外伝 バスカヴィルの魔犬【後編】

あらすじ
舞台は英国。不可思議な事件を巡る、残された者の物語――。
ベイカー・ストリート221Bに暮らす小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンにある人物からとある純血貴族の不可解な死を解き明かしてほしい、と依頼が届く。忽然と姿を現した魔の犬。青い炎を吐き出す口、真っ黒なその犬に狂気を見出して死んだ男。これは殺人か、それとも神秘の気紛れか? ワトソンとシャルルマーニュはその地、ダートムーアへと向かう。
前編→ https://privatter.me/page/6596ce95596b9
中編→ https://privatter.me/page/6598c6d08eaa3

ついに後編です。クソ長いです。これで終わりなのでお付き合いいただければ~。頑張ってミステリっぽくしていますが、ガチでミステリ書いてる人が読んだら怒りそうだな…とちょっと思っています。概要欄に色々書いたら余計なネタバレしそうなので黙っとこうね~~。
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スペシャルサンクス:笋様、Littorio様
いつも遊んでくださってありがとうございます。
笋様より『鳥の一族』の皆さまのお名前や一部語録などをお借りしております。
Littorio様より『渡りの一族』の皆さま、アマネセール家の御家名をお借りしております。


***

__翌朝




夜中に見つけた妙な像は私の部屋に置かれている。バスタブの中に冷水を張ってすぐに人魚の姿に戻って休み、しっかり熟睡して朝を迎えると慌ただしく部屋のドアを叩く者がいた。私は急いで姿をヒトに変えて服を身に着けドアを開ける。戸口には酷く狼狽した様子のハイドヘカチェリーナとフィニアがいた。

「大変ですワトソン先生!」ハイドヘカチェリーナは私の肩を思い切り掴んだ。「ベリルさんが……ベリルさんが!!」
「落ち着いて。ベリル嬢に何かあったのですか」
「け、今朝、近くで牧場をやってらっしゃる方が、遺体を発見して通報を……!!」
「遺体!? まさか亡くなったのですか!?」

ハイドヘカチェリーナは涙目になりながら頷き、私は彼女らと共に急いで階下へ降りる。既に到着している警察官たちが館の人間に話を聞きに来ていた。私はその警官たちの中によく知った顔を見つける。スコットランドヤード本庁の刑事、バレル・ホークアイとその上司であるジョージ・レストレードがいた。

「ホークアイ、レストレード!」
「ワトソン先生! 大変です、とんでもない事件ですよこれは」
「先程ミス・アマネセールに聞いた。ここの食客だったベリル・イライザが死んだと」
「ええ。遺体ですが、その……」ホークアイは言い澱んだ様子でレストレードの方を見る。レストレードは険しい顔のまま言葉を継いだ。
……お嬢さんは見ない方がいい。あまりにひどくてな。しかも死後に鴉につつかれて余計に遺体が損傷していた」

隣でひゅっ、とハイドヘカチェリーナが息を飲んだのが聞こえた。鳥葬という嫌な言葉が頭を過る。私は一歩前に進み事情聴取を受けているシャルルマーニュと瀬川の様子を確認する。二人は特段慌てふためくこともなく落ち着いて受け答えている。既に聴取を終えたらしいステープルトンは自失呆然として椅子に座り床を凝視していた。

……お二方、昨晩の事を教えていたただけますか」

レストレードは警戒の色を浮かべて彼女らに言った。ハイドヘカチェリーナは「ええ、無論ですわ」と己を落ち着かせるように自分の手を強く胸の前で握り合わせた。

「昨晩は夕食を終えた後、フィニアさんと一緒に部屋でお茶をしておりました。その後ベリルさんが訪ねてこられて」
「そ、そうなんです。晩餐会の時の事を、わざわざ……謝りに……来てくださって。そ、その後……ヘカチェさんは、先にお部屋に戻りました」フィニアは声を詰まらせながら言う。「ベリルさんとは、……十二時半ぐらいまで、お話しして……その後、お部屋に戻られて、私もすぐに寝ました」
「つまりミス・アマネセールがお部屋に戻った後、ミス・バスカヴィルのアリバイを証明できる第三者はいない、という事ですね」

