kurotera
2024-01-20 10:46:27
78477文字
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惜別にもならない

2022年12月に発行したイノセントブレス世界線のザドギエル(ラビ)×サマエル(リュカ)本です
前半は人死に有りのイノブレ時代のお話、後半は彼らが転生した現代のお話。
若干のゴア表現あります。

 
 
 
  
〝はげしき雷はわが頭のうちなる熟睡を破れり
 我は力によりておこされし人の如く我にかへり〟




 どうして思い出したのか、リュカ自身も分からなかった。
 ただ春のはじめ、ある晴れた朝に目が覚めた瞬間、
――ああ、自分の前世は悪魔と戦う使徒という存在で、名前はサマエル。戦いの末に今の友人によく似た幼馴染みにして生ける屍となってしまったティグリスという男と相討ちになって死んだのだ。――
 と、すとん、納得してしまった。
 リュカはアイドル候補生として日本に留学し活動しているのだが共にシェアハウスで暮らしている。日夜共に研鑽を積んでいる仲間も、その前世は自分と同じ使徒で、今と同じように一つ屋根の下で暮らし共に戦っていたということも、思い出した。
 
 ノア、レオン、朝陽、ラビ。
 サンダルフォン、ラジエル、ハニエル、ザドギエル。
 
 彼らの名前を思い出した瞬間、リュカは強い目眩と焦りに襲われた。
 あの炎に包まれた聖域はどうなったのだろうか、ラジエルは、ハニエルは、サンダルフォンは。あの三人は結局、どうなったのだろうか。
 死んだのか、生き延びたのか。
 当時の暦から何百年。少なくともこの国では悪魔といったものを見たことがない。
 ――あの時、レジスタンスの手によって滅ぼされたのか?――
 考える事は尽きず、リュカはその朝、ひとり混乱の中にいた。
「ほら、朝陽。そんなに心配しなくてもいいだろう? 自信を持って」
「そうそう、この前もちゃんと合格したんだしさ、な?」
「そ、そうでしょうか……でも、オレ……
「朝陽なら出来るさ、大丈夫」
 追試に思い悩む朝陽を、三人が宥めているのを眺める。脳裏に浮かぶのは前世の彼らの姿だ。生き写しのようで、しかし纏う雰囲気は同じようで違っていた。
 自然と思い出すのは終末の、サンダルフォンのあの悔恨に滲む横顔と、ハニエルの昏い決意を宿した眼と、ラジエルの諦めの表情と――
「だから朝ごはんは食べておこう。お腹が減って力が出せないなんて嫌だろ?」 
 ザドギエルの、死の間際に浮かべた笑み。
 ――ザドギエル、ラビ。
 神に愛されし血を持つ男だった。それでいて、悪魔と契約した罪人だった。
 あの日、リュカ――サマエルは唯一、彼の死を見届けた人間だった。
 だからこそ、ありありと思い出してしまう。
――リュカ、具合が悪いのか?」
 牛乳が染みすぎてグズグズになったシリアルを中々食べきらないリュカを見かねたのだろう。ラビが青い眼差しを向け声をかけてきた。
…………る」
 仲間だった男の名前を思わず呼びかけて、口を噤む。うまく聞き取れなかったのか、眉を下げ心配げそうにリュカの様子をうかがっていた。
「な、なんでもない」
「そんなことないだろ? また作曲で夜更かしした?」
 焦って取り繕うとしたが相変わらずラビには通用しないようだった。二人のやりとりに仲間の異変を感じ取った三人もリュカを見てきて、狼狽するしかない。
「なんか静かだなって思ったらリュカが黙ってたからか! また無理したんだろ!」
「りゅ、リュカ、大丈夫ですか……あの、オレ……が、頑張りますから……
 レオンと朝陽が口々に心配する中、静かに様子を見守っていたノアが口を開く。
「リュカは……今日はオフだね?」
…………いや、オレは……
「オフだよね?」
……ああ、しかし……
「リュカ」
 有無を言わせないような声色のノアに、渋々頷く。
 毎度のことだがこうなってはリーダーに逆らうのは、悪手であった。


