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kurotera
2024-01-20 10:46:27
78477文字
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惜別にもならない
2022年12月に発行したイノセントブレス世界線のザドギエル(ラビ)×サマエル(リュカ)本です
前半は人死に有りのイノブレ時代のお話、後半は彼らが転生した現代のお話。
若干のゴア表現あります。
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朝早く、目的地に向かう馬車に乗り込む。
目的地を告げられた御者は、噂か何かを聞いているのか一瞬、断りたそうな、胡乱な物を見る顔で若者二人をじろじろと睨めつけていたが、ザドギエルが懐から心付けの金貨を数枚取り出しそれを握らせれば、御者は態度を変えて彼らを馬車に乗せたのだった。
馬二頭が馬車を引き、道を行く。
「ここから半日。日が落ちるまでには着くだろうな」
窓の外を流れていく景色を眺めながら、ザドギエルは革袋から胡桃を取り出す。
昨夜露店で買ったそれを指先で弄ぶのを横目にサマエルも林檎を囓る。しゃく、と瑞々しい食感と共に甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。
「到着した後は」
「まず手紙を寄越した神父様に会いに行こう。そこで話を聞いて
……
俺達がどうすべきかを考える。とにかく情報が足りないんだ。手紙を出した時から日も経ってるし、何か状況が変わっているかもしれない」
語るザドギエルの指に力が入る。親指と人差し指に挟まれた胡桃の硬い殻は、軽い音と共に二つに割れた。出てきた実を一粒口に放り込む。
「もどかしいな」
「しょうがないよ。俺達は空を飛べないしね」
ちょうど良く、空に渡りの鳥達が横切る。
変化の少ない風景に視線を向けつつ、サマエルはもう一口、林檎を囓った。
予定通り、馬車は日が暮れる前に街に着いた。
二人を降ろしてすぐに、逃げるように次の目的地へと向かう馬車の影を見送った後、サマエルはマリアヴェールを被り、目の前の街、入り口の門を見上げた。
「相変わらず付けないんだな、お前」
「汚したくないからね」
ザドギエルの頭部は加護のマリアヴェールで覆われていない。彼が使徒になった時から、サマエルはそれが仲間の頭につけられた場面を殆ど見たことがなかった。
彼曰く、血で汚したくないからと言うものの、サマエルはあまりそれを信じていない。
「さて、行こうか」
門に近づけば、衛兵と思わしき男二人が行く手を阻んだ。質素な長槍で道を塞ぐのを見て、二人は立ち止まる。
「この街に何用だ」
警戒心を露わにする彼らに問われれば、ザドギエルは懐から送られてきた手紙を取り出して静かに口を開いた。
「『教会』の者です。この手紙を書いた神父にお取り次ぎください。〝我らは主より使わされたともがらである〟と」
衛兵の顔色がさっと青ざめる。慌ただしく一人が街の中へと走り去る姿にも、ザドギエルとサマエルは表情を変えず、ただ待った。
ほどなくして、二人は通された。
入り口にやってきた神父に案内され、まずは礼拝堂へと向かう。
「
……
静かですね」
ザドギエルの言うとおり、まだ夕暮れ前だというのに街はひっそりとしていた。
外にいる人々も顔を伏せがちで、何かを恐れているような雰囲気を醸し出している。
普段ならば賑わっているだろう広場も、がらんともの寂しい。
「人攫いが起きてから、この調子です」
答える神父もやつれた様子だ。藁をも掴む気持ちで手紙を寄越してきたのだろう。
周囲を見渡しながら歩いていると、ある一軒の家、その窓から誰かがこちらを見ている事に気がついてサマエルはそちらに視線を向けた。
子どもだ。小さな男の子がこちらを見ている。しかしすぐに、大人に抱き上げられ姿を消した。
揺れるカーテンの向こうでは次は我が子が連れ去られてしまうかもしれないという恐怖に慄いているのかもしれない。
広場から少し離れた場所に、礼拝堂はあった。
古い礼拝堂だ。本来ならば祈りと憩いの場であろうそこも、ひっそりと静かだ。
