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柚鈴
2025-11-01 12:04:40
59567文字
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でぃあぷろSeason3 第0話①/第1話「レフュージア」
pushing up daisies:「死んで埋葬されている」
レフュージア:氷河期など、広範囲にわたって生物種が絶滅する環境下で、局所的に種が生き残った場所。待避地。
🫧の状態についてはライムライト回(下記リンクp4)で描写しています
https://privatter.me/page/65deb01c17c1e?p=4
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第1話「レフュージア」②
◇ハレリ・フィデス
ざくざくと枯れ葉を踏む音だけが、やけに大きく響いている。
来訪者の気配がない、伸びた草木と柔らかな地面。居住区域外に位置する鄙びた森林は、常緑樹がほとんどを占めているのだろうか──肌寒い初冬の季節になっても、鬱蒼と木々を生い茂らせていた。
乾いた空気に吐く息は白く、澱んだ緑の匂いが鼻腔に染みる。
馴染みのない未開の地を切り開くように、ハレリたちは五人で森の奥を探索していた。歩きづらい獣道を踏みならしながら、常盤色に覆われた景色をぐるりと見回す。アイドルに変身すれば一瞬で移動できる距離でも、今は一歩ずつ地道に進むしかないのがもどかしかった。
「うーん、たしかに人影が見えた気がしたんだけどなあ
……
」
意気揚々と先頭を進んでいたミアが、首を傾げて告げる。森林の方に誰かがいる、と言い出したのは彼女だった。
普段ならば、レイアの知覚魔法を使って周囲の状態を把握できたのだけれど──アイドルに変身できない現状では、それが叶わない。ゆえに、ミアの見た人影を探して、全員で森に踏み入ることになったのだ。
「やっぱり、気のせいだったんじゃないですか。こんな辺鄙な場所に、誰かがいるなんて思えませんけど
……
」
すぐ後ろにいるフウカをちらりを振り返りながら、先へと進むミアに言葉を投げかける。お世辞にも運動が得意とは言えないフウカは、慣れない道に疲弊しきっているようで、必死に肩で息をしていた。
「そうだよね
……
。もしかしたら精霊さんかもって思ったんだけど、違ったみたい
……
」
叱られた小型犬みたいな表情で、ミアがしょんぼりと肩を落とす。目に見えて落ち込んだその様子に、ちょっと言葉が強かっただろうか、とハレリが反省していると──彼女を庇うように、すかさずレイラが口を挟んだ。
「気を落とす必要はないわ。少しでも手がかりが得られそうなら、調べてみて損はないもの」
「レイラさん
……
! ありがとうございますっ!」
萎んだ花を再び咲かせるように、ぱあっとミアの顔が輝き、微かに頬を染めたレイラは誤魔化すように視線を逸らした。今更何も言うことはないが、彼女は本当にミアに甘い。
「もうすぐ陽も沈みそうですし、そろそろ引き返しましょうか?」
微笑ましそうに二人を見守っていたシノが、夕空を仰いで告げた。このまま徒歩で駅まで戻るとなると、それなりに時間がかかりそうだ。彼女の言うとおり、今日はこの辺りでお開きにしたほうがいいかもしれない。
「そうですね。どっちから来ました、っけ──」
帰り道を探そうと、ハレリはぐるりと周囲を見回して──紡ぎかけた言葉が、不自然に途切れる。
見えるはずのないものが、何の前触れもなく、眼前に立ち現れたせいだった。
枯れた蔦に覆われ、朽ち果てた古い教会。
先程まではなかったはずのそれが、瞬きの隙間に忍び込んだかのように、目を向けた先に建っている。
袖で瞼を擦っても、白昼夢のような光景は消えない。強く擦られた皮膚の感覚は正常で、これが夢ではないことは明らかだった。
「ハレリ
……
?」
不安げな呟きを漏らしたフウカが、見上げるようにハレリの視線を追う。次の瞬間、ひ、と怯えたような声が零れた。小さく身を震わせた彼女が、逃げるように背中にしがみついてくる。同じ光景に気付いたのだろう、どうやらハレリだけに見えた幻覚ではなかったらしい。
