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吾妻
2021-10-31 17:49:07
112283文字
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戦争と平和
はるか昔に運営していたSO3夢サイトの、更にオレ設定を元にした三次創作(未完)。自分で読むためにもってきました。ほぼオリキャラ若手漆黒兵から見た戦争。
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俺は、英雄になりたかった。
強くて、優しくて、その力で家族や仲間や国を、どんな災厄からも守ることができる。
世界すら、変えてしまえるような。
そんな夢を、抱いていた。
努力をすれば手が届くと、子どもみたいに信じていた。
――
信じて、いたのに。
10.英雄/Diabolo Ⅱ
「おそらく、カルサア方面からだったと思います。
……
一瞬のことだったので、確証はありませんが」
隣に並んだロイが、慎重に言葉を選んだ。
ふたりの前には壁を背にして置かれた机が一揃いあり、苦渋の表情をした年嵩の男がひとり、座っていた。第9中隊隊長ノイン、
――
上官である。
「
……
なるほど。カルサアには、奴らの諜報員が紛れ込んでいるという噂もある」
「しかし、不甲斐ない話ですが、姿を良く見たわけではありません。女
――
だったのはかろうじて覚えているのですが」
「いや、少しでも情報が欲しい。侵入者と相対して、生き残っているものは少ない。副団長でさえ
……
」
言葉を濁し、ノイン中隊長は目を伏せた。ロイも唇を噛み、押し黙った。
襲撃の被害は甚大だった。人質がおり、既に情報も得ていた。更にここは、漆黒の本拠地である。どう考えても、返り討ちにできるはずの状況だった。
ところが現実は、賊の侵入を許し、人質を奪還されたうえ、副団長シェルビーをはじめ、多数の死傷者を出すという、惨憺たる結果になった。
そう。敵は、あのシェルビーを倒し、逃げ延びた。剛腕の二つ名が国内外に轟くあの男を。
この事実は漆黒にとって、未曽有の失態であり、想定をはるかに上回る被害だった。
先の戦闘で見せつけられた施術の力によって下がっていた士気は、ここに至り、もはや並大抵なものでは回復できぬ域まで下がり切っていた。
(あの女が、副団長を殺した、のか?)
グラナ丘陵で対峙した、あの隠密。彼女に呆気なく叩きのめされ、修練場の医務室で目を覚ましたときには、すべてが終わっていた。
だからフォスには実感がない。たった一晩で多くのものが傷つき、そして失われたということが。
立ち塞がる兵士たちを、触れるだけで屍にした。返り血に濡れたその姿は、まさに悪魔そのものであった、と。女隠密を見たという者たちは口を揃える。
(でも、俺にはとても
――
)
「ルヴィニ」
「は、はい!」
名を呼ばれ、フォスは慌てて居住まいを正した。体が驚いて跳ね、声が裏返る。すっかりロイが報告を続けているものと、油断していた。
隣から呆れ返ったとロイの鋭い眼差しが飛んでくるが、構ってはいられない。フォスは、ほとんど言葉を交わしたこともない中隊長に向き直った。
「お前も、クリムゾンブレイドを見たそうだな?」
「はい
……
え、"クリムゾンブレイド"?」
それは女王の代行者に与えられる名ではなかったか。聖王国の軍部において、たったふたりだけが名乗ることのできる称号だ。
「あの女が?」
「聞いていなかったのか?」
ロイが小さくフォスを咎める。しかしフォスは、まっすぐに向けられるノインの眼差しを、見つめ返すことしかできなかった。
「そうだ。あの日、修練場に侵入した賊は三名。男が二名、女が一名。男たちは、シーハーツに奪取されたグリーテンの技術者たちだろう。そして女は、クリムゾンブレイドのひとり、ネル・ゼルファーと見て、まず間違いない」
「
……
女王の懐刀が、わざわざ部下を奪還しに来たって言うんですか?」
「信じがたいことではあるが、そのようだ。あの人質が、よほどの機密を知っていたのかも知れん」
「それは
――
」
違うような気がした。確証はなかったけれど。
――
たとえ罠でも、あの子たちを死なせやしない。
あの女は、そう言った。部下が、漏れては困る情報を握っていたから? その方が筋は通る。けれど彼女の眼にはもっと真摯な、強い光があったように思えた。彼女は純粋に部下を救出したいと願っていたのではないのか?
