由崎
2025-05-12 00:38:56
21437文字
Public
 

永遠よりも長く、君を待つ

英ベスツリーを大幅に加筆・改稿しています
仏ジャン匂わせ有

※5/19完成しました
誤字脱字あるかも


「あなたの名前を、今の私で」

……さようなら、遠い昔のわたし。

ベスの意識は白い光に包まれた。
夢が静かにほどけていく。
心の奥で何かが確かに変わったと、彼女は感じていた。

目を開けた、その瞬間、耳に飛び込んできたのは、誰かの怒鳴り声だった。

「勝手な真似をするな、ウェールズ!!」

聞き覚えのある声。怒りを隠そうともしない、荒ぶる叫び。
イングランド、アーサーの声だった。

ベスは視線を上げた。
目の前には見慣れない天井。隣ではエドワードがぐっすりと眠っていた。
身体はまだ少し重たい。けれど、意識は確かに覚醒している。

(ここは……ベッド?)

現実と夢の境界がまだ曖昧なまま、耳に届くのは、感情をぶつけあうような激しいやり取り。

「こんなやり方で無理に思い出させても、意味なんかない! 俺は……そんなこと、望んでないんだ!!」

イングランドの声が震えていた。
それに応じるように、低く、苦しげな声が返る。

「でも……彼女はお前の“全部”だっただろ?」

それは、ウェズリー、ウェールズの声だった。
いつもは優しく穏やかなその声が、今はどこか焦りと悲しみに満ちていた。

「四百年前、お前があの女王の亡骸を抱きしめて泣き崩れた時、俺は……何もできなかった。
あの時からずっと分かってた。お前が幸せになれるのは、あの女王だけなんだ。俺たち兄弟じゃないって、痛いほど……!」

「だったら……どうして俺に相談しなかった! 勝手に薬を使って、記憶を起こす魔法まで……エリザベスとエドワードを眠らせるなんて!」

「だって……お前は絶対、止めると思ったから……!」

言葉がぶつかり、沈黙が落ちる。
それは怒りではなく、ただただ、互いの無力さを突きつけ合うような対話だった。

ベスは、そのやり取りを黙って聞いていた。
夢の中で出会った“女王”の言葉が心の奥に確かに残っていた。

(あの夢は幻じゃないのね)

ウェールズが自分に彼を思い出させようとした。
けれど女王は言った。
「その感情も記憶も、わたしのもの」と。

彼女は記憶を渡さなかった。
でも、それでも、ベスは、夢の中で、はっきりと気づいてしまった。

(私は、アーサーさんのことが好きだ)

記憶ではない。名前でもない。
今の私の心が、今の彼を好きになった。
それだけは、確かだった。

静かにベスは立ち上がった。
エドワードの髪を撫で、そっとブランケットをかけ直す。
そして、ゆっくりと、扉の向こうへと歩みを進めた。

ドアを開ける音が、部屋の空気を切り裂いた。

振り返ると、イングランドとウェールズがそこにいた。
言い合っていたはずの二人が、まるで時間が止まったかのようにベスを見つめていた。
イングランドは目を見開いたまま何も言わなかった。
その瞳はかすかに潤み、唇がわずかに震えている。
怒りでも驚きでもない。
まるで、何かを壊してしまわないように、息をひそめるような顔だった。
何も聞きたくない。今はただ、現実をそっと手のひらに抱きしめていたい。そんな表情だった。

……夢の中で、あなたの妻、エリザベス一世と会いました」

その言葉に、二人が小さく息を呑むのがわかった。
イングランドの視線が揺れ、ウェールズはその場に固まったように動かなかった。

ベスは静かに続けた。

「でも彼女は言ったの。“あの過ごした日々も、彼を想った気持ちも、わたしのもの。あなたには渡さない”って」

その瞬間、ウェールズの目が驚きに見開かれた。
彼がかけた魔法は、本来なら記憶の深層に眠る“過去”を呼び覚ます強力なものだった。
過去の記憶も感情もすべて浮かび上がらせるはずだった。
それなのにベスは記憶を得なかった。
イングランドもまた、わずかに息を吐き、目を伏せた。

けれどベスは、ほんの少し微笑んだ。
ゆっくりと、ふたりの間に踏み込む。

……でもね、前世とか、記憶とか、そういうのはもう関係ないの」

その声は、まっすぐで、静かだった。

「わたしは……アーサーさんいいえ、イングランド、あなたに恋をしてるの。
いまの私が。記憶なんかなくても。たった今の、この気持ちで、あなたが好きなんです」

イングランドの瞳から、ぽたりと涙がこぼれ落ちた。
彼は何も言えなかった。ただ、ベスを見つめていた。
そこにいたのは、かつての女王ではない。
記憶に縛られた存在でもなかった。

夢じゃない。幻でもない。
ここにいる“彼女”が、自分の名を、今の心で呼んでくれた。
それだけで胸が熱くなった。

ウェールズは静かに視線を落としてそっと背を向けた。
彼の肩がわずかに震えていた。
その背中は寂しげで、どこか安心しているようでもあった。
たとえ魔法が届かなくても、たとえ記憶が蘇らなくても。
彼女がいま、弟の名をまっすぐに呼んでくれた。それだけで、すべてが報われた気がした。


ベスはゆっくりと目を伏せ、そしてもう一度顔を上げる。
イングランドの目には、まだ涙の跡が残っていたけれど、そのまなざしは確かに彼女を見つめていた。

これからどうなるかなんて、まだ分からない。
過去は癒えず、未来は約束されていない。
それでも世界は少しだけ、あたたかくなった気がした。

そして季節は静かに変わろうとしていた。
秋の終わりを訪ねて冬になろうとしていた。

冷たい風の向こうに小さな光が芽吹こうとしている。
それは決して春の先取りではなく、これからを生きていくふたりの新しい季節のはじまりだった。