akinoshiroihana
2025-03-30 21:14:51
28993文字
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ノーマルぷらいべったーゲッターネタ倉庫1




鍋の中

桑の実のシーズンでございます
東映~アニアク、竜隼

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あー、取れねえよぅ、なんだいこれぇ、
大きな独り言に、彼は打ち消されてしまった二度目の『ただいま』を告げる。
「どうしたんだ武蔵、なにやってたんだ、ただいま」
「おお竜馬ぁ、なんてことないんだけどよう、えへへ」
ミチルさんが何かお料理に使ってみたいって言って近所の林に出掛けるからオイラお手伝いと元気ちゃんのお守りでよう、ああお帰り
戦前戦後の養蚕農家がゆるく利用、保護していた桑の林は、研究所から少し歩いたところにも残っているのだと、そういえば梅雨の今頃が結実の時期だと早乙女博士が青年時代に想いを馳せるようにふと語ったのは今日の朝食の席だ。
昔は木の幹を揺すればいくらも真っ黒く熟した実が降り注いだというのに、戦時中には街から学童疎開してきた「物知らずなさもしい連中」が懸命に木に登って、『まだ固い赤い実まですってんてんにするんだよう早乙女先生、叱っておくれよ』などと地元の子供たちがたいそうお冠だった、だからいいかね、甘いのは黒い実だよ、と。
「それでミチルさんが、童話のオヒメサマみたいに小篭を持って出掛けたんだ」
元気少年は、差し詰め姫とともに暮らす小人のひとりにでもなっていたのだろうか。武蔵は機嫌よくその光景を語った。

「それでよ、何か作るにしちゃあ、あのキイチゴみたいな実についてる短い軸のとこだけ取らなきゃダメらしくって、でもあの実の汁は一回付くとなかなか取れないっていうもんだからよ、ミチルさんのきれいな服が汚れちゃ大変だと思っておいら」
つやつやと丸っこい両拳を彼はひろげてみせる。黒いベリーの粒のようなものもへばりつく両手のひらは、真っ赤に染まっていた
「でも服じゃなくても手だってクチん中だって、付いたらしばらく落ちねえんだって、えへへ参った」
そういいつつぺろりと出して見せた彼の舌は真っ黒になっていて、竜馬は今度こそ息を飲む。
うへへすごいことになっちまった、でもおいら、ミチルさんのために頑張ったんだよ。
この年頃の異性に比べ、赤い色には咄嗟にぎょっとするのが少年たちである、勝手口の外の水道で改めて手を洗っていた武蔵にしても、それは変わらないだろう、だが彼はにこにこと誇りかなように、まっかな手を握ったり開いたりした。

「あっ!お帰りなさい!」
がちゃりと勝手口のドアが開いた。むわっと熱気と加減なしな甘過ぎる匂いがひとつになって、ミチルの姿を取って転げ出てくるーーーとみるや、彼女もその熱さ甘さ肌にまとい付くめとりとした感触に耐えがたい様子で、庭先ではぁ、と息を付いた。
「お砂糖の加減が苺と違うのね、なんだか水飴みたいになっちゃいそうで、お鍋の中身がすごく跳ねるから危なくなってきて、隼人くんがここは代われっていって」
「隼人!」
話が終わる前に竜馬は戦友がただひとり残った場所へと身を踊らせる。

「馬鹿、来るんじゃねえ」
今手を離したら絶対焦げ付くし、お前台所で痛い目みたら絶対大騒ぎするクチだろ
「男」だから。めんどくせえ九州男児だから。
「だから来るんじゃねえ」
そう言い放ち鍋の前に一人、ただひとりで立つ隼人の背中は、大釜を覗く魔女もかくやか、
それとも、そのとき、

『あ』

戸外から暗い室内に急に入った竜馬の視界は暗くなりつつ反転した。一時的に「鳥目」化しただけでなく、血の赤を見すぎた外科医が術中に反転した「緑」色の幻を見てしまうように、笑顔の武蔵の真っ黒な口真っ赤な手とミチルのワンピースの赤を追いすぎたかもしれない竜馬の目は
緑に朧めいて煮え滾るなにかをただひとり覗き込む真っ白い隼人を見た後、彼はぶんぶんと首を振る。
「はやと」

ただいま

そう言いつつ傍に立てば、来るなって言ったじゃねえかなどとのつれない応えがあると思いきや。
物凄い白い湯気のむこう、夏のはじめの地獄のような熱さ甘さのなかから、おかえり、という声がなにかどこかとても遠くうれしげに懐かし気に聞こえた。

言った方も応えた方も


なぜそう言ったのかはわからない。


(了)