大広間には九つの席が並ぶ。だが、その一つは空白のままだ。
いつもの席に座る気にはなれなかったシアノは、本来は白浪が座る席に座っていた。樊凌もまた、目の前にいるはずの白浪がいないことに落ち着かない様子を隠せない。
「ひとまず、先日の初陣お疲れ様でした。本来の目的である核兵器の開発を止めることはできませんでしたが、日米の関係修復が
…」
「え? 研究所は破壊したはずですよ?」
ナーデルの言葉をルフレが即座に遮る。先日二班に分かれて行動した作戦。ラート、フィリップ、ルフレ、シアノの四人は核開発の行われていた研究所に向かい、確かに壊滅状態に追い込んだ。建物自体は爆破し、研究員たちは排除したはずだ。
「
…攻撃のタイミングが早すぎたようです。」
ナーデルは手元の書物を広げ、静かに説明を続ける。そこには、研究所の爆発で核兵器の開発が遅れたものの、主要な研究員たちは首都の軍事会議に出席しており、実験の中止には至らなかったと記されていた。
ページをめくると、次に現れたのは「吹雪型駆逐艦」の文字と戦果を記した記述だった。
「
…それなら、あの時代に行って、白浪を失った理由は
…?」
シアノが小さく呟く。その声はどこか虚ろで力がなかった。
「まるで、意味がありませんね。」
フィリップの冷ややかな言葉が、大広間の空気をさらに重くする。沈黙が支配する中、ただ一人、樊凌だけは首をかしげていた。
「? なぁ、なんでみんなそんな暗い顔しとるん? それに、小白がまだおらんで?」
その言葉に、一同の視線が彼に集中する。
「リンリン
…まさか、覚えてないのか?」
隣に座っていたグラディエーターが、静かに問いかける。しかし、樊凌は何のことかわからない様子で、ただ不思議そうに首を傾げるばかりだった。
「白浪さんなら先日の作戦で_」
「ファンリンさん! いや〜、実はシラナミさん寝坊してるんですよ〜! だから、僕と一緒に起こしに行きましょう!」
真実を直球に伝えようとするフィリップの言葉を遮るように、ルフレが突然立ち上がる。そして強引に樊凌の手を引き、大広間を足早に出て行ってしまった。
二人が大広間を出て行ったのを見送った械達は、はぁ、と大きな吐息をこぼす。
「まさか、忘れているとはな。あの状態のリンリンに真実を伝えたら暴れそうだ。」
「
…ルフレの機転に感謝ですね。」
「
…あちらは任せるとして、本題に移りましょうか。」
一先ず嵐が去ったことを察したナーデルは早速話の続きを始める。
「本題、というのは?」
「これからの作戦についてです。白浪様が欠けた以上、再考の余地があります。情報は限られていますが
…試行錯誤しながら人類に負の感情を思い出させなければなりません。」
「ナーデル殿、否定するようで申し訳ないが、命がかかっている以上、試行錯誤では済まされないのでは?」
「カーラの言う通りだ。これ以上戦力を失うのは痛手が大きすぎる。個々の力は強くとも、数も必要だろう。」
カラベラフィルムとグラディエーターが真剣な顔で反論する。普段反論を述べることの無いカラベラフィルムの発言にナーデルも珍しく驚いているようだった。
「
…それに、情報が足りないと言いましたけど、情報を伝えないのはナーデル本人じゃありませんか?」
ナーデルのその一瞬の綻びを突くように、シアノの言葉が冷えた空気をさらに研ぎ澄ますように響いた。
「シアノ様、何を根拠にそのようなことを?私はあなた方に命を、体を、そして無念を果たす機会まで与えている。それなのに疑われるなんて
…傷ついてしまいますわ」
ナーデルはそう言うと、わざとらしく眉をひそめる。しかし、その表情からは微塵も悲しみは感じられない。あまりにも露骨な作り物の顔だった。
「
…なら、白浪が消えた理由を教えてください。核心の破壊でも、伝承でも、核心を教えるでもない──械には、他の弱点があるんでしょう」
シアノの声は冷静だったが、その奥には焦燥が滲んでいる。
「他の弱点
…?」
グラディエーターが呟く。確かに、これまで彼らは他の原因を考慮していなかった。
シアノは意識を取り戻して以来、白浪が戻ってこない理由を考え続けていた。樊凌ですら下半身だけの損傷で済んだというのに、自分と同じ防御力を持つ白浪があの程度で消え去るとは考えにくい。さらに、海中であれば伝承を行う相手も核心を伝える相手もいない。時辰儀の不具合で帰還できないだけならば、カラベラフィルムが海中で見つけられなかったことの説明がつかない。
