柚鈴
2025-11-01 12:04:40
59567文字
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でぃあぷろSeason3 第0話①/第1話「レフュージア」

pushing up daisies:「死んで埋葬されている」
レフュージア:氷河期など、広範囲にわたって生物種が絶滅する環境下で、局所的に種が生き残った場所。待避地。

🫧の状態についてはライムライト回(下記リンクp4)で描写しています
https://privatter.me/page/65deb01c17c1e?p=4


第1話「レフュージア」④


◇レイラ・カーティス

 ずっと、シノのことが分からなかった。
 出会ったときから、穏やかで優しい人だと思っていた。五人で過ごす時間が増えてからも、彼女はいつも微笑みを浮かべてレイラたちを見守っていた。レイラがマヤとの関係に悩んでいたときは、改めて言葉を交わせるように、そっと背中を押してくれた。
 人間関係に疎いレイラだけれど、親しい先輩とはこういう人のことを言うのだろう、なんてことを柄にもなく考えていた。
 それでも彼女はどこか、レイラたちとの関係に一線を引いているようだった。春の芽吹きに似た色の穏やかな瞳が、時折ふっと焦点を見失うことを知っていた。それはまるで、白昼夢に囚われたような、別次元の世界を見ているような、不在の心を映した眼差しだった。透明な被膜越しに、現実と接しているみたいだった。
 その違和感をレイラはずっと、壁を作られているゆえのものだと理解してきた。
 誰だってひとつやふたつは、他人に軽々しく踏み込まれたくない領域を持っている。レイラたちは所詮、精霊の選んだ寄せ集めのグループにすぎないのだから、お互いが完璧に心を開けるなんて思っていない。それが理想だと言うつもりもないし、打ち明けることを強要する気もない。集団行動とはそういうものだ。
 諦めだとすら感じていない、そんな割り切った理屈を抱いて、レイラはシノに接してきた。
 だけど──そうやって距離を受け入れることは、本当に正しかったのだろうか。
 シノの築いていたものが、レイラたちを隔てる壁ではなくて、塞がらない傷を隠すための鎧だったとしたら。
 レイラの突き放した無関心は、その傷を膿ませることになったのではないか?

「わたし、は……。ユウハを、ユウハを、守り、たい……!」

 悲鳴のような声を上げて、シノが差し伸べられた精霊の手を取る。祈るように、捧げるように、自らの願いを口にする。精霊の薄い唇が、完璧に美しい弧を描く。
 喉奥から掠れた声が漏れかけて、それが形になる暇もなく──次の瞬間、目が眩むほどの光が爆ぜた。煤けた教会が白で満たされ、咄嗟に呪文が口を衝く。
一人きりの夜アウローラム・スペーロー!」
 唱えた音が結ばれると同時に、空間全体の輪郭が研ぎ澄まされる。波濤のように流れ込む情報を、レイラが受け止めるよりも先に、網膜を焼いた雷光が収まった。
 それと同時に飛び込んでくるのは、純白のウェディングドレスを纏ったシノの姿。四つ葉のモチーフを胸に咲かせて、幸福そうに彼女の頬が染まる。
 見たことのない装い、明らかに正気を失った表情。レイラは失敗した。判断を誤った。そんな直観が脳裏を貫いて、苛むように鼓動が激しさを増す。
 どうすればよかったのか。どうすれば、シノを止められたのか。後悔のような反芻思考が、泥沼のように大きく口を開けている。

