kurotera
2024-01-20 10:46:27
78477文字
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惜別にもならない

2022年12月に発行したイノセントブレス世界線のザドギエル(ラビ)×サマエル(リュカ)本です
前半は人死に有りのイノブレ時代のお話、後半は彼らが転生した現代のお話。
若干のゴア表現あります。


  

清夏

 
 ザドギエルとの奇妙な関係が始まったきっかけを、サマエルはあまり覚えていない。

 抜けるように青い夏の空が、敬虔な神学生達を誘っている。
 神に仕え、悪魔を屠る事を使命として日々を送る者も、人の子なのだ。
 気持ちのよい天気の中で、馬を駆けさせる者、街に繰り出す者、聖都近くに流れる小川で水遊びをする者、さまざまだった。
 こんな日に図書室に籠もる人間はさほどいないだろう。いるとすれば暑さに辟易したか、外遊びを好かないか、昼寝目的か、もしくは本の虫。
 そして、当番の図書委員ぐらいなものだ。
「確かに返却を確認した。次からは期限を守るように」
 羊皮紙に書かれた名前に、羽ペンで線を引く。
 そこには貸し出した本と、借りた者の一覧が記されていた。
 返却期限を三日過ぎて返しに来た目の前の生徒は気まずそうな表情で軽く頭を下げ、すごすごと去っていった。
 その背中を見送り、返却された本を傍らに置く。延滞者のリストをざっと確認すれば、今しがた返却された彼の本だけだったらしい。
 そもそも夏は本を借りる者がぐんと減る。つまり、延滞者も減るというわけだ。
 暫くの間、雑務をこなしていけば窓から差し込む日差しが赤みを帯びてきた。数少ない利用者達もまばらに退出していく。夕刻の祈りの時間を告げる鐘が聖域内に響き渡る頃になると、カウンター前に並ぶテーブルに座る者は誰もいなくなっていた。
 重々しくも、人々の心を癒やす夕刻の鐘と共に図書室は閉架となる。
 
 業務机を片付け、置いていた鍵を取り、蝋燭に火をつけた。
 まずやることは窓の戸締まりだ。錠が下りているかを確かめ、カーテンを閉める。
 まだ仄かに明るさの残る窓の外から遮断された空間は、蝋燭の灯りを残して暗闇に包まれていく。それから奥の、禁書架――一般の使徒には読むことの許されない書物を収めている部屋へと続くスペースへと向かう。
 その奥まった場所にも、陽光を取り入れる大窓と読書の為の長椅子、ローテーブルがある。ただ禁書架の近く、カウンター前の広間よりは薄暗い場所を好む者は少なく、人の影を見ることはまれであった。
 しかし、今そこには人の影がひとつ。
「ザドギエル?」
 その見慣れた姿に、思わず名前を口にする。
 オークとベルベットで作られた古い長椅子にもたれかかって、本を読んでいた。
 随分と集中しているらしく、サマエルの呼びかけは聞こえなかったようだ。長椅子の傍ら、ローテーブルに置かれた小さな蝋燭の灯りが、ムーングレイの髪と精悍な横顔、その男の輪郭を薄暗い空間に浮かび上がらせていた。
「ザドギエル」
 もう一度、声の調子を上げて呼べばようやく気がついたのか、つと顔をあげてザドギエルがこちらに振り向いた。静かで、深く青い双眸がこちらを射貫いたのに微か喉を鳴らして、サマエルも柘榴に似た紅い瞳を向けた。
「サマエル?」
 突っ立ってどうした? と首を傾げるザドギエルにため息を吐く。どうやら閉架時間になったことに気がついていないらしい。
「もう夕暮れの鐘が鳴った。聞こえなかったのか?」
「ああ……本当だ、日が落ちてる」
 サマエルの言葉で窓の外へと視線を向けたザドギエルが、すっかり日が落ちて夜の帳に覆われつつある外を認め、小さく嘆息した。
「閉架時間だ」
 サマエルの静かな声に告げられ、ごめんね、とザドギエルが謝罪する。
 読んでいた本をぱたりと閉じて長椅子から立ち上がり、それを元あった本棚に戻すのを見ればサマエルが口を開いた。
「借りるなら手続きをする」
「いや、いいよ」
 サマエルの言葉にザドギエルが首を振れば、訝しげにサマエルが片眉を動かした。
「熱心に読んでいたのにか」
「うん、またここで読むから」
 静かに笑いながら答え、ザドギエルがローテーブルの蝋燭立てを取る。
 小さく揺らぐその灯りを手にさあ帰ろうか、とサマエルを目で促してきた。

