ゑ/圓堂
2025-03-26 23:40:55
27579文字
Public 管理NO3250本丸
 

【刀剣乱舞】その愛を何と呼ぶ・前編<web再録>【創作男審神者×一文字則宗】

2021年8月インテックス大阪開催の閃華の刻で頒布し現在は完売となったさにごぜ本のweb再録となります。こちらは前編となります。
再録にあたり(色々ととんでもなかったので)そこそこ加筆修正を行っています。
刀剣乱舞というジャンルにきて初めて出した、最初のさにごぜ長編です。さにごぜが特命調査慶応甲府を経て邂逅するまでの物語を綴りました。
本をお迎え下さった皆様本当にありがとうございました。



***

冬の空気は世界の全てから音を奪う。
今朝の本丸も、そんな風に夜明けを迎えた。

敷地内は昨夜から降り積もった雪で、すっかりと白く塗り潰されていた。時折白の合間から垣間見える榊や柊の葉の緑がくっきりとしたコントラストで浮かび上がっている。
東の空から一生懸命に降り注ぐ太陽光がそれらを照らす事で、本丸内から望む敷地の景色はより眩くきらめいていた。

次第に、早起きの刀剣男士達が目覚めて部屋を出る音がそこかしこで聞こえ始める。その中の数振りは今朝の朝食の当番らしく、暫くすると本丸内にどことなく味噌汁の芳しい香りや一夜干しの食欲をそそる香りが漂い始める。




少しずつ音を取り戻し始めた世界で、唯一静寂のままで静止した空間があった。
本丸の母屋の、共有スペースから最も遠い位置にあるその部屋は、すっかり寝室と兼用になってしまっているこの本丸の主たる男の執務室である。

障子戸の入り口から見て目の前の壁は一面に棚が並んでおり、日報や戦歴記録などの資料や文献、作業上必要な備品や政府から支給された機器類が、整頓されているのかいないのか分からない具合に並んでいる。
入り口の右手には壁に面した形で木製の立派な机と回転椅子が設えられている。机の上にはパソコンとプリンター、例の『鳩』の映像を受信するタブレット、まだ整理しきれていない前日分の各刀剣男士達の日報が雑多に積み上がっている。その奥に埋もれそうになりながらも、古びた一冊の文庫本がそっと置かれている。

入り口の左側にある、木製の二人掛け程度のサイズのソファは回転椅子と同じ布が張られており、一揃いで作られたものだという事がすぐに判る。落ち着いた深緑の天鵞絨と中材は質の良いものを使われており、座るには勿論の事、その上で寝る分にも申し分のない居心地の良さを生み出している。そのおかげでというか、そのせいでというべきか、寝室が隣に別に用意されているにも関わらずすっかりものぐさな主の寝台と化してしまっていた。



現に今も、彼はその上で静かに寝息を立てている。相変わらずのよれよれの開襟シャツに同様のスラックス姿で、床に無造作に投げ出された格好の書類を見るに、気が付けば眠ってしまって朝を迎えてしまった様子である事は容易に想像がつく。
すっかり火鉢の炭も燃え尽きて、同時に使用していたであろう石油ストーブの燃料もいつからか空になってしまっているが、彼がまだ起きる気配を見せないところから推察するに、余程の熟睡に陥っているようだ。
部屋の照明は落とされているため、恐らく近侍代理の大般若長光辺りが消していったと思われる。それにすら気付く事なく今まで眠り続けているという事は、本来眠りの浅い彼からしてみれば珍しい事である。

眠る彼の顔は穏やかだが、長きにわたって溜め込んだ疲れの色は濃い。
彼が今までどんな思いを抱えてこの本丸の主を務めてきたか、それを知る者だけが、彼に染み付いたこの翳りを悟る事が出来るだろう。




そんな彼の寝顔に、音もなく影が落ちる。
疲れ云々とは違う、物理的な影だ。

静かに、極力音を立てぬよう慎重な動きで障子戸が開く。
密閉度の高い造りの室内に、物音一つ立てずに冬の凍てついた外気が滑り込んでくる。






……寒いな)



流石の主も、気温の変化に僅かに意識が浮上する。

熟睡時からの覚醒はどうしてもタイムラグが生じてしまう。
部屋に何者かがそっと忍び込んできた事も、そろりそろりと自身に近付いてきている事も、そう認識するまでに普段の彼よりは遥かに時間を要した。





……!」

主の上に伸びる影がいよいよ色を濃くして初めて、彼ははっきりと意識を眠りの沼から引き摺り出す事に成功した。
弾かれるように上体を起こしながら、彼はしまった、とまず胸の内で舌打ちをした。相手を見るよりも先に護身を考えたからである。

本丸が完全に安心出来る場所である保証などどこにもない。過去に時間遡行軍の侵入を許してしまった本丸で、審神者が死亡した事例もある。
そのため、審神者達は本丸就任時に対時間遡行軍用の護身用拳銃を支給されている。主曰く『こんな玩具同然の拳銃じゃ気休めにもならない』程度の改造九四式拳銃だ。
しかしこの本丸の主は言葉の通りその性能に一切の信用を置いていない。彼は一体どこで調達してきたのか、英国ウィルキンソン社製のウェブリー・モデル1892リボルバーに、これまたどういうルートか支給品と同じ改造を施したものを勝手に常備し愛用しているのだ。

今その銃は、万が一の事を考えて普段仕舞っている机の引き出しの中にまだある状態だ。普段寝る前に手の届く場所に出しておくのだが、寝落ちてしまったせいでその準備をすっかり怠っていてしまったのだ。



