ツキシキ
2023-07-01 22:03:50
117641文字
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★天使のうつわ・おばけと魔法とまとめ

13作品。「空想地球儀」作品の二次創作。


HelloHopefulHeartWorld(せんレイとシルグリ)


せんレイとシルグリでダブルデートしてたらおば魔世界に飛ばされたけどなんだかんだで戻ってこれたよ!みたいな話
・せんせー×レイスとシルバー×グリン
・『おばけと魔法と』でうつわキャラが登場するイベント(封印石や街など)とセラの記憶が前提
・世界観に対する独自解釈を強く含む
____________



●せんせーside●


 家の扉をバターンと勢いよく開けて、帰ってきたのはレイスだった。空色の瞳が光を抱きしめてるみたいにキラキラ輝いていて、何か良いことがあったんだろうなあって、言われなくても分かる。

「おかえりレイス」

 レイスの口はたくさんの言いたいことを噛み締めるように動いてから、初めに「ただいま」を返してくれた。留守番だったのは少し残念だったけれど、こうして返ってくる挨拶を聞けるのはなんだか嬉しい。
 檻の内側に居た頃は「ただいま」も「おかえり」も聞こえなくて、そもそも出かけるなんてことが無かった。それもそれで悪くはなかったと思うし穏やかで平和だったけれど、時折ふっと遠くへ行きたくなるような気持ちになった。
 だから、レイスを待っている間レイスが転んだり落ちたりしてやしないか心配でそわそわするのは大変だけれども……、帰ってくるレイスの笑顔を見るとやっぱりなんだか良いなあって思ってしまう。
 そして予想通り、レイスは今日も外で心惹かれる何かを見つけてきたらしい。

 息せき切って開く彼女の口から一番に飛び出たのは、「船」という単語だった。



◆シルバーside◆



 空間を泳ぐように動き回る船。
 初めその噂を聞いた時は、何を馬鹿なことをと顔をしかめたもんだが、実際に見てしまうと確かに的を射ていた。

 今日も今日とて拗ねたフェンリルを探すついで、気疲れを晴らすべく魔物を蹴散らしながら昇った魔界樹のてっぺん。そのはるか上、見ようとも見れない空間の境を遊泳するように、その巨大な物体は緩やかな速度で影を見せた。
 それを船だと感じたのも今になって思えば不思議な話だ。帆もなければ船尾もなく、ただの大きな塊としか捉えきれなかったそれは、しかし直感的に船だと悟らせた。
 不可解な物は調査すべきだと思う一方、接触は極力避けたい気持ちもあった。魔界の脅威になるのかどうかが最大の関心である。嫌われ者の集まりでできた不安定な空間、平穏とは遠いこの地はわずかな罅割れでも脅威になり得るのである。
 領主に相談してみるのが第一なのだろうけども、なんというかあの人はどうにも、こう、決断を求めるにはいささか不安要素が付きまとう。妙な行動力だけはあるもんだから、「なら私が行こうか」などと言い出して勢いで何かしらやらかして大ごとになりかねない。そうなれば未知の物体との全面衝突は確定だ。
 とりあえず先行調査だけして事後報告が無難なところだろう。そう一通り考えて、城に帰ると、

「あっシルバー君ちょうどよかった!ちょっと頼まれてくれないかな!?」

 あろうことか悪魔界のほうの領主に泣きつかれた。
 その後ろには困った様子で身を縮めている見慣れた姿がある。他者の後ろに隠れても、隠れ切らない悪魔羽。その時点でもう用件の想像はついたが、礼儀として耳を傾ける。



 そして話は案の定の流れだった。領主の姪のお守り役。単なる“友人とのお出かけ”に護衛をつけるというのは過保護ではないか、という思いはひとまず飲みこんでおく。まあ、何せ相手が相手なので、過剰に心配する気持ちもわからなくはない。悪魔族の偏見は根強いし、悪意に疎そうなこの方ならなおさらだ。天使を通じてあちこち交流したからか、多少の腕はついたようだけれども。
 だからまあ、オレが着いて行くのも致し方ないわけであって。

「よろしくね、シルバーさん」
「はい。よろしくお願いします」

 アルヴァさまが忙しなく走り去れば残ったのは二人だけになった。




 こうして共に外に出る回数を重ねるうちなんだかんだと絆されている自覚はある。畑仕事だけでは身がなまる、という体のいい言い訳を今日も自分に課してみる。
 向こうの準備は既にできているようだったのでそのまま門へ移動する。鞘にフェンリルがいないのは落ち着かないが、今日の不機嫌はいつになく長引きそうだったもんだし、迎えに行くにしてもしばらく後のほうが良いだろう。
 足りないものに意識を向けたところで、見慣れた姿が一人分足りないことに気が付く。

「そういえばシェフは行かないんですか?」
「ええ、ちょっと厨房のほうが忙しいみたいなの。最近ネズミが出るらしくって、作戦会議ですって」
「へえ。ゴミ捨て場から残飯漁りに上がってきたんですかねぇ」

 ネズミが2階の食堂までくるのなら、畑にもゆくゆくは手が伸びるかもしれない。今朝は特段荒らされた様子もなかったにせよ、気をつけておくに越したことはなさそうだ。

「で、今日はどこへ行くんですか」

 城前の分かれ道にでたところで、改めて問いかける。するとグリンさまは、好奇心が丸わかりの笑顔でこう言った。

「レイスちゃんと船を探しに行くの!」



●せんせーside●



 船を探そう計画、講義編。
 グリンと、レイスと、オレ。三人並んで芝生に座りこんだところで、シルバーは訥々と説明を始めてくれた。

「念のため説明しておくっス。俺らのいる空間っていうのはそれぞれが縦に並んだ位置関係をしてるんスよ。で、個々の空間は幅狭な円筒上のに位置づいてるっスから、基本的に揺らいだり自然移動したりすることはあっても、空間同士が横切ったり行き交いあったりすることはあり得ないんス」

 シルバーはそう言いながら、レイスが貸した水筒をかつんと爪弾いてみせる。空間の話はトゥベントさんの家で読ませてもらった本にも書いてあったけれど、こうして例えの形があるとわかりやすい。
 そういえば。レイスの故郷の天界は一番上に位置しているっていう話だったけれど、レイスが初めに落ちて辿りついたのは悪魔界だったらしいとも聞いた。悪魔界の直下が魔界っていうなら、オレの居た病魔の檻はどこらへんに当たるんだろう。もしかすると悪魔界の隅っこにオレ達の居た場所がこっそりひっついてたのかもしれない。
 ちょうどグリンが居るから訊いても良かったけれど、魔界の人達は皆病魔のことを知らなかったようだから、たぶんグリンも分からないんじゃないかと思う。知ってたらコルトと会った時点で病魔だって気付いてくれるだろうし。

「?」

 レイスが視線を向けてきたので、なんでもないよと返す。あんまり深く知れることでもなさそうだし、気が向いたら調べてみるくらいに留めておこう。オレの知らない色々は知らないまんまでも普通に動き続けるのだから。知っていれば面白い、かもしれないというだけで。

……一応はわかってもらえたんスかねぇ」
「うん、だいたいは。教えてくれてありがとう」

 シルバーにお礼を言うと妙な顔をされた。なんでだろう。
 なんとなく横のグリンに目を向けると小首を傾げられた。シルバーの変な反応には気づいていないらしい。わざわざ突っ込むのもおかしい気がして、とりあえず口の中に押し込んでおく。



 オレ達が立ち上がると、シルバーは水筒をひょいと掴み直してレイスに渡した。

「んじゃ、これは返すっスよ」
「♪」

 レイスは返された水筒を両手で持って、いそいそと紐を肩にかけ直す。レイスにとっては小難しい空間の仕組みより、今日のために用意していたオレンジジュースのほうがずっと大事らしい。

「それで、どうやって噂の船に行けばいいのかな」

 一区切りついたのでそう切り出してみる。レイスに言われて天界に集まったのは良いけれど、移動案については何も聞いていない。今まで誰も見たことのない船だという噂は聞いているから、少なくとも転移装置みたいなものは繋がっていないと思う。

「空間移動とか?」

 グリンが素朴に呟いたとたん、またシルバーが変な顔をした。変というか、青白いというか。

「グリンさま。空間転移は行き先の座標がある程度わかっていないとできないので無理です。というか、四人いっぺんにって時点でオレが無理です」
「あっあっ、そうよね。でもそれじゃあどうすればいいのかしら」

