吾妻
2021-10-31 17:49:07
112283文字
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戦争と平和

はるか昔に運営していたSO3夢サイトの、更にオレ設定を元にした三次創作(未完)。自分で読むためにもってきました。ほぼオリキャラ若手漆黒兵から見た戦争。


戦争はその経験なき人々には甘美である。
だが、経験した者は、戦争が近づくと心底大いに恐れるのだ。
      ――ビンダロス


8.絶望の焦土/Purgatory


 詰所の扉が静かに開いた。
「スマラクト」
 呼びかけられ、グランツは部屋の隅に灯された篝火から視線を扉へと移す。
 巡回に出掛けたもう一人の夜勤担当が、戻ってきたのかと思った。
 闇のなか、ぼんやりと浮かび上がる人影に、思わず目を瞠ってしまった。
「カライス、どうしたんだ?」
 椅子を引いて、立ち上がる。
 ロイは音をたてぬように扉を閉めた。
「次の当番なんだ」
 頬に手当てのあとを残したままで、ロイはぎこちなく笑った。
……まだ早いだろう。レビも戻ってきていない」
「少し早めに来た。レビにはそこで会って、代わってもらった。君と――話そうと思って」
 ロイの声は硬かった。
 自分から話しに来たと言うくせに、視線が合わない。
 ロイらしくなかった。普段は射るほどまっすぐに相手を見て話すというのに。
「怪我はもう平気なのか」
 西階段から転げ落ちて、数日安静にしていたと聞いた。
 ロイは渋い顔をして、「もう平気だ」とつぶやいた。冷静沈着な彼にとっては、認めがたい失態であるらしかった。
「話って――
……この間は、すまなかった」
 所在なさげに佇みながら、ロイが言った。
 一言口に出したら緊張が和らいだのか、大きく全身で呼吸をしたあとで、グランツに視線を合わせる。
「カライスは何も悪くはない。俺がただ――
 どこかが欠落しているだけ。
 それが彼の苛立ちを煽ったのだ。
 しかしロイは、小さく首を横に振った。
「違うよスマラクト、そうじゃない。僕が悪いんだ。きみに、八つ当たりをした」
 ロイはもう、目を逸らさなかった。
 静かな熱が、その瞳には宿っていた。
 怒りや憎しみではなく、激しいものではなくて、とても真摯な。
「自分のなかのどうしようもないものを、きみにぶつけて楽になろうとした。焦りや、不安なんかを、どこかに棄ててしまいたかった。僕はきみを、自分の都合のいい"型"に、嵌めようとしたんだ」
 ロイの濡れ羽色の瞳に、篝火の炎がぬるりと跳ね返った。
 ふと、その口元に自嘲じみた笑みが浮かんだ。
「きみのことがわからないと、ずっと思っていた。でも違った。僕はわかりたくなかった。きみの事情や内面なんて、これっぽっちも知りたくなかったんだ。知ってしまったら、自分の考える"いけ好かない貴族の息子"っていう型に嵌められなくなって僕は――まっすぐ立てなくなる」
「カライス、きみは今までだって、誰よりしっかり立っていた」
……と、周りに思わせるために、いつも必死だった」
 ロイが浮かべた笑みの刺々しさが、わずかに和らいだ。嘲りよりも、苦笑に近かった。
「あのバカが、きみに話しただろう? ――父のことを」
 今度は、呆れの表情を。今日のロイはやけに饒舌で、同時に表情豊かだ。
……勝手に聞いてすまない」
 やんわりと肯定した。ロイは再び、首をゆるりと横に振る。
「いいんだ。あいつが勝手に話したんだろう。それに、僕ばかりがきみの内情を知っているのは、不公平な気がする。これで対等だ」
 晴れやかだ、と思った。
 今日のロイの表情は、ただ豊かなだけではなく、憑きものが落ちたような晴れやかさがあった。
「両親を失ってから、僕は様々なものを支えにしてきた。負の感情ばっかりだった。認めたくないもの、憎みたいものに反発することで、なんとか足場を支えてきたんだ。軍に入るまでは、軍の上層部が恰好の標的だったけど、内側に入ってみたら、それも色々とわからなくなった。確かに腐っている部分はあるし、階級格差もあるんだろう。でも、疾風にも平民から取り立てられている人物だっている。つまり、僕が配属試験で上にいけなかったのは、僕自身の力不足だということになる。――それを、認めるのが怖かったんだ」
「カライス……
「誰よりも、努力している自負があった。剣の腕では敵わなくても、自分の得意分野では、一番うまくやれている自信もあった。その驕りが、全部透けていたのかもしれない。自分が"足りない"んだと思いたくなくて、不安や焦りを、きみにぶつけようとした。この間は、あんなことを言うつもりじゃなかった。……ごめん」
 ごめん、と。ロイはもう一度、小さく繰り返した。
 知り合ってから今までの、どんな瞬間よりも、相手の存在を近しく感じた。
 張り詰めた虚勢が取り払われた同期の姿は、普段よりも一回りほど小さく見えた。そうだ、彼は兵士のなかでは小柄なほうだった。そんなことに、今更気がついた。
……座らないか?」
 喉元までせりあがった「俺のほうこそ」という言葉を、グランツは飲み込んだ。
 己の欠陥を並べて、どちらに非があるのかを比べたところで、堂々巡りになるだけだ。
「そう、だな」
 ぎこちなくうなずいて、ロイがようやく、ドアの傍から部屋に踏み込んできた。


