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ツキシキ
2023-07-01 22:03:50
117641文字
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★天使のうつわ・おばけと魔法とまとめ
13作品。「空想地球儀」作品の二次創作。
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スパイス
シルバー視点。シルバー×グリン。ちょっとだけラズベリー。
____________
「良いものやるよ」
そう言われたとて、この魔界において「わぁ何だろう」などと純粋に喜んでしまえるのは、それこそコバルトやグリンさまくらいだろう。
シルバーはそんなことを考えながら眉を寄せた。片や蝙蝠の下っ端、片や悪魔の長にも匹敵する立場のお嬢様、彼らを同列に扱うのは少々頭が痛くなりはするも、シルバーの見解だとあながち否定しきれない話なのである。
ともあれ。たとえ甘言を前にしても素直に両手を上げられるほどシルバーは子どもではなかった。故にカウンター越しに取り出された物を見ても勿論手に取ろうとはしなかった。
「なんスかそれは」
「ふっふっふ、何だと思う?」
ハンカチにも似た白い包みに赤いリボン。少女趣味なそれは到底自分に似つかわしくなく、シルバーは自然と腕組みをして拒否の姿勢を取る。しかし、相手はめげることなく包みをずいずいとシルバーのほうへと押しつけてくる。
こと魔界においてシルバーにこうも不遜な態度を取れる者は限られている。その数人に含まれているのが魔界の食卓を統べる彼女、ラズベリーだった。ラズベリーは何か企みがある様子を隠そうともせず、にやにや笑いで包みを差し出すばかりである。
状況だけ見ればラズベリーからの強引なアプローチとも取れそうなものだが、そんな勘違いをしてしまうような呑気者はここにはいない。その他大勢たる周囲の者達はカウンターから距離を置きつつ、勇気あるラズベリーの行動をはらはらと見守り、あるいは目を逸らして嵐の予感に備えていた。暴風雨のごときシグマほどではないにせよ、シルバーも存外雷を落としやすい性質で知られているのである。
ラズベリーはそんな周りの警戒を知ってか知らずか、さらに大胆にもカウンターから身を乗り出してみせた。
「まあまあまあ、いいから受け取れって」
「得体の知れないもんをほいほい貰う気はないっスねぇ」
シルバーのつれない言葉にラズベリーはしょげるどころか、さらに笑みを深くする。
────ああ、嫌な予感がする。と、シルバーが感づいた時には既にその名前が挙がっていた。
「いやあこれもグリンのためでさあ」
「!」
不覚にもシルバーの肩はほんの少しだけ動いてしまう。
その名前にぴくりと反応してしまうのは彼女を魔界の要人として気にかけているからであって他意は無い────というテイを装おうとするシルバーの努力はむなしくもラズベリーに筒抜けである。彼女がここぞとばかりに畳みかけるのもまた自然の成り行きだ。
「シルバーさんも知っての通り、悪魔ってのはいやあ参ったことにちょいとばかし味覚がアタイらと違うわけでして。とはいえこちとらシェフの端くれ、ましてや大事な友達のためとあっちゃ、一肌どころか二肌脱いでうまいことイイモン食べさしてやりたいわけなんだよ」
「
……
はぁ、そうっスか」
「そうそう。んで、取り出したるがこれなわけだ!」
ジャジャーン、と擬音でも流れだしそうな勢いでラズベリーは両手を包みに向けてみせる。ここで拍手でも起これば見物だが、あいにくシルバーはそうノリが良いわけでもない。白けた沈黙の後、ラズベリーは照れくさそうに軽く頭を掻いた。
「つまりこれはさ、いわゆるフツーの食材を使ったうえでグリンみたいな悪魔の味覚でもおいしく食べられるように改良した、特別なクッキーなわけなのさ」