敷地内に入り、通されたのは礼拝堂に備え付けられた議場だった。
「町長を呼んできます」
神父の言葉に頷き、席に座る。しばらくすると神父と、中年の男がやってきた。
「私達はただネズミを駆除したかっただけなんです!」
町長の悲痛な声が部屋に響く。
大の大人が項垂れ、自分達に縋らんばかりの勢いの様子にサマエルは眉を寄せて困惑し、ザドギエルは表情を変えないまま口火を切った。
「つまり、報酬をくれるのであればネズミの駆除をすると申し出た男に成功すれば支払うと約束し、その男がきちんと仕事をしたのにも関わらず、あなた方は支払いを渋りそれどころか彼を悪魔の手先として
……
処刑しようとした、と」
随分と身勝手な話だと言いたげなザドギエルがどこか無機質じみた低い声で確認すれば町長はヒッ、と狼狽し、言葉を探しながら首を振った。
「だって笛を吹くだけでネズミが川に飛び込むだなんて、お伽噺じゃあるまいし、恐ろしいじゃないですか!」
「その点に関しては理解出来るが、約束を違えたのはそっちだろう」
「私達の街は交易の商人達が都市に向かう前に立ち寄る場所として成り立っています。そこでネズミが大量発生しただなんて知られたらおしまいです! 疫病の誹りは免れないでしょう
……
! 彼が、他の都市でこのことを吹聴なんてしたりしたらと思い
……
恐ろしかったのです! 何より怪しいじゃありませんか、ネズミが大量発生した所に都合良くネズミを操れる男が現れるだなんて悪魔の奸計に違いありません!
……
わ、我々は悪くない!」
「
……
彼の正体や思惑がどうあれ、約束を破ることを主はお喜びにならないでしょう」
冷ややかな声と凍りつくような青い目を前に、町長が呻く。
しかし、今は過ぎたことを追求する時間ではないのはザドギエルも承知していた。
「それで、その笛吹き男が人々を攫ったという確証は?」
見かねた神父が町長の代わりに答える。
「私達は彼を火刑に処するつもりでした。地下独房に閉じ込めておいたのですが
……
刑を実行する前夜のことです。どこからともなく笛の音が吹き渡り、次の日の朝、牢にいる筈の彼の姿はなく、見張りの衛兵も行方知れず
……
その日から今日まで数日に一度、夜に笛の音が響くごとに何人かが姿を消します」
「我々に便りを寄越したのが、二週間前のことですね」
「はい。最初に笛の音を聞いていなくなった者は全て夜に起きていた者です。しかしここ最近は皆、攫われるのを恐れて寝静まっていたのですが
…………
数日前に眠っていた筈の者も消えてしまい
……
」
「どうか使徒様! 我々をお救いください!」
テーブルに額を打ち付けんばかりに頭を下げる町長が流石に哀れと言えばいいのか、惨めといえばいいのか、そういった心地になりながらザドギエルが頷く。
「尽力しましょう。
……
結果がどうあれ、可能性がある限り攫われた人々を救う為、ひいては主がお望みになる秩序の為に我々は来たのですから」
それでも冷ややかなザドギエルの声に、サマエルはそっと眉を寄せる。
町長達もその言葉の奥にあるものを感じ取ったのか余計に顔を青ざめさせたが、頷くほかないようだった。
「少し気の毒だ」
「約束を破るからさ」
サマエルの言葉をさらりと流しながら、ザドギエルが身支度を済ましていく。
懐にしまっていたカートリッジの数を確かめながら、日が落ちて夜の帳が下りた外を見やった。笛の音に怯え息を潜めるように、静まりかえっている。
「もちろん、出来うる限りのことはする。その為に来たんだからね」
な? とザドギエルの青い目が細められ、サマエルをじっと見つめる。
どこか酷薄な雰囲気に思わず無言で頷きながら、サマエルは佩いた剣をそっと撫でた。
「話によると
……
雨の夜に笛が鳴った翌日、ぬかるんだ地面に足跡が残っていて
……
それは森に続いていた、だっけ。それを辿って消えた人を探しに行った人も、帰ってきていないと」
鬱蒼とした森の奥を見据える。流石にその足跡は消えているが、森全体に嫌な気配は感じ取れて、サマエルはゆっくりと息を吐く。
「ラジエルがいればな」
「しょうがないよ。とにかく、町の人の命を優先に。だけど万が一の場合は
――
」
「分かっている」
「
……
