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ツキシキ
2023-07-01 22:03:50
117641文字
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★天使のうつわ・おばけと魔法とまとめ
13作品。「空想地球儀」作品の二次創作。
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おままごとは暗闇の中で
目が見えなくなったシリウスさんと、色々見ないふりするカトレアさんと、色々見えてるお嬢さん。
____________
カララララララ、と小気味良い音がして、手の平を見ると山のように有ったはずのネジ達は皆逃げ出していた。すぐさましゃがみこんで手さぐりに掻き集めるも、元々あった量にはとうてい足りそうもない。
「おばけ達は繊細だからねぇ、一つでも欠けると動かなくなっちゃうのさ」
いつぞやのカトレアさんの声が脳裏に蘇る。繊細というわりにあの人の手つきは案外胡乱なところがあるので疑わしいのだが、かといってなあなあで済ますわけにもいかない。とはいえ、こう雑多に物が積まれたこの部屋でより小さなネジを探すのは一苦労だ。なんとか見つけ出そうと集中すると同時、
「っ
……
」
ぼやけた視界がグワンとぶれて、眼球の裏、頭の中央、どこともつかない場所が鈍く痛んだ。
元々悪い視力がどうにも近頃、酷さを増している気がする。物の境界が判別できないものだから、そもそも物を拾う行為自体が難しい。仕方なく床を這いまわれば、隠れる気のないネジ達が指先に当たっては転がっていった。
素直に人を呼んだほうが早いかもしれない。ネジの鉄錆色と床の澄んだ青色が混じり合う視界から、身を起こして立ち上がる。
「
……
あ」
そこで、静かに幕が降りるように、視野の端がチカチカと黒ずんだ。
カーテンコールは音も無く。
控えめなブラックアウトが、私の限界の合図だったらしい。
◇◇◇
視力が戻る見込みは無いらしい。
あっけないほどの結末ではあった。
今にして思い返せば怖気だつほどの予感など無く、“言われてみれば”でようやく思い立つ小さな不調ばかりだった。呼ばれて振り返る時にささやかな頭痛がしたり、明暗の激しい場所で視界が溶けるような感覚に陥ったり、物の距離を見誤って敵を切りつけ損なったり。
集中しなければ物が見えないのはいつものことであり、いわば不調が平常だったものだから、気づくのが遅れたのかもしれない。
思いつくところを淡々と述べると、カトレアさんは何だか弱ったような困ったような、間延びする声でこう言った。
「そうだねぇ
……
シリウスは、頑張り屋さんだからねぇ」
人を子ども扱いするようなその物言いには少しばかり反抗心が芽生えなくも無かったが、こちらも現状文句を言える立場ではない。結局のところ出てきたのは、
「
……
まあ、そのうちこうなるだろうと予想はしてましたから大丈夫です」
などという慰めにもならない何かだった。それに対しての返答はなく、何とも堪えがたい沈黙が満ちる。
珍しいことだった。こういった空気は兄の一件を思い出させる。普段ちゃらんぽらんなこの
女性
ひと
に、落ち着いて欲しいと思ったことは何千回だってあるものの、黙って欲しいと思ったことは一度もない。だから、どうにも決まりが悪い。
────元々見えづらかったものが一切見えなくなっただけ。
ただそれだけで、対して違いなど無いのだと。言い切るのは簡単だが、存外聡いこの相手にそんな気休めは通じないだろう。代わりに分かりきった現状を整理してみることにする。