 頭痛がする。
 モニターにはエトワール・ヴィオスクール在校生の紹介ページが映し出されていた。
 三期生、二期生、一期生、零期生。 
 ほぼ全員、前世において彼らが何者であったのかを思い出せる。
 F∞FやAlchemistは自分達と同じ『教会』の使徒であったし、Lancelotも元使徒だ。そして同期、三期生のArsは。
「ティグリス……
 Arsのリーダー、日下部虎彦。
 画家にして絵本作家、自由奔放という言葉がこれほど似合う男はいない。
 その男は前世、自分の幼馴染みで、ティグリスという男であった。幼い頃に死別し、生ける屍ケルベロスとして――サマエルを殺し、サマエルに殺された男であった。
……生まれ変わっても画家とは……お前らしいな」
 椅子の背もたれに身を預け、小さく息を吐く。
 ずきずきと痛む頭を押さえて、目を瞑った。本当に何の因果だろうか、ここまでくると神の悪戯で片付けていいものかと疑ってしまう。
 そもそも、思い出しているのは自分だけなのだろうか? ふとそんな考えがよぎる。
 もし、あまり考えたくないことではあるがArsの海部子規が、そのままラプラスの悪魔であった場合――
 コンコンコン、と響くノックの音に身体がびくりと跳ねた。慌てて見ていたページを閉じれば、扉がゆっくりと開く。
「大丈夫か?」
 ひょっこりと顔を出してきたのはラビで、相変わらず表情には心配を滲ませている。
「ああ、まあ……どうした」
「様子を見にね。……というか、ちゃんと休んでるよな?」
 デスクに座るリュカを見て、眉を寄せつつラビが部屋に入ってくる。心配するほどじゃない、と返せば寂しそうな顔でこちらを見つめてきたのに、リュカは軽く呻いた。
……熱は?」
「ない」
「本当に?」
 歩み寄って覗き込んでくるラビの青い目は、どこか見定めるようだ。小さくため息をついて大丈夫さ、と肩をすくめるリュカの、その額にそっと手のひらをあててくる。
 冷たい。
…………っ」 
 ひんやりとした手のひらにリュカの肩が跳ねる。低血圧なラビは人よりも少しだけ、体温が低い。それはリュカにとっては今更ではあるのだが、今日ばかりは事情が違った。
 ――冷たい手だと自嘲する男の姿が脳裏によぎる。
「リュカ?」
 身体をこわばらせたリュカにはっと気づいて、ラビが触れた指先を離す。
 ごめん、と謝るラビを凝視し、唇を微かに震わせた。
「ラ、ビ……
 絞り出すように仲間の名を呼ぶ。
 朝から様子のおかしい仲間に、いよいよラビは首を傾げる。
「どうした、リュカ。つらいのか?」
…………
 一方、リュカは朝から感じていた不快感の正体を理解した。
 つい昨日まで自分はただリュカという男であった筈なのに、今はサマエルが生まれ変わった存在になろうとしている事に気がついたのだ。
 それなら、今まではいったい何だったのか。
 本当に、自分の意思だったのだろうか。
 目の前の男に愛情を向けていることは、自分の意思からなのかと、不安になる。
 黙りこくってしまったリュカの手に、行き場を失っていたラビの手が触れた。
 冷たい。あの男の生まれ変わりだと示すかのように、冷たい。
「ら、び……少し……
 掠れた声で恋人を呼ぶ。その声の震えに気がついたラビがすっと目を細め、眼前の、不安げに揺れる紅い瞳を見つめる。
…………一緒にいてくれ」
 ひどく心細そうな声で請うリュカの手を、ラビはぎゅっと握りしめた。
 触れられる事になれている筈の手が自分の背中を這う感覚に、目を瞑る。
 強かった頭痛が幾分か和らいだように思えて、リュカは息を吐きながら恋人の肌の感触を確かめた。いっそのこと、身体を重ねればこのどうしようもない不安もまぎれるだろうかと、そんな考えがよぎる。
……ラビ」
「だめ、しないよ」
 何かもの言いたげなリュカの声色を正しく汲み取り、しかしきっぱりとラビが拒絶する。具合が悪いのにセックスなんて、と言外に咎めるような調子の声に眉を寄せるが、ただ正論に過ぎず黙って頭を預けるしかない。
 さほど背丈の変わらない身体、その腕の中で微睡むリュカの、ベレンス色の短い髪をラビの指が撫でる。何かから身を守るようにこわばっていた恋人の身体がゆっくりと弛緩するのを感じとって、ラビは口火を切った。
……何か悩みごと?」
 ラビの問いにどう答えればいいのか窮したリュカの身体が、再び緊張に縛られる。しばらく黙りこくっていると、小さなため息と共に、リュカ、と呼びかけてきた。
「言いたくないなら言わなくていいんだよ」
…………すまない」
 謝罪の言葉を口にしつつ、ラビの肩に額を押しつける。んん、と軽く唸りながら、しかしあやすようにラビはその手でリュカの後頭部を撫でつける。
 
 ただ具合が悪いだけなのだろうか。思案しながら自分の腕の中で微睡むリュカを抱き寄せる。ゆっくりと力が抜け、やがて規則正しい寝息が聞こえてきた。
 普段ならば他人なら見せない姿にまた愛おしさを感じたりだとか、それこそ欲情にかられたりして、それが幸せであると思えるのだが。
 何か、小さな棘のようなものがひっかかっているような。
 ラビとリュカがお互いに少しずつ埋めてきた、ひどく狭いくせに、どうしようもなく深い溝が、何かのきっかけで再び顔を出したような。そういったものをラビは感じ取っていた。 
 暫くしてすっかり寝入ったらしい恋人をみとめ、起こさないように布団を被せてラビは部屋を出る。
「どう?」
 ぱたん、と静かに扉を閉めた途端、仲間のイギリス人に声をかけられびくりと肩が跳ね、その姿を見やり、ああ、レオンと小さく息を吐いて首をゆるりと振った。 
 ベイビーブルーの目に促され、階下におりる。
「何か悩みごとがあるみたいで……理由は教えてくれないんだけど」
「ラビでも?」
 用意されていたコーヒーを一口飲み、頷く。レオンは何か思うところがあるのか、口をへの字に曲げながら何かを考えているようだった。
「オレの勘だけど……何かを怖がっているというか、居心地が悪そうというか……不思議なんだ。オレも上手く言えないけど……オレを見る目が、オレへ向けているものじゃないような、そんな気分だな」
……
 仲間がやれやれと零す大きなため息を聞きながら、レオンは炭酸飲料を煽る。それから小さく頷き、そっか、と視線をラビに向けた。
「オレもちょっと気にかけとく」
「助かるよ。オレには言ってくれないこともレオンなら……言うかもしれない」
 そう零すラビの沈んだ声には本人も無意識なのであろう、ほんの僅かな嫉妬が混ざっていた。それを汲み取れるのはおそらくは言われた本人、レオンだけである。
「任せといてよ」
 いつものように明るい調子で笑みを向け、仲間を安心させようとその大柄な背中を軽く叩く。うん、と横顔に微かな影を落としながらも微笑み、ラビは頷いた。

