外伝[1881-1891] 誰が金糸雀を殺したのか?

あらすじ
1885年、3月。諮問探偵シャーロック・ホームズと、その助手・医学博士ジョン・ワトソンの元にある依頼が届く。依頼の内容は『失踪した娘を探して欲しい』という極めてシンプルなものだった。しかしその依頼の二週間前に起きた、ある歌姫の死とその失踪が繋がっているようで……? 手掛かりは奇妙な手紙「R: WHO KILLED THE CANARY」、そして色濃く残る幻想の気配。その先にあるのは深い森と視界を奪う霧。鳥籠と信仰の密室__。誰が金糸雀を殺したのか? その命題に二人は挑む。


無印べったーの移植版です。一部名前や句点の修正を行いました。

スペシャルサンクス
笋様の作品「赤い純情」、ヘルメス様にご登場いただきました。本当にありがとうございました。素晴らしい作品をインスパイアさせていただき本当に光栄です。
Littorio様 アマネセール家のお名前を出させていただいております(事後報告)。ありがとうございました。





「驚きましたよ。まさか貴方のような高名な探偵が、我々に――いや、いや! そうか! そういうことですか!」
「お父様、どうか落ち着いてください。客人が逃げてしまいますよ」

ローレンス・フォークナー卿と思われるその男は、階段の中腹から立ち消えるように私の目の前に現れた。遠くから見た時はもっと若いかと思っていたが存外に年を召しているらしい。後ろから若い男が声をかけたが全く聞こえていないようだった。

「信じられない、本物の、生きているアンシーリーコート!! ミスター・ホームズ、貴方は一体どこでこれを!?」
――フォークナー卿。失礼を承知で申し上げますが彼は『これ』などと呼ばれる存在ではありません。僕の大切な友人です。如何にワトソンがそのような物言いと扱いを許そうと、僕は見過ごせない」
「ああ、いやはや! 失礼いたしました……そうですね、確かに礼節を欠いていました……どうかお許しを。名乗っていませんでしたね。私がローレンス・フォークナーです。マイクロフトから貴方がここへ来ることは聞いています。後ろで何か言っているのはルドルフ・フォークナー。私の息子です」
「初めまして、お二方。ルドルフ・フォークナーと申します」ルドルフはそう言って私の方へそっと手を差し出した。私は遠慮がちに握手を交わす。ローレンスが「ずるい!」と声をあげた。
「ずるいも何もないでしょう。そんな距離の詰め方をしたら普通の人間でも怖いですよ」
「あっはっはっは、確かに! あぁ申し訳ない」

ローレンスはそう言って朗らかに笑い、こちらですと二階のサロンへ私たちを案内した。サロン内は思ったよりも豪華な内装ではなく、深い緑色の家具で纏められており落ち着いた雰囲気があった。

「それで何をお望みですか? 我々はどのような品も完璧に保管し秘匿いたします。それがどれほどの秘密、幻想であろうと、神秘であろうと」ちらりとローレンスは私を見る。「しかし――しかし本当に驚きを隠せません!! 魔術師として三百年程生きてきましたが、生きたアンシーリーコートには初めて会いました。無論! 幻想種においてもここまで完璧に人の姿に擬態できる者にも初めて会いましたよ……ああ、貴方は本当に美しい……無垢なる原生神秘。全ての鋳型。歌を聞かせてください。ハッ……もしや陸にいる間は歌えませんか? だとしたら残念です。そうだ、少しだけ触れても?」
「お父様」

ルドルフが諫言をしようとしたが、ローレンスはもう私の皮膚まで指先を伸ばしていた。僅かに爪が触れる。

「良いわけがないでしょう」ホームズは不機嫌そうに私の頬へ伸ばされたローレンスの手を跳ね除けた。「ワトソンは何も言っていない」
「はは、ははは……失敬、大概貴方もアンシーリーコートの魅力に取りつかれているのですね……ふふふ……いえいえ、仕方ないことです。人間が幻想に焦がれるのは今に始まったことではありません。それで、何のご用件でしょうか。探偵が求める答えを用意できるかどうか、少し緊張しますね」
「エミリア・ハーツクライという方をご存じですね?」

