外伝 バスカヴィルの魔犬【後編】

あらすじ
舞台は英国。不可思議な事件を巡る、残された者の物語――。
ベイカー・ストリート221Bに暮らす小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンにある人物からとある純血貴族の不可解な死を解き明かしてほしい、と依頼が届く。忽然と姿を現した魔の犬。青い炎を吐き出す口、真っ黒なその犬に狂気を見出して死んだ男。これは殺人か、それとも神秘の気紛れか? ワトソンとシャルルマーニュはその地、ダートムーアへと向かう。
前編→ https://privatter.me/page/6596ce95596b9
中編→ https://privatter.me/page/6598c6d08eaa3

ついに後編です。クソ長いです。これで終わりなのでお付き合いいただければ~。頑張ってミステリっぽくしていますが、ガチでミステリ書いてる人が読んだら怒りそうだな…とちょっと思っています。概要欄に色々書いたら余計なネタバレしそうなので黙っとこうね~~。
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スペシャルサンクス:笋様、Littorio様
いつも遊んでくださってありがとうございます。
笋様より『鳥の一族』の皆さまのお名前や一部語録などをお借りしております。
Littorio様より『渡りの一族』の皆さま、アマネセール家の御家名をお借りしております。


***

__1888年 3月




「ずっと考えていたんだ。アイリーン・アドラーが既に死んでいる、という事についてね」

ホームズはそう言って煙草に火を点けた。暖炉では炎がパチパチと音を立てて燃えている。既に日は落ち、部屋の明かりは机に載せられた読書灯のみである。あとは暖炉の炎が薄ぼんやりと部屋を温かく照らしていた。

……確かに、彼女の邸宅は無人だったな」

私は呟く。ボヘミアの国王が取り返してくれとホームズに懇願したその写真はあっさり手に入った。
空き巣紛いの事をして手に入れたのもどうかとは思うが、もうすぐ国王がその写真を受け取りにやって来る。もう事件は終わったのだ。

「もしアイリーン・アドラーが死んでいるなら、陛下は脅迫に怯えることはない。だがなぜあんなに君を見て怯えていたのかが気になるね」
……私の正体に感づいたのではないか? 勘のいい者であれば気づく事もあるだろう」
「本当にそうかな」ホームズは厳しい表情になり、珍しく真面目な顔で私を凝視した。「君をマスグレイヴ家の屋敷で保護した時のことを、僕はとてもはっきり覚えている」
……ああ。私も良く覚えている。お前のおかげで地獄から抜け出すことができたのだから」
「上半身は人間なのに下半身が魚だなんて、どんな馬鹿げた生き物だと当時はそればかり考えていたが。今着目すべきはそこではないんだよ、ワトソン」

ホームズはそう言って私の顔にかかっている前髪をそっと持ち上げ写真と比較し始めた。アイリーン・アドラーとボヘミア国王が共に写っているその写真である。

「人の顔というのはね。生涯絶対に変わらない部分があるんだ。注意深く観察すれば、男装していようと女装していようと見抜くことができる。付け髭で顔の半分以上が覆われていてもね」
……何が言いたい?」私は首を捻る。
「国王陛下が怯えたのは、君の正体がアンシーリーコートだと感づいたからではないよ」
……そうか」私はほっとして一度目を伏せる。
「ストップ。そのまま動くな」

ホームズは再び私の顔に触れ始めた。何がしたいのか全く理解できないがやりたいようにさせておく。

「君はマスグレイヴ家で肉を食べたと言っていたね」
「確かに言ったが……それが今更どうかしたのか?」
「これは証拠も何もない、あくまで現状の君から推理した事だ。妄想に過ぎないと笑ってくれてもいいよ」ホームズはそんな前置きをして両手の指を突き合わせ、話を始めた。「僕はそこで出された肉こそが、既に死んでいるアイリーン・アドラーだったのではないかと考えている」
……それは。否定できない可能性だな」
「いや、証拠がないからね。マスグレイヴ家の当主は舌を嚙み切って死んでしまったし、そもそも狂信的な純血主義の行き過ぎで皆若くして亡くなっている。……誰もこれを証明なんてできない。だが遺体が出ない事、彼女が行方知れずとなった時期、君が人の姿を最初に得たとしたらマスグレイヴ家しか考えられない。アイリーン・アドラーはマスグレイヴ家の何者かに拐されて殺害された。その後解体されて君はそれを食べる。すると君はその肉から人間の形質を学習して進化、人魚の姿に落ち着くわけだ」

私はティーテーブルに載せられた写真の女性を見る。夢のように美しく、ひとたび溺れればどこまでも落ちていく。そんな危うい魅力のある女性だと国王は言った。確かにアイリーン・アドラーの容貌はとても美しかった。男が手玉に取られてしまうのもどこかで納得できる。

「そんな風に考えると、君が驚くほどアイリーン・アドラーに似ているのも納得できる話だからね。……とは言っても真相は闇の中だ。さ、国王陛下に写真を返して依頼を終わらせるとしよう」

国王は相変わらず私の姿に怯えていた。男装したアイリーン・アドラーだと思われているのか、それは分からない。彼の心を伺うことはできない。私は思わず問いかけていた。

「あの……失礼を承知でお伺いします、陛下」
「な、何かね」
「私は彼女に似ているのですか。ホームズからそう言われました」国王は悲し気な表情で一度私を見た。
「似ている。似ているとも。生き写しのようだ」国王は苦しそうに今度は視線を床へ落とした。「だが確信したよ、ドクター・ワトソン。君がもしアイリーン・アドラーならそんなことは言わない。ただ微笑み、歌い、そしてまた私の心を奪うだけだ。君は決してアイリーン・アドラーではない…………私のせいで気を悪くさせてしまったなら、すまない」
……とんでもありません」

傍に立っていた侍従が耳打ちをした__もう帰りの時間が迫っているらしい。
私とホームズは国王の背を見送った。悲哀がその背に感じ取れる。思わず背を向けて、私はすぐに自室へ踵を返した。