先ほどより落ち着いたトーンでラズベリーはそう説明を終えた。そして改めて、シルバーに包みを押しつけようとしてくる。
「いや、だからってなんでオレに。アンタが直接渡せばいい話じゃないっスか」
「それが困ったことにこっちはこっちで忙しくてよぅ。食器洗いに夕食の仕込み、明日の献立の構想に買い出しと、やることは山積みなんだ。いやいや天下のシルバーさんが暇だなんてこたぁ言わないけどさ、ほら、どうせこの後は畑の様子でも見に行くわけだろ?」
「
……
まあそうっスけど」
「ほらきた! グリンの部屋はおんなじ階、ちょっと行きがけにぽいっと渡してくれりゃそれで済む話ってわけだ」
「
…………
」
もっともらしく聞こえるようでいて、その実ただの使いっぱしりである。シルバーは半眼でラズベリーを睨んだ。当然ラズベリーの言に惑わされるつもりは無く、毅然と断るつもりでもある。
しかしどういうわけか言葉が出てこない。
何故かと理由を思い浮かべようしたところでシルバーの脳裏にはグリンの顔が映りかけ、この場に本人がいるわけでもないというのにふいと目を逸らす。そこにトドメとばかりにラズベリーが、
「なんだよぅ、大したことじゃないだろ?」
などと言い出すものだから、シルバーの口元から否定の言葉は奪い去られてしまった。
「まぁついでっスからね」
シルバーはそう言って、一応の不機嫌を示すようぞんざいに片手を突き出してみせる。手の上に乗せられたその包みは中身に反して重たく感じられ、ついまじまじと見つめてしまう。が、その重みが内心の表れだと気づくなりシルバーの顔は渋いものになった。これではまるでとてつもなく大層なものを受け取ってしまったかのようだ。
ラズベリーは相変わらずにやにやとしながらそんなシルバーの仕草を見届け、周囲の者達は何やら成り行きがうまく収まったらしいことを知り安堵の息とともに食事を再開し始めた。そんな流れがまたシルバーにとっては気に食わないが、こうなってしまっては話に乗るしかない。ラズベリーの良いようにやり込められるのは癪だったが、ムキになろうものなら事態がより不利に動くのは明らかだった。
────ちょっとついでに預かり物を渡すだけの、些細な頼まれごと。
そうやって何でもないことのように誤魔化して見せることだけが、シルバーに辛うじて残された唯一の逃げ道だった。
◇◇◇
先んじて来客に気付いたのは黒猫のほうだった。チリンと鈴が鳴り、その合図でグリンの意識は現実に引き戻される。目前で広がっていた甘ったるい空想は霧散し、容姿端麗な騎士に頬を染める姫の姿はもはやどこにもない。手元には活字の印字された本だけが残っていた。
胸ときめく世界に少しばかりの名残惜しさを感じつつも、グリンは柔らかな声で黒猫に問いかける。
「どうしたの、ぽち。」
しかし鳴き声が返ってくるその前に、控えめなノックが三度響いた。グリンの部屋によく訪れる心当たりが数人浮かぶ。けれども、
「グリンさま、いらっしゃいますか」
「えっえっシルバーさん?」
伯父やスカーレット辺りだろうという予想は大いに外れ、グリンは慌てて立ち上がった。その拍子に持っていた本を机へ投げ出す形になってしまい、その拍子にティーポットとカップをのせたトレイががちゃんと嫌な音を立てる。
「きゃっ!」
幸い紅茶は零れなかったが、ひょっとすると本のページの隅が折れてしまったかもしれない。そんな心配事がグリンの頭をかすめるが、一方でシルバーを待たせてしまっている、とおろおろしているうちに黒猫が軽やかにベッドへ昇ってシーツとじゃれ始める始末。しまいには扉の向こうから怪訝な声が飛んでくる。
「
……
グリンさま、大丈夫ですか?」
「あうう。だだだだいじょうぶ、大丈夫よ、だからあのね、ちょっとだけ待っててもらってもいいかしら」
「オレは構いませんけれど
……
」
