kurotera
2024-01-20 10:46:27
78477文字
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惜別にもならない

2022年12月に発行したイノセントブレス世界線のザドギエル(ラビ)×サマエル(リュカ)本です
前半は人死に有りのイノブレ時代のお話、後半は彼らが転生した現代のお話。
若干のゴア表現あります。

 
 数日かけて帰還した二人は、すぐにシスター・ゴーによって医療室に入れられた。
「シスター、そんなに怒るなよ。気合いを入れるためにナイフで手の甲を刺しただけだろ?」
「ナイフで手の甲を刺しただけですって!? 手が使えなくなったらどうするのよ!」
「もう片方を使うさ」
「呆れた!」
 怒り心頭といった様子でシスターがザドギエルの手に包帯を巻いている。 
 目立った傷は手の甲の刺し傷だが、隊服を脱がされ上裸になった身体の所々に軽い火傷の痕があった。怪我と火傷を負っている癖に予想以上に騒がしい二人のやりとりを眺めながら、サマエルも傷の手当てを受けている。
「本当に無茶ばかりして……
 大きなため息と共にシスターが嘆く。
 悪かったよ、とザドギエルが肩をすくめて謝るのをサマエルはぼんやりと聞いていた。

 
 怪我の治療の間、療養を言い渡されたザドギエルはそれでも相変わらず図書室に来ていた。夕刻を告げる鐘が聞こえる中、いつもの場所で仲間が読書に耽っているのを見つけ、サマエルは片眉をあげる。
「あっ」
 たどたどしく本を開いていたものの指を滑らせたか、ぱたぱたと暴れるページにザドギエルが小さく声をあげ、もどかしげに唸るのを聞きながら隣に座る。舌打ちとともに読書を諦めたザドギエルが背もたれに身体を預け、サマエルを見やった。 
「もう時間? あまり進まなかったよ」
……おとなしくしておけと言われてるだろ?」
「してるさ、おかげで身体が鈍ってる」
 不服そうに呟くザドギエルが持っていた書物を取り上げる。
 他のそれよりも大きなそれは、任務につく前にサマエルが取り寄せた絵本だった。
 古い神話の絵本だ。
「それ、お前が選んだんだろ」
 だから読んでみたくて。ザドギエルが絵本に視線を向け、小さく首をかしげる。
 いつの日かと同じように少し気恥ずかしい思いになりながら、サマエルが頷いた。ぱらぱらとページをめくれば鮮やかな絵とともに、神話を元に書かれた話が綴られている。
「そうだ。サマエル、俺に読み聞かせてよ」
「なんだと?」
 ザドギエルが良いことを思いついたとサマエルにねだり、サマエルは思わず声を裏返した。んん、と咳払いをして、正気か、と視線で問う。 
「奉仕委員の活動で孤児院に行ったらよく絵本の読み聞かせをするんだ。ただ自分の読み方って正解なのかなって思ってさ」
「絵本に読み方の正誤はない。読む人間が思った通りにすればいい」
「じゃあサマエルも読んで。俺が聞きたいんだ、いいだろ?」
 お願い、とそれこそ子どものような調子でねだるザドギエルにため息をつく。
 ひとつだけだぞ、と適当に開いたページに視線を落とした。
「神アポロンとムーサイがひとりカリオペの間に、オルフェウスという男が……
 ページに書かれた文を、少し声を抑えて読み上げる。
 見目美しい若い男が金色の竪琴を持ち、同じく美しい女とともに描かれている。ザドギエルはそれをじっと見つめながら、サマエルの声に耳を傾けた。
 
