外伝 嘴と無花果

あらすじ
いとしま医学特区に居を構える東都医科大学附属病院。そこに勤務する心臓外科医、嘴馬遼士郎はパリトキシン中毒症で救急搬送されてきた三人の患者に対して刑事事件の疑念を抱き、特殊科学捜査官『螺旋捜査官』である市ノ瀬咲良に調査の依頼を持ちかけた。しかしそれ以前にも同じ中毒症で死亡した螺旋監察官の存在が浮上する。これは果たして偶然か? それとも意図した殺人事件か? 秘匿されたカルテと死亡診断書。背後で渦巻く権謀術数。東医が開発を進める新型手術支援ロボット。
果たして嘴馬と咲良は真実へ辿り着くことができるのか? 二人は調査を開始する――。

***

25/2/14 追記 #000~最終話まで掲載しました。そんでもってセルフ二次創作じゃなくてある話になったんでカテゴリ変えました。
25/2/12 追記 #000~#004まで掲載しています。
25/2/10 追記 #000~#003まで掲載しています。
25/2/8 追記 全編こちらにまとめます。少々お待ちください。現在は #000 のみの掲載となっています。

全年齢版です。これだけ見るとBL要素は薄い気がする。身も蓋もない言い回しですが、私の性癖を如実に反映したBLです。BのLです。
本作品は自創作「レゾン・デートル -天才医師 四宮椿の診療記録-」の外伝(BL)です。別に本編知らなくても何の問題もありません。

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#Epilogue-2


――――遼士郎さん!」
「来ないで。こちらへ来たら彼の命は無いわ」 今田は倒れ伏した彼の首元へ血で染まったナイフを向ける。「あるでしょう。ノート。茗子さんが遺したノートよ――それを渡して」
「ここにはねえ。遼士郎さんから今すぐに離れろ。離れねえと撃つ」 拳銃をホルスターから引き抜いて彼女へ向ける。
「いいの? そんなこと言って。彼、死ぬわよ」
「クソ女。早く退け。本当に撃つぞ」
「減らず口。いいからノートを渡して。全部書いてあるはず……あそこに……私の救世主の全てが! 私に救いを齎す、彼女のことが!」

俺は反射的に一発発砲した。彼女の頬に一筋傷をつける。だが今田は笑った。口角を釣り上げて、まるで――悦楽に溺れるように、にたりと笑った。

「嗚呼。痛い、痛い。生きてるって実感する。私の心臓はここよ! ちゃんとここを狙って! 私を殺せるもんなら殺してみせてよ!」 彼女は床で呻く嘴馬先生を踏みつける。
「やめろ!!」
「う、ぅゔ……ッ! あ、ぁ゛、」 必死に激痛に耐える彼の手指がリノリウムの床を引っ掻く。「…………せ、咲良……!」
「ねえいいの? 彼が死の手に救い上げられてしまうわよ?」
「お前が、斎藤涼平を唆して……泉祐樹を殺そうとしたんやな……ノートを奪うために」
「ええ。ふふ、こんな時でも捜査官の本分を捨てられないのね。可愛そうだわ。愛する人が苦しんでいても、貴方の手綱は。貴方の銜は。決して貴方を自由にしてくれない」

俺は震える指先で引き金に指をかける。怒りで沸騰する頭を必死に冷やし、荒くなる呼吸を整えて、彼女の心臓へ照準を合わせる。

「さあ、怒れる心のままに、私へ死を齎して。死は、死こそが。救済を。――さあ!」
…………

俺は思わず拳銃を下ろした。今田の表情が驚愕に彩られる。

……死が救済? 莫迦にしやがって。飯田上級の死のどこが救済やったんかちゃ」
「何ですって」
「彼女は今際まで『死ぬなんて許さない』と己を呪った。最期まで真実を追い求めた。何も知らんくせに好き勝手な事ばっか言いやがって」
「な、そんなはずは、だってスアサイダルは、私の――

その言葉は最後まで吐き出されない。閃光が視界を覆う。その隙をついて俺は床を蹴り、嘴馬先生を抱えて飛びのいた。俺の手に生暖かい血液が触れる――かなり傷が深い。脈は速く、先程よりも明らかに容体が悪化していた。

「あ゛ぁア゛ぁああ!!!! な、……! な、 何で。どう、してよ! どうして…………!!」
「舐めたことばっか言ってくれやがりますねェ」

強烈な電撃が轟音を立てて彼女の背中を撃った。
金色の杖を今田へ向けていたのは大河カレンだった。足元で金色に輝く猫が威嚇するような姿勢を取り、耳を引き倒して今田を睨んでいる。

「死が救済~? だったら全人類、死ぬことへの恐怖なんてないでしょ」
「ヒッ」

今田は床に這いつくばって大河を見上げている。その瞳には明確な恐怖があった。死ぬことへの明確な恐怖がある。大いなる矛盾を孕んでなお、彼女は信じているように見えた。
それは『スアサイダル』への狂気的な信仰だった。