 
 あの男が凝り性であることを、リュカは今ばかりは感謝した。
 柔らかな春の陽光が差す図書室の中を、彷徨う。ここには芸能関係の書籍だけではなく、小説、学習書、文献、様々な分野の資料が納められていた。中には取り寄せる事も難しいような珍しいものもあり、大学のそれにも匹敵しうる品揃えだ。
 書架に掲げられたプレートを辿りながら、目的の棚を探していく。そしてそれはすぐに、見つかった。
 歴史:世界史――
 その文字を見た瞬間、思わず息を呑んだ。一瞬ためらい、周囲をそろりと確かめた後、その並びに入り込んだ。
 先史、古代、中世、近世、近代、現代。 
 時代区分で配架された書籍、その背表紙を辿っていく。
「よく分かる西洋史……
 いかにも入門書といったタイトルのそれを手に取り、ぱらぱらと捲る。初等から中等までに義務教育程度の歴史は学んだが、興味の範疇になかったのですっかりおぼろげだ。
 中世から近世へのページをざっと読んでいく。
「百年戦争の勃発、黒死病の蔓延、飢餓……『教会』の台頭と復興……
 前世、生きてきた日々。
 それが簡潔な文章でまとめられている。
 専門用語も少なく、資料も添えられて確かにそれは分かりやすかった。痩せこけ、青ざめた馬に乗る骸骨に人々が伏せる絵は、黒死病の惨状を伝えていた。
 それは自分にとっては初めて見たようなものの筈であるのに、ひどく見覚えがある。強い目眩を覚えつつ、気を取り直して読み続ける。
「『教会』の勢力拡大と腐敗……数十年に及ぶシルクロードの断絶……革命と……『教会』の再生、断絶の解消……
 そこまで読んで、ゆっくりと息を吐いた。
 目を瞑り、嫌な打ち方をする鼓動を感じながら、もう一度、紙面を眺めた。
 たった見開き二ページで済ませられた時代。
 飢えない為に、生きる為に戦い、この世ならざる異形達と血で血を洗う日々。
 腐敗という名のレッテルの下にある、表舞台から消し去られた自分達の存在意義。
 途端、どうしようもない虚しさが押し寄せてきた。
 思わず本を閉じて棚に戻したが、暫く動けないでいると。
「サマエル」
 〝その名前〟で呼ばれた瞬間、がん、と頭が殴られたような衝撃が走り、とっさに顔をあげ横を向けばそこには――レオンがいた。
「あー、やっぱ……思い出しちゃった?」
 オレンジ色の髪の毛をがしがしとかきながら、レオンが問いかけてくる。問いの意味を上手く飲み込めずにリュカは紅い双眸を見開いて狼狽し、一歩、後ずさった。
「お前、なんで……
…………オレもだから」 
 ベイビーブルーの目をすっと細め、どこか感情を無くした顔で告げるレオンの姿に、血の気が引く心地がした。