 微かに吹く風が梢を囁かせている音を聞きながら、二人は寄宿舎まで歩いて行く。
「本はよく読むのか」
 サマエルが問いかければ、ザドギエルは瞬きをしてから、まあね、と肯定した。確かに、サマエルはたびたびあの図書室を訪れるザドギエルの姿を見かけていた。
 図書委員は任務に赴いている時以外は週に一度、必ず図書室で当番をすることになっている。サマエルも例外ではなく今日もこうして務めていたわけだが、さして彼が意識の中に際立って入ってくることもなく月のどこかで、選び出してきた本を借りにカウンターにやってくる以外はどこで、何を読んでいるのかさえ知らなかった。
 知りたい、という発想に至らなかったのだ。
 あの静謐な空間と秩序を乱さない限りは図書室での過ごし方は各々の自由であり、そこの管理を任された者であってもその自由に干渉すべきでないとサマエルは考えていた。
 サマエルの問いにどう答えるべきか言葉を探していたらしいザドギエルが口を開く。
「ガキの頃からだよ。ああ、ほら……俺の故郷って雪深いだろ。だからさ」
 ザドギエルの答えにああ、と納得し相づちを打つ。
 彼の故郷は北方の、冬が長い地でその期間の殆どが吹雪に閉ざされる。厳しい寒さと風雪のせいで家から出られない日も多かったのだろう。
 そこで部屋をやんちゃに駆け回るでもなく、大人しく本を読んで過ごす幼い日のザドギエルを想像するのは難しくはなかった。
 逞しい体躯を持つこの男が、気性の激しさを露わにするのは任務――悪魔を屠る時が殆どだ。日常では時折見せる言葉遣いや態度の悪さをシスター・ゴーに窘められることはあれども、基本的には落ち着きのある男だった。
「そうか」
……らしくない?」
 サマエルのしみじみとした声に何かを感じ取ったのか、ザドギエルがくすくすと笑って問いかけてくる。いや、逆だとサマエルが首を振れば本当に? と仲間は目を細めた。
「サマエルは?」
「?」
 不意に投げかけられた問いの意味が掴めず、サマエルが紅い目をザドギエルに向ける。
「本。図書委員になるって、お前から言い出したんだろ? だから好きなんだろうなって思ってたんだけど」
 ザドギエルの言葉にああ、と納得し、一瞬の逡巡ののち、小さく頷いた。
「絵本が、好きなんだ」
「絵本? 絵本って、小さい子が読む?」
 ザドギエルが思い浮かべたのは、奉仕委員として赴く孤児院でよく見る、絵の描かれた大判の本だ。文字ばかりではなく親しみやすい絵も描かれていて、『教会』の教義を分かりやすく書いたものや、昔から伝わるお伽噺を書いたものが大半だった。
 どの集落の礼拝堂にもある絵本といえば、〝聖母さまが御子さまをお産みになるおはなし〟だろう。これはザドギエル自身も、小さな頃に故郷の礼拝堂で読み聞かされたことがある。愛らしさと母性を兼ね備えた聖母の纏うヴェールの青色が記憶にこびりついている。所謂そういった、小さな子ども向けの本をこの男が好んでいるということをザドギエルは初めて知った。
「お前と同じだ。昔から馴染みがあった」
 その言葉にふと、図書室に入ってすぐの所にある本棚をザドギエルは思い出した。
 それは新しく仕入れられた書物を知らせる棚で、月に一度か二度、入れ替えられる。教本や物語、資料に混じって、鮮やかな表紙の絵本達が置かれているのを見かけたことが何度かあった。神学校には少ないながらも、自分たちよりずっと幼い使徒がいる。
 彼らが読むためのものだと思っていた。いや、本来はそうなのだが。
「ということは、絵本の仕入れはサマエルが?」
「ああ。俺の役割だ」
 肯定するサマエルの表情は、どこか鬱屈した雰囲気を纏いがちな彼にしては、誇らしげだった。
 へえ、と少し驚いたように目を見開き、ザドギエルはサマエルをじっと、見た。それからそろりと視線を外して、空を見上げれば見計らったかのように夜風が吹いて、頬と髪を撫でた。
「おかしいか。俺が……絵本だなんて」
「何も言っていないだろ? どうして?」
 おずおずと問いかけるサマエルにザドギエルが肩を竦め、聞き返す。
 歩みを止めたサマエルの声がどこか後ろめたいような、気落ちしたようなものに聞こえてザドギエルは軽く身を乗り出した。
 眉を寄せたサマエルの視線が彷徨い、ややあって答える。
「こんな……悪魔どころか人すらも傷つける俺が、絵本だなんて、傲慢だ、ふさわしくない……そう思わなかったか」
……あのな、サマエル」
 どこか自嘲まじりのサマエルの言葉をザドギエルが語気を僅かに強めて遮る。びくりと肩を跳ねさせて口を閉ざす仲間に、ゆるりと首を振った。
「自分の意思じゃどうにも出来ないことを免罪符にして、気持ちを否定するなよ。身体に毒を持っていようが、お前はそれが好きなんだろ。負い目なんて持つな」
…………
 ザドギエルの言葉に小さくサマエルが息を呑み、そして目を伏せた。どこか斜に構えがちなこの男が、こうも真っ直ぐな言葉を向けてくるとは思わなかったからだ。
「そういうのって」
 サマエルが見せた僅かな動揺も気にとめず、ザドギエルが一歩、歩み寄る。 
 暗闇の中で深く静かな、青い双眸がそっと細められ、がっしりとした手のひらが、サマエルの肩に触れた。
「サマエルが人間だから、持ち得るものだろ」
 低く穏やかな声が暗闇に響く。
 違う? とザドギエルの問いかけるような視線は、サマエルにとっては痛いような、くすぐったいような、柔らかさがあった。
…………俺は」
「なんて、偉そうに言ってみたけどさ、気持ちは分かるよ。なんていうか、色々考えちゃうよな、任務に追われてると」
 サマエルが答える前にザドギエルが喉で笑い、ぽんぽんと肩を叩く。再び歩き出したザドギエルの背中を見つめ、サマエルはため息を吐いた。
「いや、お前の言うとおりだ。すまない、忘れてくれ」
「はは、でも今日のことは忘れられないかな。サマエルと仲良くなれた気がするから」
 おどけた調子で返すザドギエルに、サマエルが首を傾げる。
 仲良くなれた、という言葉の意味を一瞬考えたが、すぐそこに寄宿舎の灯りが見えて、その思考も意識の奥底へ沈んでいった。


