吾妻
2021-10-31 17:49:07
112283文字
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戦争と平和

はるか昔に運営していたSO3夢サイトの、更にオレ設定を元にした三次創作(未完)。自分で読むためにもってきました。ほぼオリキャラ若手漆黒兵から見た戦争。


Fragment:2years ago


 人々が談笑する声が、広い屋敷に響いている。
 グランツは、自室でそれを聞いていた。
 近くにいれば煩わしい人々の声も、遠く離れ、まとめて束ねられれば、葉擦れの音と変わらなくなる。
 ぼんやりと聞く分には、眠りを誘うようで、心地よくもある。
「やっぱりここにいらっしゃったのね、兄さま」
 細く扉を開いて、その隙間からアンネローゼが顔をのぞかせた。
 一人前の淑女の口の利き方をするけれど、アンネはまだ9つ。グランツとは年の離れた兄妹だった。
 母譲りの亜麻色の髪を揺らして、おずおずと何かを待っている。
「おいで」
 窓際に寄せたソファから招くと、アンネはパッと顔を輝かせて、部屋に滑り込んできた。
 両手で扉を丁寧に閉じて、小走りにソファへ駆け寄ってくる。
「サロンへゆかなくてもいいの?」
 裾の広がったドレスを少しだけもてあましながら、隣に座る。
 大きな瞳でグランツを見上げた。
「いいんだ。社交場は、気疲れするよ。俺がいると、父さんも困るだろう」
……?」
 目を丸くして、アンネは首をかしげた。
 グランツは苦笑して、妹の形のいい頭を撫でた。
「お前こそ、こんなところに来ていいのか?」
 サロンには、今日の茶会のために用意された、アンネの好きな甘い菓子もある。
「もういいの。あんまり食べると太ってしまうし。それに……
 つんと顎をそらして、アンネはレディらしい自制心をのぞかせた。
 しかし、気高い表情はすぐに消えて、不安げにうつむいてしまう。
「知らない男の子たちと話すの、なんだか怖い……
 両手を膝の上に置いて、ドレスの表をきゅっと握る。
 上目遣いで兄の顔色を窺ったあとで、そっとにじり寄り、ぴったりと身を寄せてきた。
 もう一度頭の形をたどるように撫でて、胸元に引き寄せた。
「ごめん」
……どうして兄さまがあやまるの?」
……
「へんな兄さま」


 窓から差し込む日差しが、だいぶ弱まってきた。
 そろそろ日が暮れる。
 茶会は広間に場所を移して、晩餐に変わるだろう。
 よっぽど疲れていたのか、アンネはいつの間にかグランツの膝に頭を預けて寝息を立てていた。
「ごめん、アンネ」
 背まで伸びた長い髪を梳いて、もう一度、小さく詫びた。
「俺のせいなんだ」
 まだ十にもならない彼女が、見知らぬ他家の子息と引き合わせられるのは、自分のせいだった。
「俺はお前に、色んなものを背負わせてしまった」
 己の不甲斐なさのせいで、本来なら向けられるはずのない期待を一身に背負わせてしまった。
 何も悪いことなどしていないのに、女に生まれたというだけで両親に失望され、挙句の果てには良い婿養子を得るために、道具として扱われようとしている。
「俺がうまくやれなかった、だから……
 どれほど酷いことをされているのか、幼い彼女にはまだわからないだろう。
 だからこそこうして、無邪気に懐いて温度を預けてくれる。
 いずれは己の置かれた立場に気づき、兄を憎むようになるのだろうか。
 アンネには、その権利がある。
 彼女には何の非もなく、ただ兄の尻拭いをさせられているだけなのだから。
 それでいい、とグランツは思う。
 どれほど嫌悪され、罵られてもいい。それでも――
「俺は、お前のために生きるよ」
 それがせめてもの贖罪になるのなら。

 おそらくこの家にはもう、自分の居場所はないだろう。
 アンネを守る。それが唯一残された、自分の存在意義だ。
 敷かれたレールに、うまく乗ることができずに弾かれた。
 失敗してしまったのだから。

――あいつは逃げているだけだ。やろうと思えば、出来るはずなのに、どうしてやらないんだ。
(父さん、俺もそう思うよ。だからこそ呪わしいんだ。克服できない自分が、首を括ってしまいたいぐらい無様で、憎くてたまらない)
 どうしてうまくできないのか、もう自分にもわからないのだ。

 父の焦りも失望も、身を切るほどに理解できる。
 特に今、アーリグリフ13世の改革が進むこの国で、名ばかりの貴族は追い落とされるばかりだ。
 生き残るためには、見合った力を提示しなければならない。
 "役に立つ"証を。
 価値を示さなければ。
 だから、以前に増して頻繁に、茶会や晩餐が開かれるようになった。
 情報を交換し、相手の顔色をうかがい、縁故を結んで取引をする。
 この国でこれから、生きてゆくために。

 何が最善か、最良なのか、グランツは知っている。
 けれど、それには手が届かない。自分には出来そうにない。
 当たり前のように整えられた道が、生まれた時から開けていたはずだった。
 それが、どうして――


……兄さま、泣いているの?」
 いつの間にか、アンネが眠気を宿した瞳を開いていた。
 翡翠色の瞳が、下からじっと、グランツを見上げた。
 白く華奢な指先が伸ばされて、頬に触れる。
「泣いてなんかいないよ」
 涙など、ひとつぶも流れてはいなかった。
「どうしてそう思った?」
「かなしい顔を、してるから」
 そういうアンネの方が、泣き出しそうな顔をしていた。
「大丈夫だよ」
 頬に触れた柔らかい指先を、包むように握った。
「お前は何も、心配しなくていい」
 この身が何度裂かれても、降りかかる火の粉から、守ってやろうと決めていた。
 それがたとえ、どんなに苛烈な炎でも。
「手をつないでいてね。アンネが目をさますまで」
 ふわりと笑って、妹がつないだ手を握り返してきた。
「ああ、約束する。ゆっくりおやすみ」
 満ち足りた顔で、アンネが目を閉じる。
 すぐに、穏やかな寝息が聞こえ始めた。

 明日は早いうちに、王都に発たなければならない。
 後ろ盾も何も持たない、一兵卒からの始まりなど、父は決して歓迎などしないだろうけれど。
 残されている道は、多くない。何とかそこから、三軍に配属されることができれば。
 一歩踏み出すことができるかもしれない。

 歯車の狂いを、わずかでも戻せるのなら。
 この身など、何度焼かれても構わない。


【つづく】