外伝 嘴と無花果

あらすじ
いとしま医学特区に居を構える東都医科大学附属病院。そこに勤務する心臓外科医、嘴馬遼士郎はパリトキシン中毒症で救急搬送されてきた三人の患者に対して刑事事件の疑念を抱き、特殊科学捜査官『螺旋捜査官』である市ノ瀬咲良に調査の依頼を持ちかけた。しかしそれ以前にも同じ中毒症で死亡した螺旋監察官の存在が浮上する。これは果たして偶然か? それとも意図した殺人事件か? 秘匿されたカルテと死亡診断書。背後で渦巻く権謀術数。東医が開発を進める新型手術支援ロボット。
果たして嘴馬と咲良は真実へ辿り着くことができるのか? 二人は調査を開始する――。

***

25/2/14 追記 #000~最終話まで掲載しました。そんでもってセルフ二次創作じゃなくてある話になったんでカテゴリ変えました。
25/2/12 追記 #000~#004まで掲載しています。
25/2/10 追記 #000~#003まで掲載しています。
25/2/8 追記 全編こちらにまとめます。少々お待ちください。現在は #000 のみの掲載となっています。

全年齢版です。これだけ見るとBL要素は薄い気がする。身も蓋もない言い回しですが、私の性癖を如実に反映したBLです。BのLです。
本作品は自創作「レゾン・デートル -天才医師 四宮椿の診療記録-」の外伝(BL)です。別に本編知らなくても何の問題もありません。

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#002-2


今日中に全てのケリを付けたかったが、高井まりなの主治医である今田恭子が経営するクリニック――残念ながら今日は休診日とあって、それについての調査は翌日以降に持ち越しになった。
俺は車のキーを手に取り、ビジネスバッグにPCを入れる。気が付けば壁に掛けられたアナログ時計が七時を指し示し、すっかり残業していた事を思い出す。
タイムカードを切って椿の居室を後にしようとして――ふと視線が壁のホワイトボードに向いた。そこにはマグネットが貼られており、『大河』『四宮』と書かれたマグネットの他に、もう一つ『市ノ瀬』と書かれたものがある。椿と大河のマグネットの傍には丁寧にマーカーで「イタリア出張!! ナポリ!!」と書かれており、俺の方には「お土産にパスタ買ってきますからね 茹でてください byカレン」と謎の宣言があった。
俺は地下の駐車場へ向かう。ふと頭によぎったのは嘴馬遼士郎の顔だった。特に連絡は貰っていないが、放置しておくと平気な顔で病院に泊まり込む人である。俺は電話帳から彼の番号を呼び出し、数度の呼び出し音を聞く。
もしもし、と眠そうな声が響く。ソファで寝てそのまま泊まるつもりやったな、と俺は車を離れてエレベーターホールへ向かう。

「泊まり込む気でした?」
「まあ、ちょっと気になる患者いるからな……
「帰りますよ」 俺は有無を言わせずに告げる。地下二階へ辿り着いたエレベーターに乗り込み、「昨日も泊まってたでしょう、あんた」
「何で知ってるんだよ」
「そりゃあ俺、東医のあらゆるデータベースにアクセスできるんで」
「あぁ……そういえばそうだったな。……本当に帰らないと駄目か?」
「帰りたくない理由でも?」
「だから、患者の事が――
「あんたがずっと気にしておかねえと駄目なんですか? 俺の知る限り、東医の心臓外科は国内でもトップクラスの優秀な外科医集団の筈ですが」
…………わかったよ。今日はお前の言う通りにする」

電話越しに衣擦れの音が聞こえる。俺は八階の心臓血管外科、嘴馬先生の居室へ辿り着く。乱暴に居室の扉を開ければ、白衣をハンガーに引っかけている彼の後姿を認めた。

「咲良、多分さ、今日で買っといたうどん麵の賞味期限ヤバいかも」
「なんで生麺を毎回買うんですか。乾麺だったら日持ちするのに」
「だって乾麺ってカップ麺みたいで美味しくねえじゃん。やっぱうどんはやわやわに限るんだよ」

福岡のうどんは『うろん』と言われるほどやわ麺である。香川の讃岐うどんと比べると喉越しが全く違うのだ。そんなことを考えながら、どうやってその賞味期限間近の生麺を消費するか考える。

「鍋で、〆とかでいいですか。どうせあんた、野菜もため込んで大変なことになっとるんやないですか?」
「全く以てその通りだよ」

ドクタースクラブから普段着に戻った嘴馬先生は、先日のフォーマルな服装とは異なり緩い恰好をしている。白い丸首シャツにグレーの薄いカーディガン。スラックスは黒いが、少し草臥れている。アイロンがけを怠っているのだろう。

「送ってくれるのか?」
「まあ、はい」
「悪いな」

そういえば彼にありがとう、と言われたためしはあまりない。目元へ手を遣り、使い捨てのコンタクトレンズを外して黒縁の眼鏡をかける。その装いは彼の家でしかほとんど見ないので少しばかり新鮮だった。