 辿り着いた先の教会で、知らない少女から攻撃を受けた。アイドルに変身できないこともあり、レイラは逃げることを選択した。
 逃走の時間を稼ごうとしたハレリが、少女にナイフを向けようとして──背後に立っていたシノが、その頭上に煉瓦を振り下ろした。予想もしなかった行動に、制止する間もなかった。悪い夢でも見ているのではと疑って、だけどたしかにこの場所は現実だった。
 虚ろな瞳を浮かべたシノは、世界との接続が切れたかのように、一切の反応を示さなくなって──絶体絶命のピンチに手を差し伸べるように、精霊が姿を現した。
 彼女は言った。政府から支給される変身薬は、変身するための必要条件ではない。初めてアイドルに変身した時点で、精霊との契約は完了されている。ゆえに、レイラたちが願いさえすれば、いつだってアイドルになれる。
 冗談のように響いたその言葉に、ひとつも嘘はなかった。変身したい。アイドルになりたい。そんな願いを強く心に浮かべるだけで、レイラはアイドルとしての力を取り戻していた。
 交戦の意志を察したのか、人形然とした少女が大鎌を振り上げる。まずは彼女を無力化するのが先決だと、レイラは細剣を構え直して──その隙を突くように、精霊がシノへと手を差し伸べた。気付いたときには既に遅く、制止の声は間に合わなかった。シノは精霊に願いを捧げて、契約を交わしてしまった。


 よく似たドレスを身に纏った、人形のような少女──「ユウハ」と並び立つように、シノの身体がふわりと宙に浮かぶ。鏡に触れるみたいな仕草で、二人の指先が重なる。空虚を湛えるユウハの双眸に、歓喜の色が咲いた。その変化とは対照的に、まるで感情の一切を奪われたかのように、シノの表情に影が差した。枯れた切り花を眺めるように、眼差しが虚ろに染まっていく。
 その無感情な顔貌を、レイラはかつて見たことがあった。
「満開、システム……
 ちらちらと脳裏に点滅する、夜闇に呑まれたマヤの最期。精霊に願いを捧げた彼女も、今のシノによく似た伽藍堂の瞳をしていた。精霊の垂らした救いの糸に吊られて、操り人形と化して殺された。
 満開システム。精霊曰く、アイドルの身体能力を底上げするための新機構。手にしたい願いを叶えるために、あらゆる不要な機能を強制的に失わせるシステム。
 サクリファイスの全滅を願ったマヤは、その目的を遂行するために不要だとして、意思も思考も感情も奪われた。敵を殺すための最適解として、自爆攻撃をさせられて死んだ。
 満開システムの制御下において、アイドルは願いを叶えるための道具になる。人間としての本質さえも、無機的な願いに上書きされる。目的を達成するためには、自身を含めたいかなる犠牲も厭わない機械と化す。
 ──私は、ユウハを守りたい。
 そんな願いを捧げたシノは、それを叶えるために不要な一切を放棄した状態にある、ということだ。自我も正気も切り捨てられて、唱えた言葉の奴隷になっている。
 これはレイラの推測だが、目的として設定される「願い」は、アイドル当人の意図を残らず掬ってくれるわけではない。自爆を仕掛けて命を散らしたマヤだって、自身が人身御供になることは望んでいなかっただろう。
 人間の感情は曖昧で不確かで、本人ですら輪郭を掴めないことも儘あるものだ。だから、形ある言葉だけが意味を持つ。精霊に捧げられた祈りの声だけが、花を咲かせて枯らすための熱源となる。形を持たない要素は捨象され、無かったものとして扱われる。
 だから、満開システムは使うべきでなかった。心に抱いた願いが含むすべての要素を、ひとつ残らず言語化するなんて不可能なのだから。
 その危険性は、シノも認識しているはずだった。彼女はレイラたちと共に、マヤの死に際を目の当たりにした。精霊と契約を交わした果てに待つものを、知らずにいられるわけがなかった。
 なのに、どうして。それほどまでに、叶えたいことだったのか。精霊に身を委ねて、自身を危険に晒してでも、願わなければならなかったのか。