「ど、どういうこと!? さっきまで、なんにもなかったよね
……
!?」
ミアが狼狽えたように声を上げ、ハレリは同意の意を込めて頷いた。いくら周囲に木々が連なっているとはいえ、あれほど大きな建造物を見逃していたはずがない。
「ええ、間違いないわ。
……
これは、精霊の仕業かもしれない」
射竦めるように教会を見上げたレイラが、淡々と告げる。
先刻まで見えなかったものが、被膜を剥いだかのように、唐突に姿を現した。そんな非科学的な現象、魔法以外にはありえない。アイドルシステムが機能していないことを考えると、おそらくアイドルの固有魔法によるものではない。そうなると必然的に、考えられる可能性はひとつだった。
──あの教会には、消えた精霊が関わっている。
「行ってみましょう。私が先頭に立つから、全員離れないで」
先陣を切るようにレイラが歩き出し、慌ててミアがそれに続いた。動悸を堪えながら、ハレリもそれに続こうとして──後ろから控えめに引かれた袖に、思わず足を止める。
「ハ、ハレリ
……
」
振り返った先に見えたフウカの顔は、血の気が引いて真っ青だった。それでも涙だけは懸命に堪えているのだろう、潤んだ薄紅の瞳が頼りなく揺れる。
「大丈夫だよ、姉さん。何があっても、ちゃんとあたしが守るから」
少しでも恐怖を拭おうと微笑みかけて、冷えきった彼女の手を握る。柔らかく小さなその手は震えていて、呼吸の浅さを伝えるようだった。
それでも覚悟を決めたのか、弱々しい頷きで応えたフウカが、ふらふらと一歩を踏み出す。僅かに丸まったその背を守るように、フウカの後ろに立ったハレリは、確かな足取りでレイラたちを追った。
「
……
なんだか、気味の悪い場所ですね」
荒れ果てた地面を踏み分けて辿り着いた教会の前。そこに広がっていたのは、奇妙に歪んだ空間だった。
遠目に見たよりも、教会そのものはかなり損傷が激しく、壁面には大きなひび割れが刻まれている。地面に敷かれた煉瓦は砕けており、建てられてから相当の年月が経っているのが窺えた。
だが不可解なのは、その劣化度合いではない。ハレリが感じた歪さの根源は、目に映る風景全体に対してのものだった。
「うん
……
。元々、ここにあった建物じゃないみたい」
戸惑うようにきゅっと眉根を寄せて、ミアが教会を仰ぎ見る。
森の中に教会があること自体は、何らおかしなことではない。サクリファイスの襲撃によって、人々の暮らす居住区域は年々狭まっているのだ。ずっと昔に滅んだ街が、長い時間をかけて森林になっていてもおかしくない。頑丈に造られた教会だけが、ひっそりとその場に身を留めつづけることもあるだろう。
だが目の前に聳える教会は、そういったことを抜きにしても、明らかに周囲の景色から浮いていた。
空を覆い隠すほどに生えた樹木が、地面を埋め尽くすほどに茂った植物が、まるで禁域のように教会を避けている。壁面に絡みつくのは枯れた蔦のみで、建物からはあらゆる生の気配が断たれている。灰色混じりの醜い蔦の細枝は、瑞々しい緑の象徴じみた森において異質な存在だった。
よく見れば礎石が地表に露出して、建物全体が斜めに傾いている。目に見えて歪な植生といい、まるで箱庭に飾られた模型を根こそぎ移し替えたみたいに、別の場所から教会だけを移植したかのような光景だ。
もしも、その推測が当たっているとしたら。そんな離れ業をやってのけるのは、精霊以外にありえなかった。
「
……
鍵は、かかっていないみたいね。開けるわよ」
確かめるように告げたレイラが、扉に手をかける。
金属の軋む音が耳を刺して、閉ざされた空間に仄かな茜が差し込んだ。
古びて朽ちた外観のとおり、長らく放置されていたのだろう。窓は煤けて光を通さず、室内は薄暗かった。錆びた桟には虫の死骸が張りついて、蜘蛛の巣と埃が溜まっている。充満する黴びた匂いは間違いなく身体に悪そうで、ハレリは思わず片手で口を覆った。
それでも、精霊の手がかりを探すためには、この場所を調べなければならない。
守るようにフウカの真横に立ち、暗闇に慣らそうと目を細めて──飛び込んできた光景に、反射的に悲鳴を上げかけた。表に出しかけた恐怖を押し殺し、慌ててフウカの様子を窺う。彼女は身体を震わせながら、唇を噛み締めて俯いていた。口を塞いでいたのが幸いしたのか、気付かれた様子はない。