 うーんと唸るグリンに、レイスは胸を張って答える。
 曰く、その空間を移動する船は天界でも話題になっていたらしい。好奇心旺盛な天使のゆうれい達が興味本位で下界を覗いた時、その船がゆらりと横切っていくのを何度も見たのだとか。その船が現れる時間帯もルートもある程度決まっているそうで、探し物をするようにぐるぐると旋回しているらしい。
 そんな情報を元に提案してくれたレイスの考えはとてもシンプルで、勇気さえあれば誰でもできることだった。



……はっ? 落ちるぅ!?」

 ひっくり返った声をあげたのはシルバーだった。その反応が意外だったようで、レイスは首を傾げている。なるほど確かにレイスならおなじみのやり方だろうけれど、他の人から考えるとちょっと変わった移動方法なのかもしれない。
 シルバーが食ってかかりそうな剣幕をしていたものだから、思わずレイスの前に割って入る。オレ達の旅は何せ落ちて落ちての繰り返しだったし、案外なんとかなるんじゃないかと思うのだけれど。
 少しだけピリリと張り詰めた空気を感じたのか、グリンが口を開いて、

「レイスちゃん。良い考えかもしれないけどね、ちょっと危ないやり方だと思うの!」

 と慌てて言い募る。その背では焦りを表すようにぱたぱたと羽根が動く。

「仮に落ちたとしても少なくともグリンは飛べるから無事だね」

 素直にそう感想を言うと、グリンも納得したような顔になって、でも次の瞬間いっそう慌て始めた。

「そ、そうじゃなくて! せんせーさんもレイスちゃんも、その、落ちるのに慣れ過ぎてると思うわ。本当はね、高いところから落ちるって、すっごく怖いことなのよ! 危ないし、痛いんだから!」
「なんでんなことを改めて説明しないといけないんスかねぇ……

 グリンの羽根の動きや身ぶりもいっそう激しくなり、一方でシルバーの目はさらに胡乱げになる。
 どうやらオレは言うことを間違えてしまったみたいだ。けれど、レイスが気になるならオレはついて行ってあげたいなあと思うから、何か別の案を考えないといけない。

「レイス、その船はいつごろ来るの?」
「?」

 レイスはオレの質問には答えず、跳ね毛をひよひよと揺らしながら歩いて行く。
 雲と雲の切れ間。その境目でレイスは器用にしゃがみ込み、無邪気に下を指差した。

「ああ、もう来てるんだね」

 見れば、遠くのほうから緩やかな速度で近づく影が姿を覗かせた。雲を突き抜けて掻き分けていく、巨大な金属とうねる蔦の塊。船なのに植物?と疑問が浮かんだけれど、実際こちらへ近づいてきているその船は、緑の蔓と伸びた木々が金属の壁に絡まり合うような、不思議な見た目をしていた。
 色んな人が噂をするのもよく分かる。見た目はアンバランスなはずなのに悠々としたその船影に目が離せなくなる。



 ぼんやりと眺めていると、オレ達を追いかけてきたグリンが後ろですっとんきょうな声をあげた。

「も、もう来てるの?! ど、どどどうしましょう!」

 その言葉にレイスは立ち上がり、大丈夫と伝えるように再び胸を張る。そしてまだ後ろのほうにいるグリンに駆け寄って行く。
 オレは二人の話より船のほうが気になってしまってそのまま観察を続けていた。なめくじよりも遅いくらいの速さ。目的地がどこにあるのかは知らないけれど、ずいぶんと時間がかかるに違いない。

「はぁ。上から見るとこんなんになってるんスか」

 気づけば横にはシルバーも来ていた。腕組みをして覗きこむその目は相変わらず不機嫌そうだったけれど、こうしてレイス達に付き合ってくれているからには本気で嫌というわけではないのだと思う。

「キミも船を見たことがあったの?」
「まあ、魔界でも話題になってたっスから。下からはただの馬鹿でかい影にしか見えてなかったっスけれども」
「そうなんだ。……すごいよね。こんなに大きなものを見るのは、オレ、初めてかもしれない」
「図体がでかいだけでも意味はないと思うんスけどねぇ」

 のんびりと話している間も船は進む。このぶんだと今日は下見だけで終わりそうだ。船が動いていくのに合わせてか、天界では珍しく強めの風が吹いてマフラーをなびかせる。

「レイス。そろそろ、」

 戻ろうか。そう言いかけた言葉は途中でぶっつりと途切れた。

「♪」
「レイスちゃんっ!」
「えっ」

 各々の悲鳴や驚きが一瞬で弾けて、それよりも早くオレの横をすり抜けて、一陣の風が通り過ぎる。それは先ほどの風よりも強く、天使一人分の重さを攫って行く。

「レイス!」

 動かせない羽根を背負って軽やかに飛んだレイスの、跳ねる後ろ髪を掴むように手を伸ばす。当然、足は一歩踏み出して、そこから先の踏み場がなくなる。指先も足先も空を切って、オレもまた攫われるように落下する。

「だだだだめよ二人とも、あっ、きゃああ!?」

 後ろで再びグリンの悲鳴が聞こえたけれど、振り返る余裕はもうない。乗り込むと言うにはいささか激しすぎるやり方で、オレ達の身体は船めがけて投げだされていく。

「バッ……なにやってんスかアンタら!?」

 その声を最後に、全員の乗船は決められた。



◆シルバーside◆



 極力身を屈める。衝撃を最小限に留めようと試みる。しかし焦って踏み出したのもあり十分な体勢は取れそうにない。結局地面には足がダンッと音を立てるほどの勢いで叩きつけられ、足裏から痺れが脳天を突き抜けていく。

「~~~~~~っつ、」

 全身がびりびりと震える感覚。併せて視界も揺れるが、眉間に力を入れて無理やり平常に戻す。
 苔生した通路、あちこちヒビ割れて欠けている壁、その欠けを埋めるように絡みつく枝葉。植物も命だとよく言うが、人の脈のように張り巡らされている蔦は正直見ていて気持ちの良いものではない。
 頭に手をやってもいまだ衝撃が残っている。まさか考えなしに全員が落下の途を辿るとは思ってもみなかったので、反応が遅れたのも痛かった。
 鈍色と繁茂する緑の中、見慣れた黒翼を探す。あの人が受け身を取れるとはとうてい思えない。おそらくそこまで離れた場所に落ちてはいないだろうが、…………

「グリンさま?」

 通路の一角、青々しい生垣の中にひょっこりと黒色が混ざっていた。まさかと思って声をかけると相手はうんうん唸りつつもがき始める。普通に落っこちていたらしい。

「出られなさそうですか」
「んん~……!」

 出られないそうだ。
 これがコバルト相手なら身体を引っ掴むなり何なりして力任せに出してやれるが相手が相手なのでそうはいかない。見たところ羽根が枝と枝の間に入り込んで身動きが取れなくなってしまっているようだ。頭から生垣に突っ込んでしまっているあたり、着地の仕方にいささかの疑問が残る。

「わかりました。オレが出しますから、あまり動かないようお願いします」
「ん、んうっ?」

 ロングソードを振るいひとまずグリンさまの引っかかっている区画だけ切り取ってしまう。この施設(?)の持ち主には反感を買うかもしれないが、これだけ荒廃しているのだから少しくらいは許されるだろう。
 さすがに絡み合った枝葉と羽根の隙間へ直接刃を入れるわけにはいかないので、あとは手作業で余計な枝を手折りにかかる。引きちぎるにも手間だと思っていたが、触れてみると枝は存外よくしなり、折れるどころか柔軟にその場を譲ってみせた。
 この種の植物は少なくとも魔界や悪魔界で見かけた覚えはない。この船がどの地域からやってきたのかという手掛かりにはならなさそうだ。実もつけそうにないので興味はないが、領主なら研究熱心に試料として集めだすかもしれない。

「ひあっ!?」

 諸々考えつつ作業を進めていると、藪から棒に奇声があがった。同時に目前の羽根が大きく開かれ、思わず手を引っ込めてしまいしなった枝が元に戻る。

「っ、……すみません」

 何やら言いたげに身じろぎするグリンさまへ、何がともわからないまま謝罪する。
 やや強引に羽根を引き出そうとしたのが悪かったのだろうか。なるべく刺激しないよう背中側の羽根の側面を撫でると、グリンさまの体がさらにビクリと跳ね…………何やらこれはこれでよくない気がする。
 相手の細かな反応には頓着しないことと決めて、作業を進めることにした。枝に押さえつけられていた羽根が解放されたおかげか、また一からということにはならなさそうだ。一通り絡まりをほどいて、ある程度の空間を作ってグリンさまへ呼びかける。