気遣わしげな声に答える余裕すらなく、グリンはひとまず黒猫を抱きかかえながら、あせあせと考える。ああ、呆れられてやしないかしら。グリンのことを良く知っている親戚達やラズベリーであれば、苦笑しながらいつものことだと流してくれるのが常のことだが、相手がシルバーとなれば話は違う。せっかく少しばかり歩み寄れた仲だというのに、ここまできて“ドンくさい”だなんて思われるのはグリンにとってたいそう寂しいことだった。シルバー本人は、そんなこととうの昔に気づいているのだが。
とにかくなんとか机の上を整え直したところで、グリンは勢いよく扉を開く。
「ごっごめんなさい、待たせてしまって」
「いえ、オレこそ急にすみません」
未だに落ち着かないままのグリンに対し、シルバーは普段通りの様子で向かい合う。だが、グリンの手元を見るなり何とも言い難い表情をする。彼の視線につられたグリンがきょとんと自分の手元を見れば、そこにはがっちりホールドしておいた黒猫がいた。
「ペットですか」
シルバーのそんな反応で、グリンはようやく今の状況を悟る。これだとまるで、シルバーの用件をそっちのけでうちの子自慢をしてしまっているかのようだ。慌てて黒猫を下ろそうとするが、黒猫はどうやらグリンの腕の中が気に入ったらしくご機嫌に喉を鳴らし出す。
「あっ違うの、えっとね、この子はぽち。って言ってね、」
「
……
どうも」
「ニャー」
言い訳をするはずが何故か紹介になってしまい、シルバーまでもが場の流れに飲まれて黒猫に挨拶をするのだからもうグリンには何をどうすればよいのかわからない。
何か話を変えなくては、そもそもシルバーの用件は何だったのか。
改めて彼のほうに目を向けたグリンは、左手にラッピングのされた包みが握られていることに気がついた。赤いリボンとレース布はシンプルながらグリンの少女趣味をくすぐる可愛らしさがあり、つい思ったことが口をついて出る。
「かわいい
…
!」
すると、
「はぁ!?」
何故かシルバーが動揺を見せたのでグリンは目を丸くした。素っ頓狂な声に驚いてか、黒猫までグリンの腕から飛び出して普段の定位置に戻っていく。グリンが伺うようにシルバーを見れば、真っ赤な瞳と視線がかち合った。
「あ、いや」
「?」
しかし交わった視線もすぐに逸らされてしまう。そうしてグリンが小首を傾げている間、ふらついていたシルバーの視線はふと彼自身の手元で止まった。そしてどういうわけか徒労感を含ませるため息とともに、その包みを持ち上げてグリンへと示してみせる。
「シェフから預かり物です。悪魔でも美味く食べれるクッキーだそうで」
「まあ、ラズベリーから?」
その言葉にグリンの顔がぱっと明るく輝いた。前々から話していた試作品とやらがついに出来上がったのだ。
グリンは差し出された包みを両手で大事に受け取って、その白い布に隠れたクッキーの美味しさを想像して頬を緩ませる。行儀さえ気にしなければ今すぐにでも摘まんでみたいほどだった。
そうやってわくわくするグリンを余所に、シルバーは踵を返そうとする。
「じゃあ、確かに渡しましたから」
「あっ、待って!」
グリンは急いで彼を呼び留めた。せっかく持ってきてもらったというのにお礼の一つもしていない。向き直るシルバーに対して、グリンは自分の室内へ招くように半歩下がる。
「えっと、もしよかったらお礼にお茶でも飲み
……
ませんか?」
語尾が半端な敬語になったのは、言った後で、何かと多忙なシルバーには少し場違いな誘いだったかもしれないと気付いたからだった。実際不安は的中したようで、シルバーは複雑な表情をして返事を言いよどむ。
「えとえと、やっぱり忙しいのかしら」
遠慮がちにグリンが尋ねれば、シルバーは答えを探すように目線を泳がせた。
「いや、忙しくは、ないっス
……
ないですけれど」
「??」
グリンとしては「それならば」と続けたいところだが、どうにもシルバーの返事は歯切れが悪い。かといって理由も思い至らず、グリンの眉が八の字になってしまったところでシルバーはこれまた溜め息を一つ零した。そして今度はきちんとグリンの目を見て言い放つ。