ホームズは不機嫌を隠さずに問いかける。その圧に少しだけローレンスは怯んだように背もたれへ体を預けた。ルドルフは微動だにせず背筋を伸ばしていた。

「んん……。俗世には疎く申し訳ない。聞いた事があるような、ないような気がしますね」
「貴方が養子になるよう打診した女性です」
「ああ! ああ思い出しました! あの金糸雀の娘ですね。ええ、ええ。知っていますとも。まあ珍しかったので手籠にしようかと思ったのですが、残念ながら突っぱねられましてね。今はどうしていますか? 元気ならば重畳です」
……エミリア・ハーツクライが珍しい、というのは」私が言った。
「ああ、原初の泡、アンシーリーコートよ、貴方に比べれば大した事はありません。しかしながら金糸雀の娘が珍しいのは事実です。あれはハーフエルフですよ」
「ハーフエルフ……!? エミリアの母親がエルフだと? いやしかし、貴方は彼女に『フォークナー家の血を引いている』と伝えたはず。血が繋がっている事が養子にしようとした理由ではないのですか」ホームズが矢継ぎ早に言う。先程の不機嫌はどこかに行ってしまったらしかった。
「無論それも理由の一つではあります。ですが今は養子になど、そうしなくて良かったと思っているほどです」
「何故です?」
「ミスター・ホームズ、妖精を物質化する魔術がある事はご存知ですか?」ルドルフが言った。
「知り合いに神秘管理局の者がいますので彼女を通じて存在している、という事は心得ています」
「そうですか。では良かった。愚弟がその魔術について最近熱心に研究していましてね、すっかり魅入られているようなんですよ。養子になんてしていたら材料にされたかもわからない。魔術師は倫理観がおかしいですから」

ルドルフはそんなことを言った。なぜ今そんな事を、とホームズが言う前にルドルフは続けて話をする。

「エミリアといえば、そうだ。あれは我が愚弟の腹違いの娘でしたね。まあいいでしょう」
……いや良くない! 重要な情報だろうこれ!」
「よくある事では? 特段重要な情報とは思えませんが」ルドルフは軽蔑するように言った。
「犯罪捜査においては重要ですね」ホームズは少し警戒心を向けながら言った。「その辺、詳しいお話を聞かせていただきたいのですが」
「ええ……。まあ、いいですが……ロベルトがエルフを攫って来たのはもうだいぶ前の話です。そのエルフがどうなったのかもよく知りません。兎も角エルフとの間にもうけた子どもがエミリア、という事だけです」
「エミリアの母親の遺品だという『金糸雀の涙』について何かご存知ですか?」
「エミリアはもしかして見た目の割にかなりの年齢なのでしょうか?」

私とホームズは殆ど同じタイミングで発言した。それまで黙っていたローレンスが驚いたように目を見開く。あっはっはっはっ、と実に楽しそうに声を上げた。

「いやぁお二人とも随分仲良しなようで! いいですね……羨ましい限りです。私は人の身でありながら随分と生きながらえてしまいましたから、そのように笑い合える友人はもういません。
……恐れながら原初の泡、アンシーリーコートよ。一つ忠告しておきます。あまり人間に肩入れなさらない方が良い。貴方は滅びを知らぬ者です。悠久の時を生きている不滅の存在です。どれほど貴方が人を愛そうと、人は貴方に寄り添う事はありません。貴方は常に残される。ですからどうか、差し出がましいでしょうが、このことは頭の片隅に置いていただければと思います」
……肝に銘じておきます」
「ええ、ええ。そうしてください。まあそれはいいんです。で、何ですか? 『金糸雀の……』何ですか?」
「『金糸雀の涙』という宝石です。レディ・ジゼット・フォークナーに預けられたはずなのですが何かご存知ですか?」ホームズが落ち着いた語気で言う。無理矢理落ち着かせているような感覚があった。
「ジゼットか……」ローレンスは嫌そうに言った。「いえね、ジゼットの金庫の事はちょっと私にもわからない部分があるんですよ。うちの金庫番の中でも特に厳重な秘匿が必要な物を預かる専門家でして、私の権限でも開けられない。預けた者は誰です?」
「マリア・アーキテクトです」
「納得しました。あの家しょっちゅうジゼットの金庫に物を預けているようですからね……まあ仕方ない面もありますが」
「どういうことですか?」
「さっきこれが言ったでしょう。妖精を物質化する魔術があると。それの専門家がアーキテクト家です。彼らは絵画や宝石という形に妖精を固定化し、概念を書き換えて建築し直します。まあこれをしくじるととんでもない厄災を撒き散らす呪物が出来上がるんですが、専門家はさすがと言う他にありません。そのマリア? が預けたということは『金糸雀の涙』は随分とすごい代物でしょうか」
「母親の遺品だとの事です。魔術師絡みなのか、詳細は不明ですがレディ・ジゼットに預けられた事だけが分かっています」
「なるほど。仕方ない、本人に聞くのが良いでしょう。ジゼットを叩き起こしてきますから少しお待ちください」