「グリンさま、出られそうですか」
「う、ん……えいっ!」

 グリンさまが生垣に突っ込んでいた半身をようやく起こす。逆にこちらへ尻餅をつきそうな勢いだ。つい手を伸ばすとすっぽり収まる。手放した枝葉は弾き出された障害物の隙間を覆うようにまた元の位置へ戻っていった。

「あっ、あっ、ありがとうシルバーさん」
「いえ。怪我は……ありますね」
「えっ?」

 若干赤らんだ頬に擦り傷がいくつかこさえてあった。触って確かめようとするグリンさまの手をやんわりと抑え、手持ちの布で軽く拭いてみる。

「回復魔法を使うほどではないと思うのでひとまずこれで……グリンさま?」
「そ、そそそそうね! ありがとう!」
「? はい」

 グリンさまは少々挙動不審なようだった。とはいえ、わりかしいつものことではあるので置いておくとして。
 まったくもって天界連中のやることは無鉄砲にすぎる。こちとら魔力もそこそこ、翼も何もない一般魔族なのだから、少しは加減をして欲しいところだ。
 改めて周囲を見やる。人目を惹く天使羽や呑気そうなマフラー少年の姿は見当たらない。落ちる場所がずれた、にしてはどうにも引っかかる。

「いませんね」
「えっと……、レイスちゃーん? せんせーさーん?」
「グリンさま、たぶん無駄です。これは……

 考えを述べかけたところで、突如、耳障りな音が聞こえた。金属同士がこすれ合う音よりもずっと甲高い、何か。

「あ、あら?」

 グリンさまの声につられて目を向ける。生い茂る緑がまるで道を開けるようにして位置を変え、何もなかったはずの壁が四角く切り取られていた。ここから進めと、誘うように。



●せんせーside●



 雲を突き抜ける。肌が波打つ。意識が遠のく。
 レイスに向かって伸ばした手はギリギリ届かず、真っ逆さまに落ちた身体はべちゃっと床に潰された。

「うーん……

 レイスとの旅である程度落ち慣れた気はしていたけど、やっぱり痛いものは痛い。すぐには身体が動かなくて呻いていると、横にひょこひょこと寄ってくる何かの気配がした。
 つんつん。
 背中を突かれる。微妙にこそばゆい。
 動かないながらも視線だけを向けると予想通りレイスがいた。彼女は落ち慣れているだけ頑丈で、復帰も早いらしい。心配そうな顔はしているけれど、その裏にさっきのスリルの余韻が残っているのは隠せていない。

「レイス。無事?」

 レイスは一度力強くうなずくと、身振り手振りを交えて懸命に周囲の様子を説明してくれた。どうやらここは部屋らしい。
 鍵もない嵌め殺しの窓と、強度の高そうな床と、背表紙がギラギラと光る文字で書かれた本の並ぶ棚と、ふかふか柔らかいベッドがあるって…………ふかふか?

「柔らかかったの?」
「!」
「あの一瞬の間に寝たんだね」

 オレが倒れている間、レイスはちゃっかりおふとんの具合まで確かめていたらしい。曰く、寝転がっただけ、らしいけれど。そんなに長く伏せてた覚えはないのになあ。



 それにしても。
 オレは重たい体をようやく起こして、改めて自分の目であたりを見回す。窓の外は闇、それから星がちらほら見えるくらい。なのに室内はランプも無いのに不思議と明るい。
 置いてある家具はレイスの言う通りだったけど、なんというか、レイスの口で聞いた雰囲気よりもずっと淡々としていた。凝った色味や使いさしの物が無いから部屋の主がどんな人かもよくわからない。必要なものだけを詰め込んだ客室のような……でもそれにしては歓迎するような温かさがない。
 そう、温度がないんだ。
 室温は快適だけれど、ヒトが居るべき場所にしてはあたたかさがない。

「不気味な感じだなぁ」
「?」

 この感覚はレイスにはピンと来ないらしく、小首を傾げていた。ほかに意見を、と言いたいところだけど、シルバーもグリンも離れた場所にいるらしい。

「とりあえず二人を探しに行く?」

 頷くレイスと共に外へ出ようとした、ところで、ふと。

「あれ。そういえば扉、どこだろう」

 とてもとても単純な事実にオレは気づいた。
 石でも木材でもなく繋ぎ目が一筋たりとも見られない硬質な壁。壁。壁。あと、外は見えても開けるという用途を想定していなさそうな窓。
 扉がない。



 そもそも、と初めに立ち返って天井を見上げれば、そこもまた隙間なく塞がっている。これじゃあオレたち、どこから来たんだろう。
 よくよく思い直してみる。雲を突き抜けたと思ったあの時の感覚。既視感を掘り起こせばそれは、オレ達が何十回だって使っている転移装置の感覚だった。ただ異なるのは真っ白に染まった視界だけで、肌に伝わる感覚と視界とが繋がっていなかったからきっと別のものだと勘違いしていたのだろう。
 もしあの感覚が転移で間違いないなら、この部屋にも転移機能を持つ物があるはずだ。片道か往復かの違いがあるにせよ、少なくともここで閉じ込められっぱなしということはないはず────

 ドゴォッ!

 考え事をしている矢先の轟音。
 見ればレイスがこの部屋の調度品らしきタンスを振りかぶっていた。

「レイス。レイス待って」
「?」

 一息ついたところを見るに、あの轟音はレイスが窓にタンスを叩きつけた音だったのだろうけど、窓もタンスも壊れるどころかひび割れすら起こしていない。

「とりあえずそれは戻そう」

 レイスは素直にタンスを元の位置に置き直す。オレだと正直持てる自信がない代物だ。天使って育てば育つほど力持ちになるんだろうか。
 さておき。
 レイスにオレのさっきの考えを話して、部屋を調べようと提案してみる。転移装置と言えばヒト一人分の大きさだけれど、もしかすると呪文のかかった小道具があるのかもしれない。
 宝探しだ!とわくわくするレイスの頭を撫でてみる。少なくとも破壊工作よりは平和な遊びになるだろう。



◆シルバーside◆



「段差があります。気を付けて」
「ありがとう……

 もう何度目かになる一本道をひたすら歩く。
 うす暗くてじめじめした雰囲気、それ自体は好みなので文句はないのだが。それでも景色がいっさい変わらず現在位置もわからないというのは、まさに暗中の航海に等しいわけであってどうにも気が滅入る。
 段差の位置から床のヒビ割れまで、いい加減頭の中に嫌でも叩き込まれてきた。それはグリンさまもきっと同じだろうが、ヒビに足を縺れさせているあたり疲労が色濃いようだ。
 休みますか、と提案すべきなのだろう。
 けれどもオレの中にはどうしても、いかんともしがたい大きな問題が一つあった。

「ッ!」

 ずる、と微かに響く粘性の音に反応して、即座に剣を振るう。これもこれで問題ではある、が鬱陶しい程度で敵には及ばない。スライムは一閃だけで萎んで動かなくなった。

「レイスちゃんたち、大丈夫かしら……

 グリンさまの弱気な声に思わず振り返る。俯いた顔からは表情が読めないが、十中八九沈んでいる。自分たちと似た場所にあのお気楽天使とそのお供が転送されているのなら、魔物が出てくる以上危険がないとは言い切れないが。オレは柄にもなく、それらしい慰めをひねり出す。

「会えないってことはないでしょう。神経図太そうですし」
「ずぶ……
「転移先さえわかればいいんですが」



 長い一本道の中で、グリンさまにオレの推測は話し終わっていた。
 オレたちが船に落下したというよりは、あの船自体が動く転移装置と捉えるのが適切、という説だ。ただ空間の狭間のように転移先への偶然の余地が広いせいで、四人組が切り離されてしまう事態になったのだろう。
 この考えだって根拠はあくまで感覚頼りだが、理由なくどこかへ迷子になったというよりは、少なくともそれらしく体裁が整うものだった。実際その響きの良さに、グリンさまは一応の納得を返して、パニック状態もいくぶんか落ち着いたらしい。