ホークアイはメモを取りながら言う。

「そ、それは、……はい。そう、です」
「お待ちください! まさか、フィニアさんを疑っていらっしゃるの!?」ハイドヘカチェリーナは声を荒げた。
「いや、みんな容疑者ですから! このワトソン先生でもね」ホークアイは私の背中をバシバシ叩いた。「被害者のベリル・イライザさんはこのバスカヴィル邸で食客として扱われていたとか。となればこの邸宅にいる人は全員容疑者です」
……そうだな」私は考えながらぼんやりした返事をする。「ホークアイ。ベリル嬢の遺体は__」
「だァめだ駄目だ!! 一般人に遺体は見せられない。お前は大人しく警察からの聴取要請が来るまで部屋で缶詰、原稿してろ!!」レストレードは私に向かってそう叫ぶ。
「おっと水臭いぜレストレード警部」

シャルルマーニュが突然レストレードの背後から無理やり肩を組んで、

「いいか? よく聞けよ。このジェームズ・ワトソン先生はし~~っかり〝諮問探偵開業許可証〟に基づいて、探偵として依頼を受けてここにいるんだ。つまりはよ?」
「つまりは、何だ!」苛立ちを露わにレストレードはシャルルマーニュの腕を払いのけた。
「今のジェームズは、お前らより権限がう~え♡ってことだ~~よ♡」
「クソが!!!!」

レストレードは苛立ちのままに腕を振りかぶりシャルルマーニュの顔面目掛けて拳を叩きこもうとしたが、それは流石にホークアイに制された。
私はシャルルマーニュの耳を引っ張ってこちらへ連れてくる。レストレードは暴れていたがホークアイの必死な抑え込みによって何とか落ち着きを取り戻した。

……シャル。お前はミス・アマネセールとフィニア嬢を頼む」
「お前はどうする?」声を潜めてシャルルマーニュは問いかけた。
「とりあえず、遺体を確認して周辺を調べてくる。お前は余裕があれば屋敷を調べてくれ」
「オーケー、相棒。ポリ公にちゃちゃ入れられねえよう気を付けねえとな」


シャルルマーニュが屋敷の面々を連れて昨晩の夕食会場へ向かったのを見計らい、私はホークアイたちと共にベリル嬢の遺体を見に沼沢地の小門近くに設けられた規制線とブルーシートの群れへ向かった。
昨夜の彼女の印象を思い出す。一瞬見ただけでは遺体の女性がベリルであるとは分からないほど酷い状態であった。
ところどころ鴉につつかれたのではないかというレストレードの話は真実と思われた。脇腹や太腿、首に何か肉食動物が噛みついたような傷跡があり、眼窩は嘴で傷つけられ、服や足、髪は泥に汚れていた。特に脇腹の傷が酷い。肉の隙間から内臓が引き出された形跡があり、これが鴉の仕業なのかそれともここに噛みついた獣の仕業なのかは見分けがつかない。

……確かにこれは、見せられない)

フィニアのような気弱な人間にこれを見せれば卒倒するだろう。ステープルトンが意識を保てていたのが驚きというほかにない。彼はベリルの恋人だったはずだ。
私たちは規制線の外に出て東屋へ向かう。奇妙な方向を向いた椅子が一脚、正しくテーブルの方を向いている椅子が一脚。ガーデンテーブルには空の花瓶が置かれていた。

「発見時の状況だが」レストレードは煙草に火をつけてから話し始めた。「今朝四時ごろ、夜間放牧していた馬を集牧するため外に出た牧夫が、やたらと鴉が騒いでいるのを見た。で、そこにそっと近づいて行ってみると鴉が妙なものを咥えているのが見えた__よく見るとそれが人間の腸だったと。で、警察に通報。偶然宿直中だった俺たちにも連絡が来て、ヘリでこっちに来たって訳だ」
「しかも被害者がバスカヴィル邸の食客って言うんですからもう驚きですよ。一体ここで何が起きてるんですか?」
……私の方が聞きたい。正直チャールズ卿の死についても犯人像が未だ掴めていない状況だ。そしてベリルまでが死んだ。彼女は食客だぞ? 一体何の目的で殺す必要があるというんだ」
「それを明かすのがお前の役目だろうが。諮問探偵を名乗るならちったあ役に立て」レストレードは私の左肩を小突いた。
「ワトソン先生、ベリル・イライザって一体何者なんです?」
「看護師……らしい」

