外伝 嘴と無花果

あらすじ
いとしま医学特区に居を構える東都医科大学附属病院。そこに勤務する心臓外科医、嘴馬遼士郎はパリトキシン中毒症で救急搬送されてきた三人の患者に対して刑事事件の疑念を抱き、特殊科学捜査官『螺旋捜査官』である市ノ瀬咲良に調査の依頼を持ちかけた。しかしそれ以前にも同じ中毒症で死亡した螺旋監察官の存在が浮上する。これは果たして偶然か? それとも意図した殺人事件か? 秘匿されたカルテと死亡診断書。背後で渦巻く権謀術数。東医が開発を進める新型手術支援ロボット。
果たして嘴馬と咲良は真実へ辿り着くことができるのか? 二人は調査を開始する――。

***

25/2/14 追記 #000~最終話まで掲載しました。そんでもってセルフ二次創作じゃなくてある話になったんでカテゴリ変えました。
25/2/12 追記 #000~#004まで掲載しています。
25/2/10 追記 #000~#003まで掲載しています。
25/2/8 追記 全編こちらにまとめます。少々お待ちください。現在は #000 のみの掲載となっています。

全年齢版です。これだけ見るとBL要素は薄い気がする。身も蓋もない言い回しですが、私の性癖を如実に反映したBLです。BのLです。
本作品は自創作「レゾン・デートル -天才医師 四宮椿の診療記録-」の外伝(BL)です。別に本編知らなくても何の問題もありません。

よかったら感想くださいの顔でWavebox置いときますね → https://wavebox.me/wave/b064pup7uhwd9l39/



#Epilogue-3
―― 一か月後
東都医科大学附属病院 第三手術室


規則正しいバイタル音がメトロノームのように、あるいは秒針のように、冷たい手術室に響いている。手術灯の光は煌々と輝き、青い手術用ドレープの隙間から覗く肌を照らす。しかし肌には生気がどこか感じられず、人工的に皮膚を再現したような非現実感を湛えていた。手術刀が引かれた黒い点線に沿って滑ると、その間からは赤い血が溢れ出し、拍動する心臓までの距離が僅かに近づく。右側から差し出されたアルミ製の滅菌トレーにメスを移し、胸の中心に引かれた切開線を広げて胸骨の中央を開く。胸骨正中切開という方法だ。

患者は極めて健康的に見える四十代前半の男性だった。救急搬送によって来院したが、その際既にショック状態を呈しており、即ち低血圧であるにも関わらず頻脈であった。加えて心臓を覆う膜の内側に体液が溜まり、心臓を圧迫することで正しく心臓が動いていない状態、即ち心タンポナーデを引き起こしていた。そちらについては救急医の処置で劇的に改善したが、心電図検査の結果が芳しくなく、明らかな冠動脈の狭窄――急性心筋梗塞の所見を認めたため、こうして緊急手術の運びとなっている。

だが、腑に落ちない。執刀医――嘴馬遼士郎は露出した心臓の表面を見下ろし、一度息を吐く。
患者は明らかに筋肉質で日常的に運動している形跡が見て取れた。また搬送時の服装と持ち物から考えても、己の健康管理に気を遣っていたことが分かる。
喫煙歴はなく、飲酒も程々。職業は管理栄養士。筋肉のつき方と日焼け痕から推測するに、マリンスポーツをやっている。アレルギーの既往歴あり。納豆アレルギーだ。つまり、クラゲに刺されることが多い。答えはサーフィンだ。

「ペアン」

嘴馬は手術看護師の大河唯に短く、それだけを伝えた。銀色のハサミに似たクリップ状の器具が手渡される。素早く指を二つの円へかけ肺動脈を挟み、血流を一時的に止める。
心臓へ心停止液を注入し、肉体と心臓を冷やす。人工心肺が動き始め患者の血流と酸素循環を代行する。
バイタルサインの音はない。ただ人工心肺が稼働する音のみが今は手術室を支配し、患者は今最も死に近い場所へ立っている。
第一助手が嘴馬に目配せし、採取済みの静脈グラフトを差し出した。詰まっているのは左前下行枝という血管だが、注目すべき点は別にある。患者がなぜ心タンポナーデに至ったのか?という疑問だ。嘴馬の視線は左前下行枝の傍、少し上へ向けられている。そこには本来あるはずのない血管が複数伸びていた。
確かなことはここから血液や体液が漏出し、心タンポナーデの原因となったという事。だが――。この異常血管が急性心筋梗塞の原因とは考えられないんだよなあ、と口の中だけで呟き、嘴馬は電気メスで異常血管の根元を数ミリ切開した。予想通り異常血管には動脈血が流れこんだ形跡がある。結紮した後切除し、詰まった左前下行枝へ冠動脈と静脈グラフトを接続する。これで滞った血流は流れ始め心臓は正しく拍動するだろう。