「差し出がましいかもしれませんが。グリンさまは悪魔の中でも重要な立場にいる方なので、プライベートの線引きはしておいたほうが良いと思います」
「線引きって?」
「だから
……
オレみたいなのをやすやす部屋に上げたら駄目ってことです」
「まあ、それこそダメよ!」
「え」
「だってシルバーさんはっ、」
大事なお友達、と。グリンはうっかり口走りかけた言葉を寸でのところで飲み込んだ。ラズベリーやレイスアール等、すぐさま打ち解けられた友人達と違い、シルバーのことを友人と言い切ってしまうのはまだほんの少しだけ勇気が要る。だからこそグリンは互いの距離を詰められないかと部屋に誘ったのだから。
グリンは続くはずだった言葉を打ち切って、代わりに不満を口に出す。
「とっ、とにかく。私が伯父さまの姪だからって、仲良しになる人を制限するのはおかしいわ」
それにそれに、と目一杯に言い募ろうとするグリンの耳に「結局オレは何なんスかね」などというシルバーのぼやきは届かないまま。グリンは、今や魔界の常連客となったレイスアールの例まで出して、仲良しこよしで綿菓子のような主張を懸命に繰り出していく。魔界の勢力図やら自身の影響力やらを度外視したそれは正論のわりに切れ味が鈍いはずなのだが、結果折れたのは向こうのほうだった。
「グリンさま、わかりましたから」
シルバーのその一言でグリンの抗議はぴたりと止まる。
「本当!?」
「ただ、今は色々と────保たないので。お茶はまたの機会で」
「あっ、そそそうよね、ご予定もあるわよね」
一喜一憂の後でようやく、グリンは勇み足になってしまっていた自分に気づく。それでも、ここで立ち去るシルバーを単に見送ってしまうのも惜しまれて、またまたグリンは困ってしまった。引きとめるための気の効いた話題を取りだせるほど自分は器用でもない。グリンは「じゃあ」という言葉がシルバーの口から出てこないよう祈りながら、胸の奥にわだかまる何かをどうやってふりきればいいのかと考える。
「
…………
」
「
…………
」
会話の途切れ目と言うには長い沈黙が流れた。どういうわけかシルバーの足は動かない。そのことはグリンを安心させる一方で焦らせもした。理由もなく留まらせるのは申し訳ないけれど、場つなぎがどこからともなく降ってくるわけでもない。何かちょうどいいものがないかと探すが、元々はクッキーを持って来てくれたシルバーへのお礼というのが始まりであったはずで、グリンが今すぐ渡せるものと言えばそれこそ、手元のそれしかない。
そこで、はたと。グリンは自分の両手の上に乗った包みを見て、遅ればせながらの発想に頬を緩ませた。そして包みを片手で持ち直してリボンを解き、中に入っている小麦色のクッキーを確かめる。
「あっ、あのね、」
「なんでしょう」
シルバーの返事は妙に早かった。グリンが何をしだすのかと見ていたせいか、それとも立ち去る機を計っていたからか。後者の可能性はグリンにとって寂しいもので、また言葉にならない何かが積もりかける。その何かの雫を振るい落とすようにグリンは指先を擦り合わせると、クッキーを一枚手にとった。
向けるのは自分の口元ではなく、相手の。
「もらったものをすぐにっていうのも変な話かもしれないんだけれど、あの、持ってきてくれたお礼に、どうかしら
……
?」
「
……
はぁ」
遠慮がちなグリンの指先を困惑まじりの吐息がかすめた。半端に開いた口はしかしクッキーのほうへ寄ろうとはしない。
「これはシェフがグリンさまに作ったもんでしょう。オレは届けただけでそうたいしたこともしてませんし、お気を遣わずとも
……
」
「でででもでも、せっかくだもの。それにね、シルバーさんはいつも美味しいお野菜おすそわけしてくれるでしょう? だからね、それのお礼もしたいの」
「野菜はまあ、オレ一人だと食いきれないからで」
「そうかもしれないけれど
……
」