それじゃ、行こう」
森の中へと踏み入れる。一層、嫌な気配が強くなった。
ランタンの小さな灯りだけを頼りに奥に進んでいく。
梟の眠たげな声を聞きながら、自然と息を潜めつつ周囲を窺う。神父曰く、森の奥には開けた場所と、洞穴があるらしい。攫われ閉じ込められているとすればそこではないかと教えられた二人はとりあえず、奥に向かうことにしていた。
暫く歩いていれば、ふとサマエルが歩みを止める。
「
――
……
ザドギエル」
呼びかけた時には既に、ザドギエルは剣の柄に手をかけていた。
僅かな灯りの向こう、人影がふらふらと揺れているのを見つけたのだ。
生存者かと一瞬抱いた希望は、鼻先に届いた腐臭によって打ち砕かれた。緩慢な動きでこちらに歩み寄ってくるいくつかの人影を、睨みつける。
「あの街の〝元〟衛兵だ。多分、笛吹き男と一緒に消えた人達だろうな」
ランタンの明かりに照らされたそれらは、最早人間としての生を終えた姿であった。生気の無く腐りかけた青白い肌は所々骨が見え、眼球の溶け出したであろう眼窩の奥で何かが蠢いている。足を引きずり、生前の得物だった長槍や剣を持つ彼らは、うめき声をあげ森の侵入者を仲間に引き入れようとにじり寄ってきた。
「すまない」
サマエルが呟くと同時、二人の使徒が地を蹴る。
苦悶の声を上げて武器を振り上げる屍体のひとつ、その懐にザドギエルが一気に踏み込み喉元に剣を突き立てた。
「せめて安らかに」
槍を振り下ろす暇もなく喉を貫かれ、そのまま首を飛ばされれば屍体はぐらりと傾いで、後ろに倒れた。
サマエルの剣も別の屍体を斬り伏せ、よろめいた所に返す刃で胸を突き刺す。心臓辺りを貫かれつつも屍体はなおも目の前の生者を害そうともがいていたが、やがて糸の切れた人形のように、四肢をだらりと垂らし動かなくなった。
刃を引き抜き、後ろから斬りかかってきた屍体の頭部を引っ掴む。
指に力を込めれば頭蓋が軋む感覚に目を細めた。
――
己の中のなにかが、頭をもたげる。
集中し、頭蓋を掴む手から毒を滲ませる。空気を裂くような断末魔と共に屍体の肉は溶け、やがて骨のみとなりとがらがらと地面に崩れ落ちた。
衛兵の屍体達を屠るのに、さほど時間はかからなかった。
首を飛ばされ心臓を貫かれ、地に倒れたそれらを見ながら、ザドギエルが剣を収める。
「これはよくないな」
「急ぐぞ」
奥へ進めば進むほど死臭が強くなるのを感じつつ、ついに開けた場所に辿り着いた。
そこには、一人の男がいた。
襤褸のような外套を身に纏い、目の下にくっきりとした影を刻みまるで死人のようであったが、紛れもなく生きた人間だった。
あれが、〝笛吹き男〟らしい。
男はザドギエルとサマエルをみとめ、ひっ、と呻き声をあげて怯えたがすぐに気を取り直したのか、二人を睨み、口を開いた。
「お、おまえ達か、あの方がおっしゃっていた、悪魔は!」
「何?」
「あの方が仰っていた! 二人の悪魔がここに来て、奇跡を起こす僕を、殺しにやってくる! そう仰っていた! あの方の言うことは正しい! 衛兵の屍体は役に立たなかったか!」
男が叫ぶ。あの方という存在が悪魔なのかそれとも別の人間なのかは分からないが、道に外れた力で屍体を操っていることを自白した時点で、もはや看過出来るものはない。
「どちらが悪魔だ。人を殺し、その屍を操っておきながら
……
」
「あの街の人間は嘘つきだからだ! 嘘つきは裁かれなければならない!」
口角泡を飛ばしながら男は叫ぶ。
人に裏切られ火刑に処せられそうになった事実がそうさせたか、屍体を操るという異能を持ってしまったが故の呪いか、男が正気を保っているとは思えなかった。
「駄目だな、話にならない
……
これ以上の被害が出る前にあいつを
――
」
「神よ、悪魔を倒す我が笛の音をお聞きください!」
「まずい!」
男が懐から笛を取り出すのを見たザドギエルが、それを吹かせまいと駆け出す。
しかし男に手が届く前に、その音は二人の耳に流れ込んできた。
もの寂しげに囁くような、陰鬱な音色。
そう感じた瞬間、音は一転して甘やかで心地の良いものに変わった。
「っ
…………
?」
視界が揺らぎ、その場に膝をつく。
纏わり付く笛の音のせいで、まともに思考が出来ず身体も動かない事に混乱しながら、ザドギエルは視線を彷徨わせる。