私はいまいち要領を得ない答えを出した。

「らしい、ってなんですか。何かふわっとしてますね?」
「昨夜の晩餐会で彼女は植物学者を自称した。だが瀬川が言うにはその経歴は嘘で、実際は看護師だという」私はレストレードから煙草を一本融通してもらいライターを借りる。「こう言っては何だがベリルは怪しい。怪しさ満点だった。三か月前からこの屋敷で食客として世話になっていると言っても、新当主であるフィニアに対してやたらと当たりが強かった。だが気遣っているようにも見えた……とは言っても彼女の事は昨夜しか見ていないから、何とも」
……おい。おい、調べたら出たぞ。ベリル・イライザ」レストレードはスマホの画面を私たちに見せた。「これ見ろ。過去の事件記録だ」
「け……結婚詐欺師……!?」

ホークアイは驚いたようにレストレードからスマホを奪い取って画面を凝視した。
結婚詐欺師。そう言われても何となく納得してしまうのが不思議だ。ベリルはもしやチャールズ卿を篭絡するつもりで看護師と己の身分を偽って近づいた? だがチャールズ卿が亡くなりフィニアが当主としてやってきた。結婚詐欺師として金をせしめるには彼女の存在が邪魔なはず。故にあのような心配と棘の入り混じった物言いをしたのか。そう考えても残念ながら根拠は何処にもない。

「六年前、結婚詐欺がバレて執行猶予付きの有罪判決。二年前に出所。まあ見るかぎり反省はそこまでしてなさげだな」レストレードは鼻で笑う。「今回バスカヴィル邸にやってきたのも金目当てだろ。わざわざその為に看護師と己を偽り、入り込んだ」
「ええ!? じゃ、じゃあジョージ・ステープルトンは!? 彼、ベリル・イライザの恋人のはずですよね?」ホークアイは手帳を捲りながら叫んだ。
「二人は理由があって恋人同士を演じていた……?」

私はぽつりと呟く。ベリルは結婚詐欺師。ステープルトンは考古学者。
さらに言えばステープルトンは変態能力を有する馬子だ。対するベリルは人間である。加えて二人は三か月前共に屋敷を訪れ、食客となった。二人は何処で知り合ったのか。どういう利害があるのか。やはり屋敷に戻ってから少々強引にでも聞いてみるしかない。
だが更に謎は深まった。ベリルが前科のある結婚詐欺師だと分かった今、本来秘匿されており表に情報が出ることのないバスカヴィル家の事を何処で知ったのか。さらに言えば奇妙なのは死に方だ__全身を肉食獣に食い千切られ、あんな無惨な死を遂げた。
歯形を確認する限り犬に近い肉食獣が複数食いついたようだ。だが周辺の地面や生垣を見る限り、大型の動物が入り込んだ形跡はない。生垣には多少の隙間がある為、猫や栗鼠ならば容易に入り込めるだろうが、あの大きさの歯形から考えると少なくともハスキーか、それに近い大型犬ほどの体長はあるはずだ。だが泥質の地面には女性の靴跡があるだけで、後の革靴の跡は私やホークアイ、レストレード、警察関係者のものである。

「他にないか気になる事はなかったか?」
「何かって言われてもな。具体的に言え」レストレードは煙草の灰を携帯灰皿に落として言った。
……些細な事でも構わない。今は一つでも情報を増やしたいんだ」
「そうだな……俺たちからしてみれば全てが気になるが。お前、町で診療所をやってる男と会ったか?」
「ロビン・モーティマー医師のことか」私は瀬川から聞いたその名前を口にする。
「そう、そいつだ。還暦過ぎのじいさんで、長い事故チャールズ卿の事を診ていたらしい。普通に考えりゃあ病状が悪いことなんか知ってたはずだろ。それにも関わらずずっとこの田舎に留まらせていたってのが何か気になる」
「じゃあ今から行きましょうよ。善は急げと言いますし」ホークアイは言った。
「そうしたいのは山々だがな」
……何だ?」

突如沼沢地の方から狼の遠吠えが響く。地の底、地獄から這い出すような悪寒に私は一瞬身を強張らせた。ホークアイは呑気に「犬ですかね?」と声を上げている。こういう時に平常心でいる奴がいてくれるのは有難い。恐らく邸宅にいる人々は落ち着きを失っているだろう。誰か暴れていないといいが。