「前世の記憶なんてさ、一個も役に立たないぜ?」
 レオンに連れてこられた屋上、いつものベンチに腰掛けながらリュカはぼんやりと夕日を眺めていた。レオンは目の前の柵に凭れながら、苦笑いを浮かべている。
 しかしすぐに、それで、と続けた仲間はまっすぐにリュカを見つめた。
「でも聞きたいんだろ、お前は」
 お調子者と呼ばれる事の多い仲間の表情が再び、真顔に変わる。時間帯からなる影のせいか、その表情はどこか憂いを帯びている気がした。
 それをどこか懐かしく思いながら、リュカは紅い目を伏せ口を開く。
……あの日、結局どうなったんだ? オレ……サマエルは虎彦……ケルベロスと相討ちになった。『教会』や世界がどうなったのかを、知らないんだ」
「ザドギエルは死んだぜ」
「知っている。……オレが、看取ったからな」
「そっか……誰が殺したか知ってる?」
…………知らない。思い当たるが……それは別に知りたくないな」
 リュカの言葉ののち、二人の間に沈黙が落ちる。分かった、とレオンが頷きつつ、何か言葉を探しているようだったが、やがてゆるく首を振った。
「朝を迎えないうちに、『教会』の中枢はレジスタンスの手によって落ちた。教皇ミカエルは騒ぎの中で何者かによって暗殺、ミカエルの側近だった『不死鳥』も彼を守って死んだ。それでおしまい。……『LL』のクザファンって奴、覚えてる?」
……鷹通か?」
「そう、鷹通……の前世。あいつ、貴族の出だったろ。事後処理には適任だったんだ」
「待て、どういう意味だ」
 レオンが軽く空を仰ぎ、小さく息を吐く。話を続けるべく、再びリュカを見つめた。
「『教会』そのものを無くすなんて、みんなには無理だったんだ。少なくとも教皇ミカエルが『教会』のボスだった十数年間、『教会』の導きは人々の拠り所で、それを全部否定する強さなんて、みんな無かった。だから…………ミカエルと『不死鳥』のせいにしたんだ。彼らが『教会』を乗っ取って、民衆を欺いていた悪魔だってさ。レジスタンスを取り仕切っていた『LL』はそれにいち早く気がついて、反旗を翻した〝真の〟使徒。悪魔との最終決戦の中、ベリアルは『AC』のアブディエルと相討ちで殉教、カスピエルも『不死鳥』のカマエルの〝赤い鎧〟とゴーレムを戦わせて……そのまま相討ちになったんだと思う。二人の死体は結局、見つからなかった。たった一人、生き残ったクザファンは……真の使徒として、新しい教皇になった。クザファンの家はまだ残っていたからさ、そこらへんからの後ろ盾もあったんだと思う。……とにかく、新しい教皇が『教会』を取り戻して、めでたし、めでたし」
 一息に語ったのち、レオンが目を伏せて口を閉ざす。
 そんなことになっていたのか、と受け止めた情報の多さに軽い混乱を感じつつ唇を噛み、そしてふと、リュカは肝心なことを聞けていない事に気がついた。
「お前達は」
…………ハニエルはオレ達より先に、ミカエルにたどり着いた。剣はどこかで無くしたっぽいんだけど、あいつ、ザドギエルの銀のナイフを持っていたんだ」
 その言葉に、ひとつの疑問が繋がったように思えた。
「オレとサンダルフォンがついた時には……
 レオンが口を噤み、しかしまた語り出した。
「オレ達が中枢にたどり着いた時には、『不死鳥』のメタトロンと、ミカエルだけだった。……いや、あれはもうミカエルだったのかわかんねー。少なくとも、メタトロンはまだ生きていた」
 メタトロン、愛童星夜の前世。
 今の様子からは考えられないほど、性格は違っていたように思う。
「悪いけどここらへんのこと、オレもあんま覚えてねーんだ。覚えてるのは…………サンダルフォンが力を使ったってことと、オレはその余波で意識を飛ばして、目が覚めた時には全部終わってたってこと。次に目を覚ました時、教皇の間にはオレ以外誰もいなかった。どこに行ったのかは分からない。ミカエルとメタトロンが逃げたとも思えなかったし、サンダルフォンも…………そう、元からいなかったみたいに消えてたんだ」
 語り終えたレオンの視線が彷徨う。
 それで、おしまい。
 そう言い切り、黙りこくった。
…………つまり、お前は」 
「ラジエルは、生き残っちまったってわけ」
 笑みを向けるレオンに、リュカが目を見開く。しかし、笑んでいる筈なのにどこか苦しげな仲間の表情を見て、それ以上何も言うことが出来ない。
「多分……オレと、お前と……エヴァだけじゃないかな、思い出したの」
「な……エヴァもなのか!?」
「多分ね。でも怖くて聞けねえよ、オレ」
 あーあ、と大げさにため息を吐いて、レオンは肩を揺らした。
「ほんっと、なんで思い出しちまったんだか」
 自嘲めいた言葉を否定することも出来ず、リュカは相づちを打つ。
 その通りだと思ったからだ。
…………これ以上思い出す奴が増えなければいいが」
「それはそうだけど……それこそ神のみぞ知るって感じ。オレはもうラジエルだった時の事はあんま考えないようにしてる。しょうがないしさ」
 お前もそうしたほうがいいよ、と暗に言われていると感じながらリュカは曖昧に頷く。
 ただすぐに、レオンほどに割り切れるかどうかは、別である。

 〝サマエル〟と自分の中の共通点のようなものを見つけた時、どうしようもない寒々しさをリュカは覚えた。
 例えば。
 調べ物の為に学園の図書室へ足を踏み入れた時。
 新しく入荷した本が並ぶ棚にアイキッズ達向けに絵本が置かれているのを見て、強い既視感を抱いた。
 ――また新しい絵本を仕入れなければ。
 そう無意識に考えて数秒、はっと我に返り、そして軽い立ちくらみが起きた。
 違う、それは今の自分の役目ではない。
 記憶が蘇る前には思い浮かびすらしなかった思考が、さも当たり前かのように浮かんでくる。まるで自分という存在が見えない糸で縛られているような心地がして、不愉快な気分にさせられた。
 リュカが生きる今、現代に悪魔はいない。 
 少なくとも姿を堂々と見せてはいないし、『教会』が掲げ、民衆が唯一とした神への信仰も、あの時のような立ち位置ではなくなっている。
 国交を断絶していた東の国――つまり、今の日本も当時とは随分、変わっているのだろう。戦争と飢えは動かせないもののように今も世界に横たわっているが、それは今の自分達にとっては隣り合うものではなくなっていた。

「For nothing will be impossible with God」
 テレビの向こうで赤い装束を着た現教皇が説教を行っている。見る限り、ただの人間に見えた。
 
『A week before Easter this year, the Pope of "The Church" preached during today's Mass. Quoting from the Gospels, the Pope urged those countries where armed conflicts are unlikely to be resolved to "lay down their arms and prepare for Easter. The death toll in armed clashes between countries so far this year is .....』
 
