外伝[1881-1891] 誰が金糸雀を殺したのか?

あらすじ
1885年、3月。諮問探偵シャーロック・ホームズと、その助手・医学博士ジョン・ワトソンの元にある依頼が届く。依頼の内容は『失踪した娘を探して欲しい』という極めてシンプルなものだった。しかしその依頼の二週間前に起きた、ある歌姫の死とその失踪が繋がっているようで……? 手掛かりは奇妙な手紙「R: WHO KILLED THE CANARY」、そして色濃く残る幻想の気配。その先にあるのは深い森と視界を奪う霧。鳥籠と信仰の密室__。誰が金糸雀を殺したのか? その命題に二人は挑む。


無印べったーの移植版です。一部名前や句点の修正を行いました。

スペシャルサンクス
笋様の作品「赤い純情」、ヘルメス様にご登場いただきました。本当にありがとうございました。素晴らしい作品をインスパイアさせていただき本当に光栄です。
Littorio様 アマネセール家のお名前を出させていただいております(事後報告)。ありがとうございました。


10


私は体力を回復するためすぐに人魚の姿に戻った。バスタブの中へいつものように尾鰭を収めるが、無理やり再生させた傷跡はくっきりと残っている。ドタバタと大きな足音を立ててガードナーがバスルームへ飛び込んできた。あれはいるか、これはいるかと色々持ってくる。気持ちは有難いが丁重に断った。ただ彼が持ってきてくれた果実だけはとりあえず口に入れておく。どうせ丸呑みにするしこの姿だと味もいまいち分からないのだが、やはり何であれ食べておいた方が回復は早い。
今まで調査してきて確かなことが一つある。この事件は幻想種を己の恣にしたいという欲望が根底で渦巻いていることだ。単なる令嬢の失踪など生ぬるい話ではなく、もっと根深い――神秘の奥底から伸ばされた枝葉をかき分けながら真実を見定めなければならない。
ハーフエルフのエミリア。そしてエルフであるエミリアの母、ユタリア。
マリアを殺害した謎の幻想――回帰者の男。ローレンスが言う『永遠』とは一体なんだ? 考えれば考えるほど頭が沸騰しそうだった。
私はずるずるとバスタブに体を委ねて顎まで冷たい水に浸かった。メアリーが椅子と資料を持ってバスルームに入ってきた。

「シャーロックから聞いた例の回帰者の事を色々調べてみたわ。後で貴方の見たものと情報のすり合わせをしましょう」
「いや、時間が惜しい。始めよう。ありがとうメアリー……心配してくれて」
「そう……? 本当に?」メアリーは不安そうに私の方へ顔を寄せた。「強がっているでしょう」
……尾鰭が痛くないと言えば嘘にはなる」
「ほらね」

メアリーはそう言って自分の唇を強く噛んで血を出した。そのまま私の冷たい唇にそっとあてがい、私に血を飲ませる。元来幻想種は人間を捕食するものが多い。私も例に漏れず人間由来のものを摂取したほうが傷の治りが早くなる。だが私に対してそうするのは危険すぎる。
私の体液には毒がある。人を一度の口付けで即死させる猛毒が。

「メアリー、以前も言ったが私には毒が」
「効かないわよ。だって私、秘匿執行官だもの」
……理由になっていない気がする」私はメアリーの唇を拭いながら答えた。目に見えて尾鰭の傷が癒え始め数秒待てば綺麗さっぱり傷がなくなった。根元からバッサリ落とされた鰭が生えてくるのはもう少し時間がかかりそうではあるが。
「ふふふ。いいの! ……も、もう! そんな目で見ないで!」
「別にそんな目で見てはいないが」
「本当かしら」

メアリーはそう言って椅子に腰掛けタオルで自分の唇を押さえた。血は既に止まっているがくっきりと傷が残っている。

「それで一体何があったの? フォークナー家に行ったらジゼットの遺体を発見した、という単純な話でない事は簡単にわかるわ」

私は包み隠さず全てを話すか悩んだ。メアリーは魔術師殺しのプロフェッショナル『神秘秘匿執行官』。話次第では今すぐにローレンスを殺しに行く可能性もある。
だが今ローレンスに死なれると困る。彼が多くの情報を握っているのは間違いない。それにホームズによるとアーキテクト氏も裏の顔があるようだ。馬鹿正直にペラペラ喋った自分の愚かさを思う。

