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柚鈴
2025-11-01 12:04:40
59567文字
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でぃあぷろSeason3 第0話①/第1話「レフュージア」
pushing up daisies:「死んで埋葬されている」
レフュージア:氷河期など、広範囲にわたって生物種が絶滅する環境下で、局所的に種が生き残った場所。待避地。
🫧の状態についてはライムライト回(下記リンクp4)で描写しています
https://privatter.me/page/65deb01c17c1e?p=4
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第1話「レフュージア」⑧
◇シノ・オーリム
大切なものはいつも、シノのもとには残らない。
両親のことが好きだった。
二人はいつでも優しくて、一番にシノを愛してくれた。溢れるほどの慈しみを込めて、シノに微笑みかけてくれた。
シノは、私たちの宝物。口癖のようにそう言っていた母は、眠る前にはきまってシノを抱きしめてくれた。父は骨張った大きな手で、そっと頭を撫でてくれた。幸せだった幼い日々は、当たり前のものとしてそこにあった。
だけど、弟が生まれてから、両親はほとんど笑わなくなった。生まれつき身体の弱かった弟は、何度も入退院を繰り返して、時には生死の淵を彷徨っていた。二人の関心は弟の体調だけに注がれるようになり、シノに笑顔が向けられることはなくなった。
「ごめんね。シノはお姉ちゃんだから、ちょっとだけ我慢してね」
弟の容体が悪化すると、たとえ深夜であっても、両親は遠くの病院へと出かけていった。疲れた様子の母はそのたびに、眉を下げてシノに謝った。
「大丈夫、私は平気だから」
安心させるように微笑んで、シノは毎回そんな言葉を返した。夜更けの静かな部屋に、ひとりきりで眠ることになっても、嫌だなんて言えるはずがなかった。両親も弟も、シノよりずっと苦しいはずだったから。
だけど本当は、ずっと聞きたかった。「ちょっとだけ」って、どれくらい? どれだけ我慢したら、いいお姉ちゃんでいたら、二人はまた笑ってくれる? 優しくシノを抱きしめてくれる?
聞いたところで困らせるだけだと知っていたから、口に出せるはずがなかった。わざわざ訊ねなくたって、答えは分かりきっていた。
両親がシノを気にかけてくれることは、この先きっと永遠にない。
シノが好きだった昔の両親には、もう二度と会うことができない。
弟のことが好きだった。
もともと病弱だった彼は、七歳のときに大きな病気が見つかって、それから長らく入院生活を送っていた。シノよりずっと幼い身体で、懸命に病気と闘っていた。遠くの病院に移ってからは、会える機会はそう多くなかったけれど、彼はシノによく懐いていた。面会に行くと、いつも嬉しそうにパッと顔を輝かせていた。
「退院したら、お姉ちゃんと一緒に外で遊んでみたいな」
病室から中庭の芝生を見下ろして、弟は時折そう呟いた。病気が治って家に帰れたら、やりたいことがたくさんある。だから、そのために頑張らないと。挫けそうな心を鼓舞するように、彼は無理をして笑っていた。
「大丈夫、きっと治るよ。そうしたらいっぱい、一緒に遊びに行こう」
幼い弟を励ましたくて、シノは繰り返しそう告げた。自分自身が、大丈夫だと信じていたかったから。
二年前の冬。願いはひとつも叶わないまま、彼は帰らぬ人となった。
ユウハのことが好きだった。
シノの孤独を見つけてくれたのは、ユウハだけだった。傷付くのも傷付けるのも怖くて、閉じ込めて目を背けていた感情を、ユウハは残らず掬い取ってくれた。初めて言葉を交わした日から、もう一度この世界を愛せるようになった気がした。
ユウハはシノだけを見ていてくれた。どんな些細な話でも、真剣に耳を傾けてくれた。「大丈夫」の裏に隠した不安も寂しさも、ユウハになら迷わず打ち明けられた。平気なふりで誤魔化し続けてきた本音を、ユウハは丸ごと全部受け止めてくれた。
「ずっと一緒にいようね、約束だよ」
いつかの夕暮れ、目に染みる茜色に包まれながら、小指を結んで誓い合った。
ユウハが隣にいてくれたから、シノはひとりじゃなかった。ユウハと二人で過ごす時間が、何よりも幸せで愛おしかった。
こんな日々がずっと続いていくことを、祈りのような温度で信じていた。
だけど、ユウハはいなくなった。シノのことを置き去りにして、失踪してしまった。
どれだけ当たり前に思えた日々でも、永遠に続くだなんてありえない。
どれだけ大切にしていたものでも、最後には必ず失われてしまう。
いつもいつも、シノは失う側だった。置いていかれる側だった。そのことに耐えられなかった。
だから、都合のいい夢に逃げ込んだ。ユウハは死んだ。そう告げてくる無情な現実に、耳を塞いで背を向けた。
──ユウハは死んでない。失踪なんてするはずない。だって、約束したから。ずっと一緒にいてくれるって。私をひとりにしないって。
ほら、見てよ。ユウハはここにいるよ、ちゃんと生きてるよ。毎朝欠かさず、私のところに会いにきてくれるよ。ユウハが約束を破るはずないもん。ずっと一緒にいてくれる、そう誓ったんだから。