 日本のニュースだけでは世界情勢は中々拾えない。朝、この時間は決まって海外ニュース番組が流れていた。朝陽がパンをかじりながら、現教皇がスピーチをする様をまじまじと見ている。ノアが日曜日の朝、ミサを行う近所の教会に欠かさず向かうのにも、馴染みのない文化だと興味深げに見送っていたのをふと、思い出した。
「もう来週なんだね」
 カレンダーをちらと見やり、ノアが呟く。おそらく彼の有能な執事がイースターの準備を進めているだろう。
 イースターについて和やかに話し合うラビと朝陽の前で、疎かになっていたスケジュールを頭の中で整理しだす。ここ数日の混乱で諸々すっ飛んでいる気がして、それも気が重くなる一因となっていた。
 よくない。
 小さく息を吐いて、コーヒーを飲む。とにかく切り替えないと、心身が持たない。
「リュカ?」
 呼びかけられ、はっと視線をあげる。リュカの表情が険しいことに気がついたのか、どうした? とラビが寝起きにしては珍しく、柔らかい視線を向けてきた。 
 その表情は〝前〟よりずっと穏やかだ。
「リュカ、まだ本調子じゃないんじゃ……無理しないでください」
「あ、ああ……大丈夫だ。考え事をしていただけで」
「それならいいんだけど……
「問題ない」
 つい、とリュカが視線をそらせば少し困惑したような気配が、ラビと朝陽から発せられた。どうやって取り繕うべきかと思考を巡らせようとすれば。
「あーっ!?」
 響き渡ったレオンの声に、朝陽がひゃ、と小さく悲鳴をあげた。驚いて皆がそちらを見やれば、残りのパンを口に押し込んで、レオンが皿を片付け始めている。
「いきなりどうしたんだ?」
「むぐ、んんむっ」
「レオン! 行儀が悪いよ!」
 ノアの窘めを聞き流しながら、バナナジュースを流し込んで慌てた様子で答える。
「オレ、プロデューサーに朝呼び出し食らってたんだった! 先に行ってる!」
「呼び出し? 何かしたの?」
「ごめん朝陽、グラス洗っといて! いってきます!」
「は、はいっ、いってらっしゃい……
 嵐のように去って行った仲間をぽかんと見送ったのち、四人の間に呆れの混じったゆるい空気が漂いだす。
「やれやれ……
 ノアがため息を吐き、朝陽はレオンが残していった食器を片付け始めた。
 ――あいつ。
 リュカが開けっぱなしの扉を見つめる。あれはわざとだ。
 おそらく皆の気をそらすように、わざと騒いだに違いない。一瞬、あのベイビーブルーの瞳と視線がかち合ったように思えたのも、リュカがそう確信する理由だった。
「さて、オレ達も片付けて準備をしよう。遅刻するわけにはいかないからね」
 ノアの声にそれぞれが動き出す。自分の中に居残った気まずさのやり場をごまかしながら、リュカも立ち上がる。
…………
 そそくさとテーブルを離れるリュカを、深いコバルトブルーの双眸が追う。ややあって小さく息を吐き、朝陽を手伝うべくラビも立ち上がった。
 

 一週間程前から、リュカの様子がおかしい。
 最初は相変わらず作曲に熱が入りすぎて、休めていないのかとラビは思っていたのだが、どうやら理由のおおもとは別の所にあると彼の相方兼恋人は勘付いていた。
 シェアハウスで暮らしを共にしている以上、原因が分かりやすい立場にあるとは思うのだが、今回ばかりはラビにも、他にも思い当たる節がなかった。
 最初に異変を感じ取って彼の自室へ様子を見に行った日、ベッドで軽くねだってきたリュカに駄目だ、といって抱かなかったのが気に入らなかったのだろうかとよぎったが、今でもあの判断は正しかったと思っているし、そんなことで彼がここまで拗ねるとは考えにくい。
 ――そもそも、おそらくレオンには話しているのだ。
 
 レオンもここ数日、立ち振る舞いが少し変わった。本当に僅かな変化で、ノアも朝陽も気がついているのかどうかといったところだ。いつも二人の喧嘩の仲裁に入ることが多いラビだけが気づくようなものだった。あの日の後、レオンからは
「時間が解決するっていうか……まあ、見守ってやってよ」
 と濁した言葉で答えられた。なんだそれ、と言いたいのをぐっと飲み込んでラビは頷いたものの、腑には落ちていない。
 最近、夜中に二人が喋りこんでいるのも知っている。そして自分がそこに入れば、ほぼ確実に話をそらされることも、予見できた。
 ――まいったなあ。――
 ごし、と頬を撫でる。何か透明なものが二人を隔てている。それを破ればいいのか、それともレオンの言うとおり、消えていくのを待てばいいのか、ラビはずっと考えていた。視線の先、読みかけの本も集中出来ないままにページをめくっていく。ふと、五里霧中という言葉が目に入って、まさしくな言葉だと息を吐けば、かたりと物音がした。
「ラビ」
 リビングの入り口に、リュカが立っている。 
 少し驚いた顔をさせて、紅い目をぱちりと瞬かせている仲間にああ、とラビは声を漏らした。困惑したまなざしを向けるリュカに苦笑いをして首を傾げる。
「どうした?」
……お前こそどうしたんだ。もうだいぶ遅いが」
 とうに日付が変わったことを示す時計とラビを交互に見やり、そして彼の手元にあるものを見つけて片眉をあげるリュカをよそに、ラビも時計を見て頷いた。
「もうこんな時間か。寝ないとな」
 暢気な声で答え、本を栞に挟む。その様子をじっと凝視したまま、リュカが佇んでいるのに気がつき、ラビは深いコバルトブルーの眼差しを恋人に向けた。
「リュカ?」
「っ、……なんだ?」
 はっと我に返ったのか聞き返してくるリュカに目を細め、小さく首を振る。ふと、この男が夜中に階下に降りてきた理由が思い当たった。
「もしかしてレオンを探しに?」
……どうしてあいつが出てくる?」
「うーん、なんとなくかな。最近よく話してるだろ?」
 ラビの言葉にぴくりとリュカの肩が跳ねた。
 知っていたのか、と言いたげな顔に、シェアハウスしてるんだからそれくらい、といった顔で、ラビはここには来ていないよと首を振った。
 別にやましいことを話しているわけではないのは分かっている。ただ――
「ラビ」
……分かってるさ。顔を突き合わせたらだいたい喧嘩してるお前達だから、少し驚いたんだよ。そんなこと、問題ないんだから気まずいみたいな顔するなって」
 あからさまに焦ったようなリュカの様子がおかしくて、ラビが肩を揺らす。
 何も疑ってなどいない、と微笑んでみたが、腹の底では何か昏く重たいものが確かに存在しているのは己でも分かっている。大切なのは、それを気取られないことだ。
 沈黙が二人を隔てる。
 リュカにとっては一番安心できる我が家である筈なのに、いつも暖かな空気が満ちているリビングである筈なのに、春とは思えないほど冷えていて、息苦しい。
 一方、ラビはそんなリュカをじっと見つめていた。
 穏やかな表情を取り繕ってはいるが、どこか冷たさを孕んだ青い眼差しをリュカに向け、唇はまっすぐに、引き結んでいる。
 数秒、そうした間が空いて先に動いたのはラビだった。
「寝るよ。おやすみ」
 椅子を引いて立ち上がり、読んでいた本を手にラビがリビングを出て行く。
 何も言えずに立ちすくんだままのリュカに去り際、ラビは冷えた手をその肩にそっと置き、離れていった。