サマエルは、と仲間の姿を探せば、その影はふらふらと誘われるような足取りで広場の更に奥、洞穴へと向かっているようだった。
「サマ
……
エル
……
ッ、まて、行くな
……
!」
腕を伸ばそうとするもそれも叶わず、苦痛に喘ぎながら叫ぶ。
それもむなしく、仲間の影が洞穴に消えていくのを見て、ザドギエルは呻き、蹲った。
笛の音が脳を揺らす。なにかが、がささやき歌う。
なにかの、こどものような歌声だ。そう直感した。
〝浮世のさすらい やがて終えなば
輝く常世の 御国に移らん
やがて天にて 喜び楽しまん
君にまみえて 勝ち歌を歌わん〟
「っ、かはっ
……
」
笛の音とその歌声に頭蓋の中を揺らされ、強い目眩に嘔吐する。
身体の底が、神経が多幸感にじわじわと犯されていくのを感じながら、ザドギエルは呼吸を荒らげ、指で土を掻いた。
心臓が暴れている。そう錯覚するほど、身体が異常をきたしているのが分かった。
「まず、は
……
オマエ、から。あの方が仰っていた
……
! 銀髪の悪魔は血が汚れている、血抜きをしてから、使うべきだと」
笛吹き男がザドギエルに歩み寄り、高く結った銀髪の房を掴み、引っ張り上げた。
「ぐ
……
!」
痛みと共に頭を強引に上げさせられ、膝立ちのままで喉を晒す格好になった。息苦しさと苦悶に喘ぎながら、喉元に近づく冷たい刃物の感覚にヒュ、と喉が動いた。
しかし、一向に刃は自らの喉を裂かない。
はぁ、はあ、と息を震わせる音を微かに聞く。その音にザドギエルはああ、と状況に似合わない凶暴な笑みを浮かべて。
「
――
……
はは
……
ナイフで人の喉を裂くのは
……
っ、初めてか?」
掠れた声で挑発すれば、ごくりと男が喉を鳴らす。苛立ちで髪を掴む手に力が入ったのか、強い痛みに顔をしかめた。
「で、出来る! 僕は出来るぞ! 神の為に悪魔の喉を裂き、血を抜くんだ!」
――
駄目だ、ここで堕ちたら
……
死ぬ!
――
ほぼ使い物にならない視界の中で、自らの懐に手を這わせる。
氷のように冷たいそれが指先に触れ、一瞬意識が引き戻された。男の息は荒いが、手が震えて躊躇しているのをはっきりと感じ取る。
そのまま意識の糸をたぐり寄せるように、触れた柄を掴み、鞘から抜いた。
「ああぁあああッ
……
!」
獣のように吠え、抜いたそれを振り抜く。
切っ先はザドギエルの、自らの手の甲に深々と刺さった。痛みによって完全に意識が覚醒した瞬間、がむしゃらに身体を動かす。
虚を突かれ驚いた男が銀髪から手を離せば、突き倒して間合いをとった。
「っは、殺し損ねたな!」
「く
……
! 悪魔め、無駄なあがきを
……
!」
相変わらず視界は揺れて、かろうじて笛吹き男の影が把握出来る程度であった。
そしてまずいことに、剣は男とザドギエル、二人の間に落ちている。
今、ザドギエルは自らを傷つけた銀製のナイフしか持っていない。普段ならば素手でも容易にこの男を殴り殺せるだろうが、笛の音の影響は大きく、まだ身体に力が入りきらないでいる。
――
不利なのには変わりない。
……
でも悠長に戦ってもいられないな
――
男の背後で口を開けているであろう洞穴の中に入ってしまったサマエルを思う。
そしてゆっくりと息を吐き、ナイフの柄を握り直した。
冷たい空気に包まれた、暗い洞穴を下っていく。
何故そうしているのかサマエル自身も理解していない。ただあの笛の音を聞いた瞬間、若い使徒の意識はほとんど霧散し、笛の音と声に導かれるままフラフラと真っ暗なそこに足を踏み入れたのだった。
ひた、ひた、と天井から滲み出て落ちる湧き水の雫が岩を濡らしている。
かろうじて無事なランタンの灯りが洞穴の壁を照らし、血の手形を浮かび上がらせていたがサマエルはそれすらどうでもいいような様子で奥へ、奥へと進んでいった。
一歩進むごとに、自分が何か別のものになっていく心地だ。
ひんやりとした空気が肌が同化し、気持ちが良い。
音は相変わらず耳の奥に染みつき、サマエルを導いている。この洞穴の奥になにがいるのかは分からないが鼻腔に届く匂いは死臭のそれで、ああ、と思わず息を吐けば耳障りな、しゅうしゅう、という音がした。
何の音だろうかと辺りを見渡す。