「俺は、きみとフォスに話すことができて、よかったと思っている。自分に起こったことと、自分の現状を、本当は外に出したかった……のかもしれない」
 確証を持つことのできない自分が、もどかしくもあり滑稽でもあった。
 己の感情が、壁を隔てたように遠い。おぼろげにはわかるが、他人事のようだ。
 ただ、ずっと澱のように溜まっていたなにかを、一気に吐き出せた気がしていた。
 目の前にいる、ロイの激昂に揺さぶられて、引きずられて、さらけ出した。
 言葉にしたところで仕方がないと、言い逃れだと思っていたから、今まで一度も弁解をしたことはなかったのに。
「僕は、誰にも知られたくなかった」
 向かいに座ったロイが、机の上に組んで置いた指先に視線を落として、言った。
「父さんのことも、僕のどうしようもない感情も、隠しておきたくて、悟られたくなくて、ひた隠しにしてきた。……だけど本当は、僕もずっと、吐き出したかったのかもしれない。あんなに知られたくないと思っていたのに、少しだけ、肩の力が抜けた気がする」
 ロイは苦々しく笑った。
「今までは、あいつしか知らなかったから」
 ロイは敢えて、名前を呼ぶことを避けた――ような気がした。
 思い浮かんだ人物で、おそらく間違いはないだろうけれど。
「だから僕は、かなりあいつに――頼っていたと思う」
 ロイは、組み合わせた指先に力を込めた。
 苦々しい笑みがゆっくりと消えて、あとはただ、感情の消えた瞳が、篝火の炎を跳ね返す。
「あいつは、僕のことを――僕のこんな妄執を知っていて、それが、自分の目指す憧れの場所を踏み台にするってちゃんとわかっていて、それでも拒まずにいてくれた。子どもの頃からそうだった。本当に馬鹿だよ、どうしようもない。すぐに他人のことに一生懸命になって……だから、昔から決めてたんだ。あいつがつまずいたら、僕が引っ張り起こしてやろう、って」
「カライス……
「だけど、いざとなって途方に暮れてる。どうしたらいいのか僕にはわからない。あの日、僕は指の一本も動かせなかった。兵士になると決めたときに、覚悟をして、何度だってイメージしたはずなのに。人を――殺すこと……。守るなんて綺麗な言葉に言い直しても、結局戦争なんて、殺したり殺されたりするものだって、わかってたんだ。わかっていても、殺されることも、殺すことも……怖かった。あんなに一瞬で、人の体がもう動かなくなるって、あんなに呆気なく、人殺しになるんだってこと……
 カルサアでの一戦は、兵士たちに深い爪痕を残した。
 結果的にはカルサアに現れた隠密を撃退し、丘陵で行われていた戦闘も、天候の悪化が決め手になったとはいえ、比較的優位に終わらせることができた。
 しかし、普段は民間人も暮らす市街まで、敵の戦闘員に潜り込まれたという事実と、若手の兵士を中心に、決して少なくない犠牲を出したことが、尾を引いていた。
 友を亡くしたものがいて、敵を討ったものがいる。
 同じように血が流れ、ぬくもりが失われて、ヒトがモノになる。
「慰めるだけなら簡単にできる。耳ざわりのいい言葉なら、いくらでも知ってる。でもそれが本当に、"慰め"になるのか? 僕は怯えていただけで、あいつと同じ重みを、この手で感じたわけじゃない。どんな言葉をかけても、想像で、……嘘だよ」
 じじ、と部屋の隅で篝火が音を立てる。
 テーブルの上に、炎に照らされたふたりの影が、奇妙に揺れていた。
「理想と現実は違うって、頭ではわかっていたはずなのに。たった一戦でこの有り様だ。……たくさん殺せば、慣れるのかな。こんなふうに、考えることすら馬鹿らしくなるぐらい、鈍くなるのか? あいつはこのまま、夢の話なんて全然しなくなって、僕は――どうするのかな。どうしたら、いいんだろう」