 といってもだ。
 暗中模索で歩き続けるのはあまりにも不毛が過ぎる。
 オレの転移魔法を使うにしても、行先がわからなければ意味はない。一度魔界に引き返してグリンさまの安全を確保することも考えたが、この人のこと、当然却下された。
 この通路とて妙案が思いつかないから練り歩いているだけであって、実際のところ進んで成果が得られるとは思い難い。

 単純な話、この路の先と終わりは繋がっていた。



 そして惰性で動かされていた足は、例のポイントへとたどり着く。どこからともなく湧き出てくる瘴気めいた陰鬱なもやが視界を覆い始めた。オレは唾をのんで覚悟を決める。ここからは、アレが出る。
 もう何度目かのループになるはずだが慣れないものは慣れないし、そりゃまあ苦手なもんは苦手なのだから仕方がない。
 足が躊躇いに引き止められるのをグリンさまに悟られないよう、努めて速足で歩く。ここが最も怪しいのはわかっているが、長居したくないのもやまやまだ。

「あっ、シルバーさんっ!」

 珍しく鋭いグリンさまの声は危険を感づかせる。ふっと周囲に意識を巡らせた、矢先、

「はい……いっ?!」

 青白く、意思を持つかのようにたなびく、アレが出た。
 不覚にも剣を握る手が固まる。

 ────ゆうれい。得体のしれない、人魂。

 一瞬のうちに幽炎がオレの身体へ纏わりつこうと近づいてくる。ひとまず体勢を、かえ、

「ΘΓ※ΨΛΛδμ!!」

 グリンさまの詠唱と同時、吹き出したのは炎の柱だった。反射的に身を逸らしたその瞬間、横髪がジリっと小気味よい音を立て、鼻先を焦げつく臭いがちらつく。勢いよく通り過ぎた炎柱は、青く沈む炎を灼熱色で圧し潰した。
 その威力は正直、あの厄介極まりない浪費癖女とタメをはるレベルだ。ゆくゆくは領主にまで辿り付きかねない気さえしてくる。
 ……一応、権力者として戦闘力も育つのは好ましいことなのだろうが。当の本人は思わぬ火力に戸惑ってか、杖を抱きかかえておろおろとオレのほうへ寄ってきた。

「ごっ、ごめんなさい。巻き添えしちゃってないかしらっ」
「オレは問題ないです」

 言葉を返せばグリンさまはほう、と息をつく。こちらとしても心境は同じだ。あれを食らっても平気と言える自信はさほどない。
 炎に巻かれてアレは姿を消していた。だが消滅という概念はないようで、オレ達がここを通る度何度も漂ってはこちらへ寄ってくる。まとわりついてくるだけとはいえ怖気の走る何かと仲よくする気はさらさらなく、オレの警戒を汲んでかグリンさまも近寄るのは良しとしない考えになったようだった。
 正直、アレが、……ゆうれいだから。オレの態度が過剰過ぎたのかもしれないが。
 とはいえ何が起こるかわからないものにほいほいグリンさまを近寄らせるのも良くないだろうし。好奇心の旺盛なひとだからなおさら……



「えっ?」

 ふと聞こえた声で我に帰る。終わりと始まりが繋げられているこの通路に、もう目新しいものなど無いはずだけれども。
 振り返り、グリンさまの視線を追う。何の変哲もなかった、はずの壁。そこにはどこからともなく青白い魂が、ゆうれいが、寄り重なってひしめきあって怪しげな光を生み出していた。ぶわっと鳥肌が立つ。苦手なものの塊。見てはいけないものの集合体。一歩、後ずさり、

……!」
「きゃあっ」

 それが悪かった。

「グリンさま?!」

 ゆうれいの群れは仲間を求めるようにグリンさまにまとわりつき、瞬間、その身で陣を描くように蠢いて魔力を放出する。手を伸ばした瞬間にはもう、グリンさまの身体はすっかり壁の奥、見えない裏へと吸い込まれてしまっていた。

 残りは、ゆうれいと、ゆうれいと、ゆうれいと、独り。

 ………………



●せんせーside●



「これは無理だなあ」

 繋ぎ目一つ無い壁と床にオレたちはすっかり音を上げていた。
 タンスやら手持ちの魚やら大剣やら、あらゆるものを振って叩いて殴ってはたきまくったレイスもさすがに今は肩で息をしている。
 病魔の檻を切り開いた時みたいに、メティスを連れてきていれば何か打開策があったのかもしれないけれど。レイスは今回の探索を“友達”との冒険にしたかったそうで、家族は家族で別の機会でってことらしかった。オレが時々病魔の皆に留守番させるのとおんなじなのかもしれない。



 長い間二人であちこち調べた中、一応、収穫もあることにはあった。
 机の上に置いてある固い板。良い具合に料理ができそうとレイスは言っていたけれど、なんだかあちこち触っていたら、急にぴかっと発光し始めたのだった。
 そして板はその光の点滅に合わせて、途切れ途切れの音を鳴らし始めた。

『ロックガ カカッテイマス。
 オートロック ヲ 解除シマスカ?』

 声の主は見つからない。部屋にはオレとレイスだけだ。
 変な生き物。
 どういう意味、とオレ達は疑問をいくつか渡してみたが、相手はただ同じ口調で聞いたこともない響きのことを問いかけてくるだけだった。頷いても大声ではいいいえと叫んでも何も起こらない。
 つまりその板は、喋るけれど物だった。
 結局、板は諦めたように力を失っていった。ざりざりと耳を引っかくような雑音と共に、光の点滅間隔が長くなる。見る間に明度が下がっていき、オレやレイスが表面をぺたぺたと触っている間に、光は途切れてしまった。



 だから、手掛かりが静かになってしまった今となっては、まさにお手上げだ。
 レイスは大きく深呼吸して、ようやく息を整えられたみたいだった。でも、一通り床も壁も天井も窓も叩いたことだし、これといった打開策も見つからない。これ以上は、レイスがすっかりくたびれてしまうだけだと思う。
 そして残念なことに、オレたちの体力はけっこうな差があるので。元気印のレイスが疲れているのに、オレがへとへとじゃないわけがなかった。

「レイス、ちょっと休憩していい?」
……♪」

 レイスが頷いたのを見て、すぐさまベッドに倒れ込んだ。重たくなった身体が柔らかなシーツにゆったりと沈み込む。
 ふかふか。レイスの感想はぴったり合ってる。柔らかくて気持ちいい。自然と降りてくるまぶたに合わせて、呼吸がゆるやかに深くなる。
 しばらくそのままでいたけれど、レイスのほうから音がしないものだから、寝返りを打って確認する。レイスは手持無沙汰な感じであちこちをまだ叩いたり揺らしたりしていた。
 このままだとなんだか悪いことも起きそうだ。たとえばタンスがぐらっと倒れてきて、レイスがぺしゃんと潰れてしまうだとか。嫌な予感にぶるっと身が冴えて、思わずレイスの名前を呼ぶ。

「レイス、レイスも一緒に休憩しよう」
「?」
「まだ元気って? でも、……うーん」

 レイスの好きにさせてあげたいのはやまやまだけれど。彼女はちょっと、なんというか、おおざっぱなので危なっかしい。でもそれを言ったらレイスはぷんぷん怒ってなおいっそう腕に気合を入れるだろう。……あんまり宜しくはない。

「オレだけ寝てるのも悪いし。ねぇ、一緒にねよう」

 オレは何かと考えて、結局、素直な気持ちを口にした。
 きょとん、とレイスの澄んだ瞳が丸くなる。
 そして頬はぽんっと真っ赤、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。

 ……挙動不審だ。
 オレは悪いことを言っただろうか?

