外伝 バスカヴィルの魔犬【後編】

あらすじ
舞台は英国。不可思議な事件を巡る、残された者の物語――。
ベイカー・ストリート221Bに暮らす小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンにある人物からとある純血貴族の不可解な死を解き明かしてほしい、と依頼が届く。忽然と姿を現した魔の犬。青い炎を吐き出す口、真っ黒なその犬に狂気を見出して死んだ男。これは殺人か、それとも神秘の気紛れか? ワトソンとシャルルマーニュはその地、ダートムーアへと向かう。
前編→ https://privatter.me/page/6596ce95596b9
中編→ https://privatter.me/page/6598c6d08eaa3

ついに後編です。クソ長いです。これで終わりなのでお付き合いいただければ~。頑張ってミステリっぽくしていますが、ガチでミステリ書いてる人が読んだら怒りそうだな…とちょっと思っています。概要欄に色々書いたら余計なネタバレしそうなので黙っとこうね~~。
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スペシャルサンクス:笋様、Littorio様
いつも遊んでくださってありがとうございます。
笋様より『鳥の一族』の皆さまのお名前や一部語録などをお借りしております。
Littorio様より『渡りの一族』の皆さま、アマネセール家の御家名をお借りしております。


***



真っ赤な鮮血が吹き出す。レストレードの顔に勢いよく血液がかかり、そばに立っていたホークアイの白いカッターシャツは真っ赤に染まっていた。私は状況が全く理解できず数秒固まった。
シャルルマーニュも、瀬川も、誰一人反応できなかった。
何故なら何も起きていないからである。侵入者はなく、音もなく、気配さえなかった。まるで『ジョージ・ステープルトンの首が吹き飛んだ』という現象だけが起きたように見えた。
我に返った私はすぐさま首の傷口を見た。何か獰猛な肉食獣が無理やり食いちぎったような断面である。つまりベリルの殺害方法に近い。彼女の左腕は同じように無理矢理何かに食いちぎられていた。私は周囲を見回す。

振り返ると、そこには人影があった。私から見れば小柄な人影である。
少し長い銀髪。薄灰色の瞳。
全く光の失われた表情で、フィニア・バスカヴィルが私たちを見ている。


「フィニア……さん」私は恐る恐る話しかけた。
「ごめんなさい、ワトソン先生」

フィニアはいつもの内気な口調ではなく、強い意志のこもった口調で私に話しかけた。足元の靴を見る。
緑色のストラップがついたパンプス。
ブルームスベリー・ホテルで彼女が片足だけ無くしたと言ったものだ。
私は初歩的なミスを犯した事にようやく気付いた。

「貴方は最初から__」
「はい。私は遺産を相続するためにバスカヴィル邸へ来たわけではありません。私の目的はたった今達成されました」
……チャールズ卿を殺した者たちを殺しに来た。つまり復讐だ」
「私、皆さんの優しさにつけ込みました。ずっと考えていたんです。特に、どうすれば貴方の力、頭脳を封じられるか」
「私の正体に気づいていたのか」
「ええ。気づいていました。……アメリカにいた頃、ビックマン財団でシステム開発をしていました。だから貴方が英国に唯一存在するアンシーリーコートである事は、事前に知っていました」

フィニアは一歩踏み出す。
かつん、とヒールの音がホール全体に響く。まるで晩鐘のように。

「あらゆる毒は真祖たるアンシーリーコートには効かない。でも唯一『魔力封じの霊薬』だけは効く。人魚姫が足を持ち続けられた、その理由、その物語が貴方の背骨に宿っているから」
「そうか……貴方はあの時。最初の晩、メイドのアンナと話していたな」
「ええ。あの時、ワトソン先生のお食事にはこれを入れるようにと申しつけました」フィニアは青い小瓶をスカートのポケットから取り出した。霊薬の瓶である。「どれぐらいで効果が出るか分からなかったから、希釈していないものをそのまま入れさせました」
「フィニアちゃん、演技派すぎない? すっかり騙されたよ」

シャルルマーニュはそっと耳を後ろへ傾けて絞った。何かに警戒している。この空間に何かがいる。それは間違いない。だが誰一人それを認識できてはいない。

「ワトソン先生ならきっと、『靴が片足だけなくなった』というトラブルも、事件に関りがあるはずだと考える。届いた奇妙な手紙があれば尚の事、それも推理の材料になさる。そう思っただけです」
「恐ろしいねえ。ジェームズがシャーロック・ホームズの思考や理論をなぞっていることは、その正体をよく知っていれば簡単に分かる。だから推理を導くための材料をいくつかでっちあげとけば、それを手掛かりにして勝手に事件は明らかになる……か。でもいつベリル・イライザがチャールズ卿殺害に関わったと知った?」
「二人の会話を壁越しに盗み聞きする事なんて、針に糸を通すよりも簡単でしたよ」
……そうか。貴方は……見た目だけが人間で肉体の能力は完全に馬子なのか」
「そうです。そこで死んでるそいつに家督を譲るぐらいなら、多少の苦労が目に見えていても私に譲るしかなかった。__何があろうと耐える覚悟でいたわ。故郷のために。おじ様が大事にしたもののために。チャールズおじ様は私にとって、とても大事な人だったもの」