 蝋燭の火を消し、カーテンを閉める。寄宿舎の中はすっかり寝静まっていて、隣部屋のハニエルも起きている気配はなかった。
 ベッドに潜り込み、ほっと安堵の息を吐く。
 今日は、奇妙な日だった。
 別に任務というわけでもなく、昼間は授業と鍛錬、放課後は図書委員の当番を務めていただけで平時の日常であった筈なのに、図書室の奥にいた仲間のことだけがサマエルにふわふわとした違和感を与えていた。
 しかしそれはサマエルにとっては悪いことだとは思えなかった。
 仲間の意外な一面を垣間見て、親しみが湧いたという表現がきっと正しい。暫くその事を考えながら、眠気がやってくるのを待つ。
 白い天井を眺めたあとで目を瞑れば、瞼の裏にあの時のザドギエルの姿が浮かんだ。
 月のように冷たい、ムーングレイの結われた髪。
 蝋燭の灯火に照らされた、色白い横顔。
 凍りついた湖のように静かな、青い眼差し。
 あの秘密めいた空間の中に馴染んだ仲間の姿は、絵画にでもなりそうなほどにさまになっていたように思う。ふとそんな考えが浮かんで、眉を寄せた。
 馬鹿なことを考えたと思考を追い払い、微睡みに意識を預ける。
 うつらうつらとすればすぐに、サマエルは眠りに落ちたのだった。