 でも、一緒に休むほうが安全だし、ふとんは柔らかいし、そろそろねむたいし。振り子のようにうろうろ動くレイスを見ていると、開いていたはずの瞼がまたどんどん降りてくる。
 オレは身体全体にまとわりつく眠気から一時だけ身を離して、起き上がった。未だにうろつくレイスをぎゅっとつかまえる。

「レイス、おいで」
……!」

 前にもぎゅっとした時みたいに、レイスは真っ赤な顔で固まった。
 あ、でもそういえばこの”ぎゅ”は、グリンに「見てるだけでもびっくりするからあんまりやっちゃだめ」って言われてたんだっけ。
 まあいっか。レイスは優しいにおいがするし、オレはねむたいし。



 レイスを抱きしめたまま、後ろ歩きでとことこベッドに近寄る。最悪転んでも、ふとんはふかふかだから大丈夫。足がベッドにぶつかった辺りで後ろ向きに倒れ込む。レイスは固まったままだから、だっこしたままずるずる体の向きを変えて、ちょっと狭いベッドに二人でぎゅうっと入り込む。
 向かい合っているおかげか吐息が近くて、どことなく安心する。傍に誰かいるっていうのは、それだけで心がぽかぽかする。
 オレは良いけれど、レイスはどうなんだろう。おそろいだと嬉しい。
 睡魔にぼやけた視界の中で、レイスの羽根がシーツに阻まれて窮屈そうにしている。

……羽根、痛くない?」

 オレが尋ねると、レイスはぷるぷると首を横に振った。

「ならよかった……

 それを見届けるとついにオレの瞼は閉じ切って、開けたいとも思えなくなってくる。思ったことが流れるように口をついて出る。

「レイス、やわらかくて気持ちいいね……
「~~!」

 レイスが何か言ったような気がしたけれど。眠気でとろけたオレの意識は、それが何とも見つけられないまま、ゆるゆる眠りの奥へと堕ちていった。



◇グリンside◇



 気づけばポンと放り出されていた。

「え?」

 内気なグリンは羽根をぱたぱた、辺りをきょろきょろ一回し。きょとんとした瞳に移るのは、敷き詰められた石畳、その上を歩く人、人、そして所狭しと並ぶ家。のんびり行きかう人々は各々が露店を覗いたりおしゃべりをしたりして、ベンチでは見慣れた種族のプラントが光合成をしている。水路を流れる清水は太陽の光をきらきら反射して、ところどころに立った街灯は静かに身を陰にしている。
 とても先ほどまでいた場所とは似つかない。

「えっ、えっ」

 グリンがここを街だと認識するまでに、露店の客が二人買い物を終えた。通り過ぎる人は時にグリンを物珍し気に眺め、あるいは道の真ん中に突っ立ったままのグリンを避けるように去っていく。
 戸惑うグリンは顔を左右に振り、そしてその時ふと、水路の近くでぽやんとしている少女と目が合った。

「あ、あの」

 藁にも縋る想いで声をかけ、しかし一方で重大な失敗に気付く。落ち着きなく揺れる黒羽根はあからさますぎる悪魔族の印。ここが悪魔族領ならともかく、グリンに見覚えのないこの場所でとうてい偏見なく話せるとは思えない。
 話しかけておいて一人おろおろとするグリンに、少女は小首を傾げてみせる。

「なーに?」
……あら?」

 グリンの予想していた拒絶はそこには無かった。自然であどけない瞳だけが向けられる。だが、グリンの反応がおかしなせいかその無邪気な瞳も不審に曇りかけ、グリンは慌てて言葉を繋いだ。

「あの、えっと、ここってどこかしら」
「ここは街なのです」
「ええと…………どこの街?」
「街は街です。変なおねーさん。つん」
「あうぅ……

 幸い話はできたものの、とても通じたと言えはしない。少女は要領の得なさに痺れを切らしてか、二つ括りをぽこぽこ揺らして走り去ってしまう。
 グリンは身を震わせて自分を叱咤し、とりあえず水路沿いに進んでみることにした。



 とにかく一番気になるのは、シルバーがどこに行ってしまったのかだ。空間転移に似たことが起こったような気もするし、もしかすると近くに飛ばされているかもしれない。
 ゆったりとベンチに腰掛ける女性へ進み出る。

「この辺りで、青い髪の男のひと見ませんでしたか?」
「青い髪? ああ、あの、厚着してるかっこいい人!」

 気さくな女性はすぐさま合点がいったとばかりに両手を叩く。
 厚着。ここは日差しがほどよく温かいから、シルバーのような魔界向けの恰好は厚着と言えなくもないかもしれないが。
 それよりもグリンの脳内でくるくる回るのは「かっこいい」という響きだった。
 黙っていると迫力のあるあの眼差しや物怖じしない態度は、凄みがあると思うけれど。かっこいいとは。かっこよくないわけではもちろんないけれど、なんというかそれは、男のひとに使うべき言葉で、シルバーはグリンの中にそういう形容では居なくって、でも当然シルバーだって男であって。

……えっと?」

 むつかしい方向へ話が飛びかけたグリンの意識は、女性の興奮気味な言葉で引き戻される。

「あの人なら他所の空間に行くって言ってたわよ。舟の乗り場を教えたら、お礼言われちゃった! やっぱり男の人はクールなのが良いわよねぇ、涼し気な目元となびくマフラーが……
「船?」

 女性の言葉の後半は耳に入らず、ただ気になった言葉だけをおうむ返しする。船とは、グリンたちが興味本位で入り込んだあの不思議な場所のことだろうか。

「ああでも、次の便まで時間があるみたいだから。追いかけるには遅いかもね」
「えっと。ありがとうございます」

 グリンの脳内で言葉とイメージが結びつく。グリンたちが乗り込もうとして半ば落下した、遊泳するあの船。もしかするとここにもあれは来るのだろうか。再びあの船目掛けて飛び降りるのはとても勇気がいるけれど、もしグリンだけうっかり船からはじき出されてしまったのであれば、追いかけなければいけない。
 考え事をしながらてくてく進み、ひとまず女性の言っていた乗り場を探しに行く。ついでに場所も聞いてしまえばよかったのだけれど、後付けで引き返すのも躊躇われてしまった。



 耳慣れない女性の歌声と、露店の客引きをする陽気な声があたりに響く。グリンはそれに動かされるようにふらふらと進み、なんだか浮足立つような気持ちを縫い留めるために、近場の手すりをきゅっと掴んで足を止めた。
 その手すりはどうやら水路の始まりらしく、囲いの向こうでは噴水が絶え間なく吹き出していた。区切られた空間で湧き上がる水のしぶきを眺めつつ、どうしたものかと考える。
 知らない場所はわくわくするけれど、隣にお友達やシルバーがいないのは心細い。

 ふわり。
 と、心細さに身を縮めるグリンの足元に、やわらかいものが触れた。

「ぽち。?!」
「なぁ~」

 見ればそこには見慣れた黒猫がいる。果たしてどこからやってきたのか、グリンの驚きにものんびりと鳴き声を返してきた。

「ぽち。どこから来たの?」

 なんなら一緒に連れて行ってほしいとばかりにグリンは問いかけるが、黒猫はなぁと言うだけで道を示そうとはしない。普段なら言わずとも好きに動き回るはずのこの猫が、なぜかそっと前足を折りたたんでくつろぐ体制にあるのは、ここにとどまった方が良いという意味だろうか。
 のんきな姿勢の飼い猫とは逆に、グリンの焦りは募っていく。

「あのね、わたしね……ままま迷っちゃった。あうう」

 懸命に現状を伝えようとしているグリンにふと、猫の鳴き声ではない言葉が返ってきた。

「失礼、そちらの方」

 大人びた口調ながら、声は高めで少女らしい。かけられた声にグリンはくるりと振り返る。
 つばの広い黒帽子、その横からぴょこんと飛び出た獣耳。まっすぐこちらを見据える意志の強そうな目と、きっちり背筋の伸びた真面目そうな姿勢。すらりと伸びた鼻筋はどことなく魔界の門番役をしているケルベロス達を思い浮かばせる。言葉を選ばなければ犬である。
 その少女は黒ずくめの恰好と言い、どことなく魔界や悪魔族の雰囲気を思い起こさせた。奇妙な親近感にしげしげと眺めやる、その相手の手の内を見て、グリンの瞳がきらりと丸くなる。

「あ、あら?」

 光を受けて反射するガラス瓶。毒々しい色と、禍々しいドクロマーク。それは、まじないや魔術が身近な悪魔のグリンにとって、とても興味を惹かれるものだった。



◆シルバーside◆



 魔物の巣窟に放り込まれるほうがまだマシだ。心の中でそう毒づきながら、応えの無い壁をガツンと叩く。
 死地に追い込まれると人は過敏になるというが、一方でオレの剣技はいつになく鈍っていた。決して、決して、得体のしれない人魂に囲まれていたからではなく、いや一部分でいえばそれも要因の一つなのだが、それ以上に頭を占めていたのはグリンさまの行方だ。
 どこへ連れて行ったのか聞き出そうにも人魂────ここのゆうれい達は、会話が為せないらしい。
 反応自体は見られる。震えたがる腕を叱咤してゆうれいを引っ掴────もうとして擦り抜けられたその時、砂嵐のような音と共に声らしきものが聞こえたからだ。