理屈には合わない。危険すぎるし、愚かな行いに違いない。それでもフォスには、そう見えた。
「ルヴィニ、例のクリムゾンブレイド、お前にはどう見えた?」
「
……
どう?」
「敵の情報が少しでも欲しい。特に相手が軍の中枢にいる人物となれば尚更だ」
「あ
……
はい。俺も、ロ
――
、カライスとあまり変わりません。すぐにやられてしまったので
……
。確か、短くて赤い髪の細身の女だったと思います。ダガーの二刀流でした。とんでもなく素早くて、それでいて一撃が物凄く重かった。鎧のスキマから確実に急所を狙ってきて、とにかく強かった。どこからともなく、いきなり火の玉を出したりして、今思うと、あれが施術だったのかも
……
でも」
「でも?」
「
……
いえ、やっぱりそのぐらいしか」
慌ててフォスは言葉を切って誤魔化した。
"普通の女に見えた"。と、喉元まで出かかったのだ。
確かに恐ろしいほど強く、不可思議な力を使った。しかし、モンスターや魔物ではなかった。
――
あたしが言うのもなんだけど、あんた、軍人向いてないよ。
あのとき。
女は、かすかに笑ったような気がした。
呆れて、困ったような顔に見えた。ひどく人間臭い表情で、人間同士の会話をしたのだ。
悪鬼と呼ばれる敵将と。
しかしそれが私見であり、己の立場を悪くしかねない類の意見であるということぐらい、フォスにもわかる。
命を落とした者がいる。あの隠密に殺されたのだ。
「そうか、わかった」
「すいません、役に立てなくて」
「いや、やはりその女はネル・ゼルファーで間違いなさそうだ。確認できたところで、取り逃がしたあとではどうしようもないがな」
ノインは一瞬だけ苦笑を浮かべ、すぐに消した。
「ふたりとも、まだ傷も癒えていないうちにご苦労だった。ルヴィニは持ち場に戻ってくれて構わない。カライスはすまないが、少し残ってくれないか」
「僕が、ですか?」
ロイが、敬礼をしかけたまま固まった。目を瞠り、ノインを見つめる。中隊長は、静かに部下を見つめ返した。
「今回のことについて、君の意見を少し聞きたい」
「
……
僕は父ではありません。ご期待に沿えるかどうか」
ロイには珍しい、不遜な態度だった。皮肉屋ではあるものの、表面上はルールや上層部に従順なはずの男が、まるで挑むような眼差しを上官に向けた。
ノインは咎めもせずに、かすかな笑みを口元に浮かべる。
「お父上のことは存じている。だが、君に父親の代わりをしろと言うつもりはない。今の漆黒は副団長を喪い、団長も不在だ。負傷者も多数いて、人員が足りない。広い知識と俯瞰的な視野を持つものからの情報が欲しい。それともお前は、親の七光り以外に、自分に価値は無いとでも思っているのか? 父の名前が、自分をここに運んできたとでも?」
「
……
」
ロイは再び硬直した。まばたきも言葉も忘れている。しかし、フォスが隣から窺った彼の横顔には、悲しみや憎しみといった、負の感情は見られなかった。予想外の何かにぶつかって、ただ驚いた顔をして、やがてゆっくりと目を閉じた。
「
……
いいえ、私は己の力でここまで来たと、自負しています」
深い呼吸ののち、ロイは顔を上げてノインを見つめ返した。その双眸は、強い意志の光を湛えていた。
「ならば卑屈な物言いは控えたまえ」
「はい。失言でした」
頷くロイの声は、力強く、凛と張っていた。
*
「フォス!」
名前を呼ばれて、我に返った。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
「もう平気なのかよ?」
見知った顔が駆け寄ってきて、フォスの腕を掴む。そこでようやく、自分が食堂にたどり着いていたことに気が付いた。足が自然とこちらに向いた。習慣とは恐ろしいものだ。
「おい、大丈夫か?」