「もう、そんな顔しないで。何言われたって動じないわ」
「ローレンス・フォークナーに殺されかけたと言ってもか」私は疑いの視線を彼女に向けた。
「よし殺すわ。今すぐに殺す」
「やっぱりこうなる」私はメアリーのドレスを掴んで制止した。「ローレンスは重要な情報源だ。彼はこの事件のすべてを知っていると思う」
……! 何か重要な事を聞いたの」
「『脚足らず』と」私はどうしても気になっていたその単語を口にした。「彼はホームズをそう呼んだ。確か馬子の純血貴族が使う侮蔑用語だったか」
「ええ。より正確に言うと、『原種の馬へ変態できる能力』を持つ『純血の馬子』が使う言葉ね。でもおかしい話だわ。フォークナー家は馬子の家系ではないし、ローレンス本人は確かにもう人間といえないほど逸脱した存在であるにせよ、根本は人間の魔術師よ」
「君のように完全に人の姿をした馬子という可能性は?」

時折メアリーのように見た目は人間だが中身は馬子である、という者がいる。彼らは人間をはるかに超える力を出せる。時折人類史に燦然と輝く英雄となる者もいれば、逆に凶悪な犯罪者として名を残す者もいた。

「無いと思うわ。フォークナー家は代々人間しかいない普通の……普通のって言い方も変だけれど、普通の人間の貴族。まあ魔術師だから普通では無いのだけれど……うーん」メアリーは床に置いていた管理局の資料を引っ張り出す。「現状、英国の貴族の中で影響力が大きい馬子の貴族はもう三家しかない。細々と残っている家系もあるけれど……瞳の一族『イーグルアイ』、黒の一族『ハイドノーブル』、渡りの一族『アマネセール』。特に古い家がアマネセール家で、ランカスター公とも深い関わりが今なおある家系ね」
「フォークナー家と関係があるとすればどこだ?」
「ハイドノーブルかしら。ここは女系貴族。男性がとても少ないからとっくに純血主義へのこだわりは捨てていると思う。普通に人間とも婚姻しているはず」
……婿入りして家を出たということか」
「そうなるわ」

メアリーはそう言って古い紙の束を捲った。管理局の調査資料である。馬子の貴族と幻想種の関係性に関する記録のようだった。私はそれを受け取って文字を追いかけた。
確かにハイドノーブル家はそういう家らしい。女性が強い家系。だがその他の情報が異様に少ない。アマネセール家やイーグルアイ家に比べて開示されている情報量が紙数枚分ほど違う。単に彼らが他二家と比べて小さいからなのか、それとも記録できない事情があるのか。

「話を戻しましょう。フォークナー家の背景は後で考えるとして……ローレンスは一体何を考えているの? どうして今貴方にそんな事を」
「わからない。ローレンスは私と会った時初めから私をアンシーリーコートだと見抜いていた。捕える機会はいくらでもあったはずだ。……アーキテクト氏が私を一旦殺してローレンスに引き渡したとしてもなぜ今なのか、彼らの行動は不可解だ。何かがおかしい」
「シャーロックも何だか朝は様子がおかしかったとガードナーが言っていたけれど」
「ああ。夢で深い霧に覆われた森にいた、と。そこで歩き回っていたら白い獣を見たとも言った。霧が深くなって方向感覚を失った所で目が覚めたらしい。起きてからも私を通して別の幻想を認識していた」
「ジョンを通して……?」
「マリアの遺体を現場で検分した際、鳥籠の内側にホームズが言ったような景色が見えた。恐らくあれは湖水地方……オークニーの風景だろう。だがそんな深い森があそこにあるのか、物理的に相当距離があるのに魔術的な干渉ができるのか不明な点が多い」
「残滓がそうだからといって、彼らが必ずオークニー諸島にいるわけではない……と思うわ。少なくともシャーロックに干渉できるのなら近い所にはいると思うの」メアリーは考え込むように顎に手を当てた。「人食いで、馬子で、回帰者……。これだけの情報だとどうにも絞り切れないわね。人食いの馬子なんて目立って仕方ないでしょう。今の今まで何の情報もなかったわけだし、管理局との間に何らかの契約があったと考えたほうがいいかも」
……つまり、彼らの行動には関知しないと」

私は声を出してから後悔した。メアリーを非難するような気はなかったが自分の声には余りある怒りが滲んでいたからだ。自分でも思ったより私はマリアの死にも、ジゼットの死にも怒りを覚えていたのだと気づく。

「すまない、メアリー……君を非難したいわけでは」
「わかっているわ。でも可能性としては考えられる。神秘管理局は『管理と監督』が主な仕事だもの。自分たちの任務に支障が出ない限り、幻想種や回帰者に対して矢鱈な干渉はしない。私のような秘匿執行官は組織の中でも異端だわ。好き好んで〝アンシーリーコート〟と接触しようだなんて人間はそうそういないのよ」

確かにそうかもしれない。今までホームズとの事件で出会った管理局員たちは皆私とは目も合わせようとしなかった。メアリーやこの辺を管轄する局員のモーティマーはそうではないが――
人間と幻想は元来相いれない者同士だ。だがどうあってもお互いに惹きつけ合う。相いれないのに離れがたい隣人同士、というのは難儀な話である。