『高度124―――計測に異常――
――――マシンの調子が狂って軌道が』
――たちの新たな故郷――――

 蒼白い炎の形をしたそれらはしかし熱を持たない。同様に声にも生気は感じられなかった。途切れ途切れで意味は読み取れそうに無く、聞き慣れない言葉も多い。
 長年生きてきた自分にわからないとなると、このゆうれいたちはよっぽど古くに死んだ者たちなのだろうか。早いところ行き着くべきところへ行き着けばいいのに。
 臓器に直で触れるような感触だけが掌に残る。身の毛がよだつ。何にせよ、ゆうれいから成果を得るのは難しそうだ。意識への介入ができなければ得意の洗脳魔法も封じられたに等しい。
 進展もなく延々と続く通路には手掛かりどころか手詰まりしかなかった。この陰鬱で果ての無い空間自体はどことなく親近感を抱けて心地よいが、たった一点においては今すぐにでも撤退したくなる。

「どうも駄目なんスよねぇ……

 ゆうれい。敵意の如何に問わず忌避感を覚えるのは、彼らの存在自体が責め立ててくるように感じるからだろうか。おまえばかりずるい、と言わんばかりに。

 ────未練も言葉も残らないほうが良い。残された方はたまったもんじゃない。

 それでも考えに反して後生大事に持っている、魔剣の鞘へ目を向ける。収められるべき剣はいない。時間の感覚もなくなっていたところだが、そういえばフェンリルを放置してきたままだった。そろそろ機嫌を直して城へ戻っている頃かもしれないが────

…………Ω§□

 そう考え事をしていた、矢先。聞いたことのない声で、聞き覚えのある詠唱が耳に流れ込んできた。途端にすさまじい勢いで身体が宙へ引っ張られる。

「は?」

 天井に広がる薄闇を飛び越えて転移のごとく一瞬に。
 眩む視界、水晶の割れる音、魔界の空気に似た瘴気。

 目の前では、つまらなさそうな表情をした緑髪の青年が剣を構えていた。



●せんせーside●



 起きるとレイスがいなくなっていた。
 と、いうよりオレが移動していた。

「ええと」

 暗闇と、チカチカ瞬く光。空間の狭間に似ているけれど、あの場でよく感じる変な歪みや抵抗感みたいなものは感じない。暗いという意味なら魔界も似ている。
 魔界。星。そう、夜と星だ。
 でもそれはあり得ない。だって、星は頭上の空に広がるものであって、ここみたいに縦横無尽に浮かんでいるはずはない。
 いや、それ以前に、オレの位置が。



 足元を確かめようとして、踏み出した爪先は地面を見つけ出せず身体ごと傾く。何か掴むものをと伸ばした腕は宙ばかりを切って、オレの身体は不安定にゆらゆら揺れる。

 空の中にオレがいる?

 ふと頭をよぎったのはブラックの言葉だった。ウチュウ。オレ達のルールが及ばない、黒くて暗くて孤独な世界。
 それはブラック自身の知識というより半分はフルルーの残留思念から得た知識なのだそうだ。レイスにも話したけれど、ちんぷんかんぷんな彼女の代わりに聞いといてほしいと頼まれたんだったような気がする。
 聞いた話から照らし合わせると、ここは宇宙、なのだと思う。オレが体験したフルルーのものとは異なる形の。

「でも、なんでオレだけが?」

 そもそもオレはレイスと一緒に寝てたはずなんだけれど。もしかして、夢とかだったりするんだろうか。
 夢。そう意識した瞬間、ふっと身体が重たくなる。視界が急にぐらんと回って急降下する。

「う、わ」

 マフラーがたなびいて後方へ流れる。重力と物理法則、つまりはオレたちの世界のルールが適用されたらしいと悟る。
 マフラーがはためいた拍子、目の前に浮かぶ白っぽいもの。反射的に掴んだらふんわりと手を擦り抜けて、何度か掴んでようやく手の中に納まってくれる。それは馴染みのある羽根だった。

 レイス。

 抱きしめて寝ていたからマフラーに引っかかったんだろうか。唯一の彼女の名残を握りしめて、オレはひたすら落ちていく。仮にここが夢だったとしても、目覚めて痛いじゃすまない気がする。
 瞬きの間に星々が流れ越していく。オレの歴史よりもこの空間はずっと広大で長命なのだと、数多の星がきらめいて教えてくれる。

 もし宇宙が星々を抱える天井なら。
 オレは、この世界のどこにいるんだろう?

 どこにもいない、と答えるように、身体がポンッと弾き出された。



◆シルバーside◆



 結論。
 散々な目に遭った。
 身体中傷だらけ、なけなしの魔力も空っぽだ。

 乱反射に眩む視界を越えて、弾き飛ばされた先では何故か見知らぬ少年達が剣を構えていた。その後ろには、オレの魔剣が居た。そりゃもう心外で不機嫌で寄らば斬ると言わんばかりのしかめっ面をしていた。
 なんでそこに。何故人間体に。というか色々とおかしくないっスか。
 そんな文句すら言わせてもらえずあれよあれよとバトルが始まったのが運の尽き。近場の魔物を慌てて味方につけたはいいものの、肝心の武器が相手方に寝返っているうえに延々と空しい通路を歩き回って疲弊させられた身体ではとうてい敵うわけが無かった。
 せめてフェンリルだけでも連れ戻そうと声を上げかけたところでこれまた視界が急転。
 続いて落とされた場所は、ようやっとというべきか、見慣れた魔界の地だった。



 嘆いていても事態は好転しない。その場で大の字になってしまいたい気持ちを押さえて、ひとまず周りの状況を確認する。魔界の城の少し手前、街と魔界樹とに繋がる交差路のど真ん中。
 船へと落ちる前はここと真逆、はるか上空の天界にいたはずだが。転移法則云々はともかくとして、はぐれたグリンさまの居所が気にかかる。魔界か悪魔界、あるいは百歩譲って天界なら事情通がいるから問題はないだろうし、仮にさっきの異空間へ飛ばされたとしてもフェンリルはグリンさまを気に入っていたようだから、斬りかかられることはないだろうが。
 ひとまず折れかけた剣を杖代わりにして、行き先も定めないままふらふらと足を一歩踏み出したところで、

「はね毛の────っ、あれ?」

 圧縮した魔力が解放される衝撃音と共に、同行人が姿を現した。相手は気づかわしげな視線をオレに向けてから唇を動かす。その前にオレの口は動いていて、出た声は見事に被さった。

「レイスは?」「グリンさまは!?」「……」「……

 沈黙は何よりも雄弁である。
 見れば相手もなかなかな戦いに巻き込まれたらしく、マフラーはほつれ、髪はいつも以上にぼさぼさとしている有様だった。唯一、普段から眠そうな瞳だけはハッキリと冴えている。
 この少年がこういう表情をしている時はたいていが天使絡みだ。正直、あれはどこに行かせても平然と無傷で戻ってきそうな印象があるけれども。

「あんたどっから落ちてきたんスか」
……うーん。見たことのない場所だったけれど。狭くて鍵のない部屋と、宇宙と、白黒の森、かな」
「はあ。さっぱりっスね」
「とりあえずなぜか急に戦うことになって、勢いで頑張ったんだけどやられて。そこにいた子にレイスのことを聞こうとしたんだけど、話の途中でここに飛ばされちゃったんだ。そっちは?」
「ほとんど似たようなもんっスよ。まったく……

 思わずため息が漏れる。

「せっかくなんで、あれが帰ってきたらもっと警戒心を持てって言っといてもらえないっスかねぇ」
……あれ、がレイスのことを指しているのなら、気を付けてって言うつもりではあるけれど。そういう言い方、やめてくれないかな」
「そういう?」

 聞き返して、答えを察する。どうしても魔族寄りの生活をしていると天使が“消耗品”という意識が拭えず、とっさに口を突いて出るのはそういう物言いだった。まして疲労で頭の回っていない状態であればなおさらだ。