しかし、そんなものは全て主の杞憂である。
主も、目の前の影が禍々しい時間遡行軍などではなく、また寝首を掻きに来た侵入者でもない事をすぐに悟った。

朝陽を背にして立つ逆光のそのシルエット。
次第に慣れてきた瞳に映るその姿に、主は息を飲む。



まるで後光のようにその姿を包む陽射しにきらきらと光を乱反射させる金の髪。
逆光の中でもなお澄んだ透明を湛えた硝子細工の瞳。
澄み切った空の青よりも洗練された白い装束と、その白の上で殊更映える、大綬を思わせるサッシュの鮮血のような赤。
そこにただ在るだけで、高貴を纏う立ち姿。



ただ、目の前の存在に、主は時を止められたかのように、釘付けになるばかりであった。





「やあ、主よ。これから世話になるぞ」

悠然とした声。
しかしそれとは裏腹に妖艶に彼は微笑む。

主は唇を戦慄かせて、喉の奥で引っかかる呼吸に少しばかり喘いだ。
まるで何日も水を与えられなかったかのように、からからに乾いた口の中で舌が上手く動かない。

どうにかままならぬ身体に鞭打ち、その男に問うた声は、みっともないほどに震えを抑えきれていなかった。



……名前を、聞かせてくれないか」

掠れて消え入りそうなその声にも、彼はゆったりと艶やかな笑みを湛えて答えた。

「これは失礼した。……監査官改め、僕は一文字則宗。色々と思う事があってな、世話になることに……

そこまでつらつらと自己紹介を述べたところで、一文字則宗と名乗ったその刀は、言葉の続きを言い淀んだ。



目の前で静かに取り乱す男——これから自身の主となる男が、やにわに横たわっていたソファから立ち上がったかと思うと、おもむろに彼へと長い腕を伸べてきたからである。
ほんの僅か、ぎくりと身体を硬直させた一文字則宗であったが、すぐにその警戒は解かれた。その代わり、今まで保たれていた悠々とした振る舞いに少しばかり動揺が入り混じる。

主の武骨だがすらりと長い指が、一文字則宗の纏う服の一部に伸び、微かに震える指先でそこに施された柄模様へと触れる。
一文字則宗の鼻先を、記憶と知識の中だけの煙管の煙によく似た匂いが掠める。


一文字則宗は、人の身を得て初めて味わう感覚に、戸惑いを隠せなかった。



……あんたは、この花の意味を解っているのか」

がさがさの声で、主が問いかける。
己より頭一つ近く背丈の大きい彼が、まるで今にも泣きだしそうな子供のような顔をしている。自らの衣服に施された模様――菊の花の模様に、まるで薄玻璃の細工に触れるかのように縋る姿が、一文字則宗に今まで感じた事のない何かを胸に湧き上がらせた。


「ああ、当然だ。……これは僕への愛の証さ」

一文字則宗は、そういって震える主の指にそっと自らのそれで触れた。
人の身で初めて触れた、人間の身体。それは、一文字則宗に初めて『体温』を教えた。

不意に主の瞳から、音もなく涙が溢れ、伝う。
嗚咽もなく、ただ彼の両の眼から、とめどなく溢れた想いが零れて落ちる。

それをただ静かに、ゆったりと慈愛に満ちた笑みを浮かべて一文字則宗は見つめる。
ここにやってくるまでに抱いていた懸念など、いつしか彼の中からすっかりと消え失せていた。




やがて、主は少し落ち着いた様子で溢れた涙を無造作に袖で拭う。
そして、静かに一文字則宗の瞳を見つめ、告げた。

「一文字則宗、本日よりあんたの主はこの俺だ。この通りの未熟な若輩者だがよろしく頼む」
「いい瞳だ、若造。じじぃ故あまり無茶は出来んが、顕現したからには主の為に尽くそうじゃないか」

主の声はもう震えておらず、涙に濡れてこそいるものの、精悍な顔立ちをしていた。
今日から自身の主となる男のその姿に、一文字則宗は今一度艶然と微笑んでみせた。
そして、くるりと表情を変えて、まるで悪戯を思いついたような子供のような顔を作る。
 
とまぁ、挨拶はこの辺にして、僕はあのくそ坊主を驚かせてやらなきゃいかん。野次馬も増えた事だしまたゆっくりと話そうじゃないか。時間はたっぷりある」

どこか愉快そうな一文字則宗の言葉に、彼がはっと開け放たれたままだった障子戸に目を遣る。
そこには、いつの間に集まったのだろうか、本丸の中でも耳聡い刀剣男士達がびっしりと張り付いていた。
彼らは突如自分達に向けられた主の視線に一様にげっと苦い顔をするも、さっさと開き直った者達から執務室へと雪崩込む。

「主ずるいぞ!俺たちの時そんなんじゃなかったじゃねーか!」
「そうですよぉ、依怙贔屓はよくないですよっ」
「主とってもかっこよかったです!僕にもやって欲しいです!」

真っ先に寄ってきた短刀達が、喚きたてながら主を囲む。

「あー、もう、テメーらうるせぇぞ!明日ちゃんと全員にやってやるから取り敢えず飯食って任務行け!」

辟易と赤面をしながら主が群がる刀剣男士達を一喝する声が、静かなばかりであった本丸に賑やかに響き渡った。




彼らの物語は、遥かな遠回りを経て、今やっと紡がれ始める。