外伝[1881-1891] 誰が金糸雀を殺したのか?

あらすじ
1885年、3月。諮問探偵シャーロック・ホームズと、その助手・医学博士ジョン・ワトソンの元にある依頼が届く。依頼の内容は『失踪した娘を探して欲しい』という極めてシンプルなものだった。しかしその依頼の二週間前に起きた、ある歌姫の死とその失踪が繋がっているようで……? 手掛かりは奇妙な手紙「R: WHO KILLED THE CANARY」、そして色濃く残る幻想の気配。その先にあるのは深い森と視界を奪う霧。鳥籠と信仰の密室__。誰が金糸雀を殺したのか? その命題に二人は挑む。


無印べったーの移植版です。一部名前や句点の修正を行いました。

スペシャルサンクス
笋様の作品「赤い純情」、ヘルメス様にご登場いただきました。本当にありがとうございました。素晴らしい作品をインスパイアさせていただき本当に光栄です。
Littorio様 アマネセール家のお名前を出させていただいております(事後報告)。ありがとうございました。





「来たけれど何なのかしら、『窓』って」
「さあ……

私とメアリーは辻馬車を拾ってウエストミンスターにあるアーキテクト氏の画廊へ来た。外観は邸宅とは異なり贅を尽くした豪華な装飾が施されている。また横に長い構造で隣には商談のためのサロンが置かれており、アーチ状の窓とカーテンの隙間から貴族階級と思われる男性が数名椅子に座っているのが見えた。
画廊の扉を開けて中へ入れば品のいい青年が出迎える。内部はさながら小さな美術館のように絵画が置かれ、品質保護のために少し光が遮断されていた。フランスの印象派絵画から英国を代表するターナーまで様々な絵画が置かれている。何をお探しでしょうか、と問われたので、私はシャーロック・ホームズの使いであることを述べて彼の言う『窓』について口に出そうとした――

「むぐ」メアリーに勢いよく口をふさがれる。
「ご、ごめんなさい! もう一度フォークナー家の契約書を見せていただくことはできますか?」
「ええ、構いませんが……」青年は私とメアリーのやり取りに目をぱちくりさせながら奥へ引っ込み、契約書の束を持ってきた。「こちらになります。ご覧になる際良ければ奥へどうぞ」
「ありがとう存じますわ」

青年の案内で奥まったスペースを借り、フォークナー家との絵画売買に関する契約書を見る。確かにホームズの言う通り『A』というアルファベットに癖が出ている文字だった。ここ三年ほどの売買はジゼット・フォークナーが書面を作成したという事が伺える。三年間で取引された絵画は十二点。うち二点がかなり高値の取引になっており、そのうち一枚のターナーの絵は一生暮らせるほどの金額がついていた。

……この絵だけ異様な金額だ。桁が四つぐらい違う」
「絵画の値段ってよくわからないわ。売ったら一生遊んで暮らせそう。でも『窓』って一体何なのよ、そんな絵どこにもないじゃない」

確かに奥の部屋に通されるまで飾られた絵画を色々と見てきたが、窓が描かれた絵は無かった。風景、人物はあるが『窓』というか、窓が開いているような絵、そもそも窓が絵の中に含まれている絵画が無いのだ。
ホームズは「窓を探せ」というが一体何に気づいたというのだろうか。
絵は現実ではなく現実を平面に落とし込んだものだ。つまり――絵とは虚像だ。私は部屋の奥でカーテンに覆われている窓を見た。カーテンを開けば窓から一筋の光が差し込み、マリアの部屋で見た両開きの窓が現れた。

「鍵が開いている」私は窓を押して開いた。窓の向こうの景色がぐにゃりと歪む。そしてこちらを見ている男が現れた。シャーロック・ホームズだ。
「やあワトソン、見つけてくれたようだね」
「これは……」私は驚きつつメアリーに意見を求める。メアリーはホームズの方へ手を伸ばしてホームズの肩に触れた。
「そっちからこっちには来られないけれど、こっちからそっちへは行けそうね」
「うん、まさにその通りだ。君たちは今虚像側から実像側に干渉している。つまり絵の中から出てこようとしているわけだ。二人ともこっちへ来られるかい」
「ああ」私は窓枠に足をかけてホームズの方へ移動した。メアリーも同様にひょいと移動する。私は手を伸ばして彼女を受け止めた。「しかしこれとマリアの失踪にどう関係があるんだ。空間を繋げる魔術があることはわかったが、この窓は受け入れるだけで出て行けはしないだろう」
「そう、それだよ」

ホームズはそう言って無造作に置かれていた椅子に腰かけて指を突き合わせた。

「どういうことだ?」
「この靴痕をつけた人物は合鍵で画廊に入り、画廊の窓からこの邸宅へ侵入した」
「そうか、侵入さえできれば誘拐は容易い。失踪ではなく誘拐が正しかったんだな」私は急に分かったような気がしてそう言った。ホームズは満足げに「その通り」と答える。
「ちょ、ちょっと待って! どうして? 侵入してもどうやって出て行くのよ」
「誘拐犯は三階へ上がったんだ。こっちへ来てくれ」

