由崎
2025-05-12 00:38:56
21437文字
Public
 

永遠よりも長く、君を待つ

英ベスツリーを大幅に加筆・改稿しています
仏ジャン匂わせ有

※5/19完成しました
誤字脱字あるかも


数日たっても、胸に残った違和感は晴れなかった。
ベスは思いきって、姉に相談するためロンドンへ向かった。

電車を降りると、すぐにメッセージが届く。

《急な仕事が入ってしまったの、ごめんね。少し遅くなるから、どこかで時間を潰していてくれると助かるわ》

……しょうがないわね」

荷物も少なかったベスは街をひとりで歩くことにした。
駅前の喧騒を離れ、落ち着いた並木道沿いにある小さなカフェへふらりと入る。

……え?)

奥の席に見慣れた後ろ姿があった。
スーツ姿の男性、間違いない。隣人のアーサーさんだった。

(なんで……ここに?)

声をかけようとした手が止まる。彼は誰かと一緒にいた。向かいの席には彼より少し年上でどこか軽薄そうな男が座っている。

「休日でもお前と仕事なんか、くそったれだ!」

その瞬間、店内の空気がピリついた。
アーサーの声だった。いつもとはまるで違う。

凍てつくような冷たさ。その目に宿る鋭さはベスが知っている穏やかな隣人とはまったく異なる。

(あのアーサーさんが、あんな声で……?)

「そんなに怒るなよ。わざわざパリからロンドンまで来てやったんだぜ、坊ちゃん」

「ストさえ起こさなきゃ、お前がここに来る必要なんかなかったんだよ、クソ髭」

低く押さえているのに、まるで感情が抑えきれない声。
ベスは思わず身を縮め、店内の観葉植物の影に身を潜めた。

(これ、完全に盗み聞きだって分かってる。でも……気になる)

二人のやりとりは、まるで長年の腐れ縁のようだった。

(パリ……? フランス?)

謎はさらに深まっていく。

「それに、お前、元気ないって聞いてたけど……思ったより元気そうじゃん?」

その言葉に、アーサーの表情が一気に曇った。

……兄上から聞いたのか」

「んー。そこまで詳しくは聞いてないけど、なんとなくね」

声は優しいのに、どこか陰のある男。
アーサーはわずかに顔をしかめ、吐き出すように呟いた。

「なんで……気づくんだよ……

男は小さく笑った。その笑みに、ほのかに哀しさがにじんでいる。

ベスが知っているアーサーとはまるで違う顔。
何かを守り、抱え込み、ずっと隠し続けてきた人の横顔だった。

「なぁ、フランス。お前……あの女、“聖女”に会ったことがあるだろ?」

(フランス?変わった名前。隣の国の名前と同じなんて。それに、聖女?)

…… ああ。再会した時、神様って本当にニクイ事してるなって思ったよ」

フランスと呼ばれた男は、静かに言った。

「今度こそ幸せになってほしいと思った。戦火も、使命も、なにも関係ない……ただの、ひとりの女の子として」

……あの日々の続きを、欲しいとは思わなかったのか?」

……彼女はもう、なにも覚えていないんだよ。普通に生まれて、普通に恋をして、生きている。ただの女の子だ。“聖女”じゃない」

その声に、ベスの鼓動が速くなる。
胸の奥で何かがつながりかけていた。

(フランス? そして“聖女”……まさか。)

歴史の授業で何度も聞いた、あの名がふと頭をよぎった。火刑に処された、祈りと剣を携えた少女。
耳を疑うような言葉が、次々に積み重なっていく。

「それは、お前が“過去”にすがってるだけさ、アングルテール」

……分かってるよ」

アーサーはそう答えた。

その瞬間、ベスのなかで、何かがひとつの形を取った。
まるで長いパズルの最後のピースが、音もなくはまったように。

(隣人の兄弟の正体は……

ベスが茫然と座ったまま動けないでいると、カフェの扉が開き、二人は出て行った。

冷めかけた紅茶に手を伸ばすことも忘れたまま、ベスはただ、その席に座り続けていた。

ふと、ベスは思い出す。

(そういえば……あの兄弟たち。言葉遣いが、違ってた)

アーサーはイングランドの人の話し方をしていた。だから私は彼等はイングランド出身だとそう思っていた。けれど、兄たちは、あれはスコットランド、北アイルランド、ウェールズ……まるで、国そのもののように、それぞれの“英語”を話していた。

「待たせてごめんね、ベス!」

思考の深みに沈んでいたベスを明るい声が引き戻した。声の主は、姉のメアリー。いつもの笑顔で駆け寄ってくる。

「あ……ううん、大丈夫」

隣人たちのことを話す気持ちは不意に霧のように消えていった。
言葉にしてしまえば何か大切なものが壊れてしまいそうな気がしたのだ。

その日は結局、なんでもないランチをして他愛のない会話を交わして、何もなかったように別れた。