よかった、と胸を撫で下ろして、気を引き締めるように視線を戻す。ハレリが動揺すれば、フウカの安心できる場所を奪ってしまうことになる。フウカのことを守るためにも、常に冷静を保たなければ。
そう自分に言い聞かせて、深々と息を吐き出しながら、眼前の景色に相対する。
少女を模した等身大の人形が、埃を被った床に敷き詰められていた。
陶器のように青白い肌。絹糸のように艶やかな髪。咲き乱れる花の意匠が施されたドレス。
本物の少女と見紛うほどの精巧さを持つ人形が、まるで安置された遺体のように、煤けた床を埋めている。折り重なるように寝かされているもの、壁に背を預けて項垂れているもの。どれも一様に表情は虚ろで、魂の抜けたような面差しをしている。
廃れた教会という背景も含めて、それはある種の芸術作品のようでもあったが──ハレリには、悍ましさ以上の何も感じ取れなかった。もともと、ホラーやお化けの類が得意ではないのだ。フウカが隣にいなければ、逃げ出したくなっていたに違いない。
「随分、趣味の悪い人形ですね
……
」
左胸で暴れる鼓動を誤魔化すように、前方のミアとレイラに向けて声を発する。二人に近付こうとした爪先が人形の脚に触れ、背筋が粟立つのを感じた。感触までも生々しい。
「
……
人形じゃ、ないわ」
険しい眼差しで室内を観察していたレイラが、掠れた声で呟いた。ミアを庇うような仕草で、そのまま奥へと一歩進み出る。扉から差し込む斜陽が薄れて、室内を満たす影がひたひたと足元に迫りくる。
「人形じゃない? それって、どういう──」
訊ねかけたハレリの言葉が、床面を示したレイラの指先に遮られる。端々が欠けて汚れた、煉瓦造りの床。
その片隅に、液体を撒き散らしたかのように、くすんだ赤褐色がこびりついている。小さく息を呑んで、隣の人形に目を移せば──横たわる少女の腹部には、獣に噛まれたような傷跡が刻まれていた。
「
…………
っ!」
声にならない悲鳴を上げたフウカが、力が抜けたように膝から崩れ落ちる。
「姉さん!」
咄嗟に受け止めたその身体は、軽いパニックを起こしたように細かく痙攣していた。錯乱した視線が宙を漂い、呼吸がぐちゃぐちゃに乱れていく。恐怖に憑かれたフウカを腕の中に抱き寄せながら、ハレリの頭も白く塗り潰されるようだった。
「大丈夫、大丈夫だから。落ち着いて、姉さん」
それでも必死で平静を装い、フウカの背中を撫で続ける。足が震えているのを自覚して、自分の弱さに嫌気が差した。瞼裏に焼きついた光景に、激しい動悸が鳴り続けている。鮮烈な赤、液体、死の色。生命の反転。
床に染みついた赤い痕跡は、傷を負った少女の血液で間違いない。つまり、彼女は血を流していたということで。作り物の人形に、血を流せるはずがなくて。
単純な推論がひとつの答えを導き出し、胃の底が焼けるように痛んだ。気を抜けば吐き戻しそうになって、堪えるみたいに唇を噛む。
教会に遺棄された少女たちは、人形ではない。
ハレリたちと同じ──人間だ。
全員が同じ結論に辿り着いたのだろう。誰も言葉を発せないまま、重苦しい沈黙が流れる。ハレリの腕に凭れたフウカが零す、途切れ途切れの吐息だけが響く。
倒れ伏した無数の少女たちには、まったく呼吸の気配がなかった。その場に膝をついたレイラが、脈を測るように一人の少女の腕を取る。
「
……
どう、ですか」
ぎこちなく訊ねる声が沈黙を裂く。レイラは静かに首を横に振り、虚空を睨んだ少女の瞼を閉じさせた。黙祷を捧げるように軽く目を伏せ、ミアがそれに倣う。その姿を目にして初めて、彼女たちを悼むという発想に思い至った。この期に及んでもなお、同じ人間のなれはてだとは信じたくなかったからかもしれない。彼女たちからは一切、生の気配を感じ取れなかったから。
所狭しと並んだ亡骸を見渡せば、息の詰まるような心地がした。眠るように瞼を閉じた少女。宙を見つめて固まった少女。折り重なって倒れる誰もが、感情のない虚ろな顔をしている。霹靂のような死を受け止められず、遊離した絶望だけを漂わせている。
朽ち果てた建物の趣にそぐわず、遺体の腐敗が進んでいないことが、よりいっそう不気味さを醸していた。煤だらけの汚れた室内に、精巧な人形にさえ見える美しい骸。その異常なコントラストに、本能が警鐘を鳴らしている。この歪な光景に、精霊が関与していることは明白だった。