「おそらくは祖先の記憶の影響でしょうし。一個人に何千年の記憶を引き継ぐというのも無茶な話で、身体のほうに多少の無理が起こるのは仕方ないことです」
「でもねぇ、この現象は異例の事態なわけだろう? 少なくともシリウスの記憶のうちでは。だとしたらやっぱり、別のところに原因があると博士は思うんだよー」
別のところと言われて思い浮かぶのはこれまた兄だった。
第一が、事故のせいで継承を正式な形で行えなかったこと。以前メープル様に指摘されたように受け継ぐ記憶にも綻びがあるのであれば、別の面でまた綻びが出るのもあり得ないとは言い切れない。
第二が、バッキリと真っ二つに折れた宝剣。粗雑な兄のせいで目も当てられない様になり、ひょんな縁で出会った雑貨屋で直したこの剣からもまた、ツギハギの悪影響が有るとこじつけられなくもない。
もちろんそんな考えはカトレアさんもすぐ思いついたようで、すでに宝剣の方は半ば奪い取られる形で預けてしまっている。
カトレアさんは一通りぶつくさと言い終えると、真剣な口調もどこへやら、がらりと声音を変えて考えをまとめた。
「というわけだから、とりあえずこの剣はしばらく貸してもらうよーん」
茶化した語尾はわざとが過ぎるほどに伸びきっていた。その裏に棘のような痛々しさがあるのを自分は知っている。
────宝剣は一時期、見ることすら避けていただろうに。
そんなことを言っても何にもならないと、唇の先に出かけた言葉をぐっと呑み込む。空元気が得意なこの人の足場を、自ら壊すようなことはしてはならない。根を詰め過ぎるなと言ったところで聞く相手でないこともわかっている。言えるのは憎まれ口程度のものである。
「
……
また折らない程度にお願いします」
「博士は分解も解剖も経験済みだからね! 安心すると良いよ!」
「不安が押し寄せてきますがわかりました」
「ささっ、そうと決まれば忙しくなるぞ!」
カトレアさんは言うなりホイッスルを咥え、高らかな音を響かせた。直後扉がガチャリと勢いよく音を立てる。やってきたのは例のふよふよとしたおばけ達だった。カトレアさんの指示に勢い込んだ声を上げていく。
着々と大ごとになっている気がしてならない。その波に私自身が乗りきれず、気後れすら感じてしまうのは、心のどこかに諦念があるからかもしれない。
「ミモザも呼んでおくよう頼んだから、シリウスはとりあえず部屋に戻っておくんだよ。まだ色々と不便もあるだろうからね」
「
…………
まあ、いずれにせよなってしまったものは仕方ないですから、慣れるまで辛抱します」
「うんうん、こういう時はゆっくり休みなさい」
そんな言葉を他の誰でも無く、サボリ癖持ちのカトレアさんに言われるのがいささか癪ではあったが、それでも黙って受け入れることにした。
休むこと以外、今の自分の身では思いつかないのが歯がゆい話だった。
◇◇◇
まだまだ小さい掌が私を先導する。博士の研究室から青の遺跡の自室に戻るまでの、何一つ危険の無い慣れた距離を、お嬢さんは軽やかに進む。
「扉を開けるから少し待ってね」「ここから階段よ」「さっきの大きな声はね、カロンさんがおばけさんに驚かされた声だと思うわ」「今通りすがったのは夢魔さん達だから大丈夫よ」
たった一歩で変わる景色をお嬢さんは歌うように描写し、それに合わせて瞼の裏に情景が浮かんでは消えていく。覗き穴から絵画を見ているように、想像上の景色はどこもかしこも一部分以外全てが切り取られている。
「それじゃあ、昇降機に乗るわね」
「はい。っ!」
「きゃっ!?」
ガツッ、と打ち付ける衝撃、瞬間的に熱を持つ額。
手を引かれるままぼんやりと進んでいたのが悪かったのだろう。真っ暗の視界でも痛みの光はちらつくようで、視界に星が散る。掌越しに伝わった振動は打ち付けた額とはまた別物で、おそらくはぶつかった衝撃でその小さな手を引っ張ってしまったのか、進みかけていたお嬢さんまでも転びかけたらしい。
