kurotera
2024-01-20 10:46:27
78477文字
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惜別にもならない

2022年12月に発行したイノセントブレス世界線のザドギエル(ラビ)×サマエル(リュカ)本です
前半は人死に有りのイノブレ時代のお話、後半は彼らが転生した現代のお話。
若干のゴア表現あります。


 燃えさかる炎は生命の摂理に反する者を罰するべく這い上がってきた業火か、それとも無垢なまま、無垢なふりのままここまで来てしまった愚か者を地獄に誘う灯火か。
 炎と熱風で揺らぐ聖域に、影が二つ。
 ひとつは使徒、ひとつは死者。
 そこに一切の希望は無く、しかしやるべきことが確かにあった。
 目の前の幼馴染みだった敵対者を見据え、サマエルは剣の柄を握りしめる。
 この炎の中、熱風に炙られようとも何も感じないのか、ティグリス――ケルベロスは目の前の得物をじろじろと見つめていた。
 まるで画家がカンバスに描くべきものを慎重に観察するような視線をサマエルに向けている。その手には、血にまみれた大ぶりな鉈が握られていた。
 先に地面を蹴ったのは、サマエルだった。
 一気に間合いをつめ、剣を振り抜く。目の前の敵を薙ぐ筈であった切っ先は、火の粉を散らしながら空を切った。
 ケルベロスがすぐに懐に飛び込み、大鉈を振るう。サマエルの首を落とすために的確に狙い振るわれたそれは刃に阻まれ、甲高い金属音を周囲に響かせる。
「っ……
 互いに跳びすさり、睨みあう。
 血で汚れた爪をがり、と噛みながら忌ま忌ましげにケルベロスが唸る。
 サマエルは黙したまま、静かに剣を構え死者を見据えていた。煤で汚されたマリアヴェールの向こう、柘榴のように紅い瞳は炯々と輝いている。
 次の瞬間には炎の中で二つの影が踊り、刃が閃くたびに火の粉が舞う。
 マリアヴェールの一端が、獣の衣の一端が、切り裂かれる度に火の欠片となって、周囲の炎に呑まれていった。
「アアァア……!」
「はあぁあ!」
 大鉈の赤い刃が目の前を掠め、再び振るわれたそれを防ぐべく剣を払った。
 一際、高い音が鼓膜をうった瞬間、獣の手に握られていた大鉈は宙を舞い、遠い地面に刺さった。
 ケルベロスが天を仰ぎ、吠える。
 慟哭にも似た咆吼を聞きながら、サマエルは裂かれた制服、胸の辺りを触り、微かな音がした方へ視線を向けた。――ロケットペンダントの鎖が、切れている。
 炎に呑まれたであろう〝形見〟を想い、瞑目する。すぐに、己の剣がまだ手の内にあるのが幸いだと紅い目を開き、地を蹴った。ケルベロスの嘆きは数十秒も持たなかったらしい、暴虐の獣もその爪によって獲物を八つ裂きにすべく、跳躍した。
 すでに炎の熱さすらも感じず、力も尽き果てようとしている。
 しかしこうして、この獣を殺す為になおも剣を振るえるのはそうしなければならないからだ。
 きっと自分がやらなくても、他の誰かがこの獣を、この男を殺すだろう。
 審判までの安らかな眠りを奪われ、悪魔の手駒となった哀れな死者、無辜の人々を血祭りにあげた獣、人々の敵。
 もっともらしい、勝手な言い分で。
 ならば、やらなければならない。
 サマエルが叫び、ケルベロスが吠える。切っ先が熱を裂き、爪が、空を切った。
 
 喉の奥から熱いものがこみ上げ、咳き込む。
 それが地面を濡らしたのを見た瞬間、視界が揺らいだ。
「ア……ゥ、ア……
 ケルベロスの狼狽したような唸り声に顔をあげれば、苛立ちと焦りがありありと浮かんだ彼の顔が、すぐそこにある。
 今にも剣を取り落としそうな、震える手に力を込める。握ったものを押し込めば、刃が肉に埋もれていく感触がはっきりと伝わってきた。
「ティグリス」
 幼馴染みの名を呼ぶ。
 肩を掴み引き寄せれば更に深く、サマエルの剣がケルベロスの死した身を抉った。耳元で苦痛を訴えるような、意味の無い叫びが彼から発せられたのを耳にし、サマエルはああ、と嘆息して血の味がする唇を噛んだ。
 ふと頬に熱がつたう感覚がしたがそれもすぐに失せ、サマエルは微かに息を吸う。
「ティグリス、ティグリス!」
 喉からこみ上げてくる血を口の端から流しながら、サマエルは名を呼び続ける。叫ぶたびに血はサマエルの輪郭を濡らした。
 胸が穿たれているというのに、もはや痛みは感じない。ただ目の前で苦しむ友を取り戻すべく、血で濁った声で、叫んだ。
「ティグリス、もう、いい! お前は獣じゃない! 俺は知っている……だから、だから、俺が、お前を……人として殺す!」
 悪魔や死者を殺す毒を以てではなく、人を守る為の剣で、人を殺すための刃で、その柄を握る、人間の手で。

 ――サマエルが……だから、持ち得るものだろ。

 誰かの声を聞いた気がする。しかしそれもすぐに痛みでかき消えた。ケルベロスの腕が、爪が、サマエルの身体の内で藻掻く。
 肉が抉れ、臓物が傷つけられる感覚にサマエルの視界が酷く歪んだ。
 ただ腕は幼馴染みの身体をしっかりと抱き寄せたまま、離さない。
「主よ、許すな! 友を殺す俺を許すな! どうか、どうかこの男の罪諸共に、地獄へと落としてくれ、どうか――!」 
 ついさっきまで、微塵も思い浮かばなかった男の言葉が脳裏をよぎった。
 あの瞬間からもうこれきりだと手放したもの。変わり果てた幼馴染みを目の当たりにすれば、忘却の彼方へと置き去りにする程度の記憶が、今になって。
――――
 耳元で掠れた声がした。人の声だった。
 捨てたはずの名を、呼ばれたような気がした。
 背中に手のひらがふれる感触がした。どこか懐かしい指先が、背に触れた。
 幼馴染みの手だった。