 サマエルの声は任務の時とは違って、どこか柔らかさを帯びていた。
「愛するひとを二度失い、オルフェウスは昼も夜もその場にうずくまり、動かなかった。やがて痩せ衰え、死の歩みくる音が聞こえてきた」
 ザドギエルの視線は、絵本の紙面ではなく密かにサマエルの横顔をとらえていた。
 髪色と同じ睫がまなじりに影を落とし、唇は動き、結末をぽつぽつと読み上げている。
「死の深き眠りについたオルフェウス、太陽の沈みし遠き国にてエウリュデケと再び出会い、永久に離れることなく暮らす」
……
 ぱたり、と絵本が閉じられる。
 はたと紅い目と視線が合い、気まずさがこみ上げてきた。
「俺じゃなく絵を見ろ」
「はは……つい、さ。いい声だなって」
 ザドギエルの言葉に奇妙な物を見るようなまなざしを向けるサマエルに笑ってごまかしながら、閉じられた絵本を見下ろす。
「とてもよかったよ、手が痛いのを忘れちゃってた」
「大げさだ。それに、あまり楽しい内容じゃなかっただろ?」
 適当に開いたページが冥界下りの神話だなんて、と声を落とすサマエルにゆるゆると首を振る。
「俺は好きだな」 
……そうか、それなら……いいんだが」
 仲間の返答にサマエルが曖昧に頷けば沈黙が降りる。
 ザドギエルはぼんやりと窓の外に視線を向け、何か考えに耽っているようだった。
 まだ帰るそぶりを見せない彼をせっつく気にもなれずに、サマエルも黙って絵本の表紙を眺めている。
「サマエルは死の国から連れ戻したい人、いるかい」
 ぽつり、とザドギエルがこぼした問いに顔をあげる。
 隣に視線をやれば表情を変えることなく、ザドギエルの視線の先は窓の外のままだ。
 蝋燭の灯りが、暗闇から彼の輪郭を浮かび上がらせている。その灯りを消してしまえば、たちまち闇に沈むのだろう。
 ――死の国から、連れ戻したい人。
……いる、というより、いないやつの方が少ないんじゃないか」
 使徒の大半は戦災孤児だ。幼くして家族を亡くした者は、仲間にもいる。
 きっと彼らなら頷くに違いない。
 サマエルがすぐに思い浮かべたのは幼馴染みだった。
 燃えるような赤い髪が目立つ、画家の男。カンバスに世界を描く人。
 彼の絵は、人々を魅了し、心を震わせ、時には癒やしていた。
 ――永遠にそうであるはず、だったのに。
 あの日、乱雑に積み上げられたカンバスの骸達は燃やされた。
 人を惑わす魔性の絵、悪魔の絵、存在してはならない絵。大人達は口々に叫んで、あの鮮やかで美しいものたちに斧を振るい、次々に燃やしていった。
 ――あんなにも美しいものがどうして悪魔のものに見える。――
 普段は理性よく振る舞う事を是としていた大人達が根拠の無い噂に踊らされて半狂乱になり、少年の無二の幼馴染みを殺し、彼の描いた絵を燃やしていくその光景はいつか彼が描いた地獄よりも、尚醜悪だった。
 しかし少年もまた、大切なものを殺され怒りのままに人々を業火へと突き落としたのには変わりない。少年はあの日、地獄の一部だった。過去は、毒となって今も若い使徒を蝕んでいる。
 脳裏に過去をよぎらせ、サマエルが眉を寄せる。彼を死の国から連れ戻せたなら、彼はなんと言うだろう。カンバスに死の国の絵を描くと言い出しかねないのは確かだ。
 だがティグリスは、自分の為に大人達を殺した男を受け入れてくれるだろうか。
 自分を死の国から連れ戻すという理に反した行為をする愚かなオルフェウスを、赦すだろうか。
……連れ戻したい、と実際に連れ戻すかは違うと思うが」
 自然とそう呟いていた。少し唐突な言葉だったが、ザドギエルは何かの意図を汲み取ったのか、小さく頷いた。
「お前は」
 俺ばかりに聞くな、と紅い目を向ける。ゆっくりと瞬きをして、視線を彷徨わせるザドギエルは、うん、と肯定した。
「村が出来るぐらいはいるよ」
 ザドギエルが笑みを浮かべ、穏やかに答えた言葉にサマエルは何も返せず、包帯に巻かれたザドギエルの手に視線を落とした。