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ツキシキ
2023-06-29 23:12:46
60921文字
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★ムラサキ・ムラサキ劍まとめ
13作品。二次創作。
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繭に野良狗(梢夜と狗鷺)
梢夜はお姫様だった。
当然厳密にはたかだか地主の愛娘、才が国の随一と言えるほど秀でるわけでもなければ美が傾国の麗しさと言えるほど華やいでいるわけでもない。それでも彼女の体躯には広すぎる館の中で、彼女に全てが傅くのだから、井の中の蛙ならず繭の蝶、彼女は確かにお姫様だった。
姫は癇癪もちである。
ことさら幼い時分は寝つきが悪く、ほんの少しの物音で目をぱちりと開けては不満げに頬を膨らませた。
「ああ、五月蠅い!」
使用人とて癇癪を起こした姫に手を焼くのは周知の事実、叶うなら夢中へ留めておきたいのが本音ではあったのだが、敏感すぎる姫の耳朶は僅かなさざめきすらも騒音と捉えるようだった。
寝不足が続けば機嫌も悪しく、気を揉む使用人たちの心ばかりの花々も、姫自身には見劣りするといって庭にばらまいてしまう始末。しまいに姫は人と顔を合わせることすら不快だと言って襖の奥に籠ってしまった。
さてそんな折、禁制の祠とばかりに日々の食事の上げ下げすら躊躇いがちな館の者どもの、横をすいと通りすがる男が一人。詩吟を嗜むということで館に上げられたその旅人は、その日の寝食代わりに姫の機嫌取りを命じられていた。
男は抱えた弦楽器を鳴らすでもなく、それどころか挨拶無しに、襖の取っ手を滑らせる。
「子守りを仰せ遣ったんだが、場所はここか?」
「っ、無礼者!」
第一印象は当然最悪であった。
◇◇◇
初対面では言い争い、というより一方的に姫が相手を嫌ったが、まあまあ聞いてみるもんだとばかりに男が弦をつま弾けば、雨あられの言葉はぴたりとやんだ。
過敏にすぎる姫の耳は、彼の荒々しい旋律の裏、繊細に技巧が富むその音を余すところなく聞き取っていた。
一曲終わると男は悠々礼をして、悪戯っぽく微笑んだ。ご拝聴、恐悦至極に存じます。形式ばった口調で言うその男は憎らしいほど様になった。
姫の見る目が変わったことを知ると、男は姿勢を崩してだらしなく胡坐をかいた。「顧客の前でその態度はどうなのか」と姫が文句を言えば、「あいにく媚びは実家に捨ててきた」と言い放たれた。姫の目は満月を彩る。自身に対して媚びない者と姫は初めて出会った。
男も男で事情のある旅をしているらしかった。けれどもその裏はさほど語らず、代わりに音楽のことばかりを口にした。最良の音を探らんと試し弾きをする男の、想い全てを指先で射るような音遣いは姫にとって実に興味深かった。
そしてどうやら男にとっても、雪のひとひらよりも静かな音の違いを聞き取る姫は好ましい観客だったらしい。自分の弾きたいように弾くのだと態度で示す男も、次第に姫の感想を求めるようになっていった。姫も好きなものを好きと言い、嫌いなものを嫌いと言った。二人の言葉はよく響き合った。
音のことしか口にしない男が姫の悩みに触れたのは、そういう相性があったからかもしれない。
寝つきが悪い、使用人に当たるのは悪いとわかっているけれどもどうにも頭が痛くて我慢がきかない。そう零す姫に、男はやはり一曲つま弾いた。残響荒々しく子守歌とは程遠い音色はしかし、どことなく郷愁を想わせる音だった。姫の寝床はいつでもここで、つまるところ男の故郷の音だったのだろう。
「雪の音を聞いたことはあるか?」
見たことはあるか、とは訊かないのがその男らしくて姫は笑った。男は本気で首を傾げた。笑う理由を明かしてしまうのがもったいなくて、姫は上品な笑みを携えたまま、無いとだけ答えた。
「静かすぎる音はよくない。耳がキンと痛んで、魂が凍り付く。最高の音色が苦痛にしか感じられなくなる。耳が死ぬのは人生の最悪だ、そうだろ」
それは過言だ、と普通の相手なら断じるところだろうが、男にとっては過不足無き真実なのだと姫はもう知っていた。頷いてみせると、男は言うべきことを言い終わったとばかりに満足げな笑みを浮かべた。
「あんたの周りは静かすぎる。寝物語の相手でもつくれよ。暫くは俺が弾いててやるからさ」
その、「暫く」を「ずっと」に変えてはいけないのか、と。
流石にこればかりは姫のワガママということでは済まされそうになかったので、唇を閉ざしていた。姫の想いを秘めた沈黙を、男は演奏を待ち構えているのだろうと解釈した。姫にとって都合の良い思い違いだった。
◇◇◇
告げた言葉に違うことなく、男は旅立った。その頃には姫の癇癪も収まり、夜長に鳴く虫の音色を心地よいと思いながら寝付けるようにもなっていた。
そして、今、梢夜は一人で眠っている。
没落で館中が騒然としていたため共寝の相手など終ぞ作る暇が無かったが、不幸なことに眠ることだけは許された。しかしその眠りは、あの男の音遣いからは程遠く、ざわつく心を無理やり押し込めるような不快に満ちる不協和音であった。
雪原の旋律にまどろむ優雅な姫の梢夜はもういない。子守歌には程遠い、けれども愛するあの眠りを噛み締めたい。
館にはもはや、ただ怒りを封じられ怠惰を塗り込めるように瞼を閉ざす、無力な繭があるばかりだった。
<終>
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