「それで、警部。何ですか?」
「お前……本当ブレないよな……
「ええ? そうですかね。流石にあんな犬の遠吠え聞こえてきたら『うわ~嫌だな~』とは思いますよ」
「あー、うん。そうだな。まあいい。で、モーティマーの事だが」レストレードはホークアイを適当にあしらって続けた。「ここ数日、診療所を閉めていて連絡も取れん状況だ。残念だが話を聞くことは難しいだろう」
……何日前から閉めている?」
「四日前だ。お前らが来た時には既に休診中だった事になる。俺はこのジジイが怪しいと踏んでるぜ」レストレードは自信ありげに言った。「医者なのに病人を他の病院に紹介もせず、こんな田舎に放置してたんだ。絶対何かある。卿を殺害した犯人とグルに決まってる」
「警部~。そんなこと言ったって証拠は全然出てきてないじゃないですか~」
……チャールズ卿に関しては司法解剖も行われたのだろう? その結果を聞かせて欲しい」
「司法解剖の結果ァ? ホークアイから一回聞いてるだろうが」レストレードは嫌そうな顔で反芻した。
「それでも。お前の口からもう一度」
「チッ……直接死因は心不全だ。確かに遺体はミイラ化しているような状態で、尋常じゃない様子だったがな」
「やはり、死因は疾患なのか……」私は独り言ちた。

疾患が直接死因としても、状況から考えれば他殺である。だが馬子は心臓が強い者が多い。レース中に心房細動を発症してもその後数日でケロリと回復し、また元気に走っているなんて事はざらにあるのだ。原種たる馬も同じように心肺機能のそれは、人間よりも遥かに強靭である。
そうは言っても、チャールズ卿の見た目が若々しく五十代程度の見た目でしかなかったとしても、彼は八十年も生きた馬子である。それなりに心肺機能が衰えていたのは確かだろう。だとしても、やはり馬子がそんな簡単に?

「毒……か?」
「は?」私の言葉にレストレードは鋭く反応した。「毒って。チャールズ卿は毒を盛られてたっていうのか? バカ言うな。各種検査やってんだ。何も出てねえぞ」
……馬子は人間と少し体のつくりが違う。人間にとっては無害でも、馬子にとっては有害な食べ物が存在する」
「あ、分かります。俺も食べれないものあるので」
「お前はただの好き嫌いだろうが」
「違います! 俺は半馬子なので、本当に食べちゃいけないものがあるんです。医者に言われました。チョコレート食べるなって。た~まに、ワトソン先生の所で食べてますが」
「あ? チョコレート? 大概の菓子類に入ってるもんじゃねえか」

私は221Bの階下にあるカフェから、ホットチョコレートを貰ってきてはやたら私に与えてくるシャルルマーニュを思い出した。あれは自分が飲めないから私に飲ませていたのか。
確かに、馬にチョコレートを与えてはいけないという。チョコレートの原料であるカカオに含まれるテオブロミンが馬や犬、猫などには有害物質となるのだ。効果としては、脳内で分泌される物質__セロトニンに働きかけ、食欲の減退や強心作用、腎血管の拡張を促す。

「馬子であり尚且つ原種である馬の姿になれる者の場合、基本的に食生活が菜食に寄る。そう考えると菓子類に含まれるチョコレートは確実に避けなければならない。継続的な摂取により重篤化すれば発作で死ぬこともありうるだろう」
「おい、んなこと言ったって証拠はどこにある。毒を盛られていた証拠がなきゃただの妄想だぞ」
……分かっている。だがここにやってきて最初に出された夕食のデザート……チョコレートが使われたムースケーキとジェラート。シャルルマーニュは手を付けなかった」
「同行者に馬子がいる事は事前に伝えていたんですよね?」ホークアイは問う。
「無論。バスカヴィル家と連絡を取り合っていた弁護士のハイドヘカチェリーナは馬子だし、アマネセール家の家名を純血貴族家で働いている者たちが知らないとは思えない」
「おい待て、ワトソン。そいつはまさか……まさか……
「いやレストレード。お前が言う通り証拠はまだ何もない段階だ。皆の話を聞いてから判断しよう」

私は思考全てを先延ばしにした。今は何も考えたくなかったのだ。そんな話があってたまるかと必死で振り払う。
だがこの結論は不動にも思えた。何故ならば、そう考えなければ説明のつかないことがあまりにも多い。私は暗澹とした気持ちで屋敷へ向かう刑事二人の背を追いかけた。