「よし、戻していいぞ~」

人工心肺が回り、心臓に満ちていた心停止液は排出され、在るべき場所へと血液が戻される。心臓が一度、どく、と拍動した。もう一度動く。そっと表面に触れれば確かに規則的に――

——!?」

視界の半分が赤に塗れ、血腥い鉄の匂いがマスクの内側まで侵入していた。一瞬反応が遅れ状況の把握に数秒費やし、その間に正常だったバイタルサインは赤い点滅を始め、喧しく異常音を喚きたてる。ごぼごぼと勢いよく心臓の真裏から真っ赤な血液が漏れ出し、遂に先程まで完全に露出していた心臓は緋色の海に溺れ、第一助手が心臓の脱転を試みて下側へ手を入れた。

「駄目です!出血が多すぎて出血点が分からない!脱転して、」
「狼狽えるな。人工心肺再準備。出血点縫合するぞ。フェルト、心筋保護シート」
……っ、はい!」

嘴馬の背後に立っていた新人の手術看護師が一度オペ室を出る。溢れる血液はついに床を犯し始め、麻酔科医がショック状態、薬剤行きますと叫ぶ。すぐに打たれる薬も気休めにさえならない。嘴馬は至って冷静を崩さないが、状況は刻々と悪化し続けていた。

「間に合いません!嘴馬先生、出血が多すぎます!もう一度心臓を止めれば、」

第二助手が必死にガーゼで血液を吸い、吸引管で血液を胸腔から排出しながら悲痛な声を上げた。凄まじい勢いで貯留される血液は遂に死を呼び寄せる。絶望感が手術室を覆い始め、ひたひたと冷たい気配が喉元に突き付けられるような感覚が手術室を支配する。

けれど、まだ生きている。

「出血点は確認した。止血するぞ」
「で、でも脱転は!?この状況じゃ」
「だいじょーぶ、心配するなって。……俺の前では誰も死なせない。誰も、な」

嘴馬はフェルトと心筋保護シートをそっと重ねた。メッツェンを受け取り、目測で二つを重ねたまま切っていく。そして縫合糸を要求し徐に右心室の下部へ当ててしっかりと縫い付けた。吸引管がぼごぼごと空気を吸い込む音を立てている。先程までの夥しい出血が嘘のように止まり、バイタルサインが真っ先に反応して異常音が消える。
患者の心臓は確かに力強く、また規則正しく拍動を始めた。どくん、どくん、と低く響く心音に、目に見えてわかる拍動。嘴馬は満足げに心臓へ視線を投げ、ふっと力を抜いて微笑んだ。

「魔法かよ……」 ぽかんと口を開けた第二助手は穴が開くほど嘴馬の顔を見つめている。「こんな方法が、ありなんですか」
「そりゃあアリだ。臨機応変に対応できねえと患者死なせちまうからな」 嘴馬は容赦ない一言を放った。「閉胸作業は手早く済ませるぞ。A型輸血と輸液追加。ついでにもう一か所治療するからな」
「は?もう一か所?ですか?」 第一助手は呆れたような声を上げる。「どこを切ろうって言うんです?」
「この異常血管全部取って、結紮して……で、閉胸な」
「わかりました。あの……嘴馬先生。この異常血管って一体何なんですかね?」
――ま、後から分かるだろ」

機械のように精密な動作で皮膚が縫い合わされる。糸が引かれるたびに開かれた正中線がピタリと合わさり、赤い線を作る。

「ほい、終了」 嘴馬は見学室へ通じるマイクのフットスイッチを踏み、続けた。
「宣言通り助けたぞ。あとはお前の番だ、椿」

その言葉に男は顔をゆがめた。だが一方で、黒色のドクタースクラブを纏う総合診療医——四宮椿は満足げに微笑み、己が師たる嘴馬の瞳を真っ直ぐに見つめていた。