昇降機の入り口で頭をぶつけたのだと気づくには少々時間がかかった。お嬢さんの歩幅に合わせるのは慣れているが、お嬢さんの高さに合わせるのは慣れていない。
「つつ
……
お嬢さん、怪我はありませんか?」
「ワタシは大丈夫よ、ちょっとびっくりしただけだから。それよりシリウスが痛かったでしょう?」
「いえ、たまにやるので」
何でもないことのように言いながら、気持ちには暗い影が落ちる。
頭をぶつけることだって本当に“たまにある”ことではあるのだ。私にとっては頭を下げずに通れる扉の方がそもそも貴重なのだから。ただ、それがこれから“よくあること”へ変わってしまうのだろうと
…………
思うと、鉛を一欠片飲みこんだような気持ちになるだけで。
ネガティブなこの気持ちとてお嬢さんには筒抜けだろう。隠しようがない相手なのについ取り繕ってしまうのは大人のサガである。
「シリウス、しゃがんでちょうだい」
お嬢さんが改めてそう言う。またぶつけないよう念のため、普段の慣れた動きよりやや大げさなくらいに頭を下げて一歩踏み出すと、しかし意外にもお嬢さんの静止を受けた。
「ちょっと待ってね、」
「
……
?」
花の香りと共に、ふわりとあたたかな感覚が額を覆う。すぐさま痺れるような痛みは引き、回復魔法をかけてもらえたのだと遅ればせながら気付く。
「ありがとうございます、お嬢さん」
「どういたしまして」
声の調子は明るく、まぶたの裏でお嬢さんがにっこりと笑う姿が浮かぶ。
いつまでその笑顔を記憶に留めていられるのか、不安に思う自分も居る。
◇◇◇
自室に戻り、お嬢さんにベッドまで誘導してもらってようやく一人の時間が取れた。遺跡の民の皆さんに説明をしなければならないとも思っていたが、そこはお嬢さんが取り纏めてくれるということらしい。「お嬢さんが皆をまとめる」というその響きだけでどことなく心配を感じはしたが、かといって歩くこともままならない身では周知も集合もかけようがないのも事実であり、結局はお嬢さんの言葉に甘えることにした。
深く、深く、深くため息が漏れる。
普段通りの動きがまったくできないこともそうだが、何より気疲れのほうが大きかった。
世話を焼かれるというのは想像以上に難しい。嫌でも“できないこと”が意識される。お嬢さんの優しさや、カトレアさんの前向きさ、それらに比例するように心の鉛は増えていく。
いずれはこういう時も来るのだろうと、可能性として考えていたことではあった。ただ、覚悟していたかどうかは別の問題だ。
いっそこれが夢であれば良いと思いながら、ベッドに身を横たえる。目を瞑る。目を瞑るという行為がそもそもこれからは無為になるのだと感じさせられる。
ただただ暗闇ばかりが。
暗闇ばかりが
…………
。
「シリウス、シリウス?」
身体を揺さぶられる感覚で目を覚ます。何度か瞬きをして、しかし視界では僅かな光量しか変わらない。夜か、灯りの不具合か。連想はたった一つの現実ですぐさま終わる。
そうか、見えないのだった。
「おはよう、シリウス」
胴の辺りに当てられていた手はいつの間にか離れ、身を起こせば改めて声がかけられた。透き通るような声質と、間延びした口調と、何度も聞き覚えのある呼びかけ方。
「カトレアさん?」
「
…………
」
問いかけたところで、声の主の候補はもう一人居たことに気づく。奇妙に空いた間はそのせいだろうか。何分、人の声を聞き分けるのにはまだ慣れていない。
間違いを直すように名前を変えて呼びかけようとしたところで、
「うん、おはようシリウス。調子はどうだい?」
差し挟むように返された。その口調は確かにカトレアさんだ。