 もう遅いぞ、早く休めよ。
 どんな話をしているの? 悩みなら聞くよ、リュカ。
 仲間なんだから。
 言いたい言葉はいくつもよぎった。しかしどれも的外れに思えたし、何より、今のリュカには届かないと心のどこかで確信していた。
 そういった言葉はいたずらに口に出しても、よくないだけだ。
 
 階段をあがりきって、暗い廊下で足音を立てないよう静かに進み自室に戻る。同じぐらい静かに扉を閉めて、暗闇の中で息を吐いた。
 
 ――恋人、が……心配しちゃ駄目かな、リュカ。
 
 何も口に出来ていない。喉にひっかかって出てくることも、飲み込むことも出来ない言葉達がラビに息苦しさを与えている。
 臆病者のウサギ野郎。故郷の友人にいつか言われた言葉が脳裏によぎった。
 本当にそうだ。今の自分は、ひどく臆病になっている。
 理性の抑えが効かなくなった自分が感情のままにリュカを問い詰めて、互いの関係が、いや、もっと自分勝手な恐れだ。
 自分の心が傷つくのが、怖いだけ。
「Трус」
 掠れた声で呟き自嘲する。手にした本をデスクに置いて、ベッドに潜り込んだ。

 
「困ったね」
 そうひとつ零して、ノアはティーカップに口をつけた。仲間の淹れた紅茶はいつも通り甘く美味だが、状況は渋い。
 学園内のユニットルームではノア、朝陽、レオンの三人がテーブルを囲んでいる。ラビは雑誌モデルの打ち合わせ、リュカは図書室に行ったようだった。
「リュカも心配だけど、ラビがリュカのことを扱いかねているのは厄介だよ」
「は、はい……普段ならレオンとリュカの言い合いを真っ先に止めるのに……今日のラビさんの止め方……ちょっと…………おかしくて」
「言い合いは悪かったってば……でもマジで朝陽の言うとおりなんだよな」
 始業前、ほんの些細なことでレオンとリュカが言い合いになった。
 これはいつものことで、普段ならばラビがやれやれと二人に割って入ってすぐに収まるのだが今日は様子が違った。
「あれは余計に怖かったっていうか……ノアっぽい? っつーか」
「オレっぽい?」
「スミマセン」
 ノアに微笑まれ口を閉ざしたレオンに小さくため息を吐きながら、しかし確かにそうだったと朝陽が思い返す。いつもなら弟達を叱る兄のような調子が、二人の名前を咎めるように呼ぶだけだったのだ。
 叱り飛ばすでもなく、低く、どこか無機質な調子。
 それを聞いた二人もいつもとは違うラビの雰囲気に驚いて黙ってしまったので効果はあったとしか言えないのだが、普段とは違った様子に四人は驚きを隠せなかった。
 ラビもラビで、目を丸くして自分を見る仲間の姿に我に返ったのか、ごめん、と慌てて謝罪し、それきり静かになってしまった。
「思い当たることはあるかい?」
「あー、なんていうか……
「リュカの様子がおかしくなってからだと思います」
 朝陽の言葉にそうだよね、とノアが頷く。
 リュカの変調も唐突で、こちらとしては理由も原因も分からないので頭が痛い。
「レオンは何か知ってる?」 
「知ってるっつーか、うーん、時間が解決するのを待つしかないっていうか……
 珍しく言葉を濁すレオンに、ノアが片眉を上げる。これは事情を知っているな、といった視線を向けられたレオンも焦って首をぶんぶんと振った。
「ボスのことじゃないぜ! ただ、オレから言えることは――
……オレ達じゃ打つ手なし、ということかい?」
 静かに言葉を返すノアに、そう、とレオンが決まり悪げに頷く。おもしろくないね、と鼻を鳴らしながらノアは目を伏せ、暫く思案するように沈黙した。
「しょうがないな」
「ノアさん?」
 端末を取り出して何かを眺めだしたノアに、朝陽が首を傾げる。
 その様子に、レオンは苦い顔で自分の淹れた紅茶を喉に流し込んだ。