「そういえばローレンスが妙な事を」私は彼の言葉を思い出す。「……『貴方まで私を見捨てるのですか』と、そう言っていた」
「『貴方まで』? どういう事? そもそもジョンはこの間出会ったばかりじゃない」
「それと『美しさとは不変だ』とか『永遠をほしいままにする』とか」
「う~~ん……永遠の命は魔術の永遠の命題だけれど……」メアリーは唸っていた。「ローレンスに関する情報、全然出なかったのよね」
「そうなのか?」
「ええ。面白いぐらいね。でもフォークナー家の事はやっぱり、神秘編纂部にあったわ」
「神秘編纂……?」私は聞きなれない響きの言葉を繰り返した。
メアリーは「あっ、ごめんなさい、ジョンは知らなかったわね」と答える。「神秘編纂部というのは、各魔術師家系が紡いできた幻想や神秘の類を保管する専門の部署なの。そこにはあらゆる魔術師の記録と記憶、そして神秘秘匿案件が保存されているわ。……勿論禁書の類もあるにはあるけれど……だからそこに存在しない、保存できない情報があるとしたらそれは、近年新たに生まれたか、古すぎて観測できないかの二択ってわけ」
「成程。……それで、フォークナー家の記録と言うのは……
「約五百年前にある一族から分派して成立した『金庫番』の家系。でもそれだけではないわ。フォークナー家からさらに分家して、二百年前にアーキテクト家ができた。この時点でのアーキテクト家は準貴族という位置づけだったみたい。そのあと準貴族ではなくなって画廊経営で財を成しているわね」
「フォークナー家とアーキテクト家は今でも遠縁の親戚ということだな」
「ええ。それともう一つ。現状のフォークナー家について分かったことがある」

メアリーは黒い一冊の本を取り出して私に見せた。鍵の紋章が入っている。確かこれはフォークナー家の家紋だったはずだ。

「まずマリア・アーキテクトとエミリア・ハーツクライの過去について。二人は魔術師じゃない。どこの門徒に入ったとか、カレッジを出たとか、そういう記録はやっぱりなかった。多分一番気になっていることだと思うのだけれど」メアリーはそう前置きをして椅子に座りなおした。「ロベルト・フォークナー卿。三年前までフォークナー家の当主、金庫番のうち『銀の鍵』という最も機密と神秘に満ちた鍵の継承者。相当魔術師としての実力もあったようね。そして表では貴族院議員を務めていた。マリア・アーキテクトは彼の援助を受けて大学への進学を目指していたみたい。ヨークに別荘を持っている記録もあるわ」
……ロベルトは次男ではなかったか?」私は不思議に思って問いかけた。「長男が家督を継ぐのが貴族家の慣例と聞いているが」
「魔術師においてはその辺、魔術師の才覚で序列が決まるの。ロベルトが長男のルドルフを上回っていた、ってこと」私は納得して頷いた。メアリーはそれを見て続きを話し始める。「それとロベルト卿は表の人間としてもかなり立場があった。貴族院議員の他に大学理事を務めてもいたようね。あと女性カレッジの新設や大学への受け入れ、その辺を大々的に推していた。でも三年前にあるスキャンダルで失脚した」
「アーキテクト氏が似たような事を言っていた」
「あら、そうなの? じゃあ詳細はいいかしら――この事がきっかけで色々と賄賂だとか横領とかそういうのも芋蔓式に明らかになって、ついに貴族院を追放されてしまった。現在当主の座は隠居していたローレンス・フォークナー卿が一時的に担っているみたい」
……ルドルフ・フォークナーはどうしているんだろう」私は純粋な疑問を口にした。もしや無職――という嫌な予感がよぎった。
「ヨークにある別荘と荘園の管理を任されている、とだけあるわね」
「ヨークの、別荘……? 確かそれはハーツクライ母娘がロベルト卿によって住まわせてもらっていたという……
「これを偶然とはとても言えなさそう」メアリーは少し眉を顰めた。「ねえジョン、最初に屋敷に行ったとき、貴方ロベルト卿に会ったの?」
「いや、私が会ったのはルドルフ・フォークナーとローレンス・フォークナー、そしてジゼット・フォークナーの三人だ」
「それはおかしいわよ」
「え?」メアリーの声に私は目を見開く。おかしい? 一体何がおかしいというのか。
「だってルドルフ・フォークナー卿がウエストミンスターにいるはずがないじゃない。彼はヨークで別荘と荘園を管理しているはずだもの」メアリーは本の表紙を叩いた。「私、電報を打ったの。神秘管理局からヨークのフォークナー別邸に。そうしたら返信があったわ。
『私は三年前からヨークにいる。ウエストミンスターには一度も戻っていない』って――