ひらりと顔の前で掌が揺れる。続いてひょいと、覗き込んでくる影があった。
「ダスク
……
」
「お前、本当にもう動き回れるのかよ? まだ体キツいんじゃないのか?」
ダスクは、人懐こい顔に憂いを滲ませた。案じられている。そのことに気が付いて、フォスは一度、大きく呼吸をした。いつまでも参っているわけにはいかない。お調子者の友人に、不安げな顔をさせているのが申し訳なかった。
「
……
腹減った」
胃のあたりをさすってつぶやくと、ダスクはぽかんとしたあとで、とても大げさにため息をついた。
「寝てばっかだったくせに、どうなってんだよお前の胃は! 心配して損した!」
すっかり、いつもの調子だった。そのことにフォスは安堵を覚える。日常が有難かった。当たり前のはずのことが、これほど沁みる。
「ま、よかったよ。お前ら本当に悪運強いんだな」
「悪運?」
「クリムゾンブレイド」
鳩尾のあたりがひやりとした。日常の中に、滑り込んでくる異分子の気配。意地悪く口の端を歪めて笑うダスクの顔が、一瞬ブレた。
「他のやつらはバッタバタ殺されたってのに、生き残ってんだからな。
……
まさか、副団長までやられるなんて」
芝居がかった仕草でダスクは肩をすくめる。けれどその横顔に、ぬぐい切れない疲労の色がある。今更気が付いた。
ダスクだけではない。食堂の空気が、いつもとは違っていた。浮ついていて、落ち着かない。あちこちから視線も感じた。けれど、たどると逸らされる。
大声で騒いでいる者などいないのに、食堂は奇妙なざわめきに満ちていた。あちこちから声が聞こえる。ひそやかで、それでいて熱っぽく、淀んだ気配。本当にここは、荒くれが集まる場所なのだろうか? 倦んで、混沌としている。
「何もないところから、火とか氷を出すんだぜ? 本当に人なのか?」
「
……
副団長がやられるなんて」
「人質まで取り戻されて
……
どうにかできなかったのか?」
「こんなに追い込まれてるのに、団長はまだ王都から戻れねえのかよ?」
不安が伝播して、波となって打ち寄せてくる。周りを見渡して改めてフォスは知った。ここは追い詰められている。信じていたものを砕かれて、縋るものもなく、疲弊している。
「団長がいたかもしれない」
不意に、誰のものかもわからない声を、くっきりと耳が拾った。
「
……
は?」
「副団長がやられたとき、団長が、屋上にいたかもしれない」
いつのまにか、食堂は静まり返っていた。息を殺して、耳をそばだてる。
「
……
どういう、ことだよ?」
「昨日まで生きてた副団長直属の兵士が言ってたらしい。団長が、侵入者を見逃した
――
って」
「どういうことだよ!?」
聞き手のほうが声を荒らげた。目を伏せて成り行きを見守っていた人々も、もはや遠慮も何もなく、右奥のテーブルに顔を向ける。
「じゃあ何か? 団長はわざわざ、副団長がやられるのを見過ごして、敵を見逃してやったっていうのか? 人質も、逃げた技術者も、クリムゾンブレイドもいたのに!? どういうことだよ
……
!」
「知るかよ!」
「クリムゾンブレイドぶっ殺して、技術者取り返したら、こんな戦争もとっとと終わるかもしれないってのに
……
。それじゃ
……
それじゃあ裏切りじゃねぇか
……
!」
「待てよ、まだ事実かわからないだろう。アーリグリフの英雄が、そんなこと
……
」
「
……
だったら、どうして持ち場に戻ってこねえんだ?」
それ以上、言葉は続かなかった。
*
訓練所の扉を押し開くと、ブン、と風を切る音が耳に飛び込んできた。何度も、同じリズムで続く。
(大剣をふるう音だ)
子どもの頃に命を救われ、握ることを目指してきた剣。今更、命を奪うものでもあると気づいた、その音。
訓練所は静まり返っていた。
修練場の士気は下がりきっている。この状況で鍛錬をしようと思うものは、ほとんどいないのかもしれない。今、ここで素振りをしている人間は、よほどの変わり者に違いない。