 ――翌日。
「たかだか数週間で全部割り切れとか考えないようにしろなんて言えねえけどさ」
 相変わらずリュカは図書室に籠もりがちだった。
 閉架時間を迎え、出てきた所を捕まえて人気の少なくなった中庭のベンチへと連れたレオンの声は若干、苛立っている。
――……悪い」
 珍しく素直に謝ってきたリュカに唸る。
 調子狂うぜと内心でぼやけば、ふとある疑問がレオンの中で浮かんだ。
「ラビと付き合いだしたのって、いつだよ」
 付き合っているというのは仲間内で暗黙の了解ではあったが、実のところ二人がいつからそういった関係になったのか、レオンは知らない。おそらくノアも知らないだろうし、聞くこともなかっただろう。朝陽は――もしかすると知っているかもしれない。
 何がきっかけだったか、ああこれは付き合っているなといった雰囲気をレオンは感じ取って、そのまま受け入れただけだ。
「日本に来てから……Alchemistとの合同ライブの後ぐらいに」 
…………へえ」
 リュカの答えに頷き、思案する。ベイビーブルーの視線の先、夜の中庭をぼんやりと眺めて、あのさ、と続けた。
「サマエルは……ザドギエルと付き合ってたわけ」
…………
 レオンの問いにリュカが紅い目を見開く。暗闇でレオンには分からなかったが、その目元は熱を持って赤く染まり、喉はひゅ、と息を呑んだ。
 しかしそれは怒り由来のものではなく、どちらかといえば羞恥からくるものだった。
 ゆっくりとリュカは首を振り、否定する。
「いや、付き合っていたなんて自覚はなかった。奴を好いているだとかそういったことを考えたこともなかったし……ただオレが図書委員で、あいつは本が好きだったから……図書室で見かけてからよく話をしていた。それだけなんだ」
 今は亡いであろう、あの図書室の日々がふと思い出されて、本来ならば自分のことではない筈なのに、酷く懐かしくなった。あの時、サマエルの気持ちは本当のところどうだったのだろうか。それを思い出そうとしても、曖昧だ。
 曖昧なまま、滅びを受け入れたのだから。
…………キスをした、記憶はある」
「へっ?」
 リュカが唐突に告げた言葉に虚を突かれ、レオンが間抜けな声をあげる。どゆこと、と身を乗り出せば気まずそうにリュカが顔をしかめた。
「今思えば幼稚な話だぞ。図書室でダンテの神曲を読んでいたザドギエルが、居眠りをしていたのを見つけたんだが……奴はひどく魘されていた。起こせば地獄に落ちる夢を見たと言ったんだ。オレは使徒が地獄に落ちるはずがないだろうと――
 使徒は地獄に落ちない。
 あの時は本気でそう考えていた。だがザドギエルは、地獄に値する人間だった。
 今更、あの日の彼が魘されていた理由の一端が垣間見え、リュカは唇を軽く噛んだ。
 本当に、自分は幼稚だったのだ。
 リュカの語る言葉に、レオンは黙って耳を傾けている。
「そう笑って、キスをした。キスをして、お前が落ちるならオレも一緒に落ちてやると言った。それを聞いたあいつに馬鹿だなと笑われた」 
 ――キスひとつぐらいで地獄に落ちると思う?
 その時ばかりは嬉しそうに笑って、ザドギエルは問いかけたように思える。あの時の自分は、割と本気だったことも、思い出した。
 それって、とレオンがはじめて口を挟み、そして暫く思案した後。
「それって……もう好きだったんじゃん」
「多分な。見て見ぬふりをしていたか、もし、あんなことが起きなければいずれ――
 レオンの言葉を肯定し、言葉を続けようとしたがリュカはゆっくりと首を振る。
「混ぜたくないんだ、レオン。オレがサマエルだったから、ザドギエルだったラビを好きになった。そうは思いたくない。本心だ、オレは……
……分かるぜ、それ。だからさリュカ……なんとかなるって、な?」
 レオンが頷いて、リュカの背に手を置いた。どうしたもんかと夜空を見上げる。
 都会の空は明るく、星はあまり見えない。
 数百年前とは違って、この街は夜の闇に怯えない。
 そういえば、とリュカが顔をあげてレオンを見据えた。
「お前はどうなんだ」
「ん? 何が」
「いつから――