シノは、何も失っていない。ひとりぼっちなんかじゃない。
そんな風に自分を騙していたくて、夜が来るたびに呪文を唱えた。傷付いた誰かを癒すため、自分の心を砕く魔法。狂気に苛まれるのが怖くて、ずっと嫌っていた魔法。まともな神経でいられなくなって、初めてその副作用をありがたいと思えた。
何度も何度も繰り返し、自傷のように魔法を使った。宝石になった心を砕いた。自分自身を守るためだった。
この酷い現実を直視してしまえば、シノはきっと生きていられない。
どれだけ大切なものと出会っても、いつか必ず失われてしまうのなら。もらった幸せ以上の悲しみを、一人で抱えることになるのなら。シノはもう、どんな幸福も知らなくていい。何も大切にできなくていい。
確かなものも、信じられるものも、ひとつだって見つからない。
それならばシノは、喪失に耐えるためだけに生きているのだろうか。失った痛みを抱え続けるためだけに、生きなければならないのだろうか。
世界に対するそんな絶望を無かったことにしたくて、シノは夢と現実の境界を溶かした。幸せな狂気に浸って、都合のいい永遠を叶えようとしていた。
幽霊みたいな幻影と、現実からの逃避行。
それすらいつか失われるのだと、頭の片隅では理解していた。
神様は意地悪だ。
シノは少しも欲張ってなんかいないのに。
大切なものをこれ以上、理不尽に奪われたくないだけなのに。
誰にもいなくなってほしくない。誰にも置いていかれたくない。ひとりぼっちは、もう嫌だ。
黙って消えるくらいなら、シノも一緒に連れていってよ。
御伽話みたいな奇跡が欲しいわけじゃない。シノはただ、大切な人のそばにいたいだけ。
それすら叶えてもらえないなら、いなくなるのはシノの方でよかった。
大好きな人の不幸も悲しみも、すべてを代わりに背負って消えてしまいたかった。
「シノ
……
!」
どこか遠い場所に、ユウハの声が響いた気がした。永遠のような悪夢が、永遠ではない現実が、少しずつ醒めていく。
ユウハに手を伸ばしたあの瞬間、これは紛れもない現実なのだと直観した。それがどこまで確かなものか、今ではもう分からなかった。
「シノ! 約束してよ
……
! ずっと一緒にいるって、私をひとりにしないって
……
! 今度はちゃんと守るから、お願い、シノ
……
!」
横たえられた背中を撫でる、微かな冷たい地面の感触。それを掻き消すように、温い雫が頬を濡らしていく。
ユウハは泣いていた。ほとんど動かなくなった鈍い頭で、ようやくそれだけを理解した。耐えきれない悲しみに抗うような、ユウハの慟哭が聞こえる。
──ユウハは、死んでない!
捜索の打ち切りを告げられた日、ユウハのことは諦めろと諭された日、泣きながら声を荒げたことを思い出した。
大切な人を失いたくなかった。そんな願いが叶うなら、いっそこの身を捧げたっていいと思った。
だけど──もし、シノがいなくなったら。シノを喪ったユウハはきっと、かつてのシノと同じ悲しみを味わうことになる。出口の見えない暗闇に囚われ、狂気さえも救いになるほどの絶望を、死ぬまで抱え続けることになる。
心の裏側が腫れるようなその痛みは、どうしたってシノには背負えない。だってそのとき、シノはもういないから。ユウハに消えない傷跡を刻むのは、他ならぬシノ自身なのだから。
固まった石膏みたいな手のひらに、ふと懐かしい温もりが触れる。
どんな記憶よりも鮮明な、シノにとっての幸福の形。永遠に失われたはずの、愛おしい温度。
シノはずっと、ユウハと手を繋ぐのが好きだった。お互いの体温を確かめるみたいに、ぎゅっと身体を寄せ合うのが好きだった。手のひらに触れた温もりが、ほんの少しだけ速まる心音が、訳もなく嬉しかった。
ずっと一緒にいようね。交わしたそんな約束が、永遠になるみたいだと思っていた。
中学校に上がってからは、そんな自分の子供っぽさが恥ずかしくなって、なかなか自分からは言い出せなくて。それでもユウハはいつだって、甘えたいシノの心を見つけて、何も言わずに手を繋いでくれた。
今だって、きっと同じだった。シノを現実に連れ戻すみたいに、ユウハの手が仄かな熱を帯びる。ずっと一緒にいよう、と約束を交わしてくれる。
生きていたいな。
ユウハと一緒に、生きていたいよ。
瞳の奥から涙が溢れるみたいに、素直な願いが零れ落ちる。
夢か現実か分からないとか、もう何も失いたくないとか、ユウハの悲しみをすべて背負いたいとか。
そういう難しいことを抜きにして、ただユウハと一緒に生きていたかった。
余計なものを全部削ぎ落とした、鼓動そのものみたいな願い。シノの存在すべてが、それだけに集約されていく。
叶わないかな。叶えてもらえないかな。
これまでずっと、シノはたくさん我慢してきた。どれだけ寂しくっても、ひとりぼっちで耐えてきた。
世界はいつだって、シノに優しくなかった。大切なものはどれも、理不尽に手のひらをすり抜けていった。
だから、どうか。ほんの小さな我儘ひとつくらい、今だけは叶えてよ。
夢の終わりによく似た曖昧な意識の中、泣き出しそうな願いが心臓を震わせた。
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