フォスは、自分も同じ穴の貉であるのに、その奇特な人物の姿を探した。
「ヨーン先輩!?」
思わず大声になった。ひと気のない訓練所に、一際響く。隅の方で素振りをする人影に、小走りに近づいた。
決して高いとは言えない上背に、荒くれ者の中では浮く優男めいた整った顔立ち。先日の戦闘で負傷し、医務室のベッドに押し込められていたはずの先輩兵士だ。
ヨーンはフォスに一瞥もくれず、ゆっくりと大剣を持ち上げ、まっすぐに振り下ろす。濡れ羽色の剣が空を斬る。詰めた息を吐き出す気配。
「先輩、もう起きて平気なのかよ!?」
「
……
」
もうひと振るい。基本の型に倣った動きだった。剣を支える腕と、装備の重量に耐えうる足腰を作るための、基礎トレーニングのひとつであり、主に新人の体力作りに利用されている。
「ま、まさかまたベッドを抜け出し
――
」
「ッ、る、せぇな!」
がつん、と振り上げた切っ先を石畳に叩きつけて、ヨーンが怒鳴った。
素早く伸びてきた腕が、フォスの胸ぐらを捕まえる。ぐいっと引き寄せられて、フォスは息を飲んだ。脳裏に、医務室の床に転がるヨーンの姿がよぎる。
フォスは、今の今まで喜んでいた。頼りにしていた先輩兵が、ようやく快復してくれたのだと思っていた。しかし、あの時目の当たりにしたように、何かが歪んだまま、時が止まっているのだとしたら。
――
あんなヨーン先輩、見たくもなかったけど。
医務室の前で、ダスクと交わした言葉が耳元で回る。何かが"壊れた"まま、もう二度と、元に戻らないのだとしたら? 既に失われたものもある。命は、泣こうが喚こうが、還ってくるものではない。
ひやりと、胸の底から体が冷えていく感覚に、フォスはまばたきを忘れてヨーンを見下ろした。
「ギャアギャア騒ぎやがって、人が折角、リズムとって呼吸も気にして素振りしてじゃねぇか、黙って大人しくイイコで待ってるぐらいのことが何でできねぇんだ、クソガキ! 偉ッそうに上から見下ろしてんじゃねぇぞ、今すぐ額擦りつけて詫びろ! 土下座しろ!」
「
……
」
「何だ、豆鉄砲食らったみてえな面して、気色悪ィ」
よほど間抜けな顔をしていたのか、ヨーンが更に凶悪な顔つきになった。なまじ端正な顔立ちをしているだけに、不可思議な凄味がある。
「
……
いや、先輩元気になってよかったなって、思って」
「元気じゃねぇよ! だからこんな、好きでもねぇ基礎練してんだろうが」
ヨーンは、掴みあげたフォスの胸ぐらを、突き飛ばすように離した。地面に叩きつけた大剣を拾い上げ、こめかみから顎に伝い落ちた汗を拭う。
気づけば、ヨーンは全身で呼吸をしている。いつからこうしていたのか、前髪が額にへばりつくほど、汗みずくになっていた。
若手の中でも特に腕が立つ、小柄ながら
――
というと、大体本人が怒声を上げるが
――
瞬発力と体力は、一線の兵士に勝るとも劣らない。ヨーンは常にそう評され、周囲から一目を置かれてきた。
秀麗な顔立ちに似合わぬ歯に衣着せぬ物言いや、粗暴な態度が災いして、彼を毛嫌いするものも少なくない。が、裏表がなく、文句を言いつつ面倒見のいい彼を認め、慕うものも多かった。
ダスクを通じて面識を得たフォスもそのひとりだった。馬鹿騒ぎをしながらも共に過ごした時間は決して少なくなかったはずなのに、彼がこれほどまで消耗しているのを見るのは初めてだった。
「先輩、本当にもう起きて平気なのか?」
「いつまで寝てろっつーんだよ、ナマる一方だっつの。くっそ、こんな体力落ちてると思わなかったぜ
……
。膝笑ってやがる」
「でも、まだ辛いんじゃ
……
」
「あれからどんだけ経ってると思ってんだ、あほか」
「え
……
」
即座に答えられなかった。カルサアでの作戦は、いつ行われたことだったか?
