柚鈴
2025-11-01 12:04:40
59567文字
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でぃあぷろSeason3 第0話①/第1話「レフュージア」

pushing up daisies:「死んで埋葬されている」
レフュージア:氷河期など、広範囲にわたって生物種が絶滅する環境下で、局所的に種が生き残った場所。待避地。

🫧の状態についてはライムライト回(下記リンクp4)で描写しています
https://privatter.me/page/65deb01c17c1e?p=4


第1話「レフュージア」⑥


◇ユウハ・ディアス

「彼女を殺したとき、あなたはどんな様子でしたか。その光景を、覚えていますか」
 
 精霊に告げられた言葉が、鼓膜に浸潤して離れない。耳を塞いでも頭を振っても、断罪の声が鳴り止まない。
 殺した。殺した。殺した。その四音が脳裏に反響するたび、身体が端から腐って朽ちていくような心地がした。信じられない。信じたくない。否認の声はいつでも鮮明に、瞼裏の景色に無力化されていく。

 ユウハ・ディアスは、シノ・オーリムを殺した。
 雨の降りそうな夜の路地裏。垂れ込める澱んだ曇天、肺を刺す湿ったアスファルトの匂い。薄暗い夜道でも褪せない、アイドルのための真っ白な衣装。
 見慣れた光景の中、ユウハはふと足を止めた。また明日ね、と別れたシノの後ろ姿が、徐々に遠ざかっていく。
 ユウハは地面を蹴った。靴先が舗装された道路を砕くほど、目一杯の力を込めて地面を蹴った。ほんの数十メートルの距離が、瞬きの速度で縮まる。シノの背中に追いつく直前、武器を顕現させる。冷たい大鎌の感触。
 驚いたようにシノが振り向くよりも先に──ユウハの手にした凶刃が、彼女の腹部を切り裂いた。迸る鮮血が闇夜に舞う。衣装の白い布地が赤々と濡れていく。どさりと身体の崩れ落ちる音、声にならない悲鳴。

 ユウハ・ディアスは、シノ・オーリムを殺した。
 だって──ユウハにとって、シノは世界のすべてだったから。

 ユウハの両親は、政府機関に勤める多忙な官僚だった。
 夜遅くに帰ってきては、朝早くに職場へと向かう。ユウハが物心ついた頃にはすでに、二人の生活は仕事を中心に回っていた。
 親子らしい会話を交わす機会なんてほとんどなく、ユウハは彼らの仕事にとって邪魔な存在だった。三者面談の連絡も、提出が必要な書類も、何度もしつこく頼んだ末にようやく目を通してくれた。
 寂しいと主張したって無駄だと薄々気付いていたから、自分の気持ちを伝えることさえ諦めるようになった。

 それでも、ユウハの隣にはシノがいてくれた。
 他人と関わるのが苦手なユウハにとって、シノだけが心を許せる唯一の相手だった。
 御伽話の王子様が、お姫様に捧げる真実の愛。絵本でしか知らないはずのそれが、シノと二人で過ごすうちに、ユウハの心に芽吹いていくような気がしていた。
 引っ込み思案で控えめで、教室では困ったように笑うことが多いシノ。幼い弟がいることもあって、心優しいしっかり者だと思われているシノ。
 そんな彼女は、ユウハの前でだけ、とびきりの甘えたがりだった。鈴のように澄んだ声音で、秘密基地に招き入れるみたいに、いろんな話をしてくれた。
 手を繋ぐのが特別に好きで、だけど自分からはなかなか言い出せずに、上目遣いでユウハを見ていた。察したユウハが指を絡めると、嬉しそうに頬を染めて微笑んでいた。
 ユウハはずっと、そんなシノの存在に心を預けていた。ユウハが孤独でないのは、シノがいてくれるからだった。シノのことが好きだった。大好きだった。シノが一緒にいてくれなければ、生きていけないと思っていた。

 だけどきっと、シノにとっては違ったのだろう。
 中学二年のクラス替えで、ユウハは初めてシノと離れることになった。
 ユウハがいなくて不安だな、大丈夫かな。そんな風に眉を下げていたシノは、人見知りだったはずのシノは、数ヶ月も経てばすっかり自分のクラスに馴染んでいた。移動教室でも学校行事でも、彼女は常に友人に囲まれていた。周囲に上手く溶け込めないユウハは、クラスで浮いてしまっていたのに。
 性格が悪い。空気が読めない。クラスメイトが流したそんな噂話は、気付けば学年中に広がっていた。親から放任されて育ったユウハは、おそらく常識に欠けているところがあって、他人から嫌われることに慣れていた。中学に上がる前から、陰口を叩かれることだって日常茶飯事だった。
 これまではずっと、シノが隣にいてくれた。お人好しで鈍感な彼女はきっと、ユウハに向けられた悪意にも気付かずにいたのだろう。それとなく訊ねてみたこともあったけれど、本気で不思議そうな顔をしていたから。
 だけど──クラスが離れて、他の友人ができて。もしかしたらシノも、直接ユウハへの悪口を耳にする機会があるかもしれない。
 そうしたらシノは、何を思うだろう。ユウハを軽蔑するだろうか。嫌いになるだろうか。過去の違和感と陰口の内容が符合して、ユウハと絶交したくなるかもしれない。ユウハに甘えていたことを、大事な宝物だった時間を、恥ずかしいと嫌悪するようになるかもしれない。