やり取りをする度にかわされ、グリンの勢いは少しずつ落ちていく。名案だと思って食い下がってはみたものの、ここまでくれば逆に迷惑かもしれない。グリンはそもそも自分が何をしたがっているか、それすらも定かではなくなりつつあった。ただ一人で迷路をさまようような心細さだけがあって、そんな心境がついつい声にも現れる。
「
………
シルバーさんはクッキー、嫌い
……
?」
「
……
ぐ」
決定打はそれだった、らしい。あれやこれやと打ち返すように続いていたシルバーの反論はそこで途切れた。
それでもグリンの指先はクッキーを摘まんだまま、未だ不安げに宙で揺れている。そんなグリンの手の居場所を定めるように、シルバーの手の甲が触れた。そして今にも届きそうだったクッキーは予想を裏切って、グリンのほうの口元に押し返される。暗に断っているのだろうかとグリンが瞳を揺らしかければ、珍しく慌てたような声音が届いた。
「オレが先にもらうのは申し訳ないので、まずはグリンさまが召し上がってください。そしたらオレももらいますから」
シルバーはそう言って自分でもグリンの持つ包みに手を伸ばしクッキーを一枚摘まんだ。そしてグリンを視線で促す。そこまで来てようやくグリンの頭の中で言葉が繋がった。
────そうよ、おやつは一緒に食べるほうがもっとおいしいわ!
グリンは笑顔になる暇すらもったいないとばかりに、自分の指まで加える勢いでぱくりとクッキーにかじりついた。舌先を滑るざらついた生地と、小気味よく響く音。グリンが歯を立てたと同時、口内には予想だにしなかった香ばしさが広がった。
「!」
甘いだろうと構えていた口は初めこそ驚いたが、悪魔好みの味にぴったり合うと感じた途端、さくさくと音を立てて味を広げようとする。あっという間に一枚なくなり、次のクッキーへ指を伸ばしかけたところで、ふと視線を感じてグリンがそちらを向けば、シルバーが目を瞬かせていた。
「よっぽど美味かったんですね」
その言葉でグリンは夢中になりすぎていた自分に気付き、蒸気が出そうな勢いでかっと顔を赤らめる。
「あうあう。その
……
ラズベリーのクッキーだもの。おいしいに決まってるわ」
「まあシェフの腕前だけはオレも買ってますけど」
言い訳ともいえないことをごにょごにょと言うグリンに対して、シルバーは一切気にしていないとばかりに平時どおりの表情で返す。そして摘まんだままだったクッキーを口元にやると、何故か一拍置いてから、気合いを入れるようにぽんと放り込んだ。
シルバーが顔色一つ変えずにもごもごと口を動かすものだから、グリンは変にどきどきしてしまう。答えなんて知っているようなものだけども、友人の評価を第三者から聞くことになるのは緊張することでもあるのだった。だから、
「
……
へぇ、なかなか。美味いですね」
そんなシルバーの感想にグリンは安堵の息を漏らした。
「ね、さすがラズベリーだわ!」
まるで自分のことのようにグリンは喜び、一跳ねした気分に合わせて羽がぱたぱたと数回動く。なんていったって快不快を正直に言うあのシルバーのお墨付きなのだ。大好きな友人が褒められることはグリンにとって自分を褒められること以上に嬉しいことだった。
「
…………
」
ご機嫌が全身に現れるグリンとは対照的に、シルバーは無言だった。グリンが気になって視線を向ければ、シルバーのほうも何か思わしげにこちらを眺めている。それでグリンは急に我に返った。いくら嬉しかったとはいえはしゃぎすぎたかもしれない。グリンは子どもっぽい自分を誤魔化すべく、飛び上がりかけた身体を落ち着かせていそいそ羽を下ろしてみたりする。
そして、改めてグリンが伺いを立てようとした、その時。
合いかければすぐさま外されるシルバーの目が、ふいに和らいだ。
「気に入られたようで何よりです」
ぶっきらぼうな口調、けれども珍しく緩まったシルバーの口元。グリンの心配なんてまるごと杞憂だと見てとれる。同時、雫が一粒落ちて弾けるように、グリンの中で何かがぱちんと音を立てた。
(あら?)
