に会いたくなかったわけじゃない」
 明るい色に包まれた、少し暑い室内で、途方に暮れたように立ちすくんでいるスポックがいたわしくて、カークは彼の二の腕に触れた。するとスポックはものすごく動揺したように、びくりとわなないて少し離れる。これをさせてしまったのは自分の不義理だ、と考えると、あっという間に泣き出してしまえそうだった。
 手を戻して、スポックと視線を合わせる。その怯えたような眼差しに、どうか報いますようにと祈りを込めて、カークは真摯に切り出した。
「本当に仕事が忙しかったんだ」
……私たちは現在、余剰人員の扱いです。エンタープライズに関するプロジェクト進捗も順調だと把握していますが、ほかにも何か仕事を受けたのでしょうか」
「いや、まさにそれだけだよ。つまり、その仕事を片付けてたんだ。スポック、俺は明日から休暇を取る」
――は」
「とは言っても、週1くらいの出勤は必要になりそうだけど。でも、もともと今の俺たちは休暇推奨だ。つまり、これは艦隊の意向であって」
「休暇――、休暇? ですか?」
「うん」
 スポックは、目に見えて目を見張り、完全に動転しているようだった。いろいろとぼろぼろにこぼれちゃってるぞ、とからかいたくなるような表情に、カークはぐっと好奇心を抑え込む。たぶん、今それをしたら、本格的に怒りを買うだろう。
 私に一言の断りもなく? とでも言い出しそうなスポックを、ひやひやと見守りながら、カークは唇を舐めてタイミングを計った。
 彼の優秀な脳内では現在、あらゆる演算がなされているだろう。そんなふうに内側で考え込むようにしていたスポックは、やがてふいに姿勢を正した。びしっと背筋を伸ばし、手を後ろに組む、純然とした、めちゃくちゃ頑固なファーストオフィサーしぐさである。
「キャプテン、あなたはあなたの責任において、今回の事態を管理する必要があります。それでなくとも、そのような身勝手な行動に出る前に、副長への説明があってしかるべきです。あなたが不在にするのであれば、私が代理にならざるを得ない。あなたがどこへ遊びに出るつもりなのかは分かりませんが、まったく非論理的な」
「うん、君のそういう説教も、なんか無性に久しぶりな気がするな。安心する」
――キャプテン」
「こっわ。別に、遊び回るつもりはないし、不在にするつもりもないし、君が代理にならなきゃならないほど仕事を抜ける気もないよ。ただ、週1の勤務になるだけだ」
「は? いったいどう――
「スポック、ひとつお願いがあるんだけど」
「どういう」
「俺、ここに住んでもいいかな」
 カークがここまで走ってきたただひとつの目的、それを伺うようにそろっと告げると、スポックの強固で厳しかった表情は、あっけなくするりと抜け落ちた。



 再び、理解不能、という困難に直面したらしいヴァルカン人は、眉間に皺を寄せて一生懸命考え込んでいる。その様子がかわいくて、カークはひっそりと笑みを噛み殺した。
……住む?」
「うん」
「ですが、あなたは昨日、新しく部屋を契約したと」
「解約してきた」
「かい――
「そのことでも忙しかったんだ、やり取りが多くて。住む前に解約って勘弁しろよ、みたいな顔されちゃったよ」
……休暇?」
「スポック、混乱しすぎ」
「今混乱せずにいつ混乱しろと?」
「なんでちょっとキレぎみなんだよかわいいな。つまり、あの航宙艦が完成するまで、俺は自由出勤で、ここに住む。だからたぶん、君よりこの部屋で過ごす時間は長くなると思う。あ、別に乗っ取るつもりはないぞ、君を追い出そうとは思ってない」
……半年ほど、かかりますが。ファイブ・イヤー・ミッションの再開は、ほとんど半年後の予定で」
「うん」
「半年? ここで?」
「スポック、頼むよ。俺、文字どおりホームをレスしちゃったから、ここで君が頷いてくれないとちょっと困るんだ」
 嘘だ、実際はあんまり困らない。そんなことを考えながら、カークは情けなく眉尻を下げて弱々しい笑みを浮かべてみる。どうしても通したい要求に対して、手を抜くことはしない主義だ。そんなこちらの表情に、スポックはぎゅっと眉間を寄せる。
 少しだけためらってから、葛藤している彼の胸に手を置いた。今度は身を引かれることもなく、服の上からじんわりと彼の体温を感じられる。とうとう、スポックはぎゅっと両目も閉じてしまった。
「あなたはどうしてそう、突飛な行動を事前に相談もなく」
「ごめんごめん。ちょっと確かめたいことがあったから」
「いったい何を、この期に及んで?」
 言い方が完全に、惑星探査中に無茶な行動をした船長に対するそれで、カークはついつい笑ってしまう。ぽんぽん、と軽く胸を叩けば、彼は目を開けて、いつもの調子で問いかけた。もっと怒っていいんだぞ、とカークは思う。君がそんなふうに甘いから、つけあがる馬鹿がいる。
「君と暮らしてみたいんだ。どんなふうなのかを知りたい」