「何度聞いたところで私は何も知りませんよ。」
ナーデルはあくまで無関係を装う。
「もしや、人間に関係するのではないか?」
ナーデルの否定の言葉にラートがすぐさま重ねるように発言した。以前ナーデルが情が沸くからなるべく人間には接するなと言っていたことを思い出したのだ。それも全体連絡に加えラートには直接、嫌になると言うほど執拗に。自由になれば宗教に馴染みのない今の人間達に布教をしに行きかねないとでも思っていたのか。少なくともその時点で彼女のその言葉に違和感を抱く者はいなかった。
「何事も弱点を知っている方がリスクは低くなる。もし本当に人間に関わることで我々の存在を揺るがすような影響があるのなら、なぜナーデル殿はそれを伝えなかったのだ? 何もメリットは
…」
「この人は僕たちの味方じゃない。それだけじゃないですか?」
カラベラフィルムの言葉をすぐさま否定したフィリップは立ち上がり、ガベルをナーデルに向けた。
「やっぱりこの女は魔女なんですよ。」
「
…ナーデル、知っていること全部吐いてください。」
フィリップとシアノは彼女に問い詰める。
「おやおや
…これじゃまるで拷問じゃありませんか?」
ナーデルはまたもや作り物の悲しそうな顔をした。しかし今度はすぐさまいつも通りの余裕に満ちた笑みを浮かべる。
「残念ながら、私は何も知りませんよ。」
彼女の言葉にフィリップが顔を顰める。
有罪判決を下そうとガベルを鳴らそうとした時──
「フィリップ殿。貴殿もわかっているのだろう。」
カラベラフィルムが彼を制止した。
「今、我々が回復する方法はナーデル殿の能力だけだ。彼女を失って一番困るのは私たち自身。彼女が本当に何も知らないにしろ、話す気がないにしろ、この場では深入りしない方が得策だろう。」
冷静な判断だった。彼女は味方でも敵でもない。隠し事があるのだとしても、現状直接的な害はない。何より、今ここで彼女を失えば立ち行かなくなるのは明白だった。
フィリップは悔しそうに唇を噛みしめる。彼もわかっていない訳では無い。わかっているからこそ何も出来ないのが屈辱だった。
「
…いつか必ず燃やしてやる
…」
そう吐き捨て、フィリップは渋々座り直した。
「
…ひとまず、人との接触は最低限にしましょう。それと、時辰儀についてですが
…」
ナーデルから情報が聞き出せない以上、各自が持っている情報の価値は向上する。シアノは情報共有をしようと先日、時辰儀を使用した際に浮上した仮説を伝えようとした。しかし_
(時辰儀は潜在的な思いに影響される
…あのときは確かにそう感じた。けど、なんでそんなことが分かった? そもそも自分はどうしてチャイナタウンに
…)
シアノは、自分の仮説がどこかで崩れていることに気づいた。何かが、おかしい。何か記憶が欠けている。
ダダダッ!!
突然、大広間の外から足音が響いた。次の瞬間、血相を変えた樊凌と、それを追うルフレが駆け込んでくる。
樊凌はナーデルの肩を掴む。
「小白は、白浪は死んでなんかないんよなぁ!? あ、あれはただの悪夢
…!! そうなんよぁ!!??」
懇願するような涙声。今にも崩れ落ちそうな表情だった。
しかし、ナーデルは静かに首を横に振る。
「24時間が経過したのに館に戻ってこないということは、白浪様はあの時代で消えてしまったということです。つまり、彼はもう存在しない。戻ることもないのです」
冷たく、そして容赦なく。
彼女は鋭い刃のように、樊凌へと真実を突きつけた。
敢えて彼の怒りに火を点けるように。
「ちょっと、ナーデルさん、それは酷すぎますよ
…」
ルフレが小さく異議を唱えるが、ナーデルは気にも留めない。
「そ、んな
…せやったら、あの時計!! あれ使って小白を助けたらええやん!!」
一筋の希望にすがるように、樊凌は叫ぶ。
「それだ!! そうとなれば、もう一度あの日に行こう!!」
樊凌の提案にグラディエーターや他の械の目を輝く。彼らは勢い良く立ち上がった。
「不可能です」
ナーデルの冷淡な声が、その希望を断ち切る。
「
…は?」
「1945年10月11日0時に八名がアメリカに現れる、という歴史は七名が現れるという歴史に上書きされてしまう。そうなれば最悪の場合、白浪様がそもそも存在しなかったということになる恐れもあります。」
「それじゃ!何日か前に戻って過去に戻るのをとめたら!!」