「安心してください。死なない程度にボコしてあげますよォ」
――やめとけ、大河」 俺は段々冷静になった頭で彼女へ呼びかける。「それ以上やったらこっちが傷害罪に問われる」
「確かに、言えてますねェ。……良かったですね、咲良さんが優しい人で。私だったら勢いあまって殺してたかもしれません」 大河は今田の腕へ黒い手錠をかける。神秘汚染された対象や魔術師を拘束するための手錠だった。「ほら、立てよババア。行くぞ」

乱暴に彼女は今田を掴み、そのまま空間転移魔術で廊下から立ち消えた。俺は必死に嘴馬先生の傷へ布を当てて圧迫止血を試みるが、血液の流出が思ったよりも早い――俺のハンカチは真っ赤に染まり、記憶がフラッシュバックする。

あの日、俺は間に合わなかった。今日も間に合わなかった。
この人を失ってしまったら、俺は。

眩暈がする。手元が震える。すべきことは分かっているはずだ。今すぐに人を呼んで、それで、緊急手術を――輸血を。傷を塞いで、息が上手く吸えない。視界が歪む。顔を伝う汗なのか、涙なのか、

「咲良」 彼の声が鼓膜を揺らす。「落ち着け、死なねえから」
「でも、こんな、血が、俺はまた」
「だいじょうぶだよ」 必死に患部を圧迫する手に彼の手が重ねられる。いつもは冷たいその手が温かく感じられたのは、きっと俺の手が熱を失っていたからだろう。「だって、お前は医者だ」
「え」
……ちからに、なって、くれるんだろ?」

信頼があった。からかうような口調ではなかった。とっくの昔に捨て去ったと思っていた『医師としての市ノ瀬咲良』を信用していると、彼はそう言っているのだ。
応えたいと思った。どれほどそれが危険な事でも、彼の望みを叶えたいと思った。

「切られるなら、おまえがいい。お前の手でなら、死んでもいい」
……莫迦なこと言わんでください」 彼は俺の言葉に「それでこそ、だよ」と微笑む。


…………絶対に救います。俺に任せてください」


幸い凶刃は腹部大動脈を突き破ってはいなかった。奇跡的に――胃を避け、大網を貫いて網嚢へ到達してはいたものの、膵臓の手前までで刺創は止まっていたのである。しかしナイフを引き抜かれたことで他の血管が激しく損傷していた。
俺は腹腔内の血液を吸引して視界を確保し、洗浄しながらバイタルモニターを睨む。輸血と薬剤によって下降した血圧は持ち直し、出血性ショック一歩手前までいったバイタルはどうにか平常に戻っている。
手術室を開けてくれとERに駆け込んだ時――誰も何が起きたのかを聞きはしなかった。刺創部の損傷した血管を再建し――出血を止める。警察病院にいた頃の記憶は脳よりも手に強く刻まれていたらしく、俺の手は長い事手術室から離れていたにも関わらず、糸に触れればその結び方をすぐに思い出し、血管に触れればどこを繋ぐべきなのかは指先が知っている。
指を濡らす血液も、視界に一切の影を作らない無影灯の光も、俺にとっては遠い記憶だったはずだ。だが――

(指が、覚えとる)

俺の指導医は指導医ではあったが、オペに入ることを許されていなかった。交通事故により左手の神経を損傷し、外科医としては致命的な傷を負っていたからだ。
だが彼の指導は骨身に染みて、俺の背骨を象っている。だから。

「メッツェン」

パチン、と音を立てて糸を切る。血管を再建し、次へ。
昔、俺が向き合った患者の難易度はこの比ではない。俺が見てきた血管はもっと細く、触れる事すら憚られる世界。数ミクロンのミスも許されない領域。
脳を、診てきたのだから。
皮膚を一針一針縫い合わせていく。引き合わせて傷を塞ぐ。目立つ傷跡が残ってしまうかもしれない。この位置であれば誰かがまじまじと眺めることはないだろうが、彼に与えられた傷は物理的なものだけではなく――心理的な傷もある。それらすべてを抱きしめて、彼の杖になれたらいいと思った。

「縫合完了。……

俺は深く息を吸って吐き出す。麻酔で眠る彼の姿は痛々しく、俺は手袋を捨てて彼の肩へ手を置いた。

…………遼士郎さん」

名を呼ぶつもりは無かった。ただ冷え切った彼の体にほんの少しでも体温を分け与えられれば、と思っただけのつもりだった。
認めざるを得ない。
蓋を閉めて、隠したつもりになっていた。何の意味もない意地を張って、彼にとって有用な存在であろうと努めた。彼が手放したいときに手放して、使いたいときに使える存在であれば、俺も不用意に傷つかずにすむとばかり思っていた。それがお互いのためになると信じてやまなかった。

だがそれはとんでもない間違いだった。いつか、椿が言った。
『いかに奇妙なことであっても、不可能な可能性を削除していき、最後に残ったものが真実だ』
とんでもない金言だった。


俺は、嘴馬遼士郎というひとに、恋をしている。