 あ、と小さく声を漏らして、ラビは廊下の窓から見える中庭に、レオンとリュカを見つけた。何気なく窓の外を見れば、視界に入ってきた彼らをみとめた瞬間、胸の奥がきゅ、と締め付けられる心地に思わず足を止める。
「ラビさん?」
…………
 世間話をしながら共に帰路につこうとしていた朝陽が、ラビが立ち止まったことに気がついて、首を傾げる。遠慮がちに隣に立てば、見慣れた髪色が二つ、並んでいた。
「リュカ、レオン……
 何を話しているのでしょうか、と呟くもののラビは黙りこくって答えない。
 ただ青い眼差しをじっとそちらに注ぎ、唇を引き結んでいる。ややあってから小さく息を吐き、さあね、と朝陽に返し歩き出そうとすれば。 
「あの……!」
 朝陽の声が廊下に響く。少し驚いたように目を見開き、ラビはどうした、と仲間を見た。ごくりと喉をならしたのち、あの、ともう一度朝陽が声をあげる。
「オレ、ラビさんが悩んでること……聞きたい、です……!」
 絞り出すような朝陽の声にラビがぱちりと瞬きをする。それからああ、と微かに嘆息し、ごめん、と零した。自己嫌悪ばかりがつのる。
「ごめん、朝陽。皆に心配かけてるよな」
「そんなこと……あ、いえ、あの、確かにみんな心配はしています……でも、オレ……ラビさんにたくさん助けてもらっているから……力になりたいんです……!」
 彼にしては意思が強い琥珀色の目に、どう答えればいいのか思案しながら視線をそらす。指先がかつりと窓ガラスに触れ、二人の影をなぞった。
……朝陽はすごいよ。今のオレは……そこまであいつの悩みに踏み込めない」
「リュカに……ですか?」
 うん、とラビが頷く。朝陽から見てラビは普段から相当な〝聞き上手〟だ。
 レオンがラビに聞いてくれよ! と話しかけているのをよく見るし、人見知りの激しい自分でも、何かと黙ってしまうことのあるリュカでも、それこそ涼しい顔をしながら自分の中で抱えがちなノアでも、ラビならと悩みを打ち明けることは、多いだろう。
「そのくせ、ああやってレオンがリュカの悩みとか話を聞いているのを見ると寂しいんだ。……妬いているんだと思う。レオンには感謝すべきなんだよ? でも、どうしてオレには何も喋ってくれないんだ、理由を言わなくてもいいから、つらいとか言ってくれてもいいのにって、醜い嫉妬だけして……挙げ句、みんなに心配かけてる」
…………
「最低だ、オレ」
 ぽつりとラビが呟く。しかし次の瞬間、朝陽の手が勢いよくラビの腕を掴んだ。いつもは控えめな朝陽からは考えられない唐突な行動に、驚いた顔で仲間を見やる。
 琥珀色の双眸は、炯々と輝いていた。
「そこまで分かってるなら、言えばいいです!」
「ちゃ、おや……?」
「ちゃんと言うべきです! リュカに、自分の気持ちを言ってください、ラビさん!」 
――でも」
「どうやっても後悔するなら、傷つくなら、せめて言うべきだとオレは思います! 言わないままやっぱり自分は臆病だって後悔するなら、分かり合えなくても自分の気持ちを伝えたって思える方がオレは……、オレは、そっちのほうが良かった! 〝彼〟が思っていたことも、オレは聞きたかった!」
…………
「〝それが出来なかったから、オレは後悔した! 〟」
「朝陽……?」
……っ、……?」
 叫んだ朝陽が、ぱちりと瞬きをする。自分が今、何を口走ったのか一瞬理解出来ていないような表情で、あれ、と声を漏らした。ラビも朝陽の剣幕に驚いて、唖然としている。その顔を見てはっと我に返り、朝陽はぱくぱくと言葉を探して青ざめた。
「あ、あの……オレ……ごめんなさい、ひどいことを……ラビさんの気持ちも……
 ぼろ、と目から涙を零して謝る朝陽に、今度はラビが焦る番だった。
 がたがたと震える肩を撫でそのまま手をとり、大丈夫だから、と言うしかない。
「泣かないで、朝陽。大丈夫、お前はオレを……オレとリュカを思って言ってくれたんだろ、謝るな。……朝陽の気持ちは分かってるから、な?」
「オレ……み、みんなと幸せでいるのが、いいんです……どれだけつらいことが起きても……っ、乗り越えたい、って……
「そうだよな……うん、そうだった……オレも同じだから……
 ありがとう、朝陽。ラビが囁き、仲間の背中を撫でる。こくん、と黙って頷き、朝陽はラビの袖をきゅ、と握りしめた。
 
 世界史の棚、黒い装丁の、辞書のように厚い本。
 数日後、レオンが告げてきた言葉を頭の中で反芻させながら、うららかな昼下がりの図書室、リュカはすっかり馴染みになった棚の列へと滑り込んだ。
「お前がそれを読んでどう思うかは、分かんねえけど」
 でも教える。夜の中庭、ベイビーブルーの瞳が自分を見据えて、伝えてきたということは、きっと自分にとって必要なことだとレオンが確信したからだろう。
 整然と並んだ本の背をひとつずつ、確かめていく。何度も見た並びだが、そんな書物があっただろうかと考えるほど、それを見かけた記憶がない。
 しかし、確かにそれはあった。
「これか……
 黒く、ずっしりとした本の背を引っ張り出す。重みが指、手のひらに伝わるのを感じながらその表紙を見た。
 ――『教会』史、その研究。
 どくん、と心臓が高鳴る。震える指で表紙を開けば、まず謝辞と目次が書かれていた。
「っ……使徒……
 ここ数日、数多ある資料達に求めていた単語を探す。
 どの本にも無かったその言葉は、この中にならば一言ぐらい、あるかもしれない。
 ――殆ど、縋るような思いだった。
 それを探す理由は、リュカにも分からないでいる。
 しかしたった一章、一ページ、一行、一言だけでも、見つけられたなら。
「異端審問に傾倒する『教会』の腐敗……魔女狩りと、使徒……
 目次の中にそれを見つけた。
 ひとつの章の表題を読み上げ、逸る気持ちでページをめくる。