ホームズの言葉にローレンスはそう返して滑るようにサロンを出て行った。数分ほどで少し眠そうな、黒いガウンと首までを覆うロングドレスを着たジゼット・フォークナーを連れて彼は戻ってきた。彼女はとても細身だった。長い髪は銀色で、高い位置で軽く結わえている。瞳は深い青色で海の底のような色合いをしている。しかしやはり顔色が良くない。マリアの死をその耳に入れているのかもしれないと思った。彼女は一瞬だけこちらを見てぎょっとした顔をした。私がアンシーリーコートだと気づいたのだろうが、すぐに逸らされた視線からは畏怖や嫌悪を感じ取ってしまう。
ローレンスの手にはいくつか、何か細かい装飾のついた鍵がある。ジゼットも同様である。銀色の細い鍵からは青い宝石が嵌め込まれており、月の光を写しとったような気配がした。

「マリアが死んだと聞きましたわ」ジゼットは憎悪と悲哀の混じった表情でホームズを見据えた。
「遺体の検分をしましたが死後二日は経っていました。即ちアーキテクト氏から依頼が来た時点で彼女は亡くなっていたのです」
「そんな……!」ホームズの無慈悲な言葉にジゼットはふらふらと床にへたり込んでしまった。ローレンスがそっと彼女の背をさする。「おじい様……
「お前が悪いわけではないよ、ジゼット」
「どうして、どうしてあの子が死ななければならないの……! あの子が何をしたというの! どうして――
「ジゼット。今はすべきことをしなさい。悲しみに浸るのはそれからだ」ルドルフは厳しく言い放った。

嗚咽が静かなサロンに響く。銀の鍵に大粒の涙が溢れ落ち、シャンデリアの明かりを反射して光った。
だが一つどうしてもわからない事がある。ジゼット・フォークナーはエミリアと面識がないはずだ。エミリアがフォークナー家の血を引いているとしても、母と二人で暮らしてきたはず。二人に接点が生じる所がない。

……レディ・ジゼット。一つ伺いたいのですが、エミリア・ハーツクライとどういった関係ですか?」
「それは……」ジゼットは許しを求めるようにルドルフを見つめた。彼は軽く頷いて話すよう促した。「その」
「その前に。金庫を開けてください」
……おいホームズ」
「『金糸雀の涙』を確認したいのです。僕の目ではなく、秘められた幻想を視る彼の目で」ホームズはそう言って私を見据えた。名探偵には何か、隠された真実が少しだけ見えたらしい。


金庫へ行くには鍵が必要である、という事は考えずともわかっていた。ぼんやりと鍵からずっと糸のようなものが視えていたからだ。ジゼットはその鍵をサロンの扉の鍵穴に差し込み、逆向きに回した。すると扉がすぐさま銀色に塗り替わり金庫の扉が現れる。ホームズは興味津々の様子でその扉を眺めていたが、すぐに私の横へ戻って耳打ちした。

「ジゼットが開錠しなければ扉は出現しない仕組みのようだ。流石の管理体制だな。なあワトソン、もしも彼女が何者かに殺害されて、腕だけになったとしたらあの扉は開くと思うか?」
……物凄く嫌な仮定だな。まあ仕組みだけで言えば永久に閉ざされるだろう。開錠する際に魔力を流している。魔力の波長と鍵、二つ揃わなければ開かない仕組みになっているようだ」
「成程……それならレディ・ジゼットが殺害される可能性は今のところ低いか」
「待てホームズ、一体どういうことだ!」私はホームズの右肩を掴んだ。「ジゼットが? どうしてそうなる」
「考えてもみたまえ。ジゼットは殺害計画を知っている。そうでなければ手紙など送れるはずがないからね――再び動き出すとすればまずジゼットへその手が伸びる。なにせマリアが死んでいるのだから」
……フォークナー家内部に犯人が潜んでいると言ったな」私は声を潜めてホームズに聞いた。
「ああ。ローレンス・フォークナーは何であれ事件に関わっているだろう。だが今のところは疑えないな。彼はどうにも掴みどころがない」
「そう……なのか? 怪しさ満載だが」私は初対面で一気に距離を詰めてきた彼の背を見た。ホームズは首を横に振る。
「感覚的な怪しさだけで言えばよっぽどルドルフやジゼットの方が怪しい。多くを知りながら秘匿するのは魔術師の性だろうが……。マリアはアーキテクト家が魔術師の家系であることこそ知っていても、魔術の世界へ首を突っ込む気がなかったのは彼女の部屋の私物や過去から読み取れる。アーキテクト夫人に至っては魔術師ではない。知識はあるだろうがね――
では誰が彼女に魔術の知識を教授したのか。あの家と関りがある魔術家系は一つだけ。無論このフォークナー家の者だ。見えるか? ワトソン。あそこに家系図が貼ってあるだろう」