            *


 悲鳴が聞こえる。
 どこもかしこも、悲鳴だらけだ。

 無様に尻もちをつき、後ずさって逃げる者も。
 それを得物を振りかざして追う者も。
 恐怖から逃れるためと、己を鼓舞するため。目的は正反対のはずなのに、喉から絞り出される声は、どちらも獣じみていて、今にも泣き出しそうに聞こえる。
(ここ、どこだっけ)
 阿鼻叫喚の只中で、やけにしずかに、フォスは思った。
 自分が今どこにいるのか、急にわからなくなっていた。
 剣のぶつかりあう音、散る飛沫。
 ここは紛うことなき戦場だ。それなのに。
 すべての音が、感触が、輪郭そのものが、どこか遠い。
 両の脚が地面に触れていることすら。やわらかな布を踏むようで。
 土がぬめるから、だけではない。おそらくは。
 意識が乖離を――逃避をしている。
 自分の内側の音のほうが、大きく聞こえる。確かな鼓動と、息遣い。
 目の前で、腕がちぎれ飛び、弾き飛ばされた躯体が地面で跳ね、赤黒い水がほとばしり、引きつった哄笑がどこからともなく風に運ばれてくる。
(ベクレルの、鉱山のそば)
 今は疾風が監視下に置いている、半ば枯渇しかけた鉱山に、近頃敵軍が定期的に出没しているらしいとの情報を得た。
 召集がかけられ、偵察に赴き、運がいいのか悪いのか、シーハーツの兵士と鉢合わせたのだ。
 偵察とはいえ、そのまま見てみぬふりをすることなどできない。
 覚悟など問われるはずもなく戦端はひらかれ、そして今。
 あまりに容易く、あっけなく失われるいのちを、まざまざと眼前に突き付けられて、フォスは――ひどく、静かな己の胸のうちに戸惑っていた。
 遠い。音も、気配も、においも。
(慣れた、わけじゃない)
 ただ逃げているだけだ。目の前の何もかもを、認めたくなくて。