どうして。いったい、何のために。精霊の務めは、アイドルをサポートすることではなかったのか。こんな猟奇殺人犯のような真似をして、何をするつもりなのか。答えの出ない疑問ばかりが、脳裏を巡回する。
きっと、ハレリがどれだけ考えたところで意味がない。精霊を見つけて問いたださなくては、事態が前に進むことはない。
導かれたそんな結論と共に、早々に思考を打ち切った矢先──薄暗い部屋の最奥で、不意にがさりと物音が鳴った。
それは、目覚めの音に似ていた。身体を起こす音、微かな呼吸音。暗闇に慣れ始めた瞳が、その正体に焦点を結ぶ。
澱んだ夜の始まりに、長い白髪が揺れた。猫のような金色の瞳。床に倒れていた一人の少女が、緩慢な動作で立ち上がる。
「よかった
……
! 生きてる人もいたんですね!」
花が咲くように表情を輝かせたミアが、少女のもとへ駆け寄ろうとして──重い金属の擦れる音が、室内に響き渡った。日常生活ではおよそ耳にすることのない、質量の塊を振り下ろす音。ハレリたちアイドルには馴染み深い、殺傷能力を伴う武器の音。
亡霊じみた少女の青白い腕には、死神のような大鎌が握られていた。
「ミア!」
真っ先に反応したのはレイラだった。少女に駆け寄りかけたミアの腕を、後ろから掴んで引き戻す。ハレリもフウカを庇うように立ち、眼前の少女を睨み据えた。
転がる無数の亡骸と同じく、彼女の表情は虚ろだった。その佇まいからは、一切の意思も感情も読み取れない。人間なら当然備わっているはずの心が、その片鱗さえ見当たらない。外見を模しているだけの、まったく異なる生物のようで──瞬きさえしていない、と気付いた。
死体を散った花に喩えるとしたら、彼女はプリザーブドフラワーのようだった。表面的には生花に似ていても、中身はまったく違うもの。もはや生きてはいないもの。そういう類の異質さを纏って、少女は祭壇の前に立ち尽くしていた。
「私たちに、攻撃の意思はないわ。精霊の居場所を知っていたら、教えてほしいの」
研ぎ澄まされた銀色の刃にも怯むことなく、レイラが冷静に訴えかける。精霊、の言葉に反応するように、少女はびくりとその身を震わせた。
「
…………
、した」
色の薄い唇が何かを呟き、微かな声が宙に溶けていく。
見えない傀儡師に操られるように、彼女がこちらに向けて一歩を踏み出した。初めからそうプログラムされていたみたいな、不自然なほど迷いのない足取り。その双眸はこちらを認識しておらず、どこか遠くに焦点を結んでいるようだった。
ゆらり、ゆらりと、しばらく視線が虚空を彷徨って──伽藍堂だったその眼差しに、不意に強い殺気が漲った。まるで敵を見つけたかのように、彼女が手にした大鎌を構える。
次の瞬間、糸で吊られたマリオネットのように、少女の影がふわりと宙に浮かんだ。その仕草はかつての精霊によく似ていて、だけどどこにも自律性がなかった。見慣れた所作を形だけ模倣する、歪なレプリカみたいだと思った。
「下がって!」
警戒の色を露わにしたレイラが、ミアとフウカに指示を飛ばす。弾かれたように顔を上げたフウカは、ミアに手を引かれて後方へと退避した。探索中に万が一のことがあれば、身体能力の高いレイラとハレリが矢面に立つと決めていた。
ひとまずフウカが安全地帯に下がったことを確認し、宙に浮かんだ少女を見上げる。温度のない双眸を見開いて、彼女はこちらに大鎌を向けた。アイドルの固有武器と同様に、その刃先には花を模った装飾が刻まれている。
彼女が精霊と繋がっていることは、もはや疑いようのない事実だった。
だとすれば、ハレリたちアイドルのように、彼女も精霊から特別な力を授かっている可能性がある。見上げた先に煌めく刃に、背筋が冷えていくのを感じた。アイドルに変身できない以上、いくら数的優位があったとしても、戦闘になればこちらが圧倒的に不利だ。武器にしても能力にしても、今のハレリたちでは間違いなく彼女に敵わない。
今すぐ逃げるべきか、それとも。ちらりと退路に目を向ければ、開け放たれた扉の先で、木々の群れが夜に沈んでいくのが見えた。陽が落ちたあとの森林は、ひどく視界が悪い。暗闇に身を隠せればいいが、無計画に動き回れば、最悪の場合は遭難することもありえる。
どうするのが安全だろう。どうすれば、姉さんを守れるだろう。