調子、と言われて確かめるように手を動かしてみる。つい動作確認のような仕草をしてしまったが、不調は何より目の前の暗闇にあるので、無駄な動きではあった。少し寝ぼけている。
「相変わらずですね。何も見えません」
「そうかぁ。とりあえずそろそろご飯の時間だったからね、パンを焼いてもらったんだよ。シリウスもどうかなあと思って」
意外な気遣いだった。カトレアさんのことだから、食事に遅れれば最後「独り占めだーい」なんて言い出しそうな気がしていた。とはいえそれを直接言うほど無礼者になったつもりはないので、大人しく礼を言う。寝起きというのもあって空腹具合はほどほどだが、食事は決まった時間に取っておかないとうっかり忘れてしまいがちだ。
「
……
いただきます」
「うん、いっぱいお食べね」
ひとまずテーブルに移動しようと手探りで立ち上がりかけたところで、手にパンらしき柔らかいものが添えられる。ベッド上で食事をとるのはいささか躊躇われたが、好意は素直に受けることにした。
身を整えて座り直し、もらったパンに口をつける。ふかふかの生地に練られた胡桃が香ばしい。こちらがもくもくと口を動かしている間はカトレアさんも静かで、代わりに陶器の音が聞こえた。ちょうど、グラスに注がれる水の小気味よい音が響いたところで、食べ終えた喉が渇きを訴える。そのタイミングを見計らっていたかのようにカトレアさんが言う。
「はいミルク。これ以上大きくなられると困っちゃうけども」
「成長期はもうとっくに過ぎてますよ」
「どうかな、男の子はどこまでも伸びるっていうからね~」
「成人を過ぎた者に“男の子”もどうかと思います」
「まったくシリウスは細かいなぁ!」
与太話に付き合いながらグラスを受け取る。これ以上背丈が伸びてしまうと、お嬢さんと手を繋ぐことすら難しくなってしまうだろうから勘弁願いたい。しゃがみながら歩くというのはあまりに足腰の負担が過ぎる。
訥々と思いながら牛乳を一息に煽る。飲み終えたグラスを返そうとすれば、ふふ、と小さな笑い声がした。
「カトレアさん?」
「シリウス、ちょっと動かないでおくれよ」
「? はい」
何か軽いものでベッドが沈む感覚がし、手持無沙汰に持ったままのグラスを超えて、口元にさらりとしたものが触れた。布のような、そう、ハンカチだ。
そこでやっと、口を拭かれているのだと気付き、
「っ!」
頬にかぁっと熱が溜まる。
「い、」
「い?」
「言ってくれれば、自分で、拭けます」
「うんうん、そうだねぇ。シリウスは大人だもんね~」
「
…………
」
おそらくは口まわりを真っ白に汚していたのであろう。今すぐ布団を引っ被ってしまいたい。普段は見せるはずの無い醜態だとか、あろうことかあのカトレアさんに世話を焼かれてしまったことだとか、からかいと優しさが入り混じったような子ども扱いだとか。とにかく自分のやらかしたことを否定したいのだがもはや何に対して違うと弁明すればいいのかすらよくわからず、ぎこちなく固まった唇を舌で湿らせる。それでまたミルクがついてしまったのではと不安がよぎり、口元を袖で拭う。
こちらの動揺は表にまるっきり出てしまっているのだろう。尚もカトレアさんは軽やかな声で忍び笑いを漏らす。抗議しようとこちらが口を開いたところで、からかいよりもずっと柔らかな声がかけられた。
「子どもでいいんだよ、シリウス」
言いながら、カトレアさんは未だこちらが持ったままのグラスをそっと引き取ってしまう。世話焼きはいたるところに行き届いていて、これではこちらが患者だか子どもだかわかりやしない。ふがいなさを噛み締めていると、カトレアさんはもう一度同じことを繰り返して言った。
「子どもでいいんだよ。たまには周りに思いきり甘えればいいのさ」
「
……
そりゃ、サボり癖のあるカトレアさんはそう言えるかもしれませんが」
