kurotera
2024-01-20 10:46:27
78477文字
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惜別にもならない

2022年12月に発行したイノセントブレス世界線のザドギエル(ラビ)×サマエル(リュカ)本です
前半は人死に有りのイノブレ時代のお話、後半は彼らが転生した現代のお話。
若干のゴア表現あります。



   

寒光

 
 ついに雪がちらついてきた。
 暖炉の火を消した図書室はひどく冷える。手に持った蝋燭の火の、僅かなぬくもりだけを頼りに奥へと進む。相変わらず、ザドギエルはそこにいた。
「あれ、今日は早いんだな」
「ああ、もうお前以外はいないし……少しやることがある」
 やること? とサマエルの言葉に首を傾げ、立ち上がる。あの任務以来、ザドギエルの手に巻かれていた包帯は既に解かれて、手の甲の傷も失せていた。
「本を返さないやつに催促を」
「なるほどね、付き合うよ」
 行こうか、と促すザドギエルにああ、と頷く。図書室を出て、扉に鍵をかけた。
 いつものように廊下を進んで、校舎を後にする。

 白くふわふわとした淡雪が躊躇いがちに、宙を舞っている。冷たい空気が頬に触れ、思わず身震いをした。
「冷えるな」
「そう?」
 寒さに身体を強ばらせるサマエルを心配そうに見るザドギエルは、雪国生まれ故か、どうやら平気らしい。
 ざく、ざく、と軽く凍った地面を踏みしめ寄宿舎地区の通りを歩いて行けば目当ての建物が見えた。ただ遠目から見ても灯りはついておらず、しんと静まりかえっている。
……留守か?」
「とりあえずノックしてみたら?」
 ザドギエルの助言に従い、玄関の扉を叩く。しかし誰も出てこない。任務か、深夜の鍛錬かで家を空けているのだろう。
「仕方ないな……また明日の朝にでも」
「そこに住んでた部隊、全滅したよ」
 不意に声をかけられそちらを見やれば、隣の寄宿舎の窓から住人が顔を出している。
「なんだって」
「全滅。一週間ぐらい前かな、任務の途中で悪魔にやられたって」
…………
「用があったなら担当神父に言えばいいさ。部隊名は――
 
 明日、神父を訪ねて確認をとらなければならない。
 それから、本が無くなっていた場合は報告して補充するように申請をかける。やるべきことを考えながら、サマエルは無言で歩いていた。
 隣を歩くザドギエルも黙っていたが、やがて口を開いた。
「大丈夫?」
……慣れている。俺が図書委員になってから六回目だ」
「そう」
 深い息を吐くサマエルの唇から白い靄が漏れ、空気を濡らす。慣れている、とはいえ気分のいいものではない。重くのしかかる死の気配に、一気に疲れを感じた。
「サマエルッ」
「っ」
 ずる、と足下が滑り、身体が傾ぐ。
 凍った地面に足をとられ、身体が倒れる予感に思わず目を閉じたが瞬間、何かに身体を支えられた――と、すぐにその理由を悟った。
「危ない……
「す、すまない……
 ザドギエルの腕がサマエルの身体を支えている。安心してほっと息をつくザドギエルに謝れば、気をつけてくれよと手をとられる。そのまま握りしめられ、引かれた。
 ひどく、冷たい手だった。
…………
「サマエル? どうした?」
 そのまま動かなくなってしまったサマエルの顔を、ザドギエルが覗き込む。
 は、と我に返り、サマエルは仲間の手をぎゅ、と握り返した。剣を握り続けて幾分か固くなった皮膚はやはり、冷たい。
「いや、すまない……びっくりして」
「それはこっちの台詞だよ」
「違う、そうじゃなくて……お前の手がこんなに冷たいなんて、知らなかった」
 サマエルの言葉にああ、とザドギエルが納得したように頷く。そして苦笑いを零した。
「いつもは手套をしているからな。ごめん、驚かせて」
「いや、いいんだ。転けそうになったのを助けられて、文句を言うはずがないだろう」
 焦りから早口になりつつ、どう言えばいいのかとサマエルは視線を彷徨わせる。その手はザドギエルの手をしっかりと握り、離さずにいるのにザドギエルは首を傾げた。
「寒くないのか」
「ああ。……慣れてる」
 慣れてる、と返され、続ける言葉に窮した。寒くない、ではなく慣れている。それはつまり、寒いんじゃないかとサマエルは言いたかった。しかしザドギエルの口元は相変わらず穏やかな笑みを浮かべていて、何を言っても躱される、そんな気がした。
 言葉を探しているようなサマエルの様子を見て、ザドギエルが続ける。
「なんていうのかな、体質というか、どうしようもないんだ。俺の身体が冷たいのは」 
 自分の手を離さないサマエルの手をまじまじと眺める。
 そして、深く青い双眸をす、と細めた。
「お前の手はあったかいな」
 ふふ、と嬉しげに笑って、もう少しだけいいかなと視線で問いかけてくる。何も言えないままに頷けば、ザドギエルはサマエルの手をとったまま、歩き出した。
「早く帰らないとお前が風邪をひくな。また小言を言われるね」
 茶化すように言うザドギエルにサマエルはその手を握る力を強め、ついていった。 


