外伝 嘴と無花果

あらすじ
いとしま医学特区に居を構える東都医科大学附属病院。そこに勤務する心臓外科医、嘴馬遼士郎はパリトキシン中毒症で救急搬送されてきた三人の患者に対して刑事事件の疑念を抱き、特殊科学捜査官『螺旋捜査官』である市ノ瀬咲良に調査の依頼を持ちかけた。しかしそれ以前にも同じ中毒症で死亡した螺旋監察官の存在が浮上する。これは果たして偶然か? それとも意図した殺人事件か? 秘匿されたカルテと死亡診断書。背後で渦巻く権謀術数。東医が開発を進める新型手術支援ロボット。
果たして嘴馬と咲良は真実へ辿り着くことができるのか? 二人は調査を開始する――。

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25/2/14 追記 #000~最終話まで掲載しました。そんでもってセルフ二次創作じゃなくてある話になったんでカテゴリ変えました。
25/2/12 追記 #000~#004まで掲載しています。
25/2/10 追記 #000~#003まで掲載しています。
25/2/8 追記 全編こちらにまとめます。少々お待ちください。現在は #000 のみの掲載となっています。

全年齢版です。これだけ見るとBL要素は薄い気がする。身も蓋もない言い回しですが、私の性癖を如実に反映したBLです。BのLです。
本作品は自創作「レゾン・デートル -天才医師 四宮椿の診療記録-」の外伝(BL)です。別に本編知らなくても何の問題もありません。

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あの男を殺害すれば彼女は解放される。同時にこの身を蝕む謎の疾患の答えを得られる。そして――何も言わず一人で全てを背負い、去って行ったあの人の死についても。
決意を踏みしめるように一歩、一歩――力を込めて前へ進む。辿り着いたのは病室だった。もう後には引けない。代価を支払ってここまで来たのだ。巻き込むべきではない人を巻き込み、けれど同じ方向を向いて、冷たい殺意を滾らせて――

病室の扉へ指をかける。
彼はICUから漸く出て、死の手から僅かに逃れたという。だが無駄だ。そんなものから逃れたところで意味はない。最初から殺す気でいる者が近くにいるのだから。
引き戸をゆっくり開く。内部には暖色の電灯が灯り、誰もいない。すべきことは一つだけだ。失うものなんてもう何もない。彼女が助かり、幸せな人生を送っていけるなら、それでいい。



「見舞いにしては随分と剣呑な雰囲気じゃねえの」

嘴馬先生の声に男は勢いよく振り返った。そこに立っていたのは、馬子だった。黒い髪に白いメッシュが一筋入った、大人しそうな見た目の馬子である。

「それをこちらへ渡してください」

俺は彼の方へ手を伸ばす。彼が手に持っていたのは何処にでも売っているようなハサミだった。だが弱った泉祐樹を殺すのであれば、十分凶器になり得る。

「市ノ瀬、先生……どうして……
「一つ嘘をつきました。――俺は脳外科医じゃありません。螺旋捜査官です。この医学特区の中では警察権限を付与されている。ですので、もしその凶器を渡していただけないのであれば、ここで貴方を拘束することができる」
「やれるもんなら、やってみろよ」 斎藤は顔を歪めた。「俺は馬子だ。人間の体なんて簡単に壊せる」
「できねえよ」 嘴馬先生が冷たく言った。「だってお前、瞳孔が横向いてるもん。その眼鏡は立体視矯正用だろ? すんげえ高い保険適用外のやつ。でもそれを使ったって完全に改善されるわけじゃない。それにお前の遺伝子検査結果と運動機能検査結果を見たが――肺活量、心拍数、体温、基礎代謝、筋力。それら全てが『ヒト』並みだ」
――――!!」
「諦めろ。戦闘訓練受けてるこいつには勝てねえよ。ハサミを寄こせ」
「嫌だ」

斎藤はハサミを握りしめたまま後ずさる。その声は震え、どこか激しい死の恐怖に苛まれているように見えた。

「生きていたら! またまりなが苦しめられる! これ以上彼女から何も奪わせない!」
――ッ、落ち着け! ……咲良、不味いぞこれ。こいつもしかしたら――
「分かってます。すぐに取り押さえられるように、」
「違う!」

鋭く嘴馬先生が叫ぶ。俺はその剣呑な雰囲気に気圧されて一瞬判断が遅れた。斎藤が勢いよくハサミを振り上げる。
その凶刃は――泉へ――ではなく、斎藤涼平自身へ向いている。自刃? 頭が白くなる。何が起きているのか想定外過ぎて何も分からない。
瞬時に嘴馬先生が壁に備え付けられた全館緊急放送――即ちコードブルーを伝えるためのボタンを乱暴に叩いた。俺は漸く弾かれたように意識を引き戻す。
瞬時に地面を蹴って斎藤に迫る――

「う、ぁ、……ああ、ああああ! ――来るなぁ!」

一度向かってくる右手を捌く。だが再びそれがこちらへ向けられ、先端が勢いよく――思い切り俺へ突き刺さる寸前で手首を捻り上げて関節を極め、床へ倒して拘束する。

「離せ! 離せよ! 俺は、俺は……!!」
「暴れんな! 落ち着け!」
「俺は死ななきゃ、死なせてくれよぉ……死なせてくれ、俺のせいでまりなが……ああ、あああ!」

半狂乱状態に陥っている彼の様子に、俺は混乱した頭で必死に思考を巡らせる。これはどういう事だ? 斎藤は泉を殺すためにここへ来たのではないのか? それとも俺たちを見て己のしようとしていることに気付いて、