「別に――送り届けないと、あんた途中で病院に引き返しそうなんで」
「信用ねえな……
「実際そうじゃないですか」
「まあ、うん……そうだな」

少し疲れた様子の彼は俺の方へ一歩近づき、俺の肩に額を押し付けた。こんな参った様子の嘴馬先生を見ることは初めての事で、俺は困惑する。ビジネスバッグをソファへ置き、そのまま動かない彼をそっと抱きしめてみる。何も抵抗されなかった。普段なら「こら」とか言って俺を引き剥がそうとしているだろうが、そんなことをする気力も沸いていないのか、ただ黙って俺にされるがままになっている。

「少し疲れた」

年かな、と言う彼の言葉には力がこもっていない。そっと体を離し、ふっと微笑む。

「妙なことして悪かったな。帰ろう」
……遼士郎さん」

名を呼んでみる。彼は僅かに目を見開いた。情事の間にしか殆ど下の名を呼ぶことはないのだが、俺としては職分を忘れても良い時間であれば、名前で呼んでも良いのではないか――それくらいは許されるのではないか、と思った。
それさえ許してもらえないのであれば、俺は本当に彼にとって『立場的に都合のいい存在』でしかないのだろう。

「珍しいな」
「嫌でしたか」
「まさか」 一歩、距離が詰まる。彼の左手が俺の胸骨の真上にあった。心臓の真上に、左手がそっと置かれる。「俺が乞わねえと呼んでくれねえから。もう一生普通に過ごしてたら呼んでもらえないのかと思ってた」
「呼んでいいなら、そう呼びます。業務時間は、まあ、いつも通り呼びますけど」
「うん」

心底ほっとしたような顔で彼は微笑んでいた。俺はこみ上げてくるものに胸が詰まり、ひどく切ない気持ちになって、泣きたいような衝動に駆られていた。

「キスしたい」
「いいよ。おいで」
「違う、そういう事じゃありません」
「ん? ……ああ、」

俺はそのまま俺の心音を感じ取っている左手に己の右手を重ねる。繊細な硝子細工に触れるように、左手で頬に恐る恐る触れる。少しだけ体温が低いような気がした。

「ぅ、……、は」

彼の唇から漏れる吐息は苦く、けれど甘い。俺は彼の口へ舌を入れる。じゅ、と軽く舌を吸って。軽く上顎を刺激するように舌を動かす。

「ん、ん……あ、っ、ん…………っ、く」

珍しく微かに声を上げ、彼が前触れのような戯れにも多少は心地よさを覚えてくれていることに安堵する。嘴馬先生の左手が俺の右手から逃れるように動く。俺はそれをほんの少しだけ強引に掴み、互いの指を絡ませる。冷たい指先に熱が灯るように。体温を溶け合わせる。

「咲、良」
……っ、すみません。苦しかったですか」
「明日、仕事は?」
「ないです。まあ……今田整形外科のことは調べようかと思っていましたが……
「それ、明後日以降にして」
……。はい。分かりました」
、咲良……お前さ。肝心なところでめちゃくちゃ鈍感になるよな」
――鈍感?」

俺は自分の口角が僅かに上がっているのがわかった。底意地の悪い笑みを浮かべていた事だろう。嘴馬先生は俺の表情を見て、

「お前も大概悪い男だよな……
「言ってくれないと分かりません」
「そういうところだよ。わざわざ言わせようとするの、いや、お互い様と言えばお互い様なのか……
「何の話ですか? ちゃんと言ってください。遼士郎さん」 紅色を帯びた耳元に囁く。彼は肩をびくりと震わせて、
「わかった、わかったから。……勘弁してくれ……

そういって体を離す。しかしその直後、彼が俺のネクタイを思い切り掴んで口を塞ぐ。ぐちゅ、くちゅ、といやらしい口吸いの音がお互いの奥へ響き、唇が離れる。吐息が混ざり合う距離に伸びた糸を俺は指先で拭って、そして。

「抱いて」

嘴馬先生は、俺にそう懇願した。

「今日はもう何も考えたくないんだ」

柳が撓るように俺にもたれかかる。服越しでもわかるほど彼の体は睦みの熱に浮かされていた。
性差に関係ない、艶がある。ここは居室だ。この人をこんな状態にしてしまって、誰かに会ったらとんでもねえことになるな――と焦りを覚え、しかし俺が普段車を停めている駐車場へ行くエレベーターは殆ど通行人がない。大丈夫だと、思いたいが。

「帰りましょう。……すみません、後先考えず」
「いいよ。どうせ明日の朝は昼だろ」

その言葉の意味は、理解できる。
一等優しくしてやろう、と思いながら、俺はソファに放っていたビジネスバッグを拾い上げた。