ツキシキ
2023-06-29 23:12:46
60921文字
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★ムラサキ・ムラサキ劍まとめ

13作品。二次創作。


明日の天気は灰なれど(カイサツ&灰牙)


 無駄な話を沙月は避ける。だから奴の呼びかけも初めは黙殺するつもりだった。

「待って待って」
……
「おーい」

 背にかけられる声が致命的に遠くなりかけたところで、沙月はぴたりと足を止めた。振り返ってみれば奴はその場にしゃがみ込んでいた。海道特有の細やかな砂が立派な紋入り羽織を汚していたが、本人は特段気にしてはいないようだった。動く気のないらしい奴の元へ、沙月は表情を変えないまま一足飛びで戻る。

 奴。
 相棒、仲間、半身。形容する言葉はいくつも世に溢れているらしいがとりあえず沙月は彼のことを“なんかついてくる奴”と認識していた。もっと言えば“たまにいけ好かない顔をしている奴”であったり“妙に間の抜けた奴”であったり、もっともっと探れば何か適切で端的な形容があったのだろうが、そこに至る前に寝付くのが沙月の常だった。
 ともあれ、その“なんかついてくる奴”がおっとり足で待ったをかけることはあっても、自ら留まる意思で沙月に待ったをかけることはそうそうない。身を翻すに値する程度には珍しかった。

 しゃがみ込む奴の足元に倒れ伏しているのは片翼片腕の龍だった。つい今しがたの意味なき決闘相手だ。沙月の傍らではイの者同士の云々があったようで、奴が足を止めているのもすなわちそういう訳らしい。
 まるでぼろ雑巾の体になっている黒龍は、意識を失っていながらしかし呼吸をしていた。土気色の顔がか細い息を吐くたび、口元から濃い色の血がたらりと零れる。辺りも先の戦いで飛び散った龍の血のせいか斑模様となっていて、なかなかの惨状だった。
 その惨状の中、半笑いの男が傷だらけの相手の腕やら服やらをうんうん引っ張っているのは、おそらくは場にそぐわない光景と言えるのだろう。

「なにしてる」
「灰牙って言うんだよ」
「ふーん」

 奴の答えはあまり答えではなかったが、所作からこの灰牙とやらを動かす算段なのはわかったので沙月はそこで話を切った。代わりに間を空けて並び立ち、助力とばかりに灰牙の足をぐいと引っ張ってやることにした。

「ありがとう」
「べつに」

 何かしら言ってやりたい気持ちもあったが結局は辞めた。沙月は自らの言葉が相手を絡め縛ることをあまり好まない。だから黙ってずるずると灰牙を引っ張り続けた。
 足一本でも鉛のように重い。太さは沙月のそれの数本分あると言っても過言ではないかもしれない。しかし二人がかりとあらば牛歩の進みで動き始める。まるで荷物運びのような雑さ加減で運んだので、ともすれば肩なり間接なり外れているかもしれないが、幸い灰牙の呼吸は途切れることもなかったのでまあよしとすることにした。


◇◇◇


 そこそこの時間をかけて雷雨が注ぐ海辺を離れ、ささやかな木陰に辿り着く。とたん、傍らの奴は引っ張っていた灰牙の腕を緩やかに下ろして、大きく息をついた。

「ここここ」
「なんだ鶏」
「この辺にしよう」
「そうか」

 言われて沙月も掴んでいた足をぽいと放る。塩気交じりの草の上でもなお落下音は重々しい。まさに大荷物だった。
 お互い激しい決闘直後の肉体労働で、見れば奴のほうも肩で息をしていた。沙月もそれなりにくたびれた。すっかり一仕事終えた気分の沙月だったが、どうやらまだやることは残っているらしい。奴が灰牙を転がしたり拭いたりしているのがその証拠だった。

「身ぐるみをはがすのか?」
「わりとあってる」

 奴は答えながら灰牙の腰帯や前垂れを剥がしていく。雨露や血を十分に吸った服を、ましてや失神した相手から奪い取るのはなかなかの重労働に見える。先に脱がしておけば運ぶのも楽だったろうにとも沙月は考えたが、衛生面という予想もついた。あれだけ粗雑に運んでおいてなんだが、流石に傷口へ砂塵を擦り込むわけにはいかないということだろう。
 沙月は手を出す代わりに脱がされた灰牙の服飾を絞ってみせる。しっかりとした縫製が無理に引き攣れ、雨汚れ混じりの赤黒い液体がぎこちなく流れ出た。
 自分の身体にもこういうものが流れているのか。沙月は時々疑問に思い、そして寝る間に忘れている。そうできているからには考えても仕方がない。

「よいしょ、よいしょ」

 奴の手つきはあまり滑らかではなかった。へばりつく服は上手く脱がせられないようだし、灰牙のちぎれた羽を労わる仕草は、悪戯に引っ張り回しているようにも見える。灰牙のほうだって失血さえなければとっくに痛みで目を覚ましていただろう。ある意味、半端に意識を覚ますことがなくて良かったのかもしれない。

「ねえねえ」
「なんだ」
「はいこれあげる」

 渡されたのは眼帯だった。裏を見てみたが意外にも血はこびりついていない。どうやらもとよりこの男は片目で暮らしていたらしい。眼帯をしていたほうに目玉はついているのか、沙月なりに気に留めはしたが突くのは止めた。閉じた瞼をこじ開けられることほど嫌気のさすものはない。

