ツキシキ
2023-06-29 23:12:46
60921文字
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★ムラサキ・ムラサキ劍まとめ

13作品。二次創作。


逢瀬、流るる(流々々→兎万砥)


 流々々が彼女と会ったのはたった一日限りだった。
 なのでそれを逢瀬と呼ぶのはいささか誇張に過ぎ、ましてや運命の出会いと呼ぶには互いのことを知らなさ過ぎた。一夜限りの縁なのだから開き直って好きに夜語りを妄想し、上流の清水が下流の淀みを流しきってしまうまで夢を見るのも一つではあった。然れど、彼女に対してだけはそんな都合の良い夢追いもできかねるのだった。
 流々々は元より信用なるものを永久に亡くした身だ。ならば何事に操を立てる必要もないのだが、あの鮮烈な女性 ひとはたとい流々々の頭の中であっても己という我を抱く人だった。

 あの数奇な出会いで、彼女は言った。
 流々々が餌すら吊るさぬ糸垂らしの釣りをしている時だった。



「こういう場所知ってたら。ちょっとは違ってたのかもねぇ。
 今までだってもちろんすごく楽しい……楽しかった、けど。少し駆け足だったから」

 殺気立つ追っ手から逃げ隠れて半ば水死体の如く逃げ流れてきた彼女には、当然のっぴきならぬ事情があるようだった。しかし流々々はそれらを一切尋ねないでいた。流れるに越したことはないのである。人も、この世のしきたりも。
 ゆえに流々々は疑問を呈さず代わりに同意を示した。

「いいでしょう、穏やかで」
「そうね。日がな呑気に釣りができる生活なんでしょ?」
「その通り。いかがですか、何ならしばらく共に過ごしませんか?」

 ひょいと流々々の口からまろび出たのはそんな妄言だった。流れに流れよと思う流々々の心とは裏腹な言葉に、言った後で動揺するほどだった。
 そんな実のない言葉など受け入れられるはずもなく……と思いきや、赤髪の女性は流々々の言葉を受けて神妙な顔をしてみせた。
 彼女の人好きする笑みを形作る唇も、閉じてしまえば俄かに蠱惑的な雰囲気が漂う。目元のほくろと引いた紅、長閑な湖には色彩の強すぎる彼女に流々々の目は眩む。流々々の愛でるサカナ達にも尾ひれの紅を優雅にたなびかせるものはいるが、彼女の赤には誘いではなく確固たる存在として目を引かせる力があった。


「魂は、震わせるためにあるの」


 だから、ぽつりと彼女が呟いたそんな言葉は唐突ながら、やはり流れに惑わされぬ軸を突き立てる鮮やかさがあった。

「この場所もあなたも素敵だと思う。
 でもアタシの帰る場所はここではないの。きっとここじゃ、魂を響かせられないから」

 それはありていに言えばフラれたと評するに等しい言葉だったのだろう。
 しかし、流々々の胸の内にはむしろ納得が残っていた。冗談だと笑い飛ばすでもなく通りすがりの気楽な者に呆れかえるでもなく、流々々の言葉を真っ向から受け止めた鮮華の彼女の、どこに異を唱える余地があろう。

「ねえ。声も、瞬きも、吐息も、何一つ追いつかないほどの感動を受けたこと、ある?」

 流々々は静かに首を横に振った。流々々が求めるのは自然なる響きであり、心穏やかな住処であり、恨み辛みを時間と共に押し流す水源だった。
 おそらく真逆のものを求めているであろう彼女は、色香の映える顔立ちに反して悪戯っぽい笑顔でこう言った。

「聞かせられたら良かったんだけど。今は大事な仲間が足りないから」
「それは……残念」

 言いながら、流々々の心には安堵が訪れていた。それほどのものを知ってしまえば最後、きっと、流々々はその鮮烈を忘れられないまま彼らの影を追い求めてしまうに違いない。彼女の言葉にはそう信じさせるだけの響きがあった。


 安寧が怠惰と成り代わってしまうのは、流々々にとって恐ろしいことの一つでもあった。
 けれども、これを。
 このあまりに焼き付くものを、ただ流れさせるだけでは惜しすぎて、

……では私はここで悠々、遠くの貴女の響きを受け取る波紋になりましょう」

 流々々は返歌のようにそう言い、

「楽しみにしてて!」

 彼女は約束を疑わぬ子どものように笑った。




 あれを逢瀬と呼ぶには虚飾が過ぎる。流々々は確かにそう思う。
 しかし、あの赤き彼女を。閃光のように生きる彼女の、その意志強くたなびいて去っていく後ろ髪を、指先だけでも。
 通わせていたら少しは自分の魂も自ら響いてくれたのだろうか?
 彼女を揺らがす存在でいたのだろうか。
 そんな果てなき想像が、今日も流れず堰き止められる。流れの傍で生きながら、後悔だけを抱いている。

 いっそ逢瀬であれば良かった。
 流々々は泳ぐサカナ達の紅を目で追いながら釣り糸を垂らす。
 今日も、水面は静かに揺らいでいた。


<終>