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窓から差し込む朝の光に、シアノはゆっくりと瞼を持ち上げた。 瞬きを繰り返しながら、まだ少しぼやけた視界を整える。耳を澄ますと、館の静寂がいつもより重く感じられた。
部屋の時計は午前六時を指している。
目覚ましのけたたましい音が聞こえなくなって、もう二日。
「
…」
静寂の中にぽつりと吐息を零す。
もうどれだけダラけても、誰も何も言わない。好きなだけ寝ていても、誰かが叩き起しに来ることもない。
自分にとってはただただ都合の良いこの現実から目を背けるように、シアノは”いつも通り”にベッドから体を起こした。
慣れた手つきでマスクを装着する。 白い服に袖を通し、無数のベルトを締めていく。ルーティンの一つ一つを終わらせる度、少しずつ意識が鮮明になった。
いつもなら彼が開ける扉に、シアノの手がかかる。
玄関に向かう途中、ふと視界に入ったのは治療室の扉だった。 そこにかかったままの『立ち入り禁止』の札にシアノは先程よりも大きなため息を零す。
(
…まだ終わっていないのか)
樊凌の治療は想像以上に長引いているようだった。 自分はかすり傷程度で済んだが、彼の下半身の損傷はあまりに激しかった。能力で多少は爆破の威力を抑えたとはいえ、あの距離では無傷で済むはずもない。
意味もなく、ただいつもの日常をなぞるために足は裏庭へと向かっていた。
いつもならそこにいるはずの二人の姿。 だが、今そこにいたのはラートだけだった。
「グラは?」
シアノの問いに、ラートはちらりと視線を向ける。
「シラナミがいなくなってから、鍛錬に力を入れている。今日も既に走り込みを始めたようだ。」
そうとだけ答えればラートはまたいつものように車輪の手入れを再開した。グラディエーターもまた何か彼に対して思うことがあるのか。はたまた底を知らない強さへの熱意からか。
シアノは答えの出ない問いを胸に、森の中へと足を踏み入れた。
しばらく進むと、前方から木々の揺れる音が聞こえてくる。
木々をかき分けると、そこには小さな開けた場所が広がっていた。 その中心に立つのは一つの影。
彼は愛刀グラディウスを握り、息を荒げ汗を流している。
「
…おはようございます」
シアノが声をかけると、グラディエーターは息を整えながら振り返った。
「おお、シアノか! こんな朝早くにお前がここまで来るなんて珍しいな!」
グラディエーターはいつもと変わらぬ明るい笑みを向ける。 その足元に二本の使い古された木剣が置かれていた。
シアノは少し迷い、意を決したように口を開く。
「
…突然の話になりますが、白浪が帰ってこない理由、それに関わる何かを知りませんか?」
一瞬、彼の笑みが薄れた気がした。
「
…残念だが、俺も何も知らない。」
「
…やっぱり、そうですか
…」
沈黙。
重い時間。
「カフィ
…カラベラなら何か知っているかと思いましたが、やはり何も知らないそうです。核心が壊されていないとなると、伝承をしたのでしょうか
…けれど、相手は
…」
「俺たちの持つ情報だけじゃどうしようもないな。」
グラディエーターは唇を引き結ぶ。
「ナーデルに問い詰めても、”忙しいから”の一点張りだ。せめて、早くリンリンが回復してくれたら
…」
シアノだけでなくグラディエーターも白浪が消えた理由に疑問を抱き、探りを入れていたらしい。とはいえやはり何も手がかりを見つけることはできず今に至る。
となれば今のグラディエーターにできることは次の作戦に備えより鍛練を詰むことだけであった。
グラディエーターとシアノの間にまたもや沈黙が流れた時、ラートが木々をかき分けて来た。どうしたのだろうかと二人の視線が彼に向いた。
「ファンリンの治療が終わったぞ」
その一言に、二人は顔を見合わせる。
そして、三人は館へと駆け出した。
───
治療室の前。
二つの人影
…樊凌とナーデルが何かを話していた。
足音で三人に気づいた樊凌は、にぱっと笑い軽やかに手を振る。
「早上好〜! みんな、そんな慌ててどーしたん?」
「リンリン! もう怪我は完治したのか? 痛いところは?」
「も〜、グラちゃん心配性やなぁ〜」
グラディエーターは全方向から樊凌の体を確認し怪我がないかを見ていく。すっかりいつも通りになった樊凌を見てグラディエーターは心底安堵したように胸をなで下ろした。
「しかし、あれほどの傷がここまで綺麗に治るとは
…械とは不思議なものだな。」
「
…まったく、二日間も篭もりっぱなしだなんて、とんだ集中治療ですよ」
「二日!? そんなに寝とったん!?」
シアノの言葉に驚く樊凌の背後で、静かに扉が開いた。
その隙間から顔を覗かせたのはフィリップだった。
「りんりんさん、やっと出てきたんですね
…」
そう言ってフィリップは頭から足までじっくりと樊凌の体を観察する。
「
…それにしても、あの傷がたった二日間で綺麗に治るなんて
…」
「不挂断!!! 魔女ちゃうで!? デルちゃんの集中治療のおかげやから!!」
一年間も同じやり取りを繰り返していれば次に相手が何を言うかなど容易く想像ができる。樊凌がここまで素早い返しをするのは魔女の疑いを晴らす時くらいだろう。
魔女ではないと言われたフィリップは、少し警戒心を解いたのか扉をさらに開け、こちらの輪に入ってきた。とはいえ、まだ疑いは残っているらしく、横目でじっとこちらを窺っている。樊凌はというと、フィリップと目が合うたびに必死に首を横に振っていた。
そんな二人のやり取りを見ながら、シアノは微笑ましさを覚える。どこか緊張感の残る空気の中で、いつものような平和な雰囲気が戻ってきたことに、ほっとしたのかもしれない。
和気あいあいとした会話の最中、またもや廊下に繋がる扉が開いた。現れたのはタオルを手に持ったルフレとカラベラフィルム。手にしたタオルと濡れた髪からして、二人が浴場帰りなのは明らかだった。帰り道に自分達の騒がしさに気付き、様子を見にきたのだろう。
「おっ! ファンリンさん、おはようございます〜! やっと終わったんですね〜」
「うむ、見たところ傷はすっかり癒えているな
…ひとまず、無事で何よりだ。」
胸を撫で下ろすカラベラフィルムと、笑顔で近寄るルフレ。これで今、この場には全員が揃った。
…先日失った、一人を除いて。
だからこそ、その不在を強く意識していた。
彼について話さなければ事態は変わらない。しかし口火を切る者はいなかった。まるで、あの話題に触れることを避けるかのように。
「白浪様を除いて皆さん、お揃いですね。では、改めてお話ししましょうか。大広間にお集まりください。」
ナーデルの淡々とした声が響く。あまりにも事務的で、まるで何事もなかったかのような口調に、シアノは言葉を飲み込む。しかし、誰一人話題にしようとしない現状を思えば、彼女の冷静さは合理的で正しいのだろう。
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