するとランタンに照らされた自分の手が視界にはいった。
よく見るとところどころに、自分の髪に近い色合いの瘡蓋が出来ている。
それは鱗のような艶やかさで、とれないものかと指先で軽く引っ張ってみたが剥がれる様子はない。
まるで元からそこにあったかのように、肌に馴染んでいる。
ぞわりと嫌な気配がサマエルを襲い、彼のぼんやりとしていた意識が戻された。ぺたりと頬を触れば、ざらりと固い、同じような瘡蓋が出来ている。
もう片方の頬、首、と我が身に触れる。
やはり同じような瘡蓋がそこかしこにあるのを見つけて、サマエルは困惑と不快感に眉を寄せた。何かの呪いか、それとも自らの内にある毒の影響か。
これ以上の進行を許せば、自分はどうなるのだろうか。
じりじりとした焦りのようなものが腹の底から沸いてくる。しかしそれも、笛の音によってかき乱され、サマエルの意識は再び、冷たい空気の中に溶けようとした。
地の底についたのは、その直後だった。
下ってきた路より開けた場所、噎せ返るような腐った肉の匂いと、呻き声。ここが冥府であると言われれば納得してしまうような光景がそこにあった。
おそらく笛の音に攫われた街の人々の末路であろう。
森の中で遭遇した衛兵達と同じようにそれらは死して尚、腐乱した己の身体に魂を縛り付けられている。折り重なり、蠢きながらもこの部屋から出られないのは恐らくそういった命令をあの笛吹き男が下しているのだ。
しかしそれが無かったにせよ、彼らは既に殆どの理性を死に塗りつぶされ、生者に死の手を伸ばす亡者でしかない。
――
彼らが日の光を浴び、元の平穏に戻る術は無い。
「ぱぺ、さタん、パペ、サタン、アレッペ」
亡者の一人があげた濁った声と言葉を聞いた瞬間、溶けかけていたサマエルの意識ははっきりと熱を持った。
それは殆ど本能といって良かっただろう。
笛の音ひとつで行われた悪逆、その結果としてあらわれた光景が、若い使徒の無意識下の逆鱗にたしかに触れたのだ。
しかしサマエルの意識は完全に戻らなかった。その前に、サマエルの中の何かが、口を開けて彼の意識を飲み込んだのだ。
それは彼にとって、初めてのことではなかった。
自らの咥内から、シュー、と掠れた音が鳴るのを聞きながらサマエルは抗う間もなく、本能に意識を預けた。
物の輪郭すらまともに捉えられない視界の中で、気配と己の勘のみを頼りにナイフを振るう。しかし一歩踏み込むのにも身体は重く、ままならない。
「くそっ
……
」
いつの間にか呼び寄せたのであろういくつかの屍体に囲まれ、ザドギエルは防戦一方であった。屍体が剣を振り下ろしてくるのを間一髪で避け、その腕を掴みへし折る。
それも痛覚のない屍体にとっては些事らしく、なおも縋ってきた。
「どけっつってんだろ!」
叫び、殴り倒せば屍体が吹っ飛ぶ。
一体の力は弱いが、しかし屍体の影はまだ多く、笛吹き男を守っているようだった。
肩で息をしながら震える手で懐からカートリッジを取り出す。自らの血で満たされたそれをナイフの柄に装填しようとしたが、手元がおぼつかない。
再び、笛の音が聞こえてきた。
頭を強く殴られたかと錯覚するような感覚に、思わずカートリッジを手放す。
地面に叩きつけられたガラス製のそれが砕け散る音を微かに聞きながら、ザドギエルはその場で膝を崩した。
「ぐ
……
」
二度目の音色にいよいよ、身体が動かなくなった。
顔を上げているのがやっとだ。霞む目からどろりと、涙かなにかが流れてくるのを感じながら、ザドギエルは顔を顰めた。
――
……
ここで、
……
――
迫る屍体の影を認めながら、呻く。せめてサマエルだけでもとよぎったものの、最早動くこともままならない。
――
死ぬことに恐怖は抱かないのだが。
ふつりと、笛の音がやんだ。
身体が軽くなれば、ほとんど意地でザドギエルはナイフを握り直す。
周囲の空気の熱が上がるのを感じ、何が起きたと視線を巡らせれば笛吹き男の後ろ、サマエルが消えた洞穴から這い出すように炎が溢れていた。
「な、なん
……
なんだ
……
?」
ここからでも分かるほどの熱だ。洞穴により近い笛吹き男もその熱に驚いて笛を吹くのをやめたのだろう。戸惑いながら赤々と照る洞穴を見つめ、目を細めれば、そこからゆらり、人影が現れた。
――
サマエル?