…………いらない」

 眼帯を返そうとすると、奴は代わりにひょいと頭上の木を指さした。

「あそこに掛けておこう」
「意味がわからない」
「うーん……

 奴は上手い言葉を探すように黙りこくった。手だけはせわしなく動いて灰牙の介抱を続けており、そんな奴が意地悪で相手の物を奪って隠すと沙月には思いにくかった。
 海風が激しく吹き荒れる。奴の髪が乱れ、吹き飛びかけた灰牙の衣服や装飾に慌てて石で重しをする。奴は、それで思いついたように言った。


「出かける前に忘れ物しちゃったらさ。
 行く気がなくなっちゃう時ってない?」

 沙月は少し、考える。想像をしてみる。苦手なことだ。故に結論も簡明だった。

「忘れる物が無い」
「できるといいよね」
…………

 奴はへらへらと笑い、そして問答を終えた。つまりそういうことらしかった。

 果たしてこの眼帯は灰牙とやらの中でどれほどの位置を占めているのか、彼が目覚めたとして忘れ物に気付けるのか、沙月には予測もつかなかった。それらも想像することであり、沙月の不得手であり、だいたい関与するところでもなかった。
 ひょっとすると奴には灰牙の内心の重さ軽さなど簡単に想像のつくことであって、だから眼帯を選んだのかもしれない。そのくらいの理解までが沙月の領分だった。



 結局手持無沙汰が勝った沙月は、眼帯を掴んでとんと足を弾いた。この程度の軽い跳躍であればあの重々しい男でも枝を折らずして届くだろう。雷雨でも飛び去らないよう、木の枝へきつめに紐を括りつける。
 そういえば、オマエが自分でやれと言うのを忘れていた。思いながら枝に足の甲を添わせ、木を芯に身体を反転させる。地面に降り立てば湿った草の感触がした。

 奴はようやく人の傷を洗い終わったところのようだった。飲み水すらもすっかり使い切ってしまったらしい。沙月は転がっている竹筒を拾い、自分の懐のそれと交換してから奴の荷物袋に押し込む。奴は人に休めというわりに、自分が休むことをたまに忘れるので。
 手元を見るに手ぬぐいの数も一応、持ち合わせで足りるは足りるらしい。一部を人の帯やらなんやらで継ぎはいでいるのはご愛敬とやらだろう。

 奴は、玉の汗か雨粒か、濡れた髪を煩わしそうに払う。そんなかいがいしい姿を見ながら沙月は、ふと、思い返す。
 灰牙という男の言葉は、完結していた。

「こいつは」
「うん?」
「死ぬ気だと言っていた」
………………
「損なうことにはならないのか?」

 手当は命を繋ぐ行いである。子どもであっても知っている。沙月であれど知っている。
 貼り付いた半笑いがじっと沙月を見る。
 どことなく、海色の瞳の奥が光って、また曇った。

「どうだろう」

 奴は首を傾げて、ゆっくりと瞬きをする。
 大事なものを咀嚼するような間が一つ空く。
 すぅ、と息を吸う音が、雷雨の中で不思議と耳に届く。

「でもそんなことよりぼくは明日は良い天気になるといいなあって。
 それを灰牙が見たらいいなあって思っただけなんだよ」

 そう言い終えて、奴は一人、うん、と頷いた。誰にともなく言い聞かせるようでもあった。
 きっと、答えになっていないと、言い返せる言葉なのだろう。
 だからこそ沙月も頷いた。奴の答えとてこれで完結したのだ。

……そうだな」
「そうなの?」
「なぜ訊く。オマエが言ったくせに」
「嬉しかったから」

 へへへ、と馬鹿みたいな笑い声が聞こえる。沙月はふいと視線を逸らす。気づけばもう傷の手当は終わったようで、ズタボロの体だった男は一応人として見られる形になっていた。呼吸はか細いままだがそのうち頬にも赤みが戻るはずだ。
 望ましいことに、人は存外図太い。


◇◇◇


 奴は灰牙とやらに対して特段、言葉を残す気も無いらしかった。ぱんぱんと砂や血痕を払い、立ち上がる。
 さあいこうと告げる奴の顔はどこかやり遂げた雰囲気だった。なので沙月は何か言ってやりたくなって、妙な勘繰りを避けるために、沙月の領分を示すように言葉を吐き出す。

…………天気がいいと」
「うん」
「昼寝がしやすい」
「あはは」

 わざわざ言わなくたってわかっているよ、と言いたげな、やわらかい笑い声だった。奴が奴の内心に同意を求めていないことなど、沙月だって当然わかっているはずだった。だというのに何か言いたくなる、人の言葉は煩わしい。けれども憎らしいわけではない。
 なんだか色々なものが脳裏に駆けて、沙月はそれらを丸めて一蹴してやることにした。

「うるさい。行くぞ」
「うん。ねえねえ」
「まだ何かあるのか」
「ありがとうね」
……べつに」

 たっ、と足を踏み込んだ。遅れて奴も付いて来て、ほどよい距離を空けて横並びになる。
 こういった変わらずの距離感が、皆に等しく与えられればよいだろうにと沙月は思う。踏み込みも、暴き立ても、忠誠も傾倒も不要でありただ横にいる関係を。誰もに誰かが。

 こう考えるのも自分だけなのだろうか?
 仲間、相棒、同胞、そういった形容を求めない自分こそがこの世の不和なのだろうか。
 沙月は思い、傍らを見た。間抜け面がそこにあったので、ほどよく力が抜けた。



 弧を描く半笑いは今日も呑気に言葉を紡ぐ。

「明日天気になるかなあ」
「しらん」

 沙月は答えて速度を上げる。無駄な話はこれで終わりだった。
 明日の天気如何に関わらず、この“なんかついてくる奴”は沙月の傍にいるのだろうから。


<終>