 だってユウハは、邪魔な存在なのだ。
 両親にすら気にかけてもらえなかった。変なことをしているつもりはないのに、誰からも嫌われていた。人と上手く接する方法が分からなくて、それでも声を上げなければ自分が消えてしまいそうな気がして、手探りでぶつかっては失敗ばかりしていた。
 だからきっと、シノもユウハから離れていくはず。
 いつかきっと、ユウハのことを嫌いになるはず。
 そうしたら今度こそ、ユウハは独りになってしまう。大好きなシノに突き放されたら、生きていけなくなってしまう。

 ──だから、そうなる前に殺した。
 シノに嫌われたくない。シノを誰にも取られたくない。そんな怯えに支配されて、魔が差してしまった。ユウハ以外の誰かに、彼女が心を委ねるくらいなら、いっそ。心臓に絡みついた醜い独占欲が、自分の意思では制御できなくなっていた。

「シノを、独り占めしたい……。私だけ、私だけを、見ていてほしい……!」
 
 夕顔の咲いた夜の淵、最低な願いが口を衝いた。差し伸べられた甘言に縋ってしまった。願うべきではなかったのに。そういう浅ましく身勝手な性根のせいで、誰からも疎まれてきたというのに。

 ユウハの願いは叶えられた。最期の瞬間、シノの瞳にはユウハだけが映っていた。
 柔らかな光を宿した薄緑色が、ユウハだけを視界に捉えたまま、みるみるうちに濁っていく。横薙ぎに引き裂かれた腹部からは、夥しい血液が流れ落ちていく。
 手のひらに残る、骨を砕いた感触。肉を貫いた感触。呆然と目を見開いたまま、シノが動かなくなる。冷たいアスファルトの上で、愛しい温度が失われていく。

 ユウハ・ディアスは、シノ・オーリムを殺した。
 愛していたから殺した。奪われる前に殺した。自分のものにしたくて殺した。
 何度も精霊に捧げた懺悔が、血液の流れと共に全身を満たしている。ユウハの願いを聞き届けた精霊は、一部始終を目撃していた精霊は、ユウハに罪を悔いることを求めた。訊ねられたとおりに、ユウハは答えた。そうすることでしか、許されないと思ったから。
 精霊の向ける断罪に晒されていなければ、自分の生死さえも曖昧だった。薄暗く閉ざされた視界の中、シノを殺した白昼夢だけに囚われていた。


 だけど、目の前にシノが現れた。殺したはずのシノが。
 ユウハ以外の誰かと、親しげに言葉を交わしていた。ユウハ以外の誰かに守られていた。
 赤髪の少女が、シノを庇うように倒れ込む。その手が、指先が、シノの手のひらを掴んでいた。
 ユウハだけが知っていたのに。ユウハだけが許されていたのに。シノに触れられるのは、ユウハだけの特権だったのに!
 瞳の奥が燃えるような熱を帯びて、強烈な殺意が鼓動を鳴らす。壊れた人形のようだった身体が、久々にユウハの意志に応えた。否、確固たる意志を抱くことすら数年ぶりだった。

 シノ。愛するシノ。私だけのシノ。殺したと思い込んでいたのは、悪い夢だったのかな。ずっと後悔していたけれど、その必要はなかったのかな。
 今度こそ間違えない、と大鎌を握る手に力を込める。だって、気付いたから。シノを殺したって意味がない。ユウハからシノを奪おうとするのは、いつだって最悪な世界の方だ。それなら、どちらを壊すべきかなんて明白だった。
 ──シノを独占したい、ずっとユウハだけを見ていてほしい。
 抱いた願いを確かめるように、瞼を閉じて祈りを繰り返す。もう誰にも邪魔させない。ようやく正解が分かった。
 この世界が二人だけなら、ユウハとシノは永遠に一緒にいられる!

 天啓に導かれるように、ユウハは緩やかに瞼を開けた。精霊によく似た、誰かの声が鳴っていた。

「わたし、は……。ユウハを、ユウハを、守り、たい……!」

 悲鳴のような祈りが鼓膜を貫く。
 潤んだ瞳を浮かべたシノが、こちらを見上げている。ユウハに向かって、一途に手を伸ばしている。
 それを認識した途端、火花のような歓喜が散った。欠けた器が満たされるような高揚感。痛いほどの幸福が全身を巡って、今にも泣き出しそうになる。
 シノは、ユウハを選んでくれた。すべてを捨てても一緒にいたいと望んでくれた。ユウハだけを見つめてくれた。
 様々な苦難を乗り越えて、愛する二人が結ばれる。御伽話のハッピーエンドみたいな、都合のいい奇跡みたいだと思った。シノが、ユウハを求めてくれる。手を伸ばしてくれる。たったそれだけがユウハの望むすべてだった。叶えたい願いのすべてだった。だってユウハは誰よりも、シノのことが好きだったから。