――世界のすべてに、膜がはってあるようで。

 そう言ったのは、誰だっただろう。
 深い緑の瞳を思い出した。
 とても静かで、揺らぎのない、硝子のような――
(グランツ……

 どさっ、と質量をともなって、目の前になにかが転がってきた。
 ぬめる土の上を幾度も転がり、やがて仰向けに倒れる。
 血まみれの、シーハーツの兵士だった。
「殺せ!」
 どこかで、誰かが叫んだ。
「まだ息がある! とどめをさせ!」
 腕の先に大剣をぶら下げて、フォスは呆然と敵兵を見下ろした。
 "とどめ"?
 だってこいつはもう、戦うことなんてできっこない。
 再び己の足で立てるかどうかすら。
 それでも。
 フォスは、大剣を握り直そうとした。
 自分で選んだ、軍という居場所。今更、思っていたのとは違うなんて、口が裂けても言えるわけがない。
 けれど――剣を振り上げたそのとき、脳裏をよぎった、顔。
 虚ろに見開かれたまま、なにも映さない、ルーフェンとそれから。
 自分が殺した、少女の瞳。
「くそ、退け!」
 荒々しい舌打ちのあとで、押しのけられた。
 足の力が抜けて、フォスはそのまま、ぺたりと尻もちをついた。
 その眼前で、容赦なく、敵兵の胸に大剣が突き立てられた。
 びくんと、刃を受けた体が一度大きく跳ね、見開かれた瞳が光を失う。
「お前……っ!」
 とどめを刺した漆黒兵が、血の滴る大剣を片手に下げたまま、フォスの胸ぐらを掴んだ。
「死にてぇのか! 半端な覚悟でここに立つな、足手まといだ!」
 兜の内側から、獰猛な憤りを向けられて、フォスは消え入りたくなった。
 そのとおりだ。フォスは誰のせいでもなく、自分で選んでここにいる。逃げることもできずに。
「すいません……
 かすれた声を絞り出すのが精一杯だった。
 舌打ちひとつ、漆黒兵はフォスの胸ぐらを突き飛ばす。
「好きでやってるやつなんか、いねぇ。そんなやついたら、人間じゃねぇ、ただのバケモンだ。でもこうでもしなきゃ! ……終わらねぇだろうが!」
 血を吐くように絞り出して、漆黒兵が剣を担ぎ直す。
 ブン、と風が斬られる音が、フォスの耳に届いた。
 幼い頃に聞いたものと、同じ音が。
(殺さないと、終わんないのか?)
 少しだけ考えて、途方もなさに愕然とした。
 殺せば殺すほど、勝利が近づく?
 ――本当に?

 殺害数が一定のラインを越えたら。
 被害が人口の一定の割合を削ったら。
 自動的に終結するものなのか? 誰かが、模擬試合のように「止め」の合図をくれるものなのか?
 そうじゃない。
 そんなはずはない。だったら。
(なんのために)

――どれだけ綺麗な言葉で飾ろうと、

 ぎらりと凶暴な、赤の双眸を思い出した。

――俺たちが今からやるのは、ただの

 そのとき、一条の光が空を裂いた。
 ごう、と風を巻き上げ、白く凶悪な光の矢が大地に落ち、土埃と悲鳴が上がった。
 もうもうと立ちこめる土煙を裂くように、もう一射。
 残酷なほどうつくしい光だった。
 呆然と立ち尽くすフォスの足元に、籠手が転がってきた。
 いや、籠手だけではなく、ちぎれた――
「今の、光は……?」
「施術? いや、だが……!」
「高台か!? 下がれ!」
 押していたはずだった。
 それが、ただ一撃の攻撃で、戦況がひっくり返った。
 瞼の裏に、光の残像が残る。
 あれは一体、なんだったのだ?
「フォス!」
 強く、腕を引かれた。
「え?」
 間の抜けた返事をした。
「退くぞ、撤退だ!」
 腕を引くのはロイだった。
……撤退?」
「いいから来い!」
 しびれを切らした顔で、更に強く引きずられる。

 引きずられながら、焦土を振り返る。
 濛々と煙が上がり、抉れた大地のそこここに、骸が転がる。

 戦況が、あきらかに変わり始めていた。


【つづく】