あの日から、どれだけ時間が経ったのだろう? もう、フォスにはわからなくなっていた。
押し黙るフォスを、ヨーンは上から下まで眺め、小さく嘆息した。
「お前も今朝まで寝てたんだろうが、他人の心配してる場合なのか、ええ? 少しでもサボると、すぐにこいつも振り上げられなくなんぞ」
ぐっと押し付けられた大剣を、フォスはいつものように片手で受け取った。重みは感じるが、腕一本で十分に持てる
――
はずだった。しかし、ヨーンが手を放した瞬間、がくんと右腕が重さに引きずられ、垂れ下がる。
「ほらみろ」
口の端を歪めて、ヨーンが意地悪そうに笑った。
「筋肉は動かしてないとすぐナマる。いつまでも寝転がっていられねぇだろ。
……
とっとと終わらせるんだよ」
ぎらりと、ヨーンの青い瞳に昏い光が宿る。それはとても、憎しみに似ていた。
彼の暴言や暴力なら、飽きるほど見てきた。しかしヨーンは今まで、たったの一度も、憎悪や妬み、恨みと言った負の感情を覗かせたりはしなかった。決して無かったわけではないだろうが、少なくとも、後輩たちの前には見せなかった。
元に戻った、わけではないのかもしれない。
一度変質したものは、似たものには戻れても、完全に同一にはならないのだろうか。知ってしまったことを、無に帰すのは難しい。
たとえば自分の、"力"に対する憧憬が、どれほど世間知らずで夢見がちであったのか知らしめられた今では、手放しに「力が欲しい」とは言えなかった。
(俺は、英雄になりたかった、けど
……
)
そのためには、屍の山を築かねばならないのだろうか。
力を欲して、騎士を志した。それに躊躇うのならば、ここにいる理由は何だろう?
黙り込んだフォスに、ヨーンはいぶかしげな顔をした。
「どうした? ムズカシイ顔して」
「俺
……
よくわかんなくなってて」
「お前がよくわかんねぇのは元からだろうが、今更何言ってんだ」
「何のために、ここにいるのかな、って思って」
「
……
そういう哲学っぽいことは、カライスに聞いてもらえ。相手間違ってんぞ」
「先輩、どうして漆黒に入ろうって思った?」
「
……
どうして、って」
明らかにヨーンは困惑していた。フォス自身、自分がどうしてこんなことを言いだしたのか、わからない。おかしいのは自分だ、ヨーンが戸惑うのもわかる。しかし、今更後に引けなかった。
「俺はさ、笑われるかもしんないけど、英雄になりたかったんだ。すっげえ強くて、どんなもんからも、皆を守ってやれるような
……
。俺の村、田舎だからさ、魔物とか普通にうろついてて、冬になって食いもんが山になくなると里に降りてきて、毎年誰か、犠牲になってた。俺も一回襲われかけて、漆黒兵に助けられて
……
」
「耳にタコできるほど聞いた話な」
「
……
うん。そのとき、思ったんだ。俺もあれぐらい強かったら、誰かが食い殺されたりしなくて済むんじゃないかって。でも本当は、"みんなを守る"なんて無理なのかもしんない。ガキみてぇなこと言って、現実がちっとも見えてなかった。
……
たぶん」
「ふうん」
「
……
先輩、適当に返事してるだろ」
「そんなんじゃねえよ、失礼なやつだな。おまえの方がまともだなって思ってたんだよ」
「まとも?」
ヨーンは、だらしなく大剣をぶら下げているフォスを一瞥し、居心地悪そうに視線を逃がした。しばらく逡巡したのち、小声でぼそりと「女にモテたかったんだよ、俺は」と、言った。
「え」