ホームズはそう言って私たちを本棚の前に案内した。本棚を押してずらすと階段が出現する。この上に隠し部屋、屋根裏部屋がある。何のためにこんな構造を作ったのかは分からないが、少なくともこの上に登って犯人は脱走した。
私たちはその梯子のように急な階段を登り、古びた扉を開けて屋根裏へ入った。特段何か妙なものがあるわけではなく無造作に無地のカンヴァスと本が一冊床に落ちている。私は本を拾い、ページを繰ったが随分古いようで破けていた――ところどころ掠れて読めない部分もある。魔術書という訳でもないらしい個人の日記だと推察できた。

「マリアはレディ・ジゼットから受け取った警告を正しく認識していたんだ。それがこのストランド・マガジンと、この大英博物館のチラシ。重要なのはチラシでも雑誌でもなく、このチラシの裏面に書かれたメッセージ」ホームズはそう言って奇術師のように紙をひっくり返し私とメアリーにそれを見せた。
「『Ask nothing, come to there. M.A』、何も聞かずにここへきて。マリア・アーキテクト……

私はそれを読み上げた。君は見るだけで観察をしていない、というホームズの言葉が胸にぐっさりと突き刺さっている気分だった。

……しかし事件は起きている。エミリアは死んだ。新聞に記事が載るという事は検視陪審も開かれただろう。スコットランドヤードはそこまで馬鹿じゃない。死んでいる人間を誤認するなんて事は流石にないはず」
「勿論。エミリアはあの手紙が来た日、その夜に死んでいる。だからあの手紙は警告ではなく〝通告〟というほうが正しい。魔術においては何かの行動の後に死が確定している場合、それを予言された時点で死んでいる、とみなす。……だったよな、メアリー」
「ええ、そうよ。フォークナー家はゴリゴリの古い魔術師家系。ジゼットはエミリアの死を絶対に防げない事象だと捉えていたのでしょう。だから『killed』」
……そうか」防げないと分かっていたから過去の事象にした。ではなぜわざわざジゼットはマリアにそれを通告した?
「ワトソンも同じ疑問を抱いていると思うんだがね」
「人の考えをしれっと読むな」
「えー。ジゼットがなぜ防ぎようのないエミリアの死をマリアに通告したのか。これが謎だ。そしてなぜマリアが攫われるに至ったかも解明しなければならない。一先ず進捗報告会といこうか、マイ・ディア」

ホームズの指示でアーキテクト邸の人間が全員広間へ集められた。不安そうな表情のアーキテクト夫人をそっと傍でパーカー・アーキテクト氏が支えている。使用人夫妻も作業を中断して広間へやって来た。そして庭師も帽子を目深に被ったまま広間へ入った。

「マリア嬢の居所について、その前に明らかにしておかなければならないことがあります。どうしても必要なので全員にお集りいただきました」
「ホームズさん、一体どういう事でしょう? マリアの居所の前に、というのは……」アーキテクト氏は眉を下げてそう言った。
「エミリア・ハーツクライという女性がシャンデリアの下敷きになって死亡したその事件について。マリア嬢の失踪と関係していると貴方は考えていらっしゃるのでしょうが、それは正しいです。全ての発端は二週間前に『R: WHO KILLED THE CANARY』という一文のみの奇妙な手紙が届いたことです。この手紙を見たマリア嬢はすぐさま行動を起こしました――エミリアの命を狙う者に見つからぬよう注意を払いながら彼女に接触を試みたのです。
しかし失敗に終わり、エミリアは新聞の記述の通り死亡しました。そもそも無理がある話だったのです。何故なら手紙が届いた時点でエミリアの死は確定していたからです。あれは警告ではなく『通告』だったのですよ」

ホームズはそう言って一度話を止めた。アーキテクト氏が納得したような表情でちらりと夫人の方を見る。夫人は不安げな表情のまま続きを待っていた。

「推測も入りますが、率直に申し上げてエミリアを救うため何者かと取引した可能性も排除はできません。今マリア・アーキテクト嬢が生きている可能性さえ、僕は疑い始めています」
「な、何てことを言うんですか! ホームズさん、貴方は約束してくださった! マリアを無事に帰すと!」アーキテクト氏の悲鳴にも似た声が広間に響いた。「貴方が、貴方が我々の神秘を暴いたことなどは、どうでもいい! 知られることも覚悟の上でした――どうか! そんなこと、し、信じられません……!!」
……私は信じないわ。信じない。マリアが死んでいるなんて」

今まで黙っていたアーキテクト夫人はそう言って階段を登りその場を去ってしまった。メイドが「奥様!」と心配そうに声を上げて後を追いかけていく。

「何てことだ……ああ、マリアが死んでいるかもしれない……?」

呆然とアーキテクト氏は呟く。庭師のガードナーが帽子を取り居心地が悪そうに頭を引っ掻いた。庭師は馬子だった。ぴょこんと頭から飛び出た馬の耳、だがあるはずの尾は無かった。もしかすると尾を根本のから切っているのかもしれない。