――
未だ朦朧とする意識の中ではその影が誰であるのか、はっきりと判別がつかなかったが、ザドギエルの直感はそれが仲間であるということを告げていた。
しかし、何か様子がおかしい。
ザドギエルの青い目には仲間の身に、大蛇が纏わり付いているのが見えた。
燃えるように赤く、毒々しい大蛇。
まるで火の柱のようだと、ぞくりと背筋が震える。
「サマエ
……
ル」
ザドギエルの呟きは聞こえていないだろう。サマエルが一歩踏み出し、洞穴から出てきた。蛇は鎌首をもたげ、笛吹き男達を睥睨している。
人の背よりも高く、木の幹よりも太い炎の身が夜闇に浮かんでごうごうと燃えているのを目撃した笛吹き男は、暫く唖然としたがそれと目が合った瞬間、悲鳴をあげた。
「化け物!」
寄るな、見るな、と恐怖に染まった絶叫をあげるが男は腰が抜けたのかその場にへたりこんでいる。
恐怖も痛みもない屍体達が主を守ろうと火に集まる蛾のごとく大蛇に向かっていった。
「あいつを、あの化け物を殺せ! 大悪魔だ! この世にいてはならぬものだ!」
男の叫び声もむなしく、大蛇がそれらを睨むだけで炎にも似たような毒が屍体達を包み、みるみるうちに溶かしていく。
瞬きの内に彼らの死した肉体が熱に溶かされ、泥に帰していくさまを見てザドギエルは目を見開き、笛吹き男は半狂乱に叫んだ。
「
……
ッ!」
我に返ったザドギエルがふらつく身体を無理矢理動かし、立ち上がる。
一歩踏み出すと同時、大蛇のあぎとがゆっくりと開く。ザドギエルが止める間もなく、それは笛吹き男をその頭から飲み込んだ。
この世のものが発したとは思えぬような、断末魔が響き渡る。
大蛇の燃える身体の内に、今しがた食われた男の影が見えた。恐らくあの大蛇の身は万物が一瞬で燃え尽きるような、毒と炎の渦である筈だ。
しかし男は生きたまま、その中に囚われている。それこそ蛇が食らった獲物をゆっくりと、己の身体の内で消化していく様に似ていた。
皮膚を炙られ、肉を焼かれ、苦痛に叫ぶ口や眼球の溶け落ちた眼窩から毒を注がれ、内側から灼かれる男はおおよそ人のそれとは思えない獣のような叫びをあげている。
それも彼の身体が焼き尽くされて無くなっていくと共に、小さくなっていった。
やがて完全に声も、肉体も大蛇の中へと呑まれて消失したのを呆然と見つめ、そしてザドギエルは、顔を上げた。
「
…………
」
大蛇と、目があった。
熱風が頬を撫でるのを感じながら、使徒は一歩踏み出す。今まさにこの蛇は罪人を生きたまま食らったが、未だに怒りを収めきれないでいるようだった。
ゆっくりと瞬きをしてみると、笛の力がなくなったからか、視界は元に戻りつつあった。大蛇の中で、サマエルは何も言わずにたたずんでいる。
――
どこか、夢を見ているような顔をさせて。
一歩また一歩と、ザドギエルはサマエルに歩み寄る。
血で真っ赤に染まったナイフを取り落とし、未だおぼつかない足取りで。
大蛇はザドギエルを睨みつけ、あのシューシューとした耳障りな音を立てている。今にも歩み寄ってくる男を、先のように頭から食らってもおかしくない様子だった。
仲間の前にたどり着く。
焼けつくような空気だったが、ザドギエルがそれを熱く感じることはなかった。しかしサマエルの肩に触れた瞬間、手のひらに酷い痛みが伝わった。
「サマエル」
肩を掴み、抱き寄せる。
常人であれば耐えられないような熱と、共に入り込んだ僅かな毒がザドギエルの喉を灼いたが、それも些事とザドギエルは暫くサマエルを抱きしめ、その背中を撫でていた。
詰まっていた息が吐き出され、意識の輪郭が元に戻るのを感じながらサマエルはゆっくりと瞬きをした。指先を動かしてみるが、金縛りにあったように動かない。
「
…………
」
ぼんやりと前を見る。