「強い方がモテんだろ。更に、町のチンピラなんかやってるより、騎士様のほうがいいに決まってんだろうが」
「それだけ?」
「それだけだよ。俺なんかより、ルーフェンの方がよっぽど色々考えてたんだぜ」
「ルーフェン先輩が?」
「漆黒に配属になった晩、あいつとサシで飲む羽目になっちまって、散々だったんだからな。一晩中『これからのアーリグリフについて』だの、『平和における軍隊の役割』だのを聞かされて、一緒に頑張っていこうとか言われて、俺は女にモテたかっただけなんて言えずに、ただウンウン頷いてたんだっつーの」
ヨーンは肩をすくめて軽く笑い飛ばした。しかし、その笑顔はすぐにふつりと消えた。
フォスは、笑いかけて引きつった頬のまま、表情が消えたヨーンの端正な顔を見つめた。
とてもよくできた人形のような顔の中心で、昏い光を宿した双眸が、フォスの握る大剣を見下ろしている。
「どう考えても、俺なんかよりあいつのほうがしっかりしてた。目標もあって、希望もあって、お前らのことも考えてた。
――
でも、死んだ」
「
……
」
淡々と投げ出されたヨーンの言葉に打ちのめされて、フォスはただ、息を詰めた。あまりにあっさりとした言い草だったが、その声音と同じぐらいに呆気なく、ルーフェンは死んだのだ。
惜しむ間も、劇的で涙をさそうやりとりもできぬまま、たった一瞬で死んだ。
「あいつが死んで、わかったことがひとつだけある」
「
……
わかったこと」
「戦争は、殺す相手を律儀に選り分けてくれたりしねぇ。いいやつもダメなやつも関係ない。真剣にアーリグリフの将来を語ってたあいつが死んで、色呆けの俺が生き残った。何に祈っても、どんな信念を持ってたとしても、死ぬときは死ぬ。
――
一瞬でな」
ヨーンが、体の横にぶら下げた腕の先で、拳をきつく握り締めた。その震えが、決して彼が平静ではないことをフォスに伝える。
「あいつは死んでいいやつじゃなかった!
……
けどな、今の俺と同じ気持ちのやつは、ここにも、シーハーツにもごまんといるんだぜ。仲間や家族を殺されて、『どうしてあいつが死ななきゃならなかったのか』、って喚いてるやつは、掃いて捨てるほどいる」
一息に言葉にして、ヨーンは小さくかぶりを振った。自嘲めいた笑みが口元を歪ませる。自分らしくもない、とでも言いたげだった。
「
……
いくら泣いても喚いても、死んだやつは絶対に戻っちゃこねぇし、あいつがいくら俺よかマシだって言っても、あいつの代わりに死んでやれたら、なんて言えるわけもねぇ。でも、俺があのときもっと
――
」
言葉は途中で途切れた。「もっと
……
」とかすれた声を続けようとして、それもやめた。固く握っていた拳を開いて、汗でわずかに湿った金の前髪を掻き乱す。
「もうゴメンなんだよ、こんな、俺らしくもねぇ気持ちでグチャグチャになんのは
……
。難しいこととか、答えが出ねぇことは、エラいやつらに任せときゃいいって、ずっと
――
。だから、こんなこと早く終わらせたいんだ。大勢でやり合えば、どんなに綺麗な題目掲げても、誰か死ぬ。女もガキも、年寄りも関係ねぇ。俺たちだって、くじ引きされてるみたいなもんだろ。今こうして生きてられても、明日はわからねぇ。そのためには、いつまでも寝てられねぇし、それを邪魔するやつは、誰であろうと許さねぇ」
「先輩
……
」
「
……
アルベル・ノックス」
「え?」
フォスは耳を疑った。ヨーンの口から絞り出された名前は、聞き間違いだと思った。
ヨーンは奥歯を噛み締めて、漆黒の象徴である大剣を睨む。