フィニアの表情は今までに見たことが無いほど冷めきっており、言葉には殺意が滲み出ていた。

「おじ様は人が良すぎたわ」
「そうかもしれない。だが貴方が言う『まともではない奴ら』を、こうまでして殺害する必要があるのか!? 追い出せば良かったじゃないか。貴方にはそれができた。殺さずとも__」
……ワトソン先生、本当に優しいんですね。どうしてそんなに優しくできるの? 貴方がアンシーリーコートだからですか。それとも、貴方がその気になればこのブリテン島を沈めることができるからですか」
「それは違う! 殺すことは間違っている、私は」
「人を喰ってその姿を得た貴方が言うなんて、英国人らしいことだわ」フィニアは突き放すように言って笑った。獰猛な笑みである。犬歯が口の隙間から少し覗いていた。「皆事情があって他の家から追い出されてここにいるというのに主を弑するなんて。恩知らずの侍従たち。自分の事しか考えていない食客。金に目が眩んだ医者! おじ様の晩年は散々だった。……許さない。絶対に許さない」
「ふ、フィニアさん……

ふらふらとハイドヘカチェリーナが食堂からこちらへやって来る。顔に血が飛んでいた。
私は食堂の中で何が起きたか察した。

「バリモアさんが、ナイフで、自分の……首を」
「ヘカチェさん」フィニアは穏やかな声でゆっくりとハイドヘカチェリーナに近づく。「怖がらせてしまってごめんなさい」
「待って。何を言っているの? 何が起きているの? ねえ」
「眠っていて」

フィニアはそう言って何かを唱えた。ハイドヘカチェリーナはふらりと倒れ込み寝息を立てはじめる。そっと彼女を階段の手すりを支える柱の傍に寝かせ、自分の着ていたシミ一つない白いカーディガンを彼女の肩にかけた。

「ビックマン財団にいた頃には戻りたくないけど、今ほどあそこにいて良かったと、過去の自分に感謝した日は無いわ」フィニアはスカートのポケットから黒い鍵を取り出した。「瀬川さん。貴方を殺して全ての幕を引きましょう」
「困ったな」瀬川は袖口から短刀を取り出して鞘に手をかけた。「俺は無関係だと言いたいけど、見殺しにしたと言われればそうだとも言えるからなぁ……
「貴方に、おじ様を殺す動機が無いことは分かっているの。でも貴方、私を殺せるだけの力があるから……消しておかないと厄介だわ」

フィニアの足元には影がある。その影は一直線に伸びて瀬川へ向かった。突如影から何か生物が飛び出す。黒い鎧を身に着けたような細身の犬か、狼か、大型犬よりも一回り程大きい獣が瀬川の喉元目掛けて牙を剥いた。

「__玄武!」聞きなれない単語が私の耳を叩いた。獣は上から降ってきた巨大な白い亀に押しつぶされて黒いインクを撒き散らしたように死んでいる。
「今の獣……影を伝って……」私は考える。影を伝ったということは使い魔の類か? だがあれは使い魔というよりももっと、一つの意志を強固に持った存在のようにも思えた。
「気を付けてください。あの犬は直線と角度のあるところから不意に顕れます」
「直線と角度……? 待て。つまりあれは真っ直ぐに影が伸びているか、或いは鋭角に曲がった場所でなければ私たちに攻撃ができないということか?」

ならば何体出されようと叩き方は幾らでもある。私はペナンローヤーを取り出して強く魔力を込めた__

「っ!?」

肩に強い衝撃が伝わる。思い切り獣に食い千切られているではないか。私は漸く理解した。

……そういう、ことか……
「勝手に納得すんな!一旦 逃げるぞ!」ひょいとシャルルマーニュが私と瀬川を担いで扉を蹴り開け走り出す。「ちったあ説明しろ! あれは何なんだ!!」
「〝ティンダロスの猟犬〟ですよ」米俵のように抱えられた瀬川が言った。「この宇宙の更に外、我々の理解とはかけ離れたところにある不浄の都市……ティンダロス、そこの尖兵です。あの姿はあくまで我々の知覚器官がそういうふうに認識しているだけで、実際はもっと違う姿をしていると言われています」
「丁寧な解説どうもありがとうございましたァ!! めちゃくちゃ追いかけて来てるじゃねえかぁ!!」

シャルルマーニュの走力に平気な顔でついてくる獣たちは時折顎をがばりと開けて私たちを喰わんとした。だがその度に瀬川が亀を上から落として潰す。これでは完全にジリ貧だ。走れどどこまでも追いかけてくる疲れ知らずの獣と、斤量凡そ男二人で百キロを抱えて走るシャルルマーニュでは条件が違い過ぎる。

「シャル。私をここで捨てろ」
「馬鹿言うな! フィニアちゃん、俺らもろとも殺す気だぞ!?」
「角度と線にしか干渉できないならば、球体や円、曲線には触れられないはずだ」私は身体を無理やり捻って草原に転がり落ちる。
「ジェームズ!」シャルルマーニュは小脇に瀬川を抱えたまま叫ぶ。
「うるさい! 少し黙っていろ! …………

私は向かってくる犬たちを睨んだ。直線上を走る限り猟犬たちは恐らく時間や空間の制約を受けていない。時間という概念が無いのか、彼らの世界での時間や時空がどのように存在しているかは分からない。しかし幻想種が起こす奇跡はあらゆる理論を無視して貫通するという性質がある。
ならば外様の宇宙から来た端末にもそれは届く。この星にいるかぎり。


「私の呼び声を、聴け」