 これからずっと、二人きりでいようね。私たちだけの世界にしようね。

 甘やかな誓いを心に浮かべて、ユウハはそっと指を絡めた。


◇◇◇


夜明け空の約束クレペリー・メモリア

 淡々と紡がれる詠唱が、呪いの解けた鼓膜を揺らす。
 シノが声を発するたびに、彼女のそばに宝石が現れ、その指先に砕かれていく。煤けた空気に天の川を架けるように、煌めく薄緑の破片が宙を舞う。
「シノ……?」
 彼女の固有魔法は、どんな怪我でも瞬時に回復させる治癒魔法だ。だけど今、彼女が治すべき傷はどこにも存在しない。レイピア使いに貫かれたユウハの腕は、すでにシノの魔法で完治している。
 それでもシノは呪文を唱えた。どこか切羽詰まった声音で、何度も繰り返し唱え続けた。まるで、それだけを使命としている人形のように。

夜明け空の約束クレペリー・メモリア

 シノが言葉を発するたびに、宝石のような瞳がどろりと濁る。焦点の合わない双眸が、死の気配に染まっていく。
 彼女の声音は無感情だった。眼差しにも表情にも、一切の温度が欠けていた。虚ろな瞳孔がぐるりと宙を彷徨う。見えない誰かを探すみたいに。
 シノの目にはもう、ユウハの姿は映っていない。光を通さない磨りガラスのように、ただ茫漠と暗闇を湛えているだけだ。明らかに様子がおかしい。

夜明け空の約束クレペリー・メモリア

 伽藍堂の心を埋めるように、シノは詠唱を繰り返した。
 呪文を唱えることだけが、宝石を壊すことだけが、彼女の目的と化していた。欠片の数が増えるほど、シノから感情が抜け落ちていく。正気が失われていく。

 ──魔法のせいだ。魔法を使いすぎたせいだ。
 冷静でない頭で記憶を手繰って、ようやく思い至った。
 シノの治癒魔法は、非常に効果が強い。相手が生きている限り、致命傷さえも無かったことにできるほどだ。世界を守るアイドルとして、戦場では無敵の能力と言えるだろう。
 だが、強い魔法は効力相応の弱点を持つ。人智を超えた力においても、リスクとリターンは釣り合っていなければならない。強力な魔法は大抵、発動条件が厳しいか──あるいは、発動のたびに代償を払わされるか。シノの場合は後者だった。
 彼女は魔法を発動するたび、現実を正しく認識する能力を失う。
 治癒に使われる薄緑色の宝石は、シノの心が実体化したものだ。それを彼女は、指で砕く。誰かの傷を癒すために、自らの心を粉々に磨り潰す。それによって正気を失い、現実から引き剥がされては、狂った世界に囚われる。
 だからシノは、魔法を使うことを怖がっていたはずだった。自分が自分でなくなる気がする。ひとりぼっちになる気がする。やむをえず魔法を使った日はいつも、弱々しくユウハを抱きしめながら震えていた。
 ユウハは、知っていたはずだった。なのに、止められなかった。どうして。独り善がりで身勝手で、自分のことばかり考えていたから?

「シノ、シノ……! やめて! もうやめて……!」
 どれだけ喉を枯らして叫んでも、ユウハの声がシノに届いた様子はない。力一杯抱きしめても、シノの詠唱は止まらない。
 自分が何をしているかすら、今のシノには理解できていないのだろう。宝石が現れ、砕けていく。煌めく破片が頬に触れる。腕の中のシノが、踠くように手を伸ばす。
「ユウハ」
 眼窩に空洞を湛えたシノが、虚空に向かって微笑んだ。そこにはいない、透明なユウハに語りかけるように。
 声が届かない。触れても気付かない。ひとりきりで狂気に呑まれて、シノが壊れていく。それでもユウハを探し続けて、幻影に囚われている。
 
 全部、ユウハのせいだった。
 シノを独り占めしたい。私だけを見ていてほしい。
 そんな身勝手な願いを抱いてしまったから、シノを傷付けてしまった。取り返しがつかないほどに、シノの心を壊してしまった。最低だ。ユウハのせいだ。許されることじゃない。償いようがない。ユウハのせいだ、ユウハのせいだ、ユウハのせいだ!

 ──そんなこと、願うべきではなかった。そうですね?

 聞こえるはずのない断罪が、鼓膜の裏に響いた。頬を撫でるように伝う、精霊の指先。全身が小刻みに震えて、まともに息が吸えなくなる。シノの身体を切り裂いた感触が、手のひらに蘇ってくる。希死と同等にまで濃度を増した後悔の念が、目の前の景色を濁らせていく。
 ごめんなさい。ごめんなさい、シノ。ごめんなさい。
 体内に渦巻く罪の意識が、すべてを押し流していく。思考も意思も感情も、闇夜に溶けるように消えていく。抱きしめたシノのことすら分からなくなっていく。

「──話を、聞いてください!」

 視界が端から暗く染まって、意識を手放しかけた瞬間。
 止まない断罪を掻き消すように、ユウハを現実へと引き戻すように。
 流れ星に似たまっすぐな声が、真正面から鼓膜を震わせた。