「アルベルの野郎、あのとき本当に屋上にいやがったなら、俺は一生、あいつを許さねぇ」
激しい感情が、小刻みに声を震わせる。宿っているのは、間違いなく怒りだった。
アルベルが屋上にいたかもしれない。今朝息絶えたシェルビー配下の兵士がうわごとのように繰り返していたと聞く。医務室にいたヨーンなら、耳にしてもおかしくない。
「終わらせられたかもしれないだろ。クリムゾンブレイドの女ぶっ殺して、逃げてた技術者捕まえられたら、確実に状況をひっくり返すことができた。なのに、みすみす見逃して、いくら仲が悪いからって、仮にも部下を見殺しにして! そのせいで、俺たちはこれからも、何度も地獄を見なきゃならない! 何度も何度も、生きるか死ぬかのくじ引きにさらされて、この手で殺さなくてもいい相手にトドメさして、こんなの
……
!」
ヨーンの声が震える。けれど今度は、怒りではなかった。潤んで掠れた響き。裏返るのを、必死に押しとどめた気配がした。
「こんなの、裏切りじゃなくてなんだよ
……
」
――
そのとき。
ガランガラン、と高い音を立てて鐘が鳴り響いた。
余韻を引いて、修練場中に伝わる。これは
――
「召集!?」
「フォス、ここか!?」
慌ただしく扉が開け放たれ、見慣れた人影が息せき切って現れた。
「ロイ
……
」
「召集だ! ベクレルで常駐部隊が敵の襲撃を受けて半壊した!」
*
足元のすぐ傍で、土埃が上がった。
施術の一撃が地を震わせ、視界が煙る。
ひぃっ、とすぐ傍で悲鳴が上がった。無防備に背を向け、逃げ出す同じ鎧をつけた誰か。
決して平らではない地面に足を取られ、無様に前のめりに倒れ、それでも逃げ出そうとする。戦場の、只中から。
フォスの足元に、その兵士が取り落したらしい大剣だけが残された。
漆黒兵の証であり、誇りであると、幾度も叩き込まれた得物。それが
――
こんなにもあっけなく投げ出され、置き去りにされている。
「たァぁッ
――
!」
甲高い掛け声と共に、横合いから短刀の一閃が襲い掛かってきた。
半歩足を引いて、鎧の腕で受けた。
「くっ
……
!」
鈍い痛みと、全身に響く痺れ。それでも斬れはしない。漆黒が、大陸最強の歩兵と呼ばれる理由のひとつは、間違いなくこの鎧の強度にある。
(くそ
……
)
しかし、『最強の鎧』の内側で、フォスの体は震えていた。
短刀を跳ね返し、全身で大剣を横薙ぎに払ってなお、自分から一歩を踏み込んでいくことができない。
――
ベクレル?
続けて繰り出される素早い太刀筋から、急所を守り、払いのける。
守るばかりで、攻め入ることができない。
これが
――
恐怖なのだろうか。
――
奴らはもしかしたら、鉱山資源を狙っているのかもしれない。あそこはドラゴンの巣になっていて、まだ手つかずの銅鉱があるはずだ。
戦わなければ。立ち向かわなければいけない。
頭ではわかっているのに、足がすくむ。
躊躇えば、命を取られる。取られれば二度と戻らない。殺されるのはごめんだ。生き残りたい。
それでも、この腕は命を奪うときの重みも覚えている。
世界を引き裂く閃光が、あまりに容易く肉塊を跳ね飛ばす惨劇も、よく見知った人間が動かなくなる瞬間も。
――
施術兵器のためかもしれない。
前に進めない。
心を強く保てない。必死に怖じる足を、地面に繋ぎ止めるのが精一杯だ。
――
今、アーリグリフ軍の士気は下がりきってる。早く援護しないと、総崩れになるかもしれない。
これが、"士気"の為せる技なのか?