 スポックは、不思議顔だ。少し傾けられたその表情に、カークは愛おしい気持ちになる。その気持ちのまま微笑めば、彼はゆっくりとまつげを上下させた。
「君がどんなふうに朝起きて、どんなふうに出掛けて、どんなふうに帰ったあと過ごして、どんなふうに眠るのか。いつもどんなことを気にかけてて、どんなふうに息をしてるのか知りたい。ほら、初めてシスコの君の家に行って、泊めてもらったときがあったろ? 俺は感動したんだよね、君が生活してることに。あれをもう少し知りたいんだ」
……知って、どうなさるのですか」
 なんだかとても慎重に、恐る恐るというように、スポックはそう言葉を返した。いったいどうする想像をしたのだろう。それを知りたいような、知りたくないような、むずむずとした落ち着きのなさを心臓の裏に感じる。カークはそれをなだめながら、軽い調子で肩をすくめた。
「ま、覚悟を決める。いろんなことに」
 その返答が、彼の何になったのかは分からない。けれどスポックは、とても思案めいた表情になると、しばらくそのまま考え込んだ。
 そうして、彼の端正な顔つきを飽きず眺めながら待っていると、やがてスポックは顔を上げ、分かりました、と静かに告げた。



 気づけば、割といい時間である。自分は明日から休日だが、スポックは普通に出勤だろう。
 話もついたことだし、と切り替えて、シャワーを借りていいか訊くと、彼は素直に案内してくれた。
「大丈夫、今日はぱんつも着替えも持ってるから」
「それは良かったです。タオルはこちら」
「んふふ。お前、成長したなあ」
「何年前の私と比べておいでですか?」
 どことなく、遠慮をはぎ取ったようなスポックの態度に安堵する。バスルームに入れば、バスタブから何から、相変わらずかわいらしいインテリアが揃っていた。ここでスポックが湯船に浸かったりしているのかもしれない、と思うととてつもない気持ちになる。なにせ、色付きゼリーみたいなソープボトルの横に、黄色いアヒルのおもちゃなんかが並んでいるのだ。どう考えても前の住人は地球人だろう。
 あとで思いっきりからかってやる、と思うといくらでも笑ってられるような気がして、贅沢だ、とカークは噛み締めた。こんな贅沢な日々が、これからの自分を待っているのだ。はあ、と溜息をつけば、まるで物柔らかな丸みを帯びた、幸せそうな音がする。
 Tシャツ、短パン、スリッパ、の3点セットでリビングに戻ると、ソファでパッドを見ていたスポックは立ち上がった。たぶん、カークの今後のスケジュールと、シフト状況をチェックしていたのだろう。抜け目がない副長である。
……なんて格好を」
「普通の部屋着だけど? 全裸にガウンよりマシだろ」
「あのときは下着も身につけていました。過去を改ざんしないでください」
「細けぇな。だって君んちはあったかいと思って」
 肌見せはNGがヴァルカンの文化である。彼の母親もウフーラも、そのあたりはしっかりしていそうなので、こんなふうにだらしない格好の地球人を見るのは初めてなのかもしれなかった。眉をひそめるスポックをあしらって、カークは室内のコントロールパネルに近づく。
「真夏のカリフォルニアで着るような部屋着ばっかり詰め込んできたから、もうちょっと温度上げていいぞ」
「ですがジム、あなたはそれでは暑いのでは」
 ぽつぽつと勝手にパネルをいじっていると、やってきたスポックは相変わらず不服顔だ。こちらの表情をつぶさに観察しながら、少しだけ心配を視線に乗せてくるので、カークは笑って肩を叩く。
「俺、寒いの苦手なんだ。縮こまってなんにもしたくなくなる」
「はい、存じています。あなたは低温帯の惑星探査における上陸作戦にはあまり積極的でなく」
「寒い星で良かった~、みたいな顔したお前らの鼻を明かしてやった話をしようか?」
……あまり積極的に思い出したくありません」
「はは。だから寒い思いをしてほしくないんだよ。それに、できれば君の暮らしに沿いたい。さすがにこれ以上の温度にするとやばそうだけど、この程度ならただの夏日だ。問題ない」
 優しく頬をゆるめてそう願うと、スポックはじっとこちらを見つめたまま、おとなしく引き下がってくれた。こくんと頷いた彼に笑って、カークはくるりと彼に向き直る。
「そして君の暮らしに沿うということは、君のベッドで寝るということだ。今度は椅子なんかで寝ないぞ、スポック」
――は」
「懐かしいな、あの椅子。色もデザインも、まるで君みたいで好きなんだ。座ってると、君に後ろから抱きしめられてるみたいだった」
 きょとん、とこちらを見つめたまま、微動だにしなくなってしまったスポックがおかしくて、カークはにやにやした笑みを作った。軽やかにウィンクを投げてから、寝室と思われるドアを勝手に開ける。
 案の定、素敵な部屋だった。ベッドヘッドは紺の壁紙、同じ紺のベッドスロー。なんだかすごくいい匂いがして、見れば窓際に香立てがある。そして、その隣に、小鉢の観葉植物を発見して、カークは嬉しい悲鳴を上げた。