「シノさん! シノさん……! 話を聞いてください……!」
 混乱する頭を現実に引き戻すように、涙ぐんだミアの声が耳朶を打つ。仄かに翳った薄緑の双眸が、無感情にこちらを見下ろしている。
 涙の膜を壊すように、その睫毛が緩やかに上下して──次の瞬間、彼女は弓矢を構えていた。眼下のミアに狙いを定めて、きりきりと弦が引き絞られる。
「ミア!」
 刹那のうちに思考が断たれて、本能的に身体が動いていた。怯えて固まったミアの正面を塞ぎ、降り注ぐ矢をレイピアで弾き返す。澄んだ空色の瞳を潤ませて、ミアは呆然とシノを見上げていた。初めてサクリファイスと相対した日に戻ってしまったかのようだった。
 どうする。どうすればいい。何を選ぶのが正しい。間断なく飛来する矢からミアを庇いながら、必死で思考を巡らせる。視界の端で火花が散って、激しく金属のぶつかる音が鳴った。ちらりと横目で視線を送れば、ハレリもフウカを庇いながら大鎌の攻撃をいなしている。
 二対二の拮抗状態。大量のサクリファイスに比べれば、シノもユウハもたいした脅威ではないが──相手が生身の少女だという事実が、こちら側の攻撃を格段に鈍らせていた。当然だ。サクリファイスのような異形の怪物であれば、攻撃するのにも抵抗はないが、人間相手にはそうもいかない。たとえ殺すつもりがなくとも、武器を向けて傷つけようとする時点で、まともな神経の人間なら躊躇いが生じるだろう。いつもどおりに戦えるはずがない。
 かといって、二人を置いて逃げ出すわけにもいかなかった。ユウハがこちらを攻撃する意図は不明だが、放っておけば街に被害をもたらさないとも限らない。アイドルとして変身できる以上、レイラたちには一般市民を守る義務がある。
 状況を変えなければならない。突破口を探らなければならない。この膠着を打破するためには、ブレイクスルーが必要だ。その役割を果たせるのは、きっとレイラしかいない。
「ミア」
 飛んでくる矢を薙ぎ払いつつ、背後のミアを振り返る。涙に濡れた瞳と目が合う。美しい雨上がりの色。
「私が絶対に、状況を打開する。だから──少しの間、一人で持ちこたえて」
 声の震えを抑え込むように、端的にそれだけを紡ぐ。心臓が悲鳴を上げている。怖い。怖くてたまらない。自分の意志で決断を下すことが。ひとつでも間違えれば、大切な相手を永遠に失ってしまうことが。
 今のレイラは自由だ。役割を与えてくれる誰かはいない。従うべき道を示してくれる誰かはいない。レイラ自身が、己の行き先を選ばなければならない。責任を取らなければならない。
 その事実が重くて恐ろしくて、僅かにも立ち止まれば動けなくなってしまいそうで。ミアの返事を待たずに、早口で言葉を続ける。
「攻撃はしなくていい、防御に専念して。弓矢の威力は弱いから、距離さえ取ればミアでも防げる。私の動きを今見て、覚えて」
 その勢いに気圧されたように、ミアがぶんぶんと首を縦に振る。恐怖に千切れそうな理性を繋ぎ止めるように、レイラは凛と背筋を伸ばした。演武のような動きを意識しながら、降り注ぐ矢を弾いていく。レイラの後ろ姿を追う、ミアのまっすぐな視線を感じる。
 レイラはミアに救われた。彼女のひたむきな愛に救われた。抱きしめられた日の温もりを、今でも鮮明に覚えている。ミアのために生きていたいと思った。ミアがいなければ、生きていけないと思った。
 だから本当は、彼女を一人にしたくなどない。いつ何が起きても大丈夫なように、ずっと隣で守ってあげたい。
 それでも──ミアはきっと、そんな未来を望まないから。

「覚えました! やります!」
 澱んだ空気を晴らすように、高らかな宣言が放たれる。眼差しに強い光を宿して、ミアは自分の剣を構えた。姿勢を正してシノを見据え、飛んでくる矢を次々に払っていく。
 危なっかしさの残る動きだが、シノはもともと後方支援型のアイドルで、戦闘向きのタイプではない。攻撃を防ぐだけなら、心理的な負担も低い。成長した今のミアなら、きっと大丈夫だ。そう信じると決めた。

 ミアのそばから踵を返し、視線を宙へと上向ける。
 レイラは自分自身の意志で、選んだ役目を果たさなければならなかった。

「──私と、話をしましょう」

 深々と息を吐き出すように、レイラは声を投げかけた。
 空中からこちらを睥睨する、すべての元凶──精霊に向かって。