「あはは。そう思ってるならなおさら、甘えてくれたらいいじゃないか。今度はこっちの番さ」
「嫌です」
「ひどいなぁ」
うえーん、と泣き真似の声がする。わざとだとわかってはいるのだが、つい挙動不審になってしまうのは隠せない。慌てふためく自分を見てか、また笑い声が聞こえた。それでも否定はしておきたくて、もごもごと零す。
「嫌というのはそういう意味ではなくて」
「うん?」
「
……
私が、しっかりしていないと。皆さん困るでしょう」
「どうだろうねぇ。案外うまくやってしまうかもしれないよ?」
「でも混乱はするでしょうし」
「そうだねぇ。今回のシリウスの話も、皆にしたら大騒ぎになっちゃった」
あはは、と笑うカトレアさんはどこまでもいつも通り、気の抜けた感じだ。笑い事じゃないことも笑い事に思えてしまいそうで、だからこちらは気を引き締めておかなければならないというのに。
「ほら。それに私までカトレアさんみたいに好き放題してしまったら、困るのはお嬢さんです」
「
…………
そうかなぁ」
「そうですよ。お嬢さんに何かあった時のために私が居るんですから」
「でも、ミモザももう随分としっかりしてきたと思うよ?」
「お嬢さんを長らく放っておいた貴女がそれを言いますか
……
」
「だってねぇ。あの子は遺跡を出てからお友達も増えたじゃないか。今まではシリウスが着いていてくれたし、まだまだ一緒にいてほしいのも確かだけれど。むしろこれからは、シリウスがあの子に頼るくらいがちょうど」
「それはもっと駄目です」
思わず食い気味に即答する。
「
……
ダメなの?」
「駄目です」
ここだけは譲れない一点だった。
ただでさえお嬢さんはお淑やかから何だかよくない方向へ行きつつあるというのに、これ以上放っておいては何がどうなるやらわからない。そんな土壌すら不安定なお嬢さんに、ましてや私のほうが頼るなどというのは考えられなかった。
変わらない私の意見が不満だったのか、カトレアさんは嘆息する。
「もう、シリウスは頑固だなあ」
「頑固というか
……
仕方ないでしょう。って、うわっ」
わしゃわしゃと髪をかき混ぜられる。言いたいことを絡めとってしまうように、人の手が頭上を好き勝手動いていくのは想像以上にむずがゆい。それでも振り払う気にはなれず、ただなすがままを保つ。
ふう、と聞こえた一息、止まった手の動き。ようやく満足したのかと思ったが、続いたのは重苦しい一言だった。
「そんなに
……
ワ、私達は、頼りない?」
その言葉はカトレアさんらしからぬ自信の無さに満ちていた。
────まるで、よく似た声の主が、カトレアさんを真似損ねたかのような。
一瞬、頭に浮かんだ考えを打ち消す。それはさすがに意地が悪い。たとえ、粗忽で無神経な友人の影響があったとしてもだ。
だから私はカトレアさんに対して答える。
「
……
そうではなくて、なんというか」
「
……
」
「
…………
」
「
……
というか?」
言いあぐねて、自然と言葉は途切れたがそれすらも相手は許してくれない。水掛け論だからやめましょう、などと言って通じるわけもない。好奇心だけは人一倍のこの人のことだ、𠮟りつけたって聞いてはくれないだろう。
この歳にもなって、いやこの歳になったからこそか、内心を吐露するのは気恥ずかしい。が、どうせこの顔どころか、相手の反応すらも、すべては真っ暗闇だ。それなら多少はいいだろう。
張り詰めた心はガス抜きを求めて油断する。ありていに言えば、甘えたがる。
「私は、」
「うん」
「好きな人たちの前では見栄を張りたいんです」
一呼吸、二呼吸。
シンと止まった時間は失望だろうか。呆れということはないと思いたい。
「
……
初めて聞いたよ」
「初めて言いました」
ああ、悪戯っぽい顔が目に見えるようだ。浮かんだ顔が二人分なのは致し方ない。