視界には所々焼け焦げた地面と炭化させた枝葉を風に揺らせている木があった。
意識が途切れる前に見た光景と同じ場所とは思えない惨状だったが、生きているということは無事らしい。
「
……
っ、ザ、
……
エル」
仲間は無事だろうか、とその名前を呼ぶ。
掠れた声しか出ず、眉を寄せれば隣で気配がした。
「サマエル? っ、んん
……
おい、サマエル?」
風邪を引いたような声に、どうしたんだお前、と言いたくなりそちらに視線をやろうとすれば、その前に銀髪の房が視界に現れた。ザドギエルが、こちらを覗き込んでいる。
随分酷い有様で、血で汚れているのはいつものことだが、所々に火傷の痕があるのが見えた。隊服も焦げている。
「
…………
お前、ひどいな
……
」
「サマエルこそ。動ける?」
もう一度指を動かしてみる。重たいながらも今度は動いた。
ごそりと身動きし、息を吐く。
「あいつは
……
?」
「
…………
死んだよ」
「死んだ?」
「うん。あー、罰が下ったというか
……
とにかく、
……
もう人攫いはいない」
どこか言いよどむような言葉にサマエルは眉を寄せる。
いったい、自分が意識を失っていた間になにが起きたのか。
「どういう
……
っ、おい、ザドギエル!」
詳しく聞き出そうと口を開いた瞬間、ぎゅう、と身体が抱きしめられた。
一瞬戸惑ったが、ザドギエルがそうしたのだと気づいて、仲間の名を叫ぶ。
「
…………
よかった」
「ザドギエル
……
?」
「もう目が覚めないかと
…………
ごめん
……
俺
……
本当に
……
」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら呟くザドギエルの声が耳に届いた瞬間、ああ、こいつを泣かせたのは俺か、と罪悪感が沸き起こり、サマエルはばつの悪い顔をさせた。
「すまない
……
足を引っ張った」
「違う、サマエルは
……
サマエルは、俺を助けてくれた。俺がもっとしっかりしてたら
……
こんな
……
っ」
げほ、とザドギエルが咳き込む。
ひゅ、と息を荒くする彼の背をサマエルの手が撫でた。しばらく咳き込み続けながら、ザドギエルが蹲る。
「
…………
」
自分の毒が、この男を癒やすようなものであればよかったのに。
そんなくだらないことがふと頭をよぎり、サマエルはゆるりと首を振った。
自分自身もすさまじい倦怠感に襲われていた。
何か、腹の中にどす黒い泥のような物を落とされたような気分でいる。しかし目の前の仲間よりはずっと軽傷だった。
「
…………
帰ろう、ザドギエル」
立てるか、とザドギエルの背中に触れる。
ふるりとザドギエルの身が震え、そして小さく彼は頷いた。
村に戻った頃には夜が明けていた。
街の衛兵が満身創痍の姿を見るやいなや、大慌てで町長と神父に伝えにいったのを見送りながら、二人は安堵の息を吐いた。
しばらくして日暮れ前に話したあの二人がやってくれば、若い使徒の姿に卒倒しかけ、ようやくのところで。
「それで、笛吹き男は
……
?」
と問いかけてきたのだった。
「
……
人攫いにはしかるべき天罰が。残念ですが攫われた人達は
……
」
「なんということだ
……
」
ザドギエルの言葉に神父が呻く。町長も顔を青くさせ、唇を震わせている。
「何故助けてくれなかったのです」
「
……
俺達が見つけた頃には手遅れでした。死した者を生き返らせる奇跡は、我らは持っていません」
「あなた方は我々を助けるのが使命でしょう! 本当に手遅れだったのですか!?」
「
…………
何?」
町長の言葉に、サマエルの声が低くなる。小さい悲鳴をあげて、町長は視線を彷徨わせ、聞こえるか聞こえないかの声色で、こう呟いた。
「あの男に人質にとられたから、面倒になって全員殺したんじゃないのか
……