グリンは確かめるように自分の胸元を見るが、その正体は掴めない。代わりにずっと尾を引いていた謎の寂寥感や焦りはなりを潜め、グリンの身体はなんだかぽかぽかと温かくなっていくのだった。
「
…………
あうあう」
いつもの口癖が零れ出る。怪訝そうなシルバーの視線は気になったが、どうしたと訊かれたって答えられる自信はちっともなかった。
◇◇◇
邪魔だとばかりにドアを荒々しく開け、一直線にカウンターに向かい、開口一番。
「あのクッキー、なんか妙なもん混ぜてないっスよね?」
シルバーは食堂にくるなりすぐさまそう言ってラズベリーを問い詰めた。周囲は早々にいざこざの気配を察して背景役に徹している。それでも当のラズベリーは平然と憎まれ口で返すのだからなかなかの度量の持ち主である。
「天下のシェフに向かって失礼な物言いだなあオイ!」
「つっても、あれを食べた後でグリンさまの様子が変になったもんで。疑わないほうがおかしいっスよ」
「変、ねぇ。ちょいと詳しく話してみてくれよ」
グリンのことと言われてしまってはラズベリーの表情も深刻にならざるを得ない。しかし詳しくと言われても、シルバーに説明できそうなことはさほど多くはないのだった。
あの後。
動転したグリンから半ば閉めだされる形でシルバーはその場を離れることになった。グリンが急に俯いてだんまりを決め込んでしまった件については結局うやむやのままだ。かといって扉越しに無理やり聞き出そうとするほど向こう見ずではない。多少顔は赤かったようだが、だからといって医師を呼ぶだなんて真似もおおげさすぎる。それで妥協策を考えたところ、思い浮かんだのは彼女と親しい間柄かつ元凶であろうシェフだった。
こうして畑に行くはずだったシルバーの足は本来の向きとは逆に動き、食堂まで舞い戻ってきたのである。
事情と言ってもやはり話すべきことはなく、シルバー自身あまり詳細を話したくなかったのもあって、説明はほとんど一言で済んだ。それでラズベリーも何らかを察したらしく、気が抜けたように片手をひらひらと宙で振ってみせる。
「って言ってもなあ。グリンのことだ、何かパニクったか照れたか緊張したかじゃないのかい。だいたいシルバーさんはなんともなってないんだろー?」
「まあそうっスけれども」
そこは正直ラズベリーの言う通りで、そもそも事態はさほど深刻な話でもなかった。単に、あのグリンの様子が気がかりだったのと、そのせいで今日一日シルバーの思考が掠め取られてしまいそうだったから、軽く原因究明をしたかっただけなのである。
「まー、グリンもなんやかんやで人慣れしてないしなあ。何かの拍子でびっくりでもしたのさ、きっと」
「
…………
ひとまずそういうことにしておくっスかねえ」
「アタイってば信頼ないなー」
ラズベリーはシルバーの辛辣な物言いも気にせずからからと笑ってみせる。それで、何がどうという結論は出なかったにせよ、グリンの話は一区切りついてしまった。
だというのにシルバーは未だ引っかかるものを感じてしまっている。その理由を無理やりつけようとして、思いつきのように零れ出たのが、こんな言葉だった。
「ところでシェフ。あのクッキー、また作る予定はあるんスか?」
「うーん。試作段階だし、グリンに作ってやるのはいいにしても、メニューにする気は今のところないなー」
「
……
してもいいんじゃないっスかね。食べれるモンみたいだし」
シルバーが滅多にない肯定的な答えを返したせいか、ラズベリーが茶化すようにぴゅうと口笛を吹いた。