「ねえ、怒らないで聞いてほしいんだけれども」
「努力はしますが保証はしかねます」
「ふふふ。あのね、実はね」
悪戯っ子はついでとばかりにもう一つ悪心を告白してくる。ほかに聞く人もいないだろうに、わざわざ耳元に口を寄せて、ささやき声で。
「シリウスの目が見えなくなって。ワタシは少しだけ、嬉しかったよ。
……
酷い?」
そんな告白は流石に、予想していなかった。
ので、驚きが先に立ち、怒りや不審や何やら、負の感情は登場するタイミングを失って、ただただあっけにとられてしてしまう。
「
……
怒った?」
「驚き、ました」
「
……
ああ言ったけど、怒っていいよ。シリウスがこうやって頼ってくれるのが、ううん、頼らないといけないようになったのが、嬉しいなんて。酷いでしょう?」
はたしてカトレアさんは────彼女は、どんな顔をしてこんなことを言ってのけたのだろう。カトレアさんの技は見事に彼女へ受け継がれていて、先手を打つのが非常にうまい。頭で考えれば憤るべき理由はすぐそこにあるだろうに、ココロはとてもそう思えない。
「怒られないのを知っていて言うのは、ずるいですよ」
「
……
ふふふ。いいでしょう。いいじゃないか、ちょっとくらい。ちょっとくらい、悪い子になってみたいのさ。それでもシリウスは嫌いにならないでしょう?」
緩やかに混ざり合う口調はもはや幼さを隠そうともしない。見えない顔は、よく似た声の二人の境界を曖昧にしていく。
「そんな言い方
…………
どこで覚えてきたのやら」
「きっとシリウスの知らないどこかよ」
つい眉間に手をやってしまう。兄とカトレアさんが共に過ごすようになって、眉間に皺の寄る回数は増えた。そしてこれからもなお、増え続ける予感に頭痛がしてくる。けれども一方で、両手一杯の重りを拾い上げてくれる存在がいることに、救いを感じる自分もいる。
長く吐き出された息が、ため息なのか安堵なのか。もはや自分の中の境界もぼやけていく。
悩みの種の張本人は、歌うように甘やかな声で言葉を続ける。
「安心してねシリウス。どんなにカッコ悪くたって、目が見えなくたって、誰にも頼られなくたって、ワタシ達はシリウスが大好きなんだから」
ああ、困った。
ココロは不安になればすぐ扉を開けるし、少し撫でられればすぐ懐く。
一番欲しい言葉を的確に奏でてくれる相手に、はたして誰が抵抗できるだろう。
もはやその声の主が誰であったって────
暗闇は、都合の良い幻想を見せるのにちょうどいい。
◆◆◆
黒く黒く濁り切った泉。
水滴のように継ぎ足されていくネジの山と、膨らんでいく泉の嵩。
流れ出ずにたまり続けるイヤな気持ち。
シリウスのココロを覗いたときに浮かんだイメージは、見ているだけでミモザのココロも苦しくさせた。そんな中、唯一ぽつんと浮かぶ光のようなものが、彼女のママの持つイメージによく似ていた時点で気づくべきだったのかもしれない。
シリウスの態度はカトレアにだけ極端にそっけない。だからミモザは自分の見たイメージに少し自信がなかったけれど、ココロの力はきちんとホントウを映し出してくれていた。
「
……
カトレアさん?」
誰よりも真っ先にその名前が出てきてくれた、それだけでミモザは両手を挙げて飛び跳ねたくなった。
────ワタシでなかったことはちょっとだけさみしい。でも、それがママなら話は別。
シリウスの無意識から出た言葉を、大事に大事に、温めておきたい。といっても、あの時ミモザの脳裏に浮かんだ思い付きは、悪ふざけというにはやりすぎだったのかもしれない。
でも、でもね、と言い訳はしたくなる。だって、シリウスはとても良い人だけれど、なんだかちょっと良い人すぎる。わかってくれない、届かせてくれない。スプーン一杯分の不満だって、溜まればコップ一杯になってしまう。
