外伝[1881-1891] 誰が金糸雀を殺したのか?

あらすじ
1885年、3月。諮問探偵シャーロック・ホームズと、その助手・医学博士ジョン・ワトソンの元にある依頼が届く。依頼の内容は『失踪した娘を探して欲しい』という極めてシンプルなものだった。しかしその依頼の二週間前に起きた、ある歌姫の死とその失踪が繋がっているようで……? 手掛かりは奇妙な手紙「R: WHO KILLED THE CANARY」、そして色濃く残る幻想の気配。その先にあるのは深い森と視界を奪う霧。鳥籠と信仰の密室__。誰が金糸雀を殺したのか? その命題に二人は挑む。


無印べったーの移植版です。一部名前や句点の修正を行いました。

スペシャルサンクス
笋様の作品「赤い純情」、ヘルメス様にご登場いただきました。本当にありがとうございました。素晴らしい作品をインスパイアさせていただき本当に光栄です。
Littorio様 アマネセール家のお名前を出させていただいております(事後報告)。ありがとうございました。



2018/ワトソンの回想


長らく――とても長らく、足を踏み入れていなかった部屋がある。
私は扉を塞ぐように置いていた大きな本棚を左へ押してずらし、埃被ったドアノブを回してその部屋へ入った。まるでその部屋だけが時を止まったかのようにあるべきものがあるべきところに置かれている。
椅子に無造作に引っかけられたワインレッドのガウン。空になったガラス製の実験器具。ベッドの上にはバイオリンが入っていない空のケース。私はそれらには触れず室内の奥の壁を目指した。白い布で覆われた壁がある。私は布を剥がす。ロンドンの古い地図の上に画鋲で写真が押され、赤い糸で写真同士が繋がれて相関図が作られている。
まるで蜘蛛の糸のように張り巡らされたそれを視線で追っていく。
1891年5月4日、ライヘンバッハの滝に落下したシャーロック・ホームズとジェームズ・モリアーティ教授。しかし事件は終わらなかった。その二日後、セントバーソロミュー病院にてメアリー・モースタンがモリアーティの息がかかった魔術師に襲撃され死亡している。
私はその後事件を追いかけることは叶わなかった。だが一つ確かなことは、モリアーティがライヘンバッハの滝に落下したのち生き延びている、ということだけである。

「ホームズ」

部屋の主の名前を呼ぶ。部屋は沈黙に包まれ誰も答えることはない。私はピンで貼り付けられたホームズとメアリーの写真を指でなぞった。写真の中の二人は笑っている。二人の間に立つ私は何とも言えない表情をしていた。
机の上には少し色褪せた写真が無造作に置かれていた。私も、メアリーも笑っている。ホームズは珍しく機嫌よくバイオリンを弾いていた。この写真は確か当時よく出入りしていたスタンフォードという神秘監察官が撮ったもののはずだ。

……私は探偵には、なれないが」

ある謎がある。シャーロック・ホームズは誰が殺したのか? という謎だ。
ホームズの遺体は滝の底から引き揚げられ検死陪審にかけられた。遺体はホームズの兄であるマイクロフト・ホームズが確認し、シャーロック・ホームズのものであると結論付けられた。
だが一つ、どうしても納得がいかない不可解な謎が残されている。
ホームズの遺体には強く腕を掴まれたような痣と、右肺を弾丸が貫通した傷が残っていた。つまり直接の死因は肺動脈の損傷、及び失血であると考えるのが自然だ。また現場検証の結果からモリアーティはホームズによって『先に』滝へ落とされており、ホームズを撃つことは不可能だったことが分かっている。
そうであれば誰がシャーロック・ホームズを撃ち、滝へ落としたのか?
今起きている一連の事件はきっとホームズの死の真相を知る手がかりに成り得る。
そして――

……お前の墓の前で、全ての真相を語ると約束する」

部屋の中でざわりと妖精が囁いた。私は眼鏡を外して彼らの姿を見る。蜻蛉のような姿をした隣人たちは小さな瞳で私をじっと見つめていた。そっと指先を差し出せば一匹が指先に止まる。

「私はお前のボズウェルだからな」

鈴の音のような羽音を立てて妖精たちは飛んで行った。
気のせいか、ホームズが楽しそうに笑っている姿が見えた気がした。