」
「ふざけたことを言うな! だいたいお前達が
――
」
「サマエル!」
激高したサマエルをザドギエルが諫める。
青い目がそれまで、と言っているのを見て、サマエルは口を閉ざした。
「
……
神に誓って我々は最善を尽くしました。それをこうした形でなじられるのは心外ですが、今はあなた方の深き悲しみに寄り添うことを第一としましょう。我々は『教会』に今度の件を報告します」
「
……
っ、使徒、様
……
あの
……
」
神父が狼狽え、口を挟む。おそらく報告される事に気が進まないのだろう。この街の不義から始まった事件なのだから。
町長もそのことに気がついたのか、顔を青くさせている。
「
…………
『教会』からの便りを待つように。たしか朝一番の馬車があった筈なので、我々はこれで失礼します」
「あ、あの、非礼をお詫びします
……
それにお疲れでしょう、しばらくここでお休みになっては
……
諸々のご用意はいたしますので
……
」
「結構です」
ぴしゃりと言い放ち、行こうとザドギエルが促す。
青ざめたままの二人をちらと見て、サマエルもザドギエルの後に続いた。
街の前にある馬車乗り場に向かう途中、一人の子どもがやってきた。この地に着いた時に、家の中から自分達を見ていた子どもであった。
どうやらあの衛兵達の子どもらしく、ザドギエル達に父は帰ってくるかと聞いてきた。
サマエルがゆっくりと首を振ればひどく悲しげな顔をした後、子どもは持っていた革袋を二人に差し出してきた。
――
お礼だという。
「ネズミを駆除した笛吹き男にも、あんな調子だったんだろうね」
呆れた声でザドギエルが呟き、そして咳き込んだ。サマエルがそれに頷きながら子どもから受け取った革袋の口を開けば、そこには小ぶりの林檎がいくつか入っている。それを取り出し、ザドギエルに渡せばありがとう、と受け取る。
一口囓ると、甘酸っぱい味と共に、灼けた喉が潤う心地がした。
「
…………
腹立たしいな」
ごとごとと馬車に揺られながら、サマエルが呟く。
まあね、と頷き、また一口林檎を囓るザドギエルはぼんやりと窓を見つめている。
「しかしお前の怪我の治療ぐらいはしてよかったんじゃないか?」
「あそこにとどまってもいいこと無いよ。経由する都市で一晩寝たらじゅうぶんさ」
「寝るだけで癒える程の傷じゃないぞ。お前、それを見たシスターが何て言うか分かるだろう?」
「
…………
」
シスターの名前を出され、ザドギエルが苦い顔をする。やれやれとため息を吐きながら、サマエルも僅かなりとも痛む身体を背もたれに預けさせた。
昨晩の事を考える。
結局、自分があの時どうなっていたのか、ザドギエルは言葉を濁したままだった。屍体もほとんど見なかったし、あの笛吹き男も気がついたときには失せていた。
ただザドギエルが〝死んだのを見た〟〝住民の遺体も見た〟と言っているのだから、そうなのだろう。
――
いや
…………
本当は分かっているんだ
――
自らの手のひらを見つめる。
何かのきっかけで毒の制御が効かなくなってしまったのだろう。
ザドギエルがいたから〝止まった〟だけで、もし一人だったならばあの森全体を枯らしてもおかしくなかった。
「
……
気に病むなよ」
サマエルの様子を眺めていたザドギエルがそう言えば、サマエルは紅い目をそちらに向けた。緩く微笑みながら、仲間がこちらを見ている。
しかし、と言いかけて、その続きを出せずにサマエルは黙りこくった。
「任務は達成出来たし俺はお前に助けられた。何の問題もないよ。生きてるんだから」
穏やかな声に諭され、頷く。
食べたら? と促されて、革袋の中の林檎をひとつ、手に取った。
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