「う……

視界の端で泉が声をあげて僅かに腕を動かし、酸素マスクを外して必死に体を持ち上げようとするのが見えた。放送でやってきた職員たちが光景の異様さにポカンとして――それを見た嘴馬先生は珍しく怒鳴りつけるように、

「警察と総合診療科に連絡! 警備呼べ!」 と叫ぶ。その声で冷や水を浴びたか弾かれたように看護師と救急医は駆けていく。「何がどうなってんだ……大丈夫か?」
「こっちは大丈夫です。泉の方をお願いします」

抵抗を諦めた斎藤は俺に組み伏せられたままじっとしている。ぶつぶつ「死ななきゃ、死なせて」と己へ向けて呪いを吐いていた。

「涼平……」 泉が声をかける。「だから、言ったのに。早く病院に行こうって」
「行ったって無駄だ。俺の目は治らない。お前にはわからない。この苦しみも、絶望も。普通に生活することすら困難なんだよ。中途半端に見えることの苦しみがわかるか」
「でも、だからって、こんなの間違ってる」

俺はその発言に強烈な違和感を覚える。泉祐樹がパリトキシンで汚染された魚を食わせた――そういう話のはずだ。彼は配偶者である高井まりなへのDVなど、様々な証言が取れている。

「俺はともかく、なんでまりなまで巻き込んだんだよ」
「ちょ……ちょっと待ってください。それどういう意味ですか」 

俺はもう訳が分からず口を挟む。彼の話如何によっては全ての話が根底からひっくり返る……俺は思わず拘束の手を緩めてしまう。脱力したまま斎藤は床に転がっていた。そして、

「俺がやったんです」
「それ、は……パリトキシンで汚染された魚を二人に食わせて殺害を試みたっつう……そういう意味か?」
「そうです。銀行に転職したのは、この目になってから、でも! 最初は眼鏡をかけたらまだ立体視ができていた。でも眼鏡をかけても、もう駄目なんです。モノとの距離感が測れない。手元が狂う。料理なんてできやしない」
「お前……料理人だったのか」 嘴馬先生がポツリとこぼす。

俺は斎藤を助け起こす。自暴自棄になって悲嘆に暮れている姿が痛々しく、俺は思わず押し黙った。

「この目になってから、全部おかしくなった。ストレスを彼女へぶつけて、暴力を振るった……こんなことしたくないのに、気が狂いそうだった。だから、別れようとした。これ以上彼女を傷つけたくなかった……
「泉さん。一ついいですか。貴方が高井さんは離婚調停中という証言を取っているのですが……これは虚偽の証言と考えていいんですね?」
「はい」 泉はこくりと俺に向かって頷いた。「俺たちは涼平の人となりを知っています。だからまりなと話し合って決めたんです。この件は隠し通す、って。必要なら俺を悪者にしてくれって……

高井は泉を夫であると偽り、実際の夫である斎藤の存在を隠した。三人が同時に搬送されてきたのは、おそらく三人で旅行に行き、そこでパリトキシンに汚染された海産物を摂取したことが原因だろう。だから全員バラバラに搬送されてきた。しかし彼だけが軽症だったことには疑問が残る。

「警察がどうこれを判断するか、俺には分からんが……」 嘴馬先生が斎藤に椅子を促す。俺は抱えて座らせ、話の続きを待った。「まず医師として言わせてもらう。お前には心療内科、精神科での治療が必要だ」
「え……精神科……?」
「ああ。専門じゃないから無責任に診断はできないが、最大の問題はその目じゃない。眼科疾患を患ったことで、精神に変調を来すほど強いストレスに晒されていることこそが最大の問題なんだ」
「涼平。ちゃんと医者に診てもらえよ。俺はお前にこれ以上苦しんでほしくないよ」
「彼の言う通り、精神科で診察を受けてくれ。頼む」
……てやるって、言われたんです」
「あ?」

俺は眉を顰めた。彼が零した言葉には嫌な気配が纏わりつき、彼の心を荊が蝕み、容赦なく締め上げているように見えた。
殺人教唆。その四文字が頭に浮かぶ。

「祐樹を殺したら……目を治してやるって……俺は。俺は、自分のことばっかりだ! 俺を助けてくれようとした人に刃を向けた! 生きてる資格なんかない……! もうほっといてくれ!」
「尚更、放っておけないな」 嘴馬先生が静かに――彼の心に寄り添うように言う。「後悔しているんだろ。なら生きて己の罪に向き合え。俺たちは医者だ――お前の心も救う。必ず」

病室に入ってきた秋津刑事が逮捕を宣告する。斎藤は大人しく腕を差し出した。黒い手錠が音を立てて彼の細い腕にかけられる。

「涼平」 泉が少し掠れた声を上げた。そして、一瞬悲しそうな表情になり――けれど、次には朗らかに笑った。

「また、三人で旅行行こうな」
「うん」

ぽつ、と空から涙が零れ落ちる。すぐさま空が暗くなり、窓ガラスを伝う水は滝のように流れていく。
病室の扉が閉ざされても、泉祐樹はずっと――ずっと、幼馴染の背中を追いかけていた。