だからミモザはこの時だけ、この時一度だけ、イジワルさんになることにしたのだった。
稚拙な演技と本心の会話を重ねていく中で、シリウスの濁った泉はゆっくりと色を変えていった。何度も絵具を塗りこめていくように、ゆるやかに、穏やかに。
透明とは言わないまでも、ずいぶんましになったそのイメージは、どことなくブルーベリージャムに似ていた。
────明日のご飯はトーストが良いかしら。
剥き出しのココロを触り慣れている純粋無垢な子どもは、今日も変わらずのんきにそんなことを考える。
◇◇◇
翌朝、迎えに来たのはお嬢さんだった。
食堂に向かおうというお嬢さんを留めて、カトレアさんのもとへ連れて行ってくれるように頼む。もちろんお嬢さんが嫌がるはずはなく、嬉しそうに、心持ち駆け足で研究室へと付き添ってくれた。
要件は簡素なものである。
「カトレアさん。宝剣なんですが、一度返してもらってもいいですか」
「うん? それはいいけれど、博士はまだ研究しきっていないから、また貸してほしいなあ」
「駄目です」
「ええっ」
カトレアさんの声はどことなくかすれていた。鼻声にも近い。きっと目にクマができていることだろう。この人は自分の体調や睡眠をすぐに忘れる。
「もう、良いんです。本当に」
「で、でもシリウス」
「代わりにお願いがあります」
言い募ろうとするカトレアさんを遮る。
この人に頼みごとをするだなんて、過去の私が知れば卒倒したに違いない。今までカトレアさんやお嬢さんに一線引いていたのは技量が頼りないという意味ではなく、負い目やら自尊心やら、諸々の身勝手な障害のせいだった。けれども、そんな障害はもはやどうだっていいのだ。
こちらの態度が変わりようもないことを悟ったのか、カトレアさんも黙ってしまう。
だから、自分の声はよく響いた。
「今後、視界に慣れるまでは不便が出ると思うので。それまでは、お嬢さんとカトレアさんに、頼らせてください」
幸い声は震えてはいなかった。けれど情けないことこの上なかった。
呆れられてしまっただろうか。昨日何度もした心配を、今日もまた繰り返す。
しかし、しばしの沈黙の後返ってきたのは、
「もちろんじゃないか!!!」
わぁっとうるさいほどの歓喜の声だった。次いで、隣で繋ぎっぱなしだった手の平がきゅうと強く握られる。
「そんなの当り前じゃない、シリウス」
ねえママ、とお嬢さんが呼びかければ、これまたカトレアさんが騒ぎ始める。迷惑や不安は、少なくとも耳や肌からは一切感じられない。
「いいんですか」
馬鹿みたいにそう言うと、馬鹿みたいに大声で肯定が返ってきた。足踏みをしていたのは自分だけだったらしい。数式は何よりもシンプルだった。
急にココロが弛緩する。とたん、クゥと腹が音を立てる。
「ワタシ今日はジャムトーストが食べたい~」
「おお、いいね! よおし、シュトラウス君に言ってジャムを調達してこようじゃないか!」
バタンと荒々しく開閉されるドアの音、白衣を引きずって駆け出したのでろうカトレアさんの、あまり早いとは言い難い足音。
暗闇の中でも世界は存外明るい。前向きか後ろ向きかは別として。
「シリウス、シリウス」
お嬢さんの呼びかけに、身をかがめて応じる。見えはせずとも感じ取れる空気が、ふんわりと花のように和らいだ。
「これからは、全部ワタシに任せてね!」
それは身に余る言葉であり、
ふらりと身を寄せたくなる魅惑の声であり、
健気な子どもの愛おしむべきいじらしさであり、
素直で末恐ろしくも健気なたった一言であり。
ゆえに私の打たれたココロが無条件で頷いてしまうのも、逃れられないところなのだった。
<END>
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