普段ならば、無様に背を向けて逃げ出すものなどいない。これでも、訓練を潜り抜け、三軍と呼ばれる精鋭部隊に配属された兵士だ。矜持がある。
けれど、度重なる戦闘で仲間を喪い、疲弊をし、己の手も汚し、斃れるとは思わなかった上官を殺され、砦から人質を奪われ
――
一撃で全てを焼き尽くす悪魔の力を見せつけられたあとでは。
同じようには立ち向かえない。恐ろしくて、逃げ出したくもなる。
噎せかえるような血の臭い。悲鳴と怒号と怨嗟。
(このまま戦い続けても)
ふくれあがる、
(俺たち、勝てんのかな)
不安と、疑問。
「うおォお!」
声を上げ、けだもののように剣を振るっても、普段の冴えなど望むべくもない。
己を奮い立たせるつもりで、追い詰められている。
振り下ろした切っ先が空を切って、固い地面にぶち当たった。
迷いを棄てろ、と何度も自分に言い聞かせる。
このままでは。
こんな状況では。
こんなに、誰もかれもが逃げ惑うばかりでは。
勝てない。
あと何度こんな地獄を潜り抜れば、
「もらった!」
すぐ後ろで、狂喜に上擦る声と共に、殺気が膨れ上がった。
しまった、と焦る自分と、終わったかもしれないとぼんやり考える自分が同居していた。この距離で背後を取られたら、まず間に合わない。
素早く振り返ったつもりだが、世界はゆっくりと流れた。
そして、振り返ったフォスの頬に、生暖かい鮮血が散った。
*
遅れて、鉄の匂いが鼻につく。フォスの目の前で、二刀を握った隠密の体が、力なく地面に倒れ伏した。
新しく出来上がった死体を隔てて、フォスは"隠密を斬った"人間を見つけた。
白銀色の、細く独特な形状の刀剣の先から滴る、赤い雫。
砂塵を巻き上げ、風が流れて、施術の力が大地を震わす。
束ねられた髪と奇妙な服の裾がはためき、左腕を覆う金属が、鈍く光る。
殊更白い肌に赤い色を散らした、驚くほど軽装で細身の男が、体を汚す血よりも赤い瞳で、フォスを一瞥した。
「団、」
「アルベル・ノックス! 首級(みしるし)頂戴!」
金切り声と共に、隠密がふたり、男に飛びかかった。
上方から飛びかかるカタナ使いのひとりを、下からの斬り上げで払い、背後から突き出された短刀を、鉄の爪で躊躇いなく握り込み、そのまま前方に引きずり出した。
カタナ使いが間合いをとるその一瞬で、引きずり出したもう片方の首を斜めに斬り下ろす。
悲鳴も上げずに地面に崩れたその体を、カタナ使いのほうへ蹴り転がし、相手が怯えの色を宿したのを見逃さず、胸を一突きにした。
それが、一瞬。
敵の胸に押し込んだカタナを一気に抜き取ると、口の端から血を滴らせた隠密の体が、目を見開いたままの前のめりに倒れた。
ぱたり、と。
死体が地面に倒れ伏す音まで聞こえる。
気づけば、周囲は水を打ったかのように静まり返っていた。
カタナを濡らす血を払い、漆黒団長アルベル・ノックスはフォスのほうを肩越しに振り返った。
赤い瞳は、力強く光っている。この、地獄絵図の中で、爛々と。
呼吸のひとつも乱さず、ひとかけらの迷いも見せずに、ふたりの人間を、ふたつの骸に変えた。
フォスはそろそろと、詰めていた息を吐き出す。
呼吸も瞬きもできずにいたことに、今更気づく。
恐ろしかった。
(このひと、何者なんだ?)
喜ぶべきアクシデントだったはずだ。
命を救われ、状況は一変した。敵の気勢も削がれ、将軍の武勇に味方は奮い立つ
――
はずだ。これで戦況はひっくり返るかもしれない。
それなのに
――
(アルベル・ノックス。漆黒団長。シーハーツ攻撃軍総指揮。二十四の細身の男。左腕のガントレット。奇妙な色合いの髪と、防御を棄てたかに見える軽装。血のように赤い瞳)
断片的な情報をまとめて、目の前の相手を捉えようとする。
(絶大な戦果。途方もない強さ。すぐれたカタナ使い。鬼神と呼ばれる英雄
――
)
そうだ。彼は英雄だ。今まで幾度もその腕で勝利をもぎ取ってきた。
でも
――
恐ろしかった。
(俺は英雄になりたかった、けど)
目の前にいる男が何者なのか、フォスにはもうわからなくなっていた。
――
副団長がやられたとき、団長が、屋上にいたかもしれない。
血しぶきを浴びてなお、生気と殺気とを滾らせるこの男が。
――
アルベルの野郎、あのとき本当に屋上にいやがったなら、俺は一生、あいつを許さねぇ。
英雄なのか、それとも。
【つづく】
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