強張る鼓動が痛みを訴え、静寂が浅い呼吸に埋もれて──張り詰めた空気に雨粒が落ちるように、透きとおった声が零れた。
「ユウハ、なの
……
?」
はぐれた幼い子供のような、弱々しくて頼りない響き。
その音が夜の始まりに掻き消える前に、ハレリたちの背後にいたはずのシノが、少女に向かって駆け出していた。まるで熱に浮かされたみたいに、大鎌の刃が待ち受ける先に、躊躇いなく飛び込んでいく。
「シノさん、危ない!」
彼女らしくない無謀な行為に、思わずハレリは肩を掴んで引き止め──伸ばしたその手がシノに触れた瞬間、凄まじい風切り音が耳朶を打った。ハレリの斧が鳴らすのによく似た、巨大な質量が空気を薙ぐ音。
それを認識するや否や、考えるよりも先に身体が動いていた。庇うようにシノを巻き込み、無数の亡骸が転がる床へと身を伏せる。耳鳴りのような風圧。自分の肺が震える音。数秒前まで立っていた場所を、少女の大鎌が容赦なく切り裂く。
心臓が破裂しそうなほど音を立てて、気を抜けば二度と立ち上がれなくなりそうで。一緒に倒れ込んだ冷たいシノの手が触れて、その感覚でかろうじて意識を保っていた。
「逃げるわよ!」
レイラが鋭い叫び声を上げ、同時に重い金属が床を打つ音が響いた。空振りに終わった大鎌の一撃が、地面に叩きつけられて止まる。硬質な音が室内に木霊して、脆い床材がぱらぱらと砕けていく。
それが合図だったかのように、ミアとフウカが寄り添いながら扉を潜った。二人の無事を横目で確認して、腰元のナイフに手をかける。有事の際は皆を守れるように、と持ち歩いていたサバイバルナイフ。柄を握る手に力を込めて、ハレリは眼前の少女を睨みつけた。
彼女の武器である大鎌は、予備動作が大きく攻撃も単調だ。冷静に軌道を見極めれば、避けること自体はそう難しくない。だが、それはあくまでハレリ基準の話で──反射神経の鈍いフウカやミアが狙われれば、敵が人間である恐怖も相俟って、振るわれた一撃を避けきれないかもしれない。
だったらハレリは、二人を守らなければならない。少しでもここで反撃を加えて、逃げる時間を稼がなければならない。
次なる攻撃に移るように、少女の身体が僅かに仰け反る。重心が後ろに傾き、地面に沿って刃が持ち上げられる。
──飛び込むなら、今しかない。
覚悟を決めると同時に、ナイフを抜いた。先程目にした少女の亡骸は、腹部から真っ赤な血液を垂れ流していた。どれだけ表情が虚ろでも、彼女はハレリと変わらない人間だ。刺されれば相応の傷を負って、行動不能になるだろう。命まで奪うつもりはない。逃げ切る時間さえ確保できればいい。
大鎌が振るわれる前に、急所を外してナイフを突き立て、すぐさま踵を返す。
果たすべき務めを脳裏に描いて、ハレリは一歩を踏み出しかけ──その刹那、背後から強烈な殺気を感じた。食い入るような視線と、痛いほどの敵愾心。脊髄反射で回避の構えを取るも、予期せぬ事態に避けきれない。
後頭部を狙った攻撃が逸れて、鈍器のような何かが肩を殴りつけた。身体の内側で、骨の砕ける音が鳴る。
それを知覚すると同時に、石を投げ込まれた水面のように、衝撃が全身に波及した。変身している間とは違い、壮絶な痛みに直接神経を焼かれるような感覚。握りしめたナイフが手から滑り落ち、砕けた床の上に転がっていく。
生き残りは、彼女だけではなかったのか。別の少女が目を覚ましたのか。
こちらを攻撃する意図は分からないが、意思疎通が図れない以上、交渉の余地はない。多勢に囲まれれば、逃げることすら叶わないかもしれない。頭を過った最悪の可能性に、ぞわりと悪寒が背筋を貫く。
どうすればいい。どうすればフウカを、皆を守れる?
半ばパニックになった思考を必死で巡らせながら、まずは攻撃者から距離を取ろうと、ハレリは勢いをつけて振り返り──追撃の気配に、咄嗟に身を捻る。その場に尻餅をつく形で、空振った凶器を眼前に見送った。
「
……
どうして、攻撃するの?」
極端に抑揚の薄い、無感情な声音が夜を揺らす。
煤に塗れた煉瓦を振り上げた、虚ろな瞳と目が合った。
曇天に濁った朝焼けのような、光の潰えた薄緑色。
人を殺せる鈍器を手にして、薄い微笑みを浮かべたシノが、正面からハレリを見下ろしていた。
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