「ポポック! ポポックじゃないか!」
「本気でその名前を付ける気ですか……
「お前、元気そうだなあ」
 追いついてきて戸口に姿を見せたスポックには構わず、カークは墜落したエンタープライズからかすめ取ってきたシェフレラをまじまじと眺める。上から下から眺めても、やつはすくすくと元気そうだった。
「根は出た?」
「発根の確認には1か月かかります。ですが、私の自室の環境に耐えうるほど、シェフレラは非常に頑丈な植物です」
「うん、きっと大丈夫だな。水はやるの?」
「発根までは常に土を湿らせておく必要があります」
「明日からの俺の仕事が決まったな」
 にこにこと言って、同じだけ頑丈そうなダブルベッドにぼよんと勢いよく座り込む。ふたつ並んでいる枕に、やっぱりここ、ふたり暮らし用の部屋だよな、とカークは思った。戸口を見れば、スポックはその場で硬直したままで、カークは思いっきり吹き出して笑う。
「スポーック」
……本当に」
「本当に。つーか、君はそれもう寝るだけ?」
「はい、食事も入浴も完了しております」
「ぜんっぜん風呂上がり感がないぞ。もっとほかほかしてる君が見たいんだけど。まあ、でもそれはあれだな、明日以降のお楽しみだな」
「ジム」
「おいで、スポック」
 ぽんぽん、とベッドを叩いて微笑むと、スポックは魔法にかかったように、ふらふらとこちらまでやってきた。その様子が本当にかわいくて、たどり着いたら抱きついてしまいそうだったので、カークは体をひねってベッドヘッドのパネルを覗き込み、部屋の照明を暗くする。至近距離でならお互いの顔が見える、くらいまで、暖色のそれを落とし込むと、さっそうと布団をめくってベッドにもぐり込んだ。
「暑い!!」
 直後、飛び出した。そうだった、夏日だった。そんなことを思いながら布団を蹴り上げると、反対のベッドサイドに回ったスポックは露骨に眉を跳ね上げて、無残にめくられたそれを手に取った。
「だから言ったでしょう、やはり室温は下げて」
「こんだけ暑かったら布団要らないだろ。君はそれにくるまりなよ、俺はこのまま寝る」
「何も掛けずに?」
「なんだ、その信じられないものを見るような顔は。なくても寝れるタイプだよ」
……明日、パイル地のブランケットを手配しましょう」
「うわ、優しい~」
 何を言っても仕方がない、と悟ったような、つまりまるっきりあきれ返ったようなスポックに、媚びたような声を返して、カークは再びごろんと寝転がった。枕を取ってごそごそと位置を探れば、スプリングがぐっと落ちて、隣にそろりとスポックが入ってくる。彼はふかふかの上掛けにくるまると、ものすごく慎重に、頭を枕に置いた。
 カークもぽすんと、枕に側頭部を沈ませる。めちゃくちゃ遠慮がちなのに、スポックははっきりとこちらを見つめていて、そういうところは譲らなかった。
 フットライトのわずかな光を反射する、彼の深い瞳が好きだ。
「ジム」
「キスはなしにしよう」
 ひそやかに呼ばれて、カークは先手を取った。
 突然言われたスポックは、何を言われたのか分からない、という表情になってしまって、その様子に柔らかく笑ってしまう。かわいくてかわいくて、カークはひょいと首を伸ばすと、その額にキスをした。
「でも、こういうのはありだぞ」
 きょとん、とまばたいたスポックもすこぶるかわいい。カークは調子に乗って、戸惑っている彼の布団にぐいっと足を侵入させた。中はほかほかと温かく、まるで乾燥機をかけた直後である。寝巻越しに触れた彼の足がぴくりと動き、怖くないよとなだめるように、カークはゆっくりと足の甲を押し当てた。
「ジム」
「ほっかほか。俺寒いのは嫌だけど、つまり君がいればいいのかも」
……おとなしくしてください」
「やだー」
「子供ですか。寝てください」
「おやすみ」
「足を仕舞って」
 そんなことをわちゃわちゃとやっているうちに、いつの間にか朝になっていた。
 スポックの声に起こされると、なんだかひどく汗だくで、それはなんでかって言ったら、結局スポックの布団の中にもぐり込んで寝てしまったからだ。ベッド脇に佇むスポックは大きめのグラスに水を持っていて、ごく心配そうに朝の光を浴びていた。
 カークは礼を言ってグラスをもらい、一気に飲み干して喉をうるおす。
「やはり、室温は下げて」
「それしたら出てくからな」
 飲み終わったこちらのタイミングに合わせて、スポックは予想どおりの提案をした。だからカークも予定どおり、負けじとそれを突っぱねる。
「家のない俺はそのへんの路地裏に転がって寝るしかなくて、そのうち声をかけてきたおじさんに媚びを売って、風呂とベッドを貸してもらって、そのお礼に足を」
「下げないので、そのような冗談は二度と言わないでください」
 こちらを見下ろすスポックの表情は、かつてないほどの渋みに包まれた。まんまとしてやったカークは遠慮なく、最高のにんまり顔をお見舞いしてやった。