「あー。わかっちゃいるけど抜けないもんで」
…………
……悪かったっスね」

 別段、あの天使を貶めたいだとか憎らしいだとか、そういう感情があるわけではないのだけれども。無自覚は意識してやるより性質が悪い。悪魔族の扱いにばかり目を向けてしまうが、これでは人のことも言えないだろう。
 素直に謝罪すると、眇められていた眼差しはいくぶんか柔らかくなった。……領主とよく似た顔で敵意を向けられると肝の冷えるところはあったので安心した。
 残留する寒々しい雰囲気を散らすように、次の方針へ頭を切り替える。得た情報からして再び船を探して追いかけても無意味だろう。となれば、

「きゃあ!」

 ────きゃあ?
 見れば、床に転がったグリンさまが一人で目を回していた。



○レイスアールside○



 そして、お話にも終着点は訪れます。
 不条理も不思議も飲み込んで、ただ温かな心の望むままに。



 天使の女の子が歩くと、固い床がこつんこつんと音を立てました。足音以外に響くものは、地を這うようにあちらこちらから鳴る駆動音。生き物が立てる音は無く、天使がとっても大好きで大切にしている男の子も今は傍にいませんでした。
 ついさっきまで、天使は男の子に抱きかかえられてすうすう寝ていたはずだったのです。緊張して眠れないと確かに思っていたはずなのに、すっかり意識は夢の中。そして、目覚めて気づけばこの、静かな場所へと立ち尽くしていたのでした。
 どきどきうるさい心臓が、男の子と離れた今となっては別の意味で早鐘を打っていました。

 だから、天使が“彼女”を見つけた時、縋りつくような勢いで駆け寄ったのも無理のない話だったのです。

「あら? お客様?」
「!」

 大人っぽい真っ赤なワンピースが目を引く女の子でした。胸元の空いたその服はどことなく天使の姉を連想させましたが、袖の少し余った武骨な上着や、横髪を綺麗に編んで短くまとめた髪型は幼なげで、歳の頃は幾つとも判別できません。
 彼女は天使を見て、澄んだ瞳を丸くします。

「おかしいなあ。リストに居ない乗船員まで乗せられるわけはないはずなのに……。IDコードの承認機能がクラッシュしてるのかしら」

 名前のわからない彼女は、不思議そうに首を傾げます。彼女の言っていることは天使にとってちんぷんかんぷんで、でも、そんなことには構ってられないくらい天使はおろおろでした。

「!……?」

 ここはどこ彼はどこあなたは誰。溢れ出る質問は言葉にならず、天使はわたわたとあちこちをうろつきます。

……天使と悪魔の話は、セラ君から不評だったなあ。『人間に造られたものが人間の存在次元を超える世界なんて想像するのはおこがましいよ』って」
「??」
「でも、死後の話だって高次元存在の話だって、古典になるくらいたくさんあるのに。そういう話に対応できないなんてそれこそポンコツさんだと思うの。だから、私達だってそういう、心の行く先の話をしたっておかしくないの! ねっ?」
「~~~!」

 彼女は最後だけ同意を求めてきましたが、話はちっとも通じていません。好き勝手喋る彼女の様は天使をさらに焦らせました。ぷくっと頬を膨らませますが、言いたい言葉はうまくまとまりません。
 さすがに天使の不満が通じたのか、名前のわからない彼女は身を正して向き直ってくれました。事情を問いかけてくる彼女に、天使はとりあえず、今までのあった出来事を説明してみます。それでも彼女との会話はうまく噛み合いません。ただ、彼女は彼女なりに結論を出して納得はできた様子でした。

「とりあえず、元々あなたたちはイレギュラーみたいだから……検出して吐き出すことはできると思う」
「??」
「えっと、おうちに帰してあげられるってことね。たぶんだけど」
「♪」

 名前のわからない彼女は陶器のような美しい指先を、光る画面の上でせわしなく動かしていました。その画面だって天使にはよくわかりません。それでも、その指先が天使の帰り道を導こうとしてくれていることはわかります。

……うーん。メリアの航路に影響はないみたいだし平気よね。うんうん!
 それにしても────」
「?」

 名前のわからない彼女は天使を一通り興味深そうに見物すると、少しだけ、笑顔に陰りを見せました。

「なんだか不確定要素が多くてそわそわしちゃうなあ。私、ちゃんとできてるのかしら」

 天使はやはり意味が伝わらず小首を傾げます。その様子を見て、彼女は気合を入れ直すようにぴしぴしと自分の頬を張りました。

「ごめんね、言われたって困るわよね。一人でいるとつい不安になっちゃって。私を見てくれる人がいないからかな」
…………

 …………誰かが傍にいてくれないと、きっと、人はうまく生きられません。
 それを天使はよくよく知っていました。一人ぽっちで苦しんで、空間の果てに飲まれかけたブラックのことが頭をよぎります。それに天使自身だって、大切な魔剣の家族がいなければ、旅に出ようと飛び降りる足がすくんでいたかもしれません。

「でも、セラ君だって向こうで頑張ってくれてるものね」

 一人だと彼女は言いますが、少なくとも、彼女にも想い人はいるようでした。たとえ触れ合えなくたって、心の傍に寄り添う人。彼女の口から何度も零れ出る“セラ”というのがきっと彼女にとって、とても大切なひとなのでしょう。
 天使は自分にとっての大切なひとを心に思い浮かべます。
 どきどきと、ふわふわ。そこからイメージは膨らんで、たくさんの人達の見慣れた顔が次々と浮かんできます。
 だからきっと、彼女もそう。心細さを埋めようとして、人と人の間、栞とページの狭間、どこかで見かけた誰かたちをついつい引き込んでしまったのでしょう。天使達が乗り込んだこの船だって、もしかすると誰か友達を見つけたくって、空をふよふよ泳いでいたのかもしれません。

「あとは転移のための外部エネルギーが必要だけれど……そこはセラ君に任せちゃおうかな」
……?」
「うん。たぶんあと少ししたらお友達のところに帰れると思います。転移箇所をマークしておくね」

 彼女が指先で四角い何かを叩くと、床がピカリと光り出しました。その輝きは天使たちがよく使っている転移魔法陣に似ています。天使はいそいそとその上に乗り、待ちきれないと言いたげにその場でぐるぐる回りながら時が来るのを待ちました。
 その様子を微笑ましく見守りながら、ふと名前のわからない彼女が尋ねてきます。

「ねえ、せっかくだし一つ聞いていい?」
「?」
「造られたものが親の決めたルールを越えようとするのって、やっぱり良くないこと?」
「???」

 天使は、またまた首を傾げます。その質問は、なんてことないものだったからです。そう、天使にとっては疑問にすらならないくらい。
 だって、天使は親を超えるどころか。力づくで殴り飛ばして暗いところから引っ張り出して魔界の領主な親を差し置いて魔王の座にまで上り詰めているのですから。
 親のほうも親のほうで天使の女の子の成長は喜ばしいらしく、妹も強くあれと魔法を仕込んでいる時期です。兄代わりのおちゃめな魔剣だって、早く子離れしなきゃと親に忠告しては魔法を叩きこまれる日々です。
 だから、つまり。
 彼女が怖がる必要なんて何一つないのでした。



「そっか。そうね」

 迷いのない天使に、勇気づけられたような感謝が返ってきました。天使は転送用の陣に立ってにこにこと頷きます。

「ヒトの演算を超えたココロでも、良いんだって。誰かに言ってほしかったのかなあ……

 名前のわからない彼女は、ぽそりとそう零しました。それはやっぱり天使にとってよく意味の通じないことだったけれど、それでも何か返してあげたくなる不安げな響きがありました。
 天使は口を開きます。けれどもそれに答えを返す暇も無く転送陣が輝きました。



 だから、浮かんで引っ張られる渦のなか、天使は確かに願ったのです。
 天使にとっての彼みたいな、大事な人が。あの子を抱きしめてあげられますように。



◆シルバーside◆



 話は存外平和に落ち着くらしかった。グリンさまが一応……一応は、何事もなく戻ってきたからだ。
 床に転がっているグリンさまの手にはなぜか見るからに怪しげな瓶。肩口には伸し掛かろうとしている黒猫。
 はたしてどこから突っ込めばいいのやら。
 言葉を失ったオレより先に、せんせーが暢気に口を開いた。

「わ。グリン、おかえり」
「あうう……た、ただいまなのかしら?」

 緊張感が無さすぎる!
 自然と自分のこめかみに手が伸びた。下手な戦闘より、どっと疲れが出る。気を張っていた身体がぐらりと揺らいでその場に座り込む。

「あっシルバーさん!」

 それでグリンさまはやっとオレに気付いたらしい。黒猫をひょいと脇に押しやってこちらへ駆け寄ってくる。オレ達と違いグリンさまに戦闘の形跡はなかったことは何よりだった。