「ザドギエル?」
 別の日、いつもの長椅子にザドギエルは珍しく身を横たえていた。
 寝ているのか、とサマエルがその顔を覗き込めば同い年の仲間より幾分か大人びた容姿の彼が、すうすうとあどけない寝顔を晒している。
 しかし真冬の、火の絶えた図書室でこのまま眠らせておけば、寒さに強いザドギエルといえども十中八九風邪をひいてしまうだろう。
「おい、ザドギエル。起きろ、閉架時間だ」
 小さくため息を吐きながら、サマエルはザドギエルの肩を揺らす。
 ゆさゆさとやや強めにゆすっても中々目を覚まさず、思わず軽い舌打ちをうつ。
 ハニエルやサンダルフォンならともかく、自分よりも背丈の大きな彼を寄宿舎まで運ぶことは、使徒ゆえ可能だろうが、骨が折れるだろう。
「おい!」
 声の調子をひときわ大きくして呼びかける。
 静かに上下する胸元に置かれた、読みかけであろう蔵書をどかし長椅子の傍らのローテーブルに置けば、んん、とむずがるような声が聞こえた。
――……して、……
 ザドギエルの微かに開いた唇から漏れた掠れ声に、サマエルはそこへ視線を向ける。ようやく起きたかと思ったのだが、その瞼は上がることなく眉間には深い皺が刻まれていた。彼の寝起きが悪いのはいつもの事だが、そういったものではなく魘されているのだとサマエルは気づき、はっと我に返った。
「ザドギエル!」 
「っ、…………
 もう一度強く呼びかけ、肩を揺する。
 びくりと身体を跳ねさせ、ザドギエルがぱちりと目を開けたのにほっとしながら、彼の意識を浮上させるべく、とんとん、と肩を叩いた。
「え、あ……?」
 微かに息を乱しながらザドギエルが視線を彷徨わせる。そしてはたと柘榴色の双眸と目が合って、身体を強ばらせた。
……サマエル……?」
 なんでここに、とザドギエルが問えばサマエルは呆れたように眉を寄せた。
「閉架時間だ」
…………
 ザドギエルがゆっくりと瞬きをする。
 乱れた息は落ち着いたものの、長椅子から動こうとしない仲間をサマエルは咎めるように睨んだが、彼がずいぶんと魘されていた事を思い起こし片眉を上げた。
「具合が悪いのか」
……ちょっと嫌な夢を見ちゃって」
 読んだ本が悪かったかなと苦笑いするザドギエルから視線を外し、彼の手からひったくってローテーブルに置いた書物に視線をやる。
 地獄、煉獄、天国を巡る叙事詩はこの国で長く読まれている書物のひとつだ。サマエルも授業で触れられた覚えがあるのは勿論、個人的に読んだこともあるものだった。
「地獄編か」
「はは、正解」
 ザドギエルが肯定し、それに手を伸ばす。
 仰向けに寝転んだままそれをぱらぱらと捲り、目にとまった一節をなぞる。
「我を過ぐれば憂ひの都あり、我を過ぐれば永遠の苦患あり、我を過ぐれば滅亡の民あり。義は尊きわが造り主を動かし、聖なる威力、比類なき智慧、第一の愛、我を造れり。永遠の物のほか物として我よりさきに造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ」
「汝等ここに入るもの一切の望みを棄てよ」
 最後の一節をサマエルが呟く。愛想が無いとも言われる低い声色で諳んじられた一節に、ザドギエルが口元に笑みを浮かべた。 
「そう。〝汝等ここに入るもの一切の望みを棄てよ〟」
「夢の中で地獄の門でも見上げたか」
…………はは」
「地獄が書かれた本を読んでその夢を見るだなんて、お前も意外と単純だ」
 珍しく揶揄してくるサマエルをちらりと見上げ、ザドギエルがのろのろと身を起こす。サマエルは長椅子の背もたれに手をかけ、ザドギエルを見つめている。座り直したザドギエルが目の前の大窓に視線を向け、頷いた。
 窓の外はすっかり夜の闇に沈み、冷たい月の光と、雪明かりが差し込んでいた。蝋燭ふたつ、それだけが灯りの室内は暗く、調度品の輪郭は月光によって青白く浮かぶ。