「ガードナーさん。何かお話しくださいますか?」
「ええ、まあ」

鈴の音のような声でガードナーは返事をした。どうやら彼は随分若いようだ。青年というか少年と言うべきだろう。ホームズはどこか悲しそうな表情で彼を見ていた。

「その……お嬢様がこんなことになったの、きっと俺のせいなんです」
「どういうことでしょう」
「お嬢様はヨークの寄宿学校に通われていました。俺もここに来る前はそこで働いていたんです。掃除係ではした金しか貰えなかったけど、俺みたいな身寄りのない仔を雇う物好きはそうそういませんから。エミリアとお嬢様はそこで一緒にいました。多分寮も相部屋だったと思います」ガードナーは耳をぺしょりと頭に垂らした。「えっと……そこで俺、盗みを働いたんです」
「一体何を盗んだんです?」
「金細工のブローチ。エミリアが持っていて、彼女が無防備にベンチで本を読んでいた時――彼女は上着を横に置いたんです。そこから掏りました。その後マリアお嬢様がブローチを取り返しにやってきて。尻尾引きちぎってやる! と脅されて怖かったのでお嬢様にブローチを渡しました。でもお嬢様が卒業するとき、俺は寄宿学校から放り出されることになって。その時お嬢様が俺を拾ってアーキテクト邸の庭師として雇ってくださったんです」

アーキテクト氏は見るからに困惑していた。ガードナーの過去に関して何も知らされていなかったのだろう。

「ガードナー、マリア嬢がどこに行きそうか知らないかしら」メアリーは小さくなっている彼にそう言った。「何であれ私たちは味方よ。些細な事でもいいの。話してくれないかしら」

思い出すようにガードナーは黙り、その後まっすぐにホームズの方へ視線を遣った。

「なんか、勉強とか? いつも助けてくれる人がいるとか言っていました」
「名前はわかる?」
「ごめんなさい、それは分かりません」私はすぐにジゼット・フォークナーのことを思い浮かべた。ホームズも同じ事を考えたようで私の方に軽く視線を遣る。「でも……
「何か気になることが?」ホームズが問いかけた。
「お嬢様は何かに怯えていました。きっと大丈夫だと俺に言う一方で、ずっと……背後というか、影を気にしていました」
……時として魔術師の隠れ場所ともなりえる。まさか監視されていたのか?」ぽつりと私の思考が口から零れる。
「大いにあり得るな」ホームズは同意した。「他に何か気になるようなことはありますか? 彼女が誘拐……いや、失踪するような理由、それも含めてお話しいただければ推理の助けになるのですが」

ガードナーは言うべきか黙るべきか葛藤している様子だった。アーキテクト氏は何も言わずにじっと彼を見ている。目がどうか話してくれと叫んでいた。娘に繋がる手掛かりが欲しいのだろうと思う。私は急かそうか迷ったが、何か言う前にエミリアは話し始めた。

「その、またエミリアの事なんですけど。ローレンス・フォークナー卿という方に養子になる事を打診されていたと、マリアお嬢様が怒ってました」
「フォークナー卿だと?」ホームズは驚きのあまり敬語を忘れていた。「失礼、続けてください。何故断ったのです?」
「別に貴族家に入る理由がないのではないかと……。だってエミリアは今の暮らしとか地位に満足していたんじゃないですか。ヨークの寄宿学校って別に貴族とか金持ちだけが行くとこじゃないし。女性カレッジだから。まあ、あー、うん、金持ちのほうが多かった」
……掏っていたんだな」
……」ガードナーは分かりやすく沈黙した。
「いや、話してくれてありがとう。君のおかげでどうしてマリア嬢がレディ・ジゼットに遺品を預けたのか漸くわかってきた。金庫番だからという理由ではなく、エミリアの生まれそのものに理由があったのですね」
「え……? 遺品を、マリアが?」
「? ええ、そうです――エミリアの母親の遺品ですよ」
「ブローチは、フォークナー家が持ってんの!?」ガードナーはそう言ってホームズに掴みかかった。「ホームズさん! 答えて! 遺品を、フォークナー家の方が持っているの!?」
「そうです、えっちょっ力強っ痛……落ち着いてください、ガードナーさん。確かに遺品はフォークナー家のジゼット・フォークナーという方が預かっているとの事です。マリア嬢の書きかけの手紙から分かった事ですが……真実だと推測できます」

ガードナーは「良かった……」と瞳を潤ませた。

……どういう事だ? 何故貴方がそれに安堵するんです?」私はどうしても気になってしまい口をはさんだ。ガードナーは私を真っ直ぐに見て答える。
「だからそれ! 俺が盗んだブローチがそれ! お嬢様に後から聞かされたんです! そうだ、思い出した! 後の行方をお嬢様も知らなかった。お嬢様の手元からも盗まれたって!」

ガードナーはそう言った。先程まで怯えていた小馬とは別人に見える。何とも言えない気分になったが、ホームズは納得した様子で少し考え込んでいた。

「あの、ホームズさん」
「何でしょう?」
「俺にも捜査の手伝いをさせてもらえないですか! 何でもするよ!」

この申し出をホームズは快く引き受けるかに思われたが、難しい顔をして一言だけこう言った。

「保留」と。