「残念ながらこの時辰儀で戻れるのは皆さまがこの世に生まれる前までです。でなければ同じ世界に同一人物が二人存在することになる。」
「
…もう、あきらめるしかないん
…?」
樊凌の声はかすかに震えていた。希望を縋るようなその問いかけに、大広間の空気が重く沈む。誰もがナーデルの返答を待つ中、彼女はまるで何でもないことのように、淡々と告げた。
「はい。今はこれからどうするかを見るしかないでしょう。」
冷ややかに言い切るその声には、情の欠片も感じられない。ナーデルの言葉が響くと同時に、樊凌の体から力が抜け、崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
「
…そんな
…」
絞り出すような声が漏れる。グラディエーターとラートがすぐに駆け寄り、彼の両腕を支えて椅子に座らせた。樊凌は放心したように、机の一点を見つめたまま動かない。大広間に張り詰めた沈黙が流れる。誰もが言葉を失っていた。
ようやく沈黙を破ったのはシアノだった。
「
…これからの作戦について話しましょう
…」
その声は冷静を装っていたが、内心は焦燥で満ちていた。白浪を救う道が閉ざされてしまったのなら、彼の命をなんとしてでも未来に繋がなければならない。
「予定通りに行うのであれば、第三次世界大戦の阻止になるな。」
グラディエーターが低くつぶやくように言う。その一言に他の者たちも視線を上げ、再び議論の場に意識を戻す。だが、その空気を破ったのは、ルフレの無邪気で危険な提案だった。
「そのことなんですけど
…もう、この時代の人間を殺しちゃったらいいんじゃないですか?作戦で言うと、五番になりますかね。」
ルフレは椅子に深く腰掛けながら、どこか楽しげに言った。その言葉に場が一瞬凍りつく。
「ちょっとルフレ、それは時間がかかるうえに非効率です。それに必要以上に人間を殺すから、最終手段にしようって話だったでしょう?」
シアノが低くたしなめる。声は冷静だったが、その内側には苛立ちが滲んでいた。
「でも反抗されることもないから僕たちが傷つくこともない。時間はあるなら確実に安全な道を選んだ方が良くないですか?」
ルフレは軽く肩をすくめ、どこまでも無頓着な態度を崩さない。そして、シアノに向けて冷ややかな笑みを浮かべた。
「それとも、シアノは人間の味方をするつもりですか?」
「
…そういう話じゃないでしょう
……」
シアノの声はかすかに揺れた。彼の言葉は的外れでありながら、核心を突いていた。
再び大広間に不穏な空気が広がり始めたその時、ナーデルが静かに口を開く。
「
…私たちの目的は、人間に歴史を思い出させること。もしくは忘れさせないこと。そのためには、なるべく人間の数は保っていた方が好ましいのです。」
淡々とした口調だが、その言葉には明確な意図が込められていた。ナーデルにとって、ルフレの提案は無益な行為に過ぎない。
「それならば、もう一度だけ作戦通りに行動してみないか?」
その場を緩和させるようにグラディエーターが提案する。
「もう一度やってみて効果がなさそうなら、現在でどうにかする。先日の作戦は、情報が不十分だったことも原因だろう。それに過去の重要な分岐点を狙う方が効率が良い、というのも作戦会議の時に話していたからな。」
「
…まあ、もう一度くらいなら。」
しぶしぶながら、ルフレも折れる。彼の態度は依然として無関心にも見えたが、その内側に何か考えを巡らせているのかもしれない。
「それでは第三作戦
…第三次世界大戦中に行きましょう。目的は戦争の勃発を止めること、もしくは被害を減らすこと。」
「その時代を知っているとなると、カーラしかいないな。」
グラディエーターが視線をカラベラフィルムに向ける。彼は躊躇いながらもゆっくりと頷いた。
「私か
…とはいえ、記憶が曖昧だが
…。」
「それでも、何も知らない他の械よりかはマシです。カラベラフィルム様にお願いするしかありません。」
ナーデルが静かに言うと、カラベラフィルムは短く息をつき、覚悟を決めたように背筋を伸ばした。
「それでは、各自準備を整えてあの部屋の前に集合してください。」
ナーデルが締めくくると、重い空気を引きずったまま、各々が席を立ち始めた。
白浪を救う手段はない。しかし、彼らにはまだ果たすべき使命が残っている。
それを果たすために__もう一度、時を遡る。
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