ホームズが灰色の瞳だけを動かして見た視線の先には確かに家系図と思われるものがあった。目を凝らしてみると末子の欄に「Gisette Faulkner」の文字がある。そして二代上には「Lawrence Faulkner」の文字があった。ジゼットがローレンスを「おじい様」と呼ぶことには何の問題もない。確かに二人は血の繋がった家族だ。

……しかし、もしジゼットがエミリア殺害計画に加担しているとすればその理由は? それにエミリアと何も共通点も、接点もないはず。殺意を持つか?」
「ある。『R』だよ」
「『R』……?」私は急に言われたアルファベットに困惑する。「何かあったか、『R』と名のつくものが」
「あったさ。最初に立ち返ろう。アーキテクト氏が持ってきた手紙を思い出すんだ」
……! 『R: WHO KILLED THE CANARY』!」
「正解だ、マイ・ディア。そう、犯人は最初から示唆されている。『R』のイニシャルを持つ者こそエミリア殺害の犯人だ。まあジゼットを完全に白だとまだ言い切れないのが僕の面倒な性分だがね」

私は家系図をちらりと見た。ジゼット・フォークナーの父親の名は、「Robert Faulkner」。伯父の名は「Rudolf Faulkner」。つまりジゼットとエミリアは腹違いの姉妹なのだ。ホームズは「聞くまでもないさ」と満足げに微笑んでいた。
ロベルト・フォークナーとルドルフ・フォークナー。いずれもファーストネームのイニシャルは『R』だ。つまりこの二人のどちらか、もしくは二人がエミリアを殺した犯人。マリアを消させたのも彼らの行いならば――

「気づいたかい?」
……ああ」
「さて、開錠作業が終わったようだ。金庫の中身を拝見するとしようじゃないか」

ホームズが銀の扉へ歩き出す。私も後へ続きその扉の向こうへ足を踏み入れた。
一瞬眩しくて目を瞑る――次に目を開いたとき、私はその部屋に圧倒されて言葉を忘れた。壁一面、遥かな高さまで伸びる銀色の金庫。床はまるで水晶のように透明でその下に夜空が映し出されている。丸いドーム型の天井から夜中に差し掛かろうという時刻であるのにもかかわらず、燦燦と太陽光が差し込んでいた。私がぼんやりと高い天井を眺めていれば天井から何かが降りてくる。黄色い小鳥の入った鳥籠だった。一瞬まさかこれが件の『金糸雀の涙』か? と勘違いしそうになったが、小鳥はただの使い魔だった。ピヨピヨと何か言っている。その鳥は程なく喋り始めた。

「ようこそ、ジゼットの金庫へ。ここはあらゆる神秘を厳重に保管する場所。あらゆる神秘の眠る棺。あらゆる神秘が窮屈に思えてしまわないよう、快適な眠りと封印をお約束します」
「18-239金庫を出して」

ジゼットが鳥に命じた。上の方の金庫がガシャン、と音を立てて引き出される。そのまま滑り落ちるように金庫は私たちの前へと降りてきた。
銀色の金庫は棘の装飾によって固く閉ざされている。鍵穴にジゼットが銀の鍵を差し込み開錠した。すると棘は生き物のようにするりとほどけて木箱が現れた。そっと彼女が木箱の蓋を開ければ、内側から淡い黄色の宝石に彩られた金細工が現れた。確かに一見すると美しい装飾である――だがその内側に渦巻くものがお世辞にも〝美しい〟とは言い難く、まるで複数の命を混ぜて一つの人間にしたような気色悪さがある。死んだ生き物から生み出される合成獣とも違う気色悪さ。いや、これは気色悪いという単語だけで形容できる代物ではない。もっと別の何かだ。


〈死なせて〉


――!!」
「ワトソン? 大丈夫か!?」ホームズが思わずふらついた私を支えた。彼がいなかったら真後ろに倒れて後頭部を強打していただろう。冷汗がどっと流れているのがわかる。
……『死なせて』、と……言っている」
「まさかこの宝石――」ジゼットは震えながら『金糸雀の涙』を手に取った。「じゃあまさかこれはエミリアの」

ホームズが重い沈黙を破って声をあげた。その声は今までにないほど怒りに満ちている。

「これではっきりした。『金糸雀の涙』はエミリアの母親の遺品ではなく母親そのものだ。
――立ち返るべきだろう。誰が〝金糸雀〟を殺したのか、その問題に」