「大丈夫っ?」
……無事ではあります」
「良かった……。けど、はぐれちゃってごめんなさい」
「いえ。オレの不手際ですから」

 自省が入るとつい突っぱねたような物言いになる。グリンさまもそこで固持はせず、ただ「ありがとう」とだけ言った。
 ……あの天使と出会ってから、どうも感謝を口にされることが増えた気がする。今までほとんど経験したことのなかったその言葉は正直、面映ゆい。

「グリンさまは、無事でしたか。痛むところやおかしなところは」
「ええ、大丈夫よ。それにおみやげも貰えたの」
「おみやげ?」

 事情を一通り聞いたところ、とりあえず、彼女が手にしていた瓶は人体実験の薬品でもなければ呪いグッズでもなく、単なる殺虫剤とのことだった。
 グリンさまの支離滅裂な話しぶりでは伝わりづらかったが、まあオレ以上の奇妙な体験をしてきたということらしい。それでも、オレのようにいきなり多勢に無勢の全力バトルを要求されるようなことはなかったようだ。転移先自体が悪魔族にも寛容な危険の少ない地域ではあったようで、思わず安堵の息が漏れる。
 その態度がグリンさまにはマイナスに取られたのか、伺うような視線が向けられた。

「あの……心配、させちゃった?」
「とても。」

 何を当然のことを。
 意図を問うように見返せば、ふんにゃりとした笑みが返ってきた。早口で「ごめんなさい」と言われるが、どうもその口調は浮足立っている気がしてならない。
 オレのうろんな眼差しから隠れるようにグリンさまはぱたぱたと羽根を動かす。お小言とわかっていつつも続けようと口を開けば、ふいに別の話題が転がり出た。

「そ、そそそういえばレイスちゃんはっ?」

 それに答えたのはせんせーのほうだった。

「オレもはぐれて、わからないんだ」

 わからない、と言うわりに彼の態度は落ち着いていた。その証拠に、彼はいつの間にやら黒猫を捕まえてわしわしと無造作に撫でている。

「でも、グリンも帰ってきたし大丈夫かなって。それに伝言も頼んでおいたから」

 その言葉には妙な確信が含まれていた。さっきの慌てぶりはどこへいったのやら、冴えていた目つきも今はまどろみに緩められている。その安心の根拠が知れず、オレはまたつい口出しをしてしまう。

「伝言、ねえ。無視して突っ走りそうな気もするっスけれど」

 そう言うと、せんせーのみならずグリンさままでもが一緒になって笑いをこぼした。なんでまたそういう反応になるのやら。眉を顰めればせんせーの気の抜けた答えが返される。

「レイスは帰ってくるよ。オレが待ってるってわかったら必ず」
「そうね。レイスちゃん、とっても良い子だもの!」

 ずる、と再び身体が傾いだ。
 それで帰ってこなかったらどうする気だ────と、突っ込みたくはなったけれども。オレは今度こそぐっと唇を押さえる。
 彼らの仲は彼らのルールで回っているのだろう。たぶん、肩肘張ったオレじゃあペースを乱されてしまうくらいの、生温い優しさで。

「で、集合場所は決まってるんスか」
「うん。家で待ってる」
「じゃ、あんたはそこで待つとして。オレ達はこれで失礼させてもらうっスよ」

 そう言って、一度グリンさまのほうに目を向ける。
 オレ達、とわざわざ言葉を選んだつもりだったが、当のグリンさまはきょとんと眼を丸くしていた。まったくもって伝わっていない。むしろこのまま彼らの家まで行く気だったのだろう。
 が、オレもそろそろ我儘を通させてほしい。
 率直に言って、体力の限界だ。

「グリンさまも、ですよ。ペットと土産と両手に抱えて持ち歩くつもりですか」
「あ。そうよね。でも、レイスちゃん……

 グリンさまは眉をハの字にして手元とオレとを交互に見てくる。天使が帰ってくること自体は疑問にならずとも、心配は心配らしい。当然といえば当然で、オレとグリンさまが五体満足で帰ってきただけで落ち着いてしまうせんせーのほうが少々変わっている反応だとは思う。
 仮に意見を訊かれてもオレはオレの場所に帰るつもりだったので、グリンさまの物問たげな視線はあえて無視する。
 と、打開策を持ちだしたのはせんせーのほうだった。

「レイスもいつ帰ってくるかわからないから。帰ってきたら、一緒にグリンとシルバーの顔を見に行くよ」
「ほんとう? それなら……
「別にオレはいいっスけれども」
「もう! シルバーさん!」
……はい」

 言わなくても良いことを言ってしまう程度には、頭がボケていた。早いところ布団に倒れ込んでしまいたい。そんなオレの態度が表に出過ぎていたのか、あとは二言三言交わして別れることとなった。
 未知の長旅をしたわりに、存外あっけない解散だった。疲れの溜まりがちな身にありがたくはあるけれど。



 城までの道はそう遠くない。その合間を縫うように、オレは訥々と口を動かす。元々どこかぽやんとしているグリンさまのことだ、天界連中の軽挙妄動がこれ以上移られてはたまったもんじゃない。釘を刺そうと思えば思うほどつらつら言葉が振ってくる。こういう時ばかり饒舌だ、という自覚はある。

「あの船もおいおい調査をしようと思ってはいたので、強くは言えませんが……一緒になって落ちるのは流石にやりすぎです」
「でもシルバーさんだって、来てくれたわ」
「仕事のうちですから」
「それでも、他でもないシルバーさんが来てくれたから安心できたの」
…………そうですか」

 理屈になっていない。
 安心されても困る。
 と、返すべき言葉はわかっているのに勢いが削がれてしまう。これだからこの人は、……参る。
 改めて言葉を選び直して、口を開く。

「別にオレは保護者じゃないんでグリンさまの交友を制限するつもりはありません、けれど。せめて慎重さと警戒心は持ってください」

 常日頃から言いたいのはこの一点に尽きる。
 保護者じゃないというのならこんな小言を突き立てる必要だって無いのだけれど、そこは義務感というか、アルヴァさまの言いつけを守る手間を減らすための一手間というか、そういう何かなので。
 内心で誰にともなく並べたてながら、なるべく強い調子で警告する。けれども予想に反して、返ってきたのは穏やか過ぎる笑みだった。

……ふふふ」
…………笑い事じゃないんですが」

 ほんとうに。また同じことをされたら、いくら長々先の見えないオレの寿命も、そこそこ縮む気がしてならない。
 グリンさまはそんなオレの心境を知らないもんだから、こんな時だって甘ったるく笑う。

「ごめんなさい……えっと、でもね」
「でも?」

 何か厄介な言い訳でもされたらどうしようかと身構えるオレに、向けられたのは例の気恥ずかしい言葉だった。

「嬉しかったの。いつも傍にいてくれて、ありがとう」



 そんな、ことは。

…………別に、」

 別に、大したことじゃない。
 あなたと一緒にいることくらい、大したことじゃないというのに。


 そんなくらいのことで、グリンさまは満足そうに微笑むものだから────まあ、言うほど悪い一日ではなかったかもしれない。なんて。
 そう喉まで出かかっていても、慣れないむず痒さに耐えかねて上手い言葉も見つからない。

 こんなオレのことだって「きちんとわかっています」というような顔をして、やっぱりグリンさまは今日も微笑んでいるのだった。



●せんせーside●

 そうして、今日も君が帰ってくる。家の扉をバターンと勢いよく開けて、興奮で息を弾ませて。
 ああなんだか色々あったんだろうなって、ちょこっとぼろぼろな姿を見ればすぐわかる。
 心配半分と微笑ましいが半分こ。それでも君の瞳はいつだってキラキラ輝いているから、心配は安心に移り変わる。

「おかえり、レイス」
「♪」

 あの船も、あの冒険も、なんだかよくわからないことだらけだったけれど。結局のところオレ達がわかることなんて広い広いセカイに比べればほんの一粒くらいなんだろう。少し不思議が残るほうが、明日はきっと面白い。
 何より、レイスが満足そうににこにこ笑って、オレの傍にいてくれるから。オレもつられて満足してしまうんだ。


 だから、うん。

 ────今日も今日とて、めでたしめでたし。





◆◇
おしまい
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