「そうかもなあ」
……心配しなくても、使徒は地獄には行かないだろう」
……サマエルはそう思う?」
「いや、使徒はそう信じている奴が多いんじゃないか。俺にはあまり……分からない。ただ、お前が地獄に行くなんて考えられないだけだ」
 血を以て命を削りながら悪魔を屠り、仲間を守るお前が地獄に行くべきものならば、誰が地獄行きを免れるんだ。
 そんな言葉が浮かんだが、言わないままサマエルはザドギエルの肩をぽん、ともう一度叩いた。そのまま仲間の隣に座り、背もたれに身を預ける。
 その様子に、ザドギエルは喉で笑った。
「心配はしてないよ。全ては主の御心のまま、だろ」
 答えるザドギエルの声に、抑揚はなかった。
 サマエルには時折、ザドギエルの声がどこか諦観したような、無機質じみた調子に聞こえていた。そういった時のザドギエルは、いつも以上に感情を抑えがちであることも察している。その性質が今日はどこかつよく出ているような、そんな気がした。
「ザドギエル」
 名を呼ぶ。お前を気にかけているという意を可能な限り、声に乗せる。
 自分の声色では意識しないと伝わらないことをサマエルは自覚していた。それが伝わったか否か、ザドギエルが顔をあげ、隣に座った仲間を見つめた。
 柘榴色の瞳が暗闇の中で輝き、深い青色を見据えている。 
「もし、万が一にもだ。お前が地獄に落ちるような男だとして」
「サマエル? ……っ、わ、んん……っ!」
 サマエルの言葉に戸惑い、瞬きをした直後。唇に柔らかな感触が伝わり、驚いたザドギエルの肩が跳ねた。すぐに、あたたかくぬるりとしたものが唇を舐めれば、ザドギエルは自分が何をされたかを、悟った。
 角度を変えた口づけと共に舌が咥内にねじ込まれる。
 せめて歯を立てないようにと身体を強ばらせ、ザドギエルは大人しくサマエルからのたどたどしい口づけを、受け入れた。
「っふ……ん、んぁ……
 拙くも深い口づけと共に、唾液を分かち合う音が静かな室内に響く。いつの間にかザドギエルを押し倒すような格好で覆い被さるサマエルの背を、生涯癒えることのない傷が刻まれた右手が撫でた。
 暫くそうして、互いの身体が酸素を求めだした頃にようやくサマエルは唇を離した。
 ぼんやりと顔を赤らめるザドギエルと、同じぐらいに頬を赤く染めたサマエルが見つめ合う。なんで、と欲に滲む青い目が、問いかけていた。
……俺も、共に落ちる」
 どこか切羽詰まったようなサマエルの声に、意図を掴むことができずに瞬きをする。それからややあって、何か思い当たったのか、お前、とザドギエルは苦笑いをした。
「馬鹿。ああ……そう、そういうことか……いきなり何をしでかすかと思ったら」
 教義のひとつ、その文言と彼の行為の理由が繋がった途端、笑いながらザドギエルが天井を仰ぐ。いけない、と笑いを抑えようとしたがそれも出来ず、くすくす、くすくすと笑い続けていた。
 その様子に決まり悪げなサマエルが身を引けば、押し倒された身体をごそりと起こし、ザドギエルはサマエルを見つめた。
「なあ、サマエル。キスひとつぐらいで地獄に落ちると思う?」
「む……
 ザドギエルの、からかいの言葉に眉を寄せたサマエルが目をすっと細める。自分の言葉に対してどこか不満げな仲間の様子に、少年は深く青い目をまっすぐ彼に向けた。
 僅かに濡れた唇が弧を描く。
 相変わらず冷え切った手が、死線を共にする仲間の頬に触れた。 
…………お前の優しさは、受け取っておくよ」
 さあ、帰ろう。遅くなったら皆が心配するだろうから。
 本を仕舞う為に立ち上がったザドギエルが、サマエルの肩に手を乗せる。
 しばらくサマエルは、黙ったまま虚空を見つめていたが、やがて小さく頷き、置いていた蝋燭を手に取った。