正直、シルバーはあのクッキーに手を出す気など一切無かった。食堂に集まる悪魔達の皿の上を見れば、自分と味覚が致命的なまでに異なるのは言われずとも分かる。それでも食べざるを得なかったのは半ば成り行きのせいだ。それにあれは新鮮な味ではあったものの、格別人生を揺るがすほどの美味しさというわけではなかった。自然食好みなシルバーが抵抗なく食べられたのはラズベリーの手腕があってのことだろうが、好物と比べればランクは下がる。
そのはずが、シルバーの口は珍しく滑らかに、思っても見ないことを言い出したのだった。
「へぇ?」
ラズベリーはシルバーの言葉の裏にある何かを身勝手に感じとって、口角を持ち上げる。シルバーが失言だったと気づくには遅すぎた。
「そこまで気に入ってくれたんじゃあ、こっちも気合いを入れざるをえませんなぁ」
冗談めかしてそういうラズベリーに、シルバーは苦虫を噛み潰したような表情をした。微妙なすれ違いを訂正しようと口を開きかけ、適切な言葉を探す。
「別にオレはそこまで
…………
グリンさまは気に入ってたみたいっスけど」
しかし、咄嗟に選びとった言葉はこれまた不都合なもの。ラズベリーはとうとう声に出して笑いだしてしまう。
「あっはっは、そうかいそうかい! いいさ、グリンのためだもんな!」
「
…………
はあ」
────グリンさまの喜びようが極端だったから印象に残っていただけで。
と、シルバーは脳内だけで言い訳をし、結局はため息一つを残して黙りこんだ。さすがにここまでくれば何を言っても墓穴を掘るのみという自覚はできてくる。グリンとラズベリーが絡むとシルバーはとたんにいつもの調子が出なくなってしまうのである。
「じゃあ、用はそれだけなんで」
かくしてシルバーは敗走するようにその場を去ったのだった。
グリンのことを気にかけるのも、香ばしいクッキーの味が妙に舌先へ残って離れないのも、別に何てことはない気まぐれだと。そんなふうに頭の中で繰り返しながら。
◇◇◇
後日のこと。
例のクッキーは魔族にも悪魔にも評判で、あっという間に定番メニューとなった。おやつ時に漂うはずの甘い香りがいつの間にか独特の刺激的な香りになったのも、今となっては魔界恒例となりつつある。
そんな中、クッキーをかじるグリンはふと手を止めて、ラズベリーにこんな提案をした。
「あのね、ラズベリー。あのクッキーって頑張ったらわたしでも作れるようになるかしら?」
「ん、なんだい。食べたいならアタイがいつでも作ってやるから遠慮するなよ」
「えとえと、ラズベリーのクッキーは美味しいから嬉しいけど、そうじゃないの。自分でも作れるようになったら、レイスちゃんとか
……
その、他の人でもいいんだけどね。喜んでくれるかなって」
「
……
ほほう?」
真っ赤なグリンが言葉を紡ぐ途中から既に、ラズベリーは持ち前の勘の良さでピンときていた。ラズベリーとしてはおちゃめなドッキリのつもりだったのだが、どうも経過は一味変わったものになったらしい。とはいえ無理に押し通すのはそれこそ、この遠回りな何かが膨らみきってからだろう。
ゆえに親友の彼女が唯一できるのはせいぜい、些細なきっかけを仕込む程度のものである。
当然、その計画には魔界食堂の野菜業者となりつつある件の彼が巻